エトワール・フィランテ〜星降りの夜の導かれし出逢い〜


















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第七章 炎の町と精霊と水晶と〜星の君の大きな変化〜
第四十三話 対峙する不気味な者〜炎を司る者の激闘〜
 アルム達とヤミラミが対峙していた時点から、少しだけ時間は遡ってのこと。単身でリプカタウンへと引き返していたビクティニ――フリートは、その小さい体で風を切るように速い飛行速度を保って向かっていたため、アルム達との距離をどんどん離していった。
 眼下に見える青々と茂っている緑の絨毯を軽く飛び越えると、今度は淡い黄緑色の若草の敷かれた丘をも越え、遂には焦げ茶色の大地まで辿り着いた。町まで戻ってきたところで、フリートは速度を緩めながら下降していき、低空飛行へと移った。
 異変を感じたきっかけである、盛んに立ち上っている灰色の煙が間近に見えたところで、フリートは空中で停止した。警戒するように頻りに周囲を見渡して確認した後で、静かに目を閉じてゆっくりと息を吸い込んだ。
「うん、あそこよりも、こっちの方がもっと大きな力を感じる」
 精神統一を終えて小声で呟くと、フリートは煙の上がっている方から左の方へ視線を移した。円らで愛らしい瞳も細くなり、顔つきも全体的に険しいものとなっている。それに続いて覚悟を決めたように深呼吸をすると、背中の小さな白い羽を目一杯広げ、目的地に向かって再び飛び始めた。
 なるべく気配を消す為に、そろそろと移動を続けていたフリートだったが、町の中心まで近づいてきたところでふと動きを止めた。今度は真っ直ぐ地上に降り立ち、家の影に隠れるようにして歩みを進めていく。より強く感じられるようになる力に緊張しつつ、息を殺しながらその発信源に徐々に近づいていた。時々その大きな耳を立てて音にも注意しつつ、ひんやりと冷たい土の壁に手を押し当てて歩き続け、家の壁に張り付きながら町の広場の方を覗き込んだ。
「あっ、あれは――」
 ある一つの姿を遠くに捉え、フリートは息を呑んだ。その目に映っていたのは、濃い紫色の丸に近い――例えるなら寸胴な体をしており、怪しく赤く光る鋭い目と剥き出しになってる歯が目立つ、ゲンガーという種族であった。気味の悪い笑みを浮かべながら――とは言え、元から不気味な外見ではあるが――広場を徘徊していた。
「あんなポケモン、この町にはいなかったはず。という事は、あいつが襲撃者かな」
 目を凝らしてゲンガーを見据えつつ、フリートはさらに接近するべく、小さい歩幅で家の影から身を出していった。うろついているゲンガーにはまだ気づかれていないらしく、油断はしないようにしながらも、黙って監視を続けた。
 じっと見続けている中で、ゲンガーは一軒の家の壁に手を添えた。すると、ゲンガーの体は壁を摺り抜け、家の中へと入っていってしまった。その直後、一瞬だけ静かな空気を破るような絶叫が聞こえると、再び何事も無かったかのように、ゲンガーは壁を通り抜けて外に姿を現した。
「い、一体何をして――!」
 少なくとも、家の中のポケモンに何か良からぬ事態が起きているのは間違いなかった。その安否を確認しようとフリートが身を乗り出そうとした時、不運にもフリートが隠れている家に目を付けたゲンガーが歩み寄ってきた。下手に動いてはまずいと思い、ゲンガーが家の中に侵入するまで息を殺して壁に張り付き続けた。
 そして、自分が何もしないせいで中のポケモンが何かしらの被害に遭っている事に自責の念を感じつつ、そろそろと動いて移動を試みた。仲間がいる事も想定し、家から視線を少しずらして他の方を見遣った時だった。
「おや、君が有名な精霊くんかい?」
 周りには他に連れがいない事を確認してほっとしたのも束の間。不意に背後から聞こえてきたねっとりとした粘りのある低い声に、フリートは背筋が凍りついた。衝撃のあまり、振り返る事も出来ず、表情も身体も固まってしまう。
「油断はいけないねぇ」
 不快な声が耳に届くと同時にひんやりと冷たい物が体に触れた瞬間、フリートは反射的に振り向きつつその場を離れた。そこにいたのは、さっき家に入ったばかりのゲンガー。つまりは、一瞬だけ目を離した隙に近づいてきたという事になる。
「い、一体あなたは何者なの?」
「おれっちかい? おれっちはただ、この辺に来たらしいジラーチの行方を追ってきただけだ。後は、ちょっくらご挨拶をな」
 伸ばしていた手を引っ込めると、ゲンガーは忍び笑いをした。剥き出しになっている歯が、浮かべている笑みのおぞましさをますます増幅させている。それ故に、口調はへらへらしているにも関わらず、言いようのない不吉な感じを漂わせていた。
「ジラーチ? そんなポケモン、ぼくは知らないよ。それより、とっととこの町から出ていけっ!」
 未だに得体が知れない相手に戸惑うものの、フリートは強気な姿勢を崩さなかった。その上で、ジラーチの事を知っていても、怪しい相手に突き出す訳には行かないと思い、今は隠そうと努めた。頑なな意思を感じても、ゲンガーは変わらず視線を送り続けていた。
「おやぁ、せっかくこの町を平穏な状態に保てるように取引を持ち掛けてるのに。この付近にジラーチが来ている事は知ってるのだよ。さあ、おとなしく引き渡すんだ」
「例え何があろうと、あなたと取引なんかするつもりは無いし、この町は絶対に守るからね!」
 脅しには屈しないとばかりに、フリートは一層声を張り上げた。すると、今までニヤニヤと不気味な笑みを浮かべていたゲンガーの表情が一瞬にして引き攣った。
「そうかい。人が下手に出てると言うのに。交渉は決裂だ。力ずくで居場所を吐かせる事にしよう」
 口元の変化に伴い、怪しさを醸し出していた眼光が急に鋭くなった。それに対し、雰囲気ががらりと変わった事で、フリートも気を引き締めて身構えた。不意打ちにも気をつけつつ、さらに後ろに下がって距離を取っていった。
 相手の行動に注意を払うために互いに見つめ合う中で、先に動き出したのはゲンガーの方だった。全く構えていない状態はそのままに、その特徴的な赤い目から黒い光線を放ってきた。その二筋の怪光線は小刻みにジグザグな軌道を取り、フリートに目掛けて迫っていく。
 それに対し、フリートは冷静に両手を前に突き出した。閉じた状態の手を軽く開くと、指先まで青白い光を纏うと共に、その光が正面から向かってくる黒色の光線を包み込んだ。次の瞬間、二つの光束はフリートに直撃する事なく、それぞれ軌道を変えてフリートの脇を通り過ぎていった。
「小手調べの“ナイトヘッド”とは言え、それなりに自信があったんだけどねぇ。“ねんりき”で軌道を逸らすとは」
 その発言とは裏腹に、ゲンガーは両手を縦に軽く振っており、悔しさなど微塵も感じさせない素振りを見せていた。
「恐ろしい幻を見せる技――“ナイトヘッド”でしょ。そのくらいで倒せるとでも思うの?」
 相変わらず読めない相手の出方を伺う為に、フリートはあえて威圧的に出た。その態度をさらに明確なものにするかのように、次はフリートから攻撃を仕掛けた。両手に揺らめく炎を宿らせると、手を合わせて一つに合体させ、ゲンガーに向けて解き放った。その手よりも一回り大きいサイズの凝縮された橙色の炎は、細かい火の粉を迸らせながら一直線に飛んでいく。
 その攻撃対象となっているゲンガーは、表情を崩さずに炎を見据えつつ、両手を胸部の辺りで合わせ、炎に向けて突き出すように構えた。照準を合わせるようにして向けられた手の平の中では、突如生まれた小さな黒球が密集していき、大きな高密度のエネルギー球が作り出された。完成の後に、砲弾のように一気に球を撃ち出した。技を相殺する為に後攻で出された“シャドーボール”は、高速で炎に向かってまっしぐらに進んでいく。しかし、正面から技が衝突しようとした瞬間だった。
「今だ。炎よ、弾けてっ!」
 羽を使って空中に飛び上がりつつ、フリートが結んでいた手を開いた。それに同調するかのごとく、大きな一つの炎の塊がばらばらに弾け、それぞれが黒いエネルギー球を避けてゲンガーに迫っていく。フリートのいた場所を“シャドーボール”が通り抜けるとほぼ同時に、分裂した火の球がゲンガーの元に着弾して爆発が起こった。煙のせいでゲンガーの姿が目視出来なくなるものの、警戒の体勢は解かないまま注視し続ける。
「さあ、どうだろ――」
 煙が徐々に広がっていき、爆発音の余韻が残る空間に漂っていたフリートは、もう一度手に炎を宿らせて待機する。その際に出た言葉を切ったのは、即座に感じ取った些細な変化だった。ほんの一瞬、煙の一部が揺らぎ、地面に映る自分の影が膨らんだという変化を。
「おっと、またしても油断はいけないなぁ」
 真下から届いた全身を突き刺すような声色に、フリートは身の毛がよだった。神経を一層尖らせ、構えたまま俯くと、夜の闇を封じ込めたような漆黒の球体が急速に接近するのが見えた。羽を素早く羽ばたかせて何とか身を翻すが、攻撃は体を掠めて飛んでいった。直撃は避けたものの、急な回避でバランスを崩してゲンガーを視界から外してしまう。
「まだまだ行くぞぉ」
 すかさず二撃目を放つべく、ゲンガーは再度手を突き合わせてフリートに向けた。そこからは“シャドーボール”とは違う渦巻く黒いエネルギーの塊が生まれる。
 直後、突き合わせていた手を伸ばし、押し出すようにして塊を突いた。ゲンガーの手が触れた瞬間に塊は弾けるように分裂し、放射状になって宙を走っていく。
「このっ、負けないよ!」
 濃い紫色の薄い衣を纏って広がりつつ、迫りくる黒いエネルギー波――“あくのはどう”に向け、フリートは手に溜め込んだ炎塊を放った。燃え立つその炎は、先程と同じように散り散りになると、襲い掛かってくる複数の黒い弾を迎撃していく。その際に発生した爆発により吹き飛ばされるものの、ダメージは受けた様子もなく、フリートは空中で体勢を立て直した。
「ふむ、まさしく“はじけるほのお”だねぇ。使い方が上手いのは、やはり精霊だからこそ、と言ったところか」
 技を見て冷静に分析しているゲンガーは、まるで戦いを楽しんでいるようであった。フリートが上空で両手を突き出して身構えていても、手を下ろして構えを解いていた。
「一つ聞かせて。ジラーチがここにいるとして、どうしてそれがわかったの?」
 攻撃が来る事を危惧しつつ、フリートは抱いていた素朴な疑問を投げ掛けた。対して、ゲンガーはその質問が来る事がわかっていたらしく、悠々と腕組みをして語り始める。
「それは簡単な話。あんなに巨大な彗星から流れ星が落ちるのに気づけば、誰も気にしない奴なんていない。まあ、おれっち達の仲間の中で、力を感じ取るのが得意な奴がいたからこそわかったって話だ」
「それで、その仲間と言うのは?」
 聞ける事は聞いておこうと思い、フリートは突き出していた両手を引っ込めて続けざまに問い掛ける。しかし、その思惑通りには行かなかった。ゲンガーは微笑を浮かべながら、やれやれと呟いてフリートを見据える。
「誘導尋問みたいな事をしておれっち達の事を聞き出そうとしたって、そうはいかないなぁ。話はここまで。早速続けようか」
 ゲンガーは下ろしていた手を胴の辺りまで挙げて、戦闘体勢を取った。緊張感が一瞬にして二人の間を駆け抜け、フリートも気を引き締め直した。それと同時に、主導権を握られまいと、全身に炎の衣を纏って威嚇する。
「はいはい、それでどうするつもりかな?」
 火だるま状態となっているフリートを見つめながら、挑発的に拳を作ってゲンガーは構えた。その身振りからは、心なしか余裕すらも感じられる。
「どうするって――こうするんだ!」
 フリートが自らに気合いを入れるかの如く大きな一声を上げると、それに呼応して全身を包んでいる真っ赤な火の勢いは更に増した。先程よりも一回り火力が強くなったのを確認すると、ゲンガーに向かって急降下していく。
「ふん、無駄な攻撃を」
 フリートが一直線に降下してくるのを受けて、ゲンガーは握り締めていた片方の拳を力強く突き出した。すると、拳圧が生じるとともに、その拳を止めた先から同じ“もの”が飛び出した。ゲンガーの握り拳から生まれた影による拳――“シャドーパンチ”は、向かってくるフリートを殴りつけるべく突き進んでいく。
「こんな、ものっ!」
 自分に向かって飛んでくる拳に対し、フリートは怯む事なく迎え撃たんとする。真正面からの物体に備えようとして、腕を前に出して顔を庇うようにした次の瞬間、全身を炎の鎧――“ニトロチャージ”で固めたフリートと影の拳がぶつかり合った。
 技の衝突はすぐに決着が着いた。短くて乾いたような軽い衝撃音が響くのと時を同じくして、拳は易々と弾かれた。そのままフリートは勢いを殺す事なく、標的に向けて降下を続ける。
「ふふっ、こんなの避けてしまえば――」
 白い歯を見せて不敵な笑みを浮かべつつ、ゲンガーは余裕を持って後退する。しかし、その表情は一瞬にして驚愕の色に移り変わった。真下に向かっていたフリートが直角に方向転換して、不意を突くようにしてゲンガーに体当たりを噛ました。もろに攻撃を受けたゲンガーは、呻き声を上げながら後ろに飛ばされる。
「さあ、今度こそ効いたでしょう」
 フリートは攻撃を終えて一息吐くと、何かを振り解くような仕種をして、纏わせていた炎の衣を解き放った。その視線の先にはゲンガーが倒れており、攻撃をまともに喰らったのは間違いなかった。フリートの声にも少し自信が窺える。
「これは中々効いたなぁ。だが、おれっちを倒すには、ちょーっとばっかり威力が足りないな」
 ほっと出来たのは、ほんの僅かな間だった。睨むような目をする一方で薄笑いを浮かべつつ、ゲンガーはゆらりとその場に立ち上がった。
「それでも、熱いのに変わりはない。ほんの挨拶のつもりだったが――それなりの代償を払ってもらおうか」
 瞬間的にゲンガーは憤怒の形相に変わった。その一方では、もう一度追い撃ちを掛ける為に、フリートは両手に渦巻く赤々とした烈火を備える。雰囲気の一変したゲンガーがその足を一歩踏み出した時、フリートが反応して動いた。両手に発生させた炎の塊を前に撃ちだす。今度は一つに纏めずに、二つに分離させた状態で。
「さあ、さっきよりも数は多いよ。これをどう捌(さば)くつもり?」
 心にある一抹の不安に悟られぬように、フリートは威勢よく振る舞う事にした。強い思いを込めるようにして閉じていた両手を目一杯開くと、弾けて先程よりも倍の数になった火球がゲンガーに襲い掛かっていく。落ち着いて待ち受けていたゲンガーも、炎が二人の中間辺りまで来たところで、両手を前に出す。先刻と同じ黒いエネルギーの球体――“シャドーボール”が形作られていく。しかし、それは通常の規模よりも何倍も大きな物へと肥大し、ゲンガーの身長よりも巨大な物になった。
「それは盾のつもり? そんな事したって、ぼくには関係ないよっ」
 手先に力を込めると、フリートの両手からは青白い光が放出された。それが同じく宙を飛び交う炎の弾を包み込むと、まるで意志を持ったかのように、炎は不規則な軌道を描いて飛び始める。全ては“ねんりき”の効果であった。宙を自由自在に舞う小さな烈火は、漆黒の球を避けるようにして飛ぶと、一斉にゲンガーに向かっていく。状況を把握しても、ゲンガーは全く動じる様子は見られない。
「その程度で、対策を施したつもりかね?」
 今度はその表情に笑みさえも零さなかった。冷たく言い放つと同時に、ゲンガーは自らが作った攻撃用のエネルギー球により接近していく。すると、ゲンガーの体は何事も無いかのように球体をすり抜け、そのまま中に収まる形となった。
「そんな、ありえない!」
 目の前の光景に困惑しつつも、フリートは攻撃の手を緩めようとはしなかった。不思議な光を纏いし真っ赤な炎を意のままに操り、全方向から一斉に攻撃を仕掛ける。あらゆる方向から一度に畳み掛ければ、撃ち破れるのではないか――そう考えたからこその決断であった。
 しかし、その期待は脆くも崩れ去る事となる。通常以上に膨張した黒のエネルギーの球は、炎の連撃を受けても、破裂したり弾けたりする事もなく、びくともしなかった。せいぜい体積が小さくなったくらいの効き目であった。
「次は、君がおれっちの攻撃を喰らう番だ」
 滞在していた“シャドーボール”の中という異空間から問題なく抜け出ると、ゲンガーは両手で思い切り球体を突き飛ばした。未だに巨大な黒いエネルギー球は、茫然自失して空中に浮かんでいるフリートに向かって高速で迫っていく――



コメット ( 2012/10/03(水) 22:37 )