エトワール・フィランテ〜星降りの夜の導かれし出逢い〜


















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第八章 迷宮の森と運命の出会い〜特殊な力を持つものたち〜
第五十六話 戦場はリプカタウン〜不気味な静寂と不穏な空気〜
 ライズに付き従って駆け出してからしばらく経った後のこと。森を上手く抜ける事ができ、久しぶりに開けた空間に出た。ふと天を見上げると、空に浮かぶ層の分厚い白い雲は、大移動を続けて勢力を広げながら青空を埋め尽くそうとしていた。ここで改めて時間の経過を実感する。
 そこからの移動は、先までより一層速かった。時には険しい獣道を通ってきた森の中とは違い、遠くに煙が立ち上っている方にまっしぐらに進んでいく。それぞれに複雑な想いを抱きつつ、リプカタウンの事を一心に考えていた。
(何が起こってるかはまだ良く掴めないけど、とりあえず出来るだけの事はしなくちゃ……)
 走っている最中もアルムは口元を堅く結び、決意を心の内で強くする。横を一瞥すると、他の皆も同様に緊張感を漂わせていた。交わす言葉も特に見つからず、無言のまま最後の丘を乗り越えて立ち止まる。
「これって、一体何が」
 眼前には、相変わらず殺風景な町の様子が広がっていた。唯一以前と違うのは、家が何軒か瓦礫と化している事である。天に向かって伸びている白煙も、発生源は崩れて微かに火が燻っている家の跡からであった。
「もしかして、“あの夢”と同じ光景なの?」
「いや、少なくとも今の状況は違うと思うぞ。夢では全ての家屋が崩れてたからな。だけど、大変な事になってるらしいのは変わらない、か」
 呆然と立ち尽くしているアルムに対し、ヴァローは面持ちこそ堅くすれど、落ち着いて状況を把握していた。同時に警戒は怠らずに、敵がいないか俯瞰して確認している。
「でも、既に襲われて引き上げた後のようね。襲撃者らしい姿も見当たらないし、声や怪しい物音とかも聞こえないし。それが逆に不気味な気がするけど」
 一方で、隣にいるシオンは不審がっていた。訪れる度に感じる気味が悪い程の静けさには慣れ始めていたが、それを考慮しても今回は一段とおかしい。アルムも違和感は抱いており、シオンの目を見てゆっくりと頷く。
「そういえば、僕がここを離れる時もそうだったよ。ゲンガー達が来た時よりも逼迫した事態だったみたいなのに、誰も外に出て来なかった。いくら外の事に無関心とは言っても、これは奇妙だよ」
 町の住民であり、(あまね)く町の事を知ってるウォルクが言うのだから、間違いなかった。勇んで来たのは良いものの、敵の現在地と住民の態度が気掛かりで、ここで停滞状態に陥ってしまう。
「町の全員が攫われた、とか?」
 ライズが突飛な事を言い出した。しかし、誰も否定しない。その予想があながち間違いとは言えなかったし、仮にそれが真相だと考えると、事件の壮大さに身震いしたからであった。
「こんなところで迷っててもしょうがない。俺は町の中を見に行く。皆はどうする?」
 どうすべきか決め倦(あぐ)ねていたところで、率先してヴァローが決断を下した。あくまで自分が行く意思を示した上で、他の皆に意見を求める。視線が最初に合ったアルムが真っ先に口を開く。
「僕は、まだ迷ってる。下手に飛び込むのもちょっと怖いし、でもフリートを助けたいし。それに、まだここで様子を――」
 冴えない表情で何かを言いかけたところで、ふと口を閉ざす。すると、声を出すのを止めた途端に、無風だった大地に一陣の風が吹き抜けた。生暖かい風が、頬を撫でていく。――まるで風の到来をわかっていたような行動に、全員が疑問を抱いた。
「アルム、どうしたんだ?」
「何かすごく胸が苦しいんだ。さっきウォルクが僕達の前に現れた時みたいに」
 前の右足で軽く胸の辺りを押さえつつ、アルムは苦しそうに目を閉じた。明らかな異変の兆候が見られ、ヴァローが近づいて顔を覗き込む。
「おい、大丈夫か?」
「うん、僕は平気だけど、あっちの方角から何かが――」
 アルムが呼吸を整えて前足で指した方向は、複数火の手が上がってる内の一つだった。差し出している足は小刻みに震えており、必死に平静を装うとしているが、表情からは不安の色が拭いきれていなかった。
「あっちに何かあるんだな? よし、俺はお前を信じて行ってみる」
 アルムの勘を信じて移動を開始しようとした時、ヴァローは背後から首周りの毛を引っ張られて立ち止まる。振り返ると、アルムが器用に足で毛を掴んで引き止めていた。
「待って。僕も行く」
「本当に大丈夫か? 別にここで待ってても良いんだぞ」
「ううん、僕も行かなくちゃいけないような気がするの。だから、ヴァローに付いていく」
 すぐに決意を固めたようで、光の宿る瞳はしっかりとヴァローを見据えていた。その意思を汲み取り、ヴァローは穏やかに微笑んで静かに頷く。
「ああ、わかった。ちゃんと付いてこいよ」
「うんっ、大丈夫。ところで、皆はどうするの?」
 今度はアルムがシオン達の方に振り向いた。心配をしていた相手から急に話を振られてシオン・ウィン・ライズの三人は一様に驚くが、同時に胸を撫で下ろす。
「もちろん一緒に行くわよ」
「僕も付いていきます。アルムさんの手助けをするのが目的ですからね」
「僕も行くよっ。何が出来るかわからないけどね」
 各々が同行の意を告げた。全員の意見が一致したところで、アルムも自然と心細さも消え去り、僅かに緊張が解れる。しかし、そこで別に気掛かりとなったのは、ティルの事だった。連れていくのも危険を伴うかもしれないが、ここに残しても敵に襲われる可能性がある。そうなると、安全か否かが不透明で、どうすべきか困っていたのである。
「ボクだけ置いてきぼりなんて嫌だよ! ボクも付いていくー!」
 アルム達が頭を抱える中で、自分の置かれた立場もわかっていない張本人が介入してきた。悩ましげな表情を見せるアルムをよそに、離れたくないとばかりに無邪気なジラーチは勢いよく抱き着く。その瞬間、焼き付いて離れなかった夢の一場面が脳裏を掠めた。同じような場所で、沈痛な面持ちで抱き着かれたことを。夢の中とは言え、見放さないと誓ったことを。
「わかったよ。絶対におとなしくしてて、僕達からなるべく離れないようにするならね。いい?」
「うん、わかった。アルムの言う事はちゃんと聞くよー」
 ティルの能天気な発言で、逆に吹っ切れた。万が一の事を考えると、傍にいた方が何かと対処しやすいのもあったし、アルム自身もティルから離れたくないとの想いもあった。ヴァロー達も反対する気はないようで、何も反論はしない。
「よし、そうと決まったら、慎重に行ってみるか」
「うん、皆離れないようにして、ね」
 目配せをして出発の合図を送ると、一行は丘を一直線に駆け降りていく。目指すは煙の昇っている一角。アルム・ヴァロー・シオン・ウィン・ライズ・ティル・レイル・ウォルクの八つの影は、獅子奮迅の如く猛進していくのだった。







「これは、酷い」
 物が焼け焦げる独特の臭いが立ち込める区画に、アルム達は足を踏み入れた。広がる光景は、その嗅覚を刺激する原因と変わり果てた、“元”家屋だった。幸いにも二軒程で済んではいるが、少なくとも住人には一大事ではある。だと言うのに、辺りに他のポケモンの気配は無い。
「痕跡から見るに、明らかに炎タイプの攻撃で焼かれてますね。どうやらポケモンが中にいた訳でもないようです」
 レイルは炭化した建造物に接近し、あくまで冷静に分析を始めていた。下敷きにでもなって火事の被害に遭ったポケモンがいないのではないかと懸念していたアルムは、ひとまずほっとした様子を見せる。
「でも、これは一体誰の仕業なのかしら。この町は炎のポケモンが多いらしいから、誰でもありえなくはないけど」
「そ、そんな。町の皆は無愛想ではあっても、少なくとも無差別に他の皆を襲うような事はしない!」
「わ、私はあくまで可能性があるって話をしただけよ。そんなに興奮しないで」
「あ、つい。ごめん」
 リプカタウンの一住人として、侮辱されたような気がして、ウォルクは思わず熱くなっていた。しかし、状況を顧みて自らの行いを反省し、頭を冷やして犯人の推理を続ける。
「皆さん、この家はついさっき燃え尽きたばかりのようです。まだ近くに実行犯はいます」
 ここに来て頼りになる的確な判断が、レイルによって為された。それを機に、全員が一斉に辺りへの警戒を強くする。その中でシオンは目を閉じ、何か音を探知出来ないか耳を研ぎ澄ました。

 どくん、どくん。――全員の鼓動が、自らに大きく響いていく。一つの緊張感を共有し、最大限に神経を張り巡らせる。何が来ても良いように、覚悟も決めていた。
「――この先よ! 炎が唸りを上げてるように聞こえる!」
 開眼と同時に走り出したシオンが指し示して導いていくのは、調べていた家の奥をさらに何軒か越えた先だった。後を追う最中も、シオンの宣言を証明するように、熱風がアルム達に向かって吹き付けた。
「やっと、あそこに見つけたわ。他のポケモンを……」
 一足先に辿り着いたシオンの元に追いついた一同の瞳に映ったのは、地面に焦げた跡が無数に広がる空き地だった。その両極端には、対立する二人のポケモンの姿があった。
「何故だ! 町長、何故自分の町を破壊しようとするのだ!」
 咆哮を上げて怒りをあらわにしていたのは、湾曲した長い角と赤い眼光を宿す鋭い目つき、犬のような体格を備えており、赤い腹部以外は全身黒い皮膚で覆われているのが特徴的なポケモンだった。その名はヘルガーと言う。
「破壊する事が後々に良い結果を生む事になるからではないか、同志よ」
 答えに詰まる事なく、あっさりと返した対極のポケモン――皮膚は朱色をしており、黒い甲羅と太い四足、長い首が亀を彷彿とさせるコータスである。目は堅く閉じられており、無表情に近いものがある。
「町長! フェルさん! 一体何を――」
「おっ、ウォルクか!?」
 同郷のチルットの声に反応して振り向いたのは、ヘルガーの方だけだった。視線を外さないように威嚇しながらも、些か安堵の色が窺える。
「何故だか町のポケモン達が揃って姿を消していったんだ。まるで何かに取り憑かれているようだった。何とも無かった私は最後まで残ってた町長に事情を聞こうとしたら、攻撃されたと言う訳だよ」
「町長が? 何で、意味がわからないよ!」
 対峙している事情はわかっても、町長の不可解な行動にウォルクは戸惑っていた。その隙を見計らってコータスは柱状の真っ赤な炎を吐き出すが、ヘルガーのフェルが素早く移動し、ウォルクの前に立ち塞がって庇う姿勢を取る。
「ウォルク、大丈夫か?」
「あ、はい」
 ヘルガーが生まれ持つ特性――“もらいび”により、フェルは炎をものともしていなかった。一方で、身体にダメージこそ無かったものの、ウォルクは自らに牙を剥いたコータスの狂態に激しく動揺する。
「全く。お前達もネフィカ様に忠誠を誓えば楽になれるものを」
 町長たる者が、住を共にする者達を攻撃したと言うのに、平然としていた。後ろで見ているアルム達も、三人の素性や関係と言った機微こそ解せないものの、事態は飲み込めていた。だからこそ、同じく恐怖心が膨らんでいる。
「さっきからこの調子だ。これじゃ埒が明かない。ウォルク、この異常な事態を先導している首謀者らしき奴の姿が、先程一瞬だけ見えた。町長は私に任せて、そっちの方を調べてくれないか」
「わかりました。ここはお願いします。それじゃ皆、行くよ!」
 収拾の糸口が見え、ウォルクにも活気が蘇った。この場はヘルガーのフェルに託し、一行は指し示された方へと先を急ごうと進行方向を変える。
「あっ、あれじゃない!?」
 真っ先に叫んだのはアルムだった。正体の確認は出来ないものの、遠くには怪しい影が見え、逃げられる前に追いつこうと全員が駆け出す。相手には気づかれていない上で、近づくにつれて、徐々に姿が明瞭になっていく。
「みんな、戻ってきたんだね」
 そんな、距離も半分以上縮まった時だった。斜め上方向――つまり上空から声が聞こえ、一同は足を止めて見上げる。浮かぶ一つの影は、尖ったような二つの赤い耳に空色の丸い瞳、背中に小さな羽を持っている。見覚えのある特徴に、全員が目を見張った。
「フリート、無事だったの? 捕まったって聞いてたから」
「僕は間違いなく見たよ。フリート様が捕まってたのを」
 疑念を抱いたアルムとウォルクが声を上げる。さっきまで安否を案じていた相手が目の前に現れたのだから、驚くのも当然だった。しかし、当のビクティニ――フリートは、不敵に微笑みながら滞空している。
「まさかぁ。見間違えたんじゃないの?」
「いや、それはありえない。確かに捕まってたのは遠目にも見えた。逃げだしたと言う訳でもなく、捕まった事自体を否定した時点で、あなたはフリート様じゃない」
「そんな面倒な事を言わないでよ。こっちだって用があるんだからさ」
 大袈裟に両手を広げるフリートに、ますます不信感は募っていった。しかし、完全に否定する為の確たる証拠も無い。困惑が活気づいていた心を少しずつ浸蝕していく。
「フリートは“そこ”にいて、必死に抵抗してる。でも、“ここ”にはいない。そうだよね」
 他の全員がフリートの登場に理解が及ばない中で、アルムが意味深な事を口にした。フリートも含め、意表を突かれたように凍りつく。
「何を言ってるのかわからない――ねっ」
 一拍置いて最後の言葉を発したところで、フリートはアルムに向けて炎の塊を飛ばしてきた。しかし、直後に水の輪が飛び出し、不意打ちの炎は敢え無く迎撃される。素早く対応したのは、他でもないウィンだった。
「本物のフリートなら、アルムを攻撃しないはず。お前は誰だっ!」
「――その者は、お主達の知ってる本物のフリートとやらじゃぞ」
 ヴァローの問い掛けに答えるように、低くて渋い声が突然背後から届いてきた。全員の頭の中で警鐘が鳴り響き、反射的に声のした方に振り返る。
 目に映った物に初見で誰もが感じたのは、宙に漂っている朱色の丸い岩だと言う事だった。落ち着いて見ると、その外周には等間隔で八つの円錐に近い岩が付着しており、太陽を象っている形となっている。その真ん中辺りには、薄く開かれた赤い目が輝きを放っており、しっかりとアルム達を見据えている。
「自分は不意打ちを好まないからの。ゆっくり見るが良い」
 攻撃こそされないものの、接近を感知出来なかった上で不意を突かれ、心臓は高鳴っていた。目の前に現れたソルロックの言葉にも、上手く反応出来ずにいる。それでも、すぐに正気に戻って警戒行動に移る。
「本物のフリートだって? 事情を知ってるとでも言うのか?」
 ヴァローはここは敢えて強気な姿勢で、物怖じせずに詰め寄る。しかし、ソルロックは至って落ち着いていた。騒音一つ立てずに浮かび上がると、悠々とフリートの脇へと移動する。
「ほほっ、知ってますとも。この者は、傀儡(くぐつ)と成り果てたのだよ――」


コメット ( 2012/10/12(金) 00:16 )