エトワール・フィランテ〜星降りの夜の導かれし出逢い〜


















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第八章 迷宮の森と運命の出会い〜特殊な力を持つものたち〜
第五十話 打ち解けには会話とお茶で〜未だに知らぬ者と知る者と〜
 鮮やかな明るい緑と言うよりも、鬱蒼と茂る植物により深緑色に覆われた空間の奥地に佇むのは、五つの影。その中で一際存在感を放つ、ティルがいきなり連れて来た凛とした輝きを宿すブルーの瞳を持つイーブイ――名をウィンと言う。アルムと違ったとは言え、そんな思わぬポケモンの登場に、シオンとヴァローはどうして良いかわからずに黙りこくっていた。一方で、ウィンは何かに心当たりがあるように考え込んでいた。何か過ぎ去った事を思い返しているらしく、視線だけをやや上に向けつつ、遭遇したばかりの相手から先程聞いた事を反芻(はんすう)していた。
「あの、そのアルムさんとは、あなた達のお友達なんですか?」
「え、ええ。途中ではぐれちゃったんだけどね」
 気まぐれな風が悪戯をして奏する音以外は存在しない状態で、気まずい静寂を破ったのはウィンだった。自らも戸惑っているはずなのに、引き攣(つ)った表情になっているヴァロー達をこれ以上戸惑わせないようにとの配慮からか、優しく微笑みかけている。対して、未だに不思議そうにしながらシオンがその問いに答えた。
「ここで会ったのも何かの縁です。僕も捜すのをお手伝いしますよ」
「気持ちは嬉しいんだが、迷惑を掛けたのはこっちだし――」
「そんなのは気にしなくても良いんですよ。アルムさんを必死に捜すが故に間違えたんでしょうし。それに、困った時はお互い様です」
 あまりにも親切に申し出てくれるので、シオンとヴァローも驚いたように互いに顔を見合わせる。まだ伝えたい事があるのか、そんな二人の反応を窺いつつ、ウィンは注意を向けるべく間に入るように歩み寄っていった。
「そういえばもう一つお聞きしたいのですが、もしかして、あなた達のどなたかはティルさんではありませんか?」
「ああ、それならあのジラーチがそうだけど――って、何でそれを知ってるんだ!?」
 アルムはともかく、ティルの名前は出していないにも係わらず、ウィンはずばりと言い当てた。さすがにこれには動揺を隠せるはずもなく、ヴァローは思わず大声を上げる。
「それが実は、星が綺麗な夜に突然助けを求める声がして、その声の主を捜す為にギルドの外に出たんです。森を抜けて小さい丘に出たところでまた語りかけられて、その中で“アルム”と“ティル”という名前を聞きました」
 ウィンが淡々と語る中で、シオンとヴァローは神妙な面持ちで控えていた。それと言うのも、ウィンの珍しい蒼い目に魅せられており、吸い込まれるようにして見入っているからであった。
「ねーねー、それでどうしたの?」
「えっ? はい。それで“救えるのはあなただけ”と言われまして、僕は承諾したんです。すると、空から流星が僕に向かって落ちてきて、気が付いたらこの森にいました」
 ティルの能天気な聞き方に驚きを見せつつも、ウィンは構わず説明を続けた。その中で一瞬だけ表情に陰りが見えるものの、ヴァロー達が気づく事は無かった。目まぐるしい程の体験をしたはずなのに、取り乱す事なく平然と全てを言い終えると、ウィンは微笑んで二人の方に向き直る。
「なるほどな。ところで、名前はウィンって言ったっけ。奇妙な体験をした直後に、ティルが引きずり回したりした事は謝るよ。その上で立て続けに振り回すようで悪いが、一つ聞いていいか?」
「いいえ、気になさる必要はありませんよ。それで、その聞きたい事とは一体何でしょう?」
 ウィンの語った事情の把握に努める中で、自然と浮かび上がった一つの疑問。ウィンの了承を得た上で、ヴァローは一息置いてそれを口に出してみる。
「ああ。さっきの話に出て来た“ギルド”ってのは何だ?」
「えっ、ギルドを知らないんですか?」
 これまで至って落ち着き払ってウィンに、初めて露骨に困惑の気配が窺えた。穏やかだった声まで僅かに震わせ、信じられないと言った様子でヴァローを見つめる。
「まさかギルドを知らない方がいらっしゃるとは……。簡単に言うなら同業者組合なのですが、実質はもっと広義なものです。探検隊になりたいポケモン達が集まって修行をしたり、救助や探検の依頼を受ける事が出来る場所――と言ったところでしょうか」
 ウィンにとっては常識でも、ヴァロー達にとっては未知の事ばかり。故にいつの間にか質問と返答の応酬となっていた。互いにそれに気づくと、はにかんでやり取りを再開する。
「俺は探検隊っていうのも聞いた事が無いんだが……。シオンは知ってるか?」
「いいえ、私も知らない。探検家くらいならいても、探検隊や探検隊が集まるギルドってのは聞いた事もないわ」
 一旦確認の為に視線を移すと、シオンも同様に訝しげな色を表情に浮かべた。ヴァローも改めてシオンの言った事には同意を示すように頷き、視線をウィンの方へと戻す。こちらは気難しそうな表情で視線を宙に泳がせており、二人に凝視されているのに気づくと、我に返って微笑を湛える。
「ギルドだけではなく、探検隊までも知らないとは思いませんでした。ではその上で伺いたいのですが、ここは一体どこでしょうか?」
「ミゴン・フォレストって言う名前の森よ。私達も入ったばかりで、地理的な事は全くわからないんだけどね」
「“ミゴン・フォレスト”? 僕達のいる世界とは既に名前の付け方から異なっているようで――」
 そこまで言ったところで、ウィンはふと言葉を切って自分の発言を回顧する。怪訝そうにシオン達が見守る中、しばらくの沈黙が続いた後で、ウィンは深く息を吸って言葉を紡ぎ始める。
「あくまで予想なのですが、もしかするとここは、僕のいた世界とは別次元の世界なのかもしれません」
「つまり、流星が時空を越えてウィンをここに連れて来たって事になるのか?」
「ええ、あくまで仮説でしかありませんけどね」
 文字通り次元を越えた話は理解不能らしく、ヴァローは悩んだように低い唸り声を上げた。細かく詮索するつもりは無いが、猜疑心を抱いているようである。
「――じゃあ、仮にそうだとして、これからどうするつもりだ?」
 少し考えた末に、ヴァローは根本的な投げ掛けた。謎ばかりで何を信じて良いかもわからず、口を衝いて出たのがそれだった。信頼半分、疑い半分と言った内心であるが故の選択だった。その直後、木々の間から吹き込む激しい突風で、不意に間が置かれる。否、正確にはウィンが風の到来を読んでいたようであった。
「一つの可能性に過ぎませんが、真実がわかったところで、僕のやるべき事は変わりません。まずはアルムさんを捜しましょう」
 大量の落ち葉が舞って視界を埋め尽くす中で、風などものともせずにウィンが自身の意思を口にする。ヴァロー達に真っ直ぐ向けられた瞳には、嘘の欠片も見受けられない。瞳を見つめてそれを見抜いたヴァローは、風が穏やかになったのを見計らって静かに頷いた。
「出逢って早速協力してくれる事には感謝するよ、ウィン。事情や経緯はわからないが、よろしく頼むな」
「はい、こちらこそ、よろしくお願いします」
 一丸となってアルムの捜索に専念する事を決心すると、一同は移動を開始した。ウィンという心強い同伴者を連れて、洋々として一歩ずつ足を前に踏み出していく。







 深く息を吸い込む度に、思わず頬が緩むような甘い香りと、心を落ち着かせてくれるような穏やかな香りが上手く調和しながら、アルムの嗅覚を刺激していく。もう一度癒されるような心地よさを味わいたくて、目を閉じながら呼吸をすると、二種類の異なった空気の層が交わっていくのが瞼の裏で視覚化された。それ程までに、アルムはこの雰囲気の虜になっていた。
「良い香りでしょう? 実はこれ、僕が庭で栽培している植物から抽出して作ったお茶なのですよ」
 声が聞こえて視界を確保すると、前方から琥珀色の液体をなみなみと湛えた皿状の平たい器を運んでくるマイナンの姿が見えた。今アルムがいるのは、そのマイナン――ライズの所有する何の変哲も無い小屋の中である。内装はと言えば、めぼしい物は見当たらず、木製の机や椅子が置かれているだけのシンプルな造りとなっている。
「すごく良い香りです。これ、飲んでも良いんですか?」
「ええ、どうぞ。その為に用意したんですからね。遠慮なく飲んで下さい」
 床に座り込んでいるアルムの前に器を置くと、ライズは笑みを絶やさずに踵を返すようにしてその場を離れていった。後ろ姿をしばらく見つめた後で、奥の扉を開けて視界から消えたのを不思議に思いつつ、差し出された飲み物の表面を舌で軽く舐めてみる。
「はわっ、これ、すごいっ」
 素早く顔を上げると同時に、感嘆の声が零れた。目前の飲み物の香りに深く感銘を受けたらしく、アルムはぼうっとしばらく呆けてしまう。純粋に味と香りの良さを感じ取ったようである。
「どうですか。満足して頂けましたか?」
「はい、とっても!」
 その瞳を輝かせ、嬉々とした表情でライズの呼び掛けに答えた。感情の高ぶりが抑えられず、語尾の声量が大きくなっていた。先程まで感じていた不安は微塵も残っていない。
「そう、それは良かったです。もし良ければこちらもどうぞ」
「ありがとうございます。えっ、これ――」
 ライズが今度は別の皿を両手で運んできた。お茶の器の隣にそっと置き、アルムを見つめてそちらを促す。しかし、目の前に置かれた物にアルムは突如として絶句してしまう。
「――何も入ってませんけど」
「あっ、ごめんなさい。うっかりしてて目的の物を乗せるのを忘れてました」
 ライズが気恥ずかしそうに苦笑を浮かべるのに対して、アルムも同じく苦笑いするしかなかった。内心ではどれだけ忘れっぽいんだ――と言いたかったが、迎え入れてもらっている手前で言えるはずもなく、結果として引き攣った表情になる。しかし、それが逆にアルムの緊張を解すものとなり、今度は作り笑いじゃない、優しい笑みが零れた。
「あははっ、てっきりライズさんって完璧なタイプだと思ってたのに」
「そうでも無いですよ。ただ、久しぶりのお客さんと言う事で、ちょっと気が動転して舞い上がってるんです」
 照れ隠しで軽く頭を下げると、置いた空の皿を拾い上げ、ライズはもう一度奥へと引っ込んでいった。それからすぐにまた姿を現すと、ライズが抱えている皿の上には半月形に切り分けられた物が見えた。赤い果肉とそれを縁取るようにしてある深緑色の縦縞が入った果皮が特徴的なカイスの実である。
「さあ、今度こそちゃんと乗せてきました。どうぞ召し上がれ」
「あ、はいっ。いただきます」
 真ん中に小さく一口噛み付いた瞬間に、口の中いっぱいに甘い果汁が広がった。至高とも言える程の甘さを舌の上で感じると、目を大きく見開いて驚きを示し、それに続いて顔を綻ばせる。
「ふふっ、君ってすごく素直なんですね。僕もそれくらい感情を全て表に出せれば良いんですけど」
 感情を顔つきで豊かに表現しているアルムを見ているライズは、溜め息混じりに小声で漏らした。その笑顔の奥には暗い影さえも窺い知れるが、あくまで表に強く押し出さないように我慢しているようである。
「ライズさん、どうかしましたか?」
 いち早く異変に気づいたアルムは、お茶を飲もうとするのを中断して顔を上げた。それに対して、ライズは完全に影を潜ませて静かに首を横に振って見せる。
「いいえ、何でもありません。ご心配には及びませんよ。それより、一つお願いがあるのですが、よろしいでしょうか?」
「えっ、何ですか?」
 意味深な発言をした事から一転。ライズがここに来て急に懇願してきた事に、アルムは首を傾げつつも聞き返す。
「あのですね、もし良ければ、もう少しここにいて話し相手になってもらえませんか? こうやってまともな会話をするのは久しぶりなので」
「あの、それがお願いなんですか?」
「はい。嫌ならもちろん断って頂いて構いませんよ。こんな事は無理強いするものじゃありませんし――」
「――いいえ、僕なんかで良ければ、いくらでも話し相手になりますよっ。ただ、お願いだとまで言うので、どんなに難しい事なのかなぁって思っただけですから」
 その内容自体に躊躇いこそ見せるものの、アルムは二つ返事で了承した。すると、持ち掛けた側であるライズはきょとんとして不思議そうな面持ちになった。そこから少し考え込んだ後で、ようやく思いの丈を口にしようとする。
「もしかして、このお願いって変なのでしょうか?」
「えっと、少し変わってるかもしれませんね。でも、僕を話し相手として選んで下さった事は、純粋に嬉しいですっ」
 満面の笑みを浮かべ、アルムは本心を零した。混じり気の無い心の表れに呼応するかのように、ライズもにっこり微笑んだ。親しみを込めた愛想の笑みではなく、喜びの想いが表に出たものとして。
「それじゃ、僕はもう少しライズさんの事について知りたいです」
「いえ、僕なんか特に話す事はありませんよ。森の小屋に一人で暮らしているただのマイナンですから。それよりも、僕はアルムくんの事を詳しく知りたいです。ここまで旅をしてきているようですからね」
「あ、はい。僕の事で構わないのなら――」
 この時、さりげなくライズがアルムの名前を呼んだ事を、当の本人は軽く流していた。――それが“初めて”だったという事を。結局のところ、改めて気に留める様子もなく、やや強引に押し切られる形で、アルムは自分の事について気を許して語り始めるのだった。





コメット ( 2012/10/07(日) 13:27 )