エトワール・フィランテ〜星降りの夜の導かれし出逢い〜


















小説トップ
第八章 迷宮の森と運命の出会い〜特殊な力を持つものたち〜
第五十三話 ライズの抱える事情〜アルムとウィンの能力〜
 一触即発の状況下において、アルムの聴覚に訴えかけてきたのは、聞き覚えのあるトーンでの悲痛な叫び声だった。目の前にいるマイナンが放つ、作ったような低い声とは違い、喉に負荷を掛ける事なく純粋に出した高めの声である。
「もしかして、ライズ?」
 声の主がライズである事に自信は持っており、その上で遠慮がちに名前を口にした。しかし、目前ではマイナンが摺り足で前進しながら電気の蓄積を行っており、アルムの声に反応する余裕など無い様子である。
「――お願い、助けて! もう耐えられないんだ!」
 空耳かと思って首を傾げたところで、続けざまに声が届いた。目の前にいるかの如く明瞭な澄んだ声で耳の中に響いているのに、音源であると推測されるマイナンは口を一ミリたりとも開いてはいなかった。むしろ真一文字に固く結ばれている。
「アルムさん、ここは下がっていて下さい」
「あっ、は、はい」
 謎の声に戸惑っていると、真剣な顔つきになったウィンがアルムに告げた。もはや自分の力では止められない事は薄々感づいており、アルムは言う通りにすごすごと後ろに引いていく。しかし、後ろ髪を引かれる思いが強く、後ろ脚を一歩出しかけて動きを止めた。
「あの、本当にライズじゃ――」
 その問い掛けの続きが喉まで出かかったところで、言葉を切る事を余儀なくされた。マイナンが溜めきった電流を集束し、一筋の揺れ動く電撃を放ったからである。この攻撃に対し、ウィンは身軽に右に跳躍する事で難無く攻撃をかわした。
「次はこちらから行きますよ――」
 背後で樹木に雷撃がぶつかって爆ぜる音がするのとほぼ同時に、ウィンはそっと着地して口を開けた。宙に一口大の水球が浮かんだところで小さく呼気を吹き出すと、水球は輪へと形を変えて一つずつ順にマイナンに向かって飛んでいく。
「ちっ、速いな」
 舌打ちして愚痴を零しつつ、マイナンは放電して眩い電気の鎧を身に纏った。ウィンから放たれた複数の水の輪――“みずのはどう”は電撃によって軽減されたらしく、本当の意味での直撃は免れて後退させられる程度で済んだ。
「なるほど、上手く往なされましたね」
 自らの技の着弾を確認するや否や、ウィンは次の手を繰り出すべく構えた。再度口からは音波のような水のリングが飛び出し、追撃を浴びせ掛ける。先程のは小手調べだったのか、速度が一撃目よりも速く、息を吐かせる隙もないように畳み掛ける。
「ぐ、くっ」
 今度は手立てを講じる余裕など残されておらず、マイナンは為す術なく甘んじて連続で直撃を受けて弾き飛ばされた。それを端から傍観しているアルム達も、戦闘の光景に呆気に取られていた。
「す、すごい。ウィンさん、イーブイなのに“かえんほうしゃ”や“みずのはどう”を使えるなんて」
「ウィンって本当に不思議な奴だよな。突然俺達の前に現れたかと思えば、アルム達を助けたいとか言ってさ」
 思わず感嘆の声が漏れるアルムと、冷静に戦況を見守るヴァロー。互いの呟き声が聞こえる距離まで近づいたところで、アルムは大事な事を思い出して話し掛ける。
「ね、ねぇっ。シオン達もさっき何か声が聞こえなかった? 大きな叫び声だったんだけど」
「いいえ、何も聞こえなかったわ。あの二人が短いやり取りをしていた以外はね」
 一番聴覚の優れているシオンが断言したという事は、少なくとも“現実的に”声が響いてなかったのは間違いないらしい。当てが外れた事で、アルムは残念そうに耳を垂らしてうなだれてしまう。あれはやっぱり幻聴の類いだったのかな――そんな失意の内に戦いの様子を確かめようと前に向くと、マイナンが不敵な笑みを浮かべて一瞥してきたのが見えた。
「ほう。おれの中に封じ込められた“あいつ”の声が聞こえるとはな。只者じゃないようだ」
 互いに距離を取って攻撃の手を止めたところで、会話を聞いていたマイナンが不意に言葉を投げ掛けてきた。最初は軽く聞き流していたアルムも、目を丸くしてマイナンを凝視する。
「ど、どういう事? さっきの声は間違いなくライズのだし、聞こえた叫び声はそれしか無かった。それってつまり、ライズがあなたの中にいるとでも言うの?」
「ああ、そうだ。さっきからおれに向かって騒がしく喚いてるぞ。『アルムくんに危害を加えるな』ってな」
 驚愕の事実にウィンも攻撃を中断し、警戒を怠らないようにしつつ二人の会話を邪魔しないように立ち止まる。一方で、アルムは訳もわからずに、ただぽかんとして立ち尽くしていた。
「あ、あのっ、これは一体――」
「――二重人格ですか」
 アルムの問い掛けを遮る形で、先にウィンがある単語を口にした。それは見事に的中しているようで、マイナンはニヤリとほくそ笑んで見せた。
「ご名答だよ。おれはレイズってんだ。うじうじしててみっともないライズなんかと一緒にするなよ」
 悪戯っぽく一度歯を覗かせると、レイズという別の名を告げたマイナンはすぐにおどけたような表情を奥に引っ込めた。急な告白と真実に戸惑いを隠せないらしく、アルムは制止しているウィンとレイズを交互に見た後で、もう一度ウィンの方に向き直る。
「でも、どうしてウィンさんにはすぐに二重人格だとわかったのですか? 推測と言うよりかは、きっぱりと断言していたように見えたんですけど……」
「実は、僕の友人の一人に、似たような境遇の方がいまして――おっと。お喋りはそろそろおしまいですか」
 ほんの僅かだけウィンの表情が穏やかになったと思いきや、すぐさま飛んできた相手の雷撃を横に飛んで避けた。それを境に再び戦闘の火蓋が切られ、ウィンは赤々と燃える超高温の業火――“かえんほうしゃ”で応戦し始める。枯れた植物に引火しないように放たれた炎はしかし、レイズから同心円状に広がっていく電撃――“ほうでん”によって阻害された。
「手強いですね。小手先の技は通用しないでしょうしね。僕も少し手を変えていきましょうか」
 まだ余裕のあるウィンが小声でそう零すと、どこからともなく一陣の風が吹いて彼を包んだ。それに伴って、ウィンの身体にも変化が起こり始める。
 茶色だったふさふさな体毛は徐々に青みがかったものへと移り変わっていき、丸みを帯びていた尻尾は枝分かれして二本となった。それだけでなく、その背中からは二対四枚の空色混じりの白い翼が現れる。その容姿は圧巻であり、ポケモンとは別の存在かと見紛う程の神秘的な雰囲気を放っていた。
「“ウィンドモード”――多少負担は掛かりますが、一気に勝負に出るには――」
「――ごちゃごちゃうるさいな」
 ウィンの変化の間に接近していたレイズは、頬袋から火花を散らしながら鋭く睨みつけた。同時に弾ける電気で全身を覆うと、ウィンに向かって体当たりを噛まそうと駆け出す。
 そんなレイズの素早い突進に対して、ウィンは自らの神々しいまでの翼を大きく羽ばたかせた。悠々と上空に飛び上がると、レイズの渾身の“スパーク”による突撃を余裕を持ってかわした。
「こちらから行きますよ。“一陣の烈風”」
「なっ、速いっ!」
 空中で再度翼を動かすと、一瞬にしてそこから生み出された無数の空気の刄が放たれた。突風と共に凄まじい速さでレイズに襲い掛かり、その小さな体に傷を作りながら吹き飛ばす。
「くそっ、スピードが段違いに上がってるな」
 辛うじて意識を失う事は避けられたが、それでも大きなダメージを負った事に変わりはない。悔しそうに歯ぎしりをしながら、レイズはゆっくりと立ち上がる。
「だが、おれはこんなところでやられる訳にはいかない。絶対に負けてたまるかぁ!」
 自らを奮い立たせるようにして、思わず凄んでしまいそうな咆哮を上げると、レイズは執念を込めて睨みを利かせる。宙に浮かんでいた羽の如く優しく地面に舞い降りるウィンも、その迫力に些か驚いているようだった。
 次の瞬間、反撃の狼煙(のろし)を上げるように、レイズは蓄積していた電気エネルギーを解き放った。速度・電圧が共に上昇しているその攻撃は、素早く動けるようになったはずのウィンを掠めて飛んでいった。かわしたつもりが、完全には避けきれなかったのである。
「とうとう向こうも本気を出したようですね」
 相変わらずウィンは落ち着き払ってはいたものの、飛躍的に、そして急に強くなったレイズの速攻に少なからず動揺はしていた。それをおくびに出さないように押し込めると、ウィンはさらに気を引き締める。
「おれは、自由になるんだ!」
 叫び声を上げたのを皮切りに、レイズの放つ闘気がより激しさを増していく。ウィンも表情を強張らせる中で、先に行動に出たのはレイズの方だった。両手を前に出して構えてから一秒も置かずして、刹那の速さで閃光を放つ雷撃が撃ちだされる。
 対するウィンは、考えるより先に速く右へと飛び込み、直線的に伸びる“かみなり”を上手く避ける事に成功する。しかし、安心したのも束の間、眼前にはレイズが迫っていた。
「もらった!」
「くっ、“一陣の烈風”!」
 レイズが腕を振った軌跡からは、淡い黄色の星型の光線が大量に放出された。避けきれないと咄嗟に判断したウィンは、翼の羽ばたきから生まれた真空の刄で一掃しようと試みる。限られた時間の中で放てた数は少ないものの、近距離という難しい状況で何とか押し勝った。
「はぁっ、一瞬の目晦ましの間に接近されるとは思いませんでした」
 追撃を警戒しつつ、一旦大きく飛んで距離を取る事にするウィン。一頻り速い攻防が行われたとは言え、軽く息切れしており、普通以上に体力を消耗しているようだった。
「そうか、あの特異な姿になると負担が掛かるって意味だったんだな。今はまだ大丈夫そうだが、少なくとも普通にしてるよりは疲れるみたいだ」
「えっ?」
 先程ウィンが発した言葉が頭を(よぎ)ったヴァローが納得したように呟くと、それに反応してアルムが素っ頓狂な声を漏らした。その理由は、ウィンとレイズの戦いを黙視していた中で、先程とは別の戸惑いが生じて迷っていたからであった。
「僕のせいで、あの二人が無意味な戦いをしている。そして、どちらも傷ついてしまう。ウィンさんもあの“力”のせいで負担が掛かって、そんなの、そんなのやっぱり嫌だ」
「お、おい、危ないぞっ!」
 自責の念から戦いを止める事を思い立ったアルムは、危険を承知で二人の方に向かって駆け寄ろうとする。しかし、危険の中に飛び込ませないようにヴァローに制止されてしまった。
「行かせてよっ! 僕が関わった事で起きた争いなら、僕が止めないと――」

 ウィンとライズに対する気持ちから出た強い想いを口にすると、呼応するかの如く――リプカタウンと同じく――オカリナが蒼く輝き出した。しかし、今回は前例までとは異なり、アルムの身体まで淡く蒼い光で包まれている。
「二人とも――もう止めてっ!」
 懇望を込めて悲鳴のように声を張って叫ぶと、アルムを覆っていた光が弾けて広がった。それを合図にするように、全員の上空を覆い尽くす程の大きなドーム型の蒼い光の壁が形成されていく。突如響いた悲しげな声と出現した光のドームに驚いたのか、ウィンとレイズは動きを止めてアルムの方に振り返る。
「おや、急に苦しい感じが無くなったような……。アルムさん、まさかこれはあなたが――」
「ううっ、これは一体」
 (にわか)に息遣いの整ったウィンが質問を投げ掛けるよりも早く、レイズが呻き声を上げながら頭を抱えた。人格が入れ替わる前と同じようにその場にしゃがみ込むと、俯いて微動だにしなくなった。
「これは、アルムくんの力の影響――なのかな?」
 先程まで風に揺られてざわめいていた森の木々が静けさを取り戻したところで、ゆっくりと顔を上げるマイナンから聞こえてきた。どすの利いた声ではなく、ライズの透き通った声そのものだった。
「もしかして、ライズなの?」
「うん、そうだよ。今は僕の人格が支配してる」
 壁に囲まれた空間でも、風は吹き抜けていた。そよそよと全身を撫でていく風に乗って届いたライズの言葉は、内容こそ不可解なものであれ、アルムの哀しみの色に染まった表情を穏やかにするには十分だった。待ち望んでいた相手が戻ってきた事に、自然と笑みが零れる。
「あのさ、僕も良くわかんないんだけど、とにかくライズに戻ったようで良かった」
「――そうなんだ。ともあれ、僕もアルムくんとまた話が出来て嬉しいけど、時間が無いから用件だけ言うね。この僕ごと僕の中の“悪魔”も消し去ってくれないかな?」
 再会の喜びから綻んでいたアルムの面持ちも、一瞬にしてまた固まってしまった。最初は言っている事が理解出来ず、虚しく風が自分の周りを駆け巡る音しか感じられなかった。停止していた思考が復活するにつれ、恐怖が押し戻されてくる。
「ねえ、どういう事? もう元に戻ったんだから問題無いんじゃないの?」
「ううん、今はたぶんこの不思議なドームのおかげで、レイズの人格を抑えられてるに過ぎないんだ。これが解けたら、また制御出来なくなる。だから、そうなる前に」
 また狂暴なレイズに戻る――不安を煽るような言葉に、アルムは身震いせざるを得なかった。しかし、ライズの懇願を受け入れたいとは全く思っておらず、アルムは首を必死に横に振る。
「ぜ、絶対に嫌だよ! せっかく仲良くなれたと思ったのに、そんな事するなんて」
「だからこそだよ。僕はもう、アルムくんを傷つけるかもしれないなんて考えるだけで嫌なんだ。そして、そんな事は確実に避けたいんだ。これ以上悪化したら、本当にどうなるかわからないし」
 自分の思い通りに動けないもどかしさと苦しさを募らせていたライズにとっては、苦渋ながらも最善の手段だと考えていたのである。全てはアルムを想うが故であり、こんな状況でも、アルムを落ち着かせようとライズは微笑を浮かべている。
「最初は人格を押さえ込む自信があったんだけどね、今じゃ逆に僕が完全に押さえ込まれてしまうんだ。僕が誰もいない森に一人で住んでる理由もそれだし」
「そ、それでも僕には出来ないよ。だって、ライズは僕にとって、もう大事な人(ポケモン)だから」
 拒むアルムの声はすっかり震えていた。加えて問題と向き合いたくないと言わんばかりに瞼を固く閉じて俯くが、それで事態が改善されるはずが無い事もわかっていた。重そうに顔を上げると、優しく微笑んでいるライズの表情が視界に入った。
「何で、何でそんな優しい笑顔でいられるの?」
「だって、こうでもしないと泣いちゃいそうだから。非力な自分が悔しくて……」
 徐々にライズの笑顔が引きつり始めた。何とか堪えてはいるが、泣き顔と区別が付かないくらいに表情にはその葛藤が現れている。今はまだ発作もなく平穏そのものであるが、互いに顔を見合わせる事も出来ずに黙り込んでしまう。
「――あなたの優しい想いは、僕にも伝わりましたよ。その願い、アルムさんに代わって僕が果たします」
 静寂を突き破ったのは、翼で宙に浮かびながら近づいていたウィンだった。声に反応してアルムが振り向くと、呼吸を含めて全てが落ち着いた様子で、ウィンはライズをじっと見つめている。自分と真逆な物腰と言い放った言葉に、アルムは戦慄が走った。
「えっ、ウィンさん、待って――」
 アルムの制止も時既に遅し。ウィンの四枚の翼からは、周りの自然の色を写し取ったような淡い緑色の刄が飛び出していく。疾風に乗って飛び交う刄の群れは、抵抗の意思が無く身動きしないライズの体を容赦なく貫通していくのだった――。


コメット ( 2012/10/09(火) 14:15 )