エトワール・フィランテ〜星降りの夜の導かれし出逢い〜 - 第七章 炎の町と精霊と水晶と〜星の君の大きな変化〜
第四十八話 手がかりと譲り受ける力〜流れる一筋の星の光〜
 先まで身を任せてどっぷり浸かり込んでいた眠気が徐々に引いていき、アルムは視界を全て奪っていた重かった瞼を静かに上げていく。既に周りの世界は光に包まれており、眠りに落ちる前とは異なり、空間には鮮やかな彩色が施されている。
 遥か上空からは、全体を暖めんと朝日が差し込んでいた。木々が蓄えている葉っぱ達によって木漏れ日となった光は、醒めたばかりの目を気遣ってくれるかの如く、柔らかくほのかなものとなっている。生命力を与えるような優しく包み込んでくれる光にその身を委ねると、体の芯から力が湧いてくるような気がした。
 葉末(はずえ)に朝露を湛えた植物達はいち早く活動を開始しており、空から降り注いでいる、命を与える光の恩恵に授かろうと必死にその身を上に伸ばしている。そのせいか、辺りは涼しく新鮮な空気で満ちていた。
 目覚めたばかりのぼやけた意識のままで周りの自然の様子を確認すると、アルムは視線を横へと移した。そこには自身の羽衣で俵形に体を包みこんで横たわっているジラーチ――ティルの姿がある。
「ティル、良く眠ってるね」
 寝ている様子を見て微笑むと、アルムは髪を撫でるかのように前足でティルの短冊に触れる。碧色のそれが揺れると、ティルは微かに閉じている瞼を動かして反応を示した。ほんの些細な事ながらも、あどけない仕種が見られ、さらにアルムの表情は柔和なものになる。
「良く眠ってたのはお前もだぞ」
 アルムは反射的に耳をぴんと立て、背後から投げ掛けられた声に対して動きを見せる。誰なのか正体はわかっていたが、不意に声を掛けられた事に驚いたようである。その後で一拍を置いてから振り向こうとすると、その途中で頭を押さえられて身動きが出来なくなった。
「ヴァロー、それは本当?」
「何を嘘をつく事があるんだ。ぐっすり眠ってたさ。大きないびきを立てながらな」
「えっ、うそっ――」
「――ああ、嘘だ」
 機転の利いたヴァローの咄嗟の返しに対して、アルムは上手く付いていけず、呆然として暫し沈黙を続けてしまう。一方で、嘘を言ったまでは良かったが、予想外の反応を気まずく感じたヴァローは、ごまかすかのようにアルムの頭を激しく撫でて会話を続ける。
「ははっ、今のはちょっとからかっただけで、本当はおとなしく寝てたよ」
「何でそんな意地悪な事言ったのさ。すごく焦ったじゃないかぁ」
「悪い悪い。寝起きで驚かせてやろうと思ってな。さあ、そんな事より朗報があるぞ」
 未だに目まぐるしく変わる流れに戸惑うアルムを見て笑みを零しつつ、ヴァローは自分に背を向けたままのアルムの頭を器用に掴んで振り向かせる。やや強引に方向転換させられて驚きつつ、次の瞬間に目に映ったものに言葉を失った。目の前からしばらく姿を消していたポリゴンの姿がそこにはあったからである。
「あ、レイルっ!」
 今まで燻ってた想いが一気に表に弾け出し、それを原動力にするかのようにアルムは一直線に駆け出す。
「ど、どこ行ってたのっ! 僕といるのが嫌になっちゃったかと思って、すごく怖かったんだから」
「何を怖がる事があるのですか? 私がいなかろうと、主には損は無いではありませんか」
「あの、それは」
 目の前まで近づこうとしたところで、思わずアルムは一歩後退りしてしまう。同時に、心の中を満たしていた喜びの気持ちが萎んでいってしまう。
「何はともあれ、ご心配をお掛けしたようですね。申し訳ありませんでした」
「いや、別に戻ってきてくれたんならそれで良いんだけどね」
 レイルに突き放されたような素っ気ない態度を取られ、アルムはすっかり元気を失っていた。先程までは嬉しさのあまり抱き着こうとさえ思っていたのに、今では目を逸らして身を引く形となっている。
「まあ、これでまた全員が揃ったって訳だし、一件落着って事で良いんじゃない?」
 気まずくなり始めた空気を察してか、フリートが二人の間に入るようにして姿を現した。にっこりと微笑んでいるフリートの顔が視界に入ると、暗くなっていたアルムの面持ちが自然と綻んでいく。
「もしかして、フリートがレイルを捜してくれたの?」
「うん、まあね。何となく居場所の見当はついてたから」
「そうなんだ。フリート、ありがとっ」
 アルムはお礼の気持ちを込めて微笑みを湛えると、軽く頭を下げた。レイルの反応を気にしないで置こうと決め込んだらしく、僅かに潤んだ瞳で真っ直ぐフリートだけを見つめている。
「お礼を言われる程じゃないよ。それより、君たちはこれから先どうするつもり?」
「えっと、それは――」
 まだ先の事は考えておらず、答えに詰まったアルムは、助け船を求めるべくヴァローの方に振り返った。急に無言で振られたにも係わらず、ヴァローは特に取り乱す様子も見られない。
「どうするって、このまま先に進むしかないだろ。ティルについても、バロウとフリートの関係についても、未だにわからないからな」
 悠長に構えていながらも、言うべきところは鋭く切り出した。事実を聞いてからヴァローがずっと執心だった事柄を突き付けられ、フリートは降参したかのように深く溜め息を吐く。一方で、そんな事など既に忘却の彼方に去っていたアルムは、聞いてようやく思い出したように頷いている。
「そう、手がかりを話すって約束だったよね。わかったけど、そんなに有益じゃないかもしれないよ?」
「それでもいい。少しでも情報がある方が良いからな」
「そっか。それじゃ言うとね、君が宿しているぼくの――精霊の力は、バロウのそれとはちょっと違うみたいなんだ。詳しくはぼくにも何とも言えないけど」
 お茶を濁しつつも簡潔に説明を終えたところで、フリートは昨日やったのと同様に全身に橙色の揺らめく光を纏わせた。オーラのようなそれはフリートの体を離れると、そのままヴァローを優しく包み込んでいく。
「こ、今度は何だ?」
「心配しないで。君が自分の中に秘めている物に気づけるように、力をもう少し分けてあげるだけだよ」
 自分の中にはフリートの力が眠っている――その事を念頭に置いた上で、ヴァローは集中するように目を閉じて受け入れる。一度燃え上がる炎の如く揺らめいたかと思うと、次第に光はヴァローの体に溶け込んでいき、遂には同化して消えてしまった。
「体の底から力が湧いて来るような、暖かくなるような――何か不思議な感覚だな」
 奇妙な体験をした後のヴァローの第一声がそれだった。発言からややあって目を開けるが、アルム達から見ても、特にいつもと変わらぬ姿であった。何か怪しい物が露出するとかいう訳では無いらしく、不安そうな面持ちで見守っていたアルムも胸を撫で下ろす。
「さてと、これで手がかりはあげたし、ぼくのとりあえずの役目は終わりだね。さあ、後はどうしようと自由だよ。ここでゆっくりしていっても全然構わないしね」
「いや、また変な奴らが襲ってきても困るし、そろそろこの森も出ないとな。いろいろと助かったよ。ありがとう、フリート」
「そっか。うん、まあ、別にそれ程でもないよ。あっ、ちょっと待ってて」
 照れ隠しに右手で後頭部を摩りつつ、フリートは小さな羽を広げて空中に浮かび上がった。どんどん高くまで上昇していき、樹木の枝分かれしているところまで辿り着くと、数回手を伸ばして何かを掴む仕種をした後に舞い降りてくる。
「そうそう、これでも食べてって。神聖な力の働く領域に生えてる木の実だから、体に力が湧くと思うから」
「ありがとう、フリート。それじゃ、遠慮なく貰うねっ」
 フリートが両手に五つほど抱えていたのは、クローバー形のへたが付いている橙色の熟した果実だった。手の平サイズのそれをフリートが一人一人に渡していく途中で、アルムは大事な事に気づいてはっとする。
「そうだ。ティルを起こさないとっ」
 真面目な顔をして駆け寄るアルムに対し、ヴァロー達は拍子抜けして微笑を浮かべている。そんな他の皆の反応など露知らず、アルムは前足でティルの体を揺すって起こそうとしていた。
「ティル、起きて。もうすぐ出発するよー」
「うーん。もう少し寝かせてー」
 同時に声も掛けて目を覚まさせようと試みるも、ティルは駄々をこねて梃(てこ)でも起きようとはしない。そこで名案が思い浮かんだのか、アルムはおもむろにフリートから受け取った木の実をティルの前に突き出した。
「ねぇ、ティル、朝ごはんだよ。すごく美味しそうだけど、起きないの?」
「うーっ、起きるーっ!」
 木の実から漂っている甘い香りに釣られてか、前言撤回とばかりにティルは飛び起きた。自らを包んでいた羽衣を目一杯広げ、大きく両手を突き上げて伸びをし終えると、差し出された木の実を貰い受けてかじりついた。
「あまーい! アルム、この木の実美味しいよっ!」
「あ、本当だ。こんな木の実は食べた事ないよ」
「ふふっ、これはちょっと特別な木の実だからね。あ、そうだ。アルムにはこれとは別に餞別があるよ」
 ティルとアルムがそれぞれ感嘆の声を上げて木の実を食する中で、フリートはアルムの方に寄ってきた。不思議そうにアルムが首を傾げてフリートを見つめる一方で、フリートは耳元に口を近づけて囁き始める。
「君のそれも不思議な力を秘めてるみたいだね。最初はヴァローから感じる力が強くてわからなかったけど、発現してからようやくわかったよ」
「えっ、それってどういう事?」
「残念だけど、それはヴァローと同じで、頑張って自分で見つけてみてね」
 曖昧な言葉の意味もわからずにアルムは尋ねるが、フリートは首を左右に振って回答を拒んだ。喜びから一転、身に覚えの無い事を切り出され、アルムはすっかり動揺している。フリートもそれ以上は詳しく語ってくれるつもりも無いらしく、アルムが訴えかけるような不安の色の篭った目で見つめても、その思いに靡く事はなかった。
「大丈夫だって。アルムならきっと自分で見つけ出せるから。何の根拠もないし、不安にさせたぼくが言うのは間違ってるかもしれないけど、君なら出来るって信じてる」
「うん、でもさ、何をどうすれば良いのかわからないし、そもそも何の事なのか……」
「でも、皆目思い当たる節が無いって訳じゃないでしょ? 君にも力の種を授けるから、それに時間を掛けても良いから、解明してみてよ。ね?」
 安心する為に浮かべたフリートの笑顔を見ると、波紋を生んで揺らいでいた心が落ち着きを取り戻したような気がした。自然と固まっていたアルムの表情も徐々に和らいでいく。そうしてやや押し切られる形ではあるが、アルムは了承の意を示すべく静かに頷いた。
「アルムならきっと応えてくれるだろうと思ってた。それじゃ、目を閉じて――」
 フリートに促され、アルムは深呼吸をして気持ちを整理すると、眠り込むかのようにその視界を閉ざした。対するフリートは、アルムが目を閉じたのを確認すると、広げた手の平に緋色の小さな火の球を出現させる。しばらく滞空させ、念を込めた後に押し出すと、炎はアルムの体の中に反発する事なく吸い込まれていった。
「何だか、暖かい感じがする。ヴァローが感じたのと同じなのかな?」
「それとは違うけど、似た物である事には変わりないよ。さあ、これで君に渡すのも終わりだよっ」
 アルムが身に起きた違和感を述べるのも早々に、フリートはその背中を強く押した。あまりに突然だったので転けそうになるも、何とか踏み止まってアルムはフリートの方に振り向いた。にっこり笑顔のまま、右手でピースサインを作っており、不安がってるアルムを再度励まそうとしているのが垣間見える。
「あ、ありがとう、フリート。具体的にするべき事はわからないけど、とにかく頑張ってみるよ。それじゃ、行ってきます!」
「うん、元気になったようで良かった。ぼくの方も安心して行ってらっしゃいって言って送り出す事が出来るよ」
 心を支配していた憂慮も、まるでフリートの炎が打ち砕いてくれたかの消え失せていた。意気込みも新たに希望に満ちた明るい声を響かせると、フリートも応じてピースの形を留めていた手を崩し、別れの挨拶として手を振り始める。
「さあ、シオンにティル、ヴァローにレイル。早く行こうよっ!」
「もう、アルムったら……。健気と言うか、忙しないと言うか」
「まあ、いいんじゃないか? 表情が明るくなったり暗くなったりしてたみたいだが、とりあえずは元気になったみたいだしな」
「皆で元気に行くと楽しいよねっ! アルム、待ってー!」
 まだ目的地も定めていないにも係わらず、アルムは森を出るべく先に走り出してしまった。その後ろ姿を追いかけつつ、シオン、ヴァロー、ティルが順々に零す。レイルを除く彼らの表情にはどこか安堵と喜びで溢れていた。
「無事に行ってくれて良かった。でも、直接の手助けをするな――なんて、あの人も厳しい事言うなぁ」
 アルム達一行の姿が視界から消えるまで見守り終えると、フリートは溜め息混じりに呟いた。しかし、ぼんやりとした態度を見せるのも束の間で、目つきを変えて真剣な表情になると同時に空高く飛び上がった。
「とりあえずはここを離れて、“旧友”に頼みに行かないとね――」
 昨晩とは全く異なり、天に輝く生命の源である太陽が放つ光を全身に受けている上方で周囲を見渡すと、フリートは町ではない方角に向かって飛び去っていった。そんなフリートも気づかない程にさらに高い、明るくなり始めた上空では、青い空間を一筋の光が横切っていった。闇の衣を外した朝の世界でも、一際輝いている彗星から飛び出たそれは、誰にも気づかれる事なく地上へと降下していくのであった。




コメット ( 2012/10/01(月) 11:37 )