エトワール・フィランテ〜星降りの夜の導かれし出逢い〜


















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第七章 炎の町と精霊と水晶と〜星の君の大きな変化〜
第四十六話 見えたる未来図と運命〜覚醒と睡眠と〜
 強烈な光という刺激を受けて反射的に閉じていた目を開いたのは、時間にして僅か一秒足らず。開けた視界に映るのは、光が収まって宙に浮かんでいるティルであった。相変わらず両目は閉じており、代わりにお腹の大きな一つ目は大きく見開かれた状態である。
「今のは何だったんだろう」
 閃光で眩んだ視覚がより鮮明になったところで、アルムは辺りをぐるりと見渡した。足元に鬱蒼と茂っている草花も、太い幹と青々とした木の葉を所有する樹木もあり、全く変わった様子は無い。――ある一つの事を除いては。
「あれ、ヴァローやシオンがいない?」
 背後にいたはずのヴァロー、シオン、フリートの三人の姿が見当たらなかったのである。焦ったようにアルムは頻りに顔を動かして、本当にいないのか確認しようとする。しかし、何度繰り返してもいないものはいなかった。
「みんな、どこに行っちゃったの?」
 自分を置いてどこかに行ってしまったのだと思い、アルムはがっくりとうなだれる。せっかく勇気も出た上で落ち着いていたと言うのに、それは消え失せてしまっていた。失意のあまり、ぼんやりと足元の若草を見つめるばかりであった。
「アルム、顔を上げて」
 初めて聞こえてきた自分以外の声に反応し、アルムは耳を立てて顔を上げる。その声の主は、眠っていたと思っていたティルであった。心の中では本当にティルかどうかとも疑っている。
「心配しないで。ボクは“一応”ティルだから」
 訝しげに眉を寄せているアルムの心情を察したのか、ティルは目線を合わせて説明を付け加えた。一応という言葉に引っ掛かるものの、少なくとも声の高さだけは同一のものだと判断し、アルムは表情を緩ませる。
「ティル、君は一体どうしたの? あんなに強い光を浴びたと思ったら、急に様子まで変わっちゃって」
「それは七夜目である今夜に覚醒して、“真実の瞳”を開眼させる必要があったんだ。今後に重要になってくるからね」
 まだ警戒心を解いていないアルムを余所に、ティルは淡々と語り始めた。いつものティルとは似ても似つかない振る舞いに、アルムも戸惑いを隠しきれなかった。その証拠に、答えを聞いても冴えない顔をしている。
「あとね、ヴァロー達はすぐ近くにいるよ。ただ、“ここ”では見えないだけ。だから、アルムは安心して」
「う、うん。でも、ここでは見えないってどういう事? それに、本当に君はティルなの? あまりにも僕の知ってるティルと違い過ぎて、混乱しちゃって」
 声の調子は確かにティルの物である事は断定出来た。しかしながら、口調や素振りが明らかに違っている。その事がどうしても気掛かりでならなかったのである。あまり聞きたくは無かったが、想いが言葉となって飛び出す。
「何言ってるの、アルム。正真正銘ボクはティルだよ。ただ、“いつもの”ボクは抑えさせてもらってるけどね。あれは今は支障となるから」
「抑えてる? ちょっと意味が良くわからないんだけど。それと、見えないって事もまだ良く――」
「ごめん、今は詳しく話してる時間が無いんだ。説明はまだ必要ないから、とりあえず現状だけをわかって欲しいの。だから、何も言わずにボクに付いてきてくれない?」
 すっかり話に付いていけずに、アルムはおどおどして表情を曇らせていた。既知の相手と向かい合っているのに、完全に心を許せてはおらず、未知の感覚にさえ思えた。そんなアルムを下手に刺激しないようにゆっくり近づくと、ティルは両手をいっぱいに広げて抱き着いた。
「ごめんなさい、今はこれくらいしかアルムに安心してもらう方法が思い浮かばないの」
「あ、うん、疑ってごめん。ティル、僕は君を信じるよ。そりゃあ、僕の知ってるティルとは全然違うけど――でも、ティルである事には変わりは無い。だから、安心して身を委ねられるんだ。さあ、どこへ連れていってくれるの?」
 寄せてくれる無垢な想いに対しては信頼を以って応じようと思い、アルムはとびきりの笑顔を振り撒いた。いつもティルに見せるくらいの、もしくはそれに負けないくらいの明るいものを。
「そう、信じてくれるんだね。ボク、すっごい嬉しいよ!」
 アルムが信じてくれた事を悟ると、ティルも口角を上げて微笑んで見せた。目は開いていないものの、顔には喜びが満ちているのがアルムにもわかった。そして一瞬だけ、言葉の方にも本来のティルらしさが現れる。
「それじゃね、早速こっちに来て。顔の目は開いてないけど、真実の瞳でちゃんと見えてるから、案内も任せて」
「うん、わかった」
 やはり微妙にやり取りに違和感を感じるものの、今ではさほど気にならなくなっていた。いつもは皆の後に付いていくか、または自由奔放に動き回っているティルに誘われ、アルムは真っ直ぐ森の中を突き抜けるように走り出した。







 ゲンガーのタスマとヤミラミの襲撃に遭った時のように、二人は一気に森を突破し、丘を駆け上がる。あの時と違うのは、空が未だに闇の相を呈していた事である。それでも徐々に白み始め、空にところどころ浮かぶ雲もはっきりと見えるまでになる。
 真夜中だからだろうか、足元を吹き抜ける風がやけに冷たく感じられ、たくさんの体毛を持つアルムでも身震いする程だった。そんな上り道の途中で視界に入る植物達は、冷風に一旦はそよいでも、何故かすぐに萎れてしまう。色こそ若々しい緑色を誇っているのに、生気を失っているようである。
「さあ、アルム。心して見てね」
 丘の頂上付近まで来た時、ティルがぽつりと警告らしき言葉を漏らした。その真意はわからないまでも、緊迫感は伝わってくる。アルムも思わず唾を飲み込み、恐る恐る歩みを進めて町の方を見下ろした。
「えっ。なに、これ」
 自らの眼下に広がる景色に、言葉が上手く出て来なかった。夜が更ける前まで滞在したはずの町の姿は、既に跡形も無くなっていたから。点在していた家は見るも無惨に破壊し尽くされ、瓦礫の山となっている。廃墟という言葉がぴったりの惨劇を目の当たりにして、アルムは口を開けたまま力無く座り込んでしまった。
「先に言っておくとね、“これ”はボクの力で未来を見せてるんだ。そして、これがこの町の辿る運命。未来に起こるであろう悲劇の序章なんだよ」
 こちらは全く動じている様子は無い。ただ宙に浮かんで、真実の瞳で荒野と化した風景を俯瞰(ふかん)しているだけである。廃墟独特の埃っぽい空気を運んでくる風を身に受けながら、ティルの方を横目で見たアルムは、急に遠い存在になってしまったような気がした。知らず知らずの内に明後日の方を見てしまう。
「ねぇ、アルム」
 静寂な空気が場を支配する中で、思いがけずティルから呼び掛けられた。いつもなら明るい笑顔を浮かべて振り向くのに、今度ばかりはびくついてしまった。
「アルム、もしかして、ボクが怖い?」
「そ、そんな事は、ないよ」
 ほんの短い言葉なのに、自信を持って言えなかった。半分は事実であり、動揺を上手く隠せる程負の感情を押し殺すのが得意では無かったからである。アルムの曖昧な反応を境に互いに口を噤んでしまったかと思うと、二人の間に見えない壁を作るように、一陣の冷たい疾風が吹き込んだ。
「そう、やっぱり怖いんだよね。そうだよね?」
 先に口を開いたのはティルだった。俯き加減になって虚ろな目をしているアルムの方に向き直って、同じく元気なく頭を垂らして続ける。
「ボクだってわかってたよ。リプカタウンがこうなってるのを見ても、平然としてるんだからね」
「ち、違うのっ! 僕はただ――」
「ただ、何?」
「えっと、それは」
 立て続けに問い掛けられ、アルムは完全に追い込まれてしまった。補う言葉が頭に浮かんでくる事もなく、お茶を濁そうとする事も無理と判断出来た。何より、ここでごまかせるはずも無い事は重々承知だったが。
「僕はティルが怖いんじゃないんだ。でも、僕にはまだわからない事が多過ぎて、それで――」
 アルムはそこで声を発するのを止めた。次の言葉を必死に絞り出そうとした途端に、ティルが再度抱き着いてきたのがその理由である。しかも、その力は先程よりも強いものであった。
「アルム、お願い! ボクの事を嫌いにならないでっ! アルムに見放されたら、ボクは、ボクは――」
 不意に体に一粒の雫が落ち、毛を伝わって濡れていくのを感じた。その正体は予想出来たが、一応確認の為に叫んでいるティルの顔を見ると、閉じている二つの目から大粒の涙が零れているのが映った。ぐしゃぐしゃになった顔から、悲しみの想いが詰まった雫が流れていくのが。
「見放したりしないから、ね? 大丈夫、僕だってティルから離れるのは嫌だから」
「うぅっ、本当に?」
「うん、本当だよ。誓っても良いもん。だからね、泣くのはもう止めて」
 慰めるようなアルムの返答を聞くと、ティルは泣くのをぴたりと止めた。崩れていた口元も緩んでいき、落ち着きを取り戻した。両手で急いで涙を拭う仕種からも、いつものティルらしさが垣間見えていた。
「ありがとう、アルム。ボク、アルムがいてくれると思うと、これからも安心出来るよ。でもね、ボクだけが安心しちゃいけないんだよね。ごめんなさい、これはボクが招いた結果なんだ」
「ティル、それはどういう――」
 表情の変化が激しく、神妙な面持ちで切り出したティルに対し、アルムは抱いた疑問をそのまま口にしようとした。しかし、その次の瞬間には、話し掛けるべき相手の体が薄れ始めているのが目に入った。
「ど、どうしたの!?」
「ごめんなさい、もう時間みたいなんだ。だから、これだけは言っておくね。未来(さき)の事はまだはっきりしないけど、安心して。十二の力と占星術によって選ばれた守護者が助けてくれるはずだから」
 さっきまでは明瞭だった声も、その身の消失に比例して徐々にぼんやりとしたものに変わっていく。それを心配そうに見つめるアルムとは対照的に、滞空しているティルは笑顔を浮かべていた。
「それじゃ、“ボク”をよろしくね」
 最後の最後になって、ティルは顔に位置する両目を開けた。その瞳が黒ではなく蒼い光を宿している事に気づくと同時に、ティルの体は完全に消え失せていってしまった。
「あっ、ティル、待ってっ!」
 現状に付いていけずに呆気に取られて一瞬言葉を失うものの、アルムはすぐに我に返って呼び止めるかのように声を張り上げる。しかし、消えてしまった者に届くはずもなく、声は虚しく辺りに響き渡るだけであった。虚空に一人ぼっちにされ、表情にも陰りが見えた。
「見放されたのは、僕の方かな。安心してって言われても」
 一瞬にして孤独感に苛まれ、激しい喪失感にも襲われる。しかしながら、悲しみに暮れるのも束の間だった。“この世界”に来た時と同様に、視界全体が閃光で覆い尽くされ、遂には何も見えなくなっていくのであった。複雑な想いと共に、全ては光の渦の中に飲み込まれるようにして――。




コメット ( 2012/10/05(金) 22:33 )