エトワール・フィランテ〜星降りの夜の導かれし出逢い〜 - 第六章 義賊の真実と不思議な巫女〜出会いの真相と力の秘密〜
第三十六話 待ち受ける真実と謎と〜零れる光とそのわけ〜
 突然夢などと持ち出されても訳が分からないヴァロー達を余所に、アルムは一人サーナイトにはっきりとした光を宿した視線を送っていた。その口は無意識のうちに僅かに開かれており、驚きと言うよりかは、告げられたことを得心しているのに近い様子であった。サーナイトもアルムだけを視界の内に捉え、体を浮遊させた状態で接近してきた。
「やっぱり、あの夢の声の主はあなただったんですね。でも、何故僕の夢に?」
「それはですね、あなたの持つ“光”が一番強くて、私とも波長が合ったからなんです」
「僕の持つ――光? それに、波長ってどういうことですか?」
 何の事なのか思い当たる節もなく、真剣な眼差しを送り続けていたアルムも大きく首を傾げた。当の本人が分からない以上は外野が分かる余地も無く、すでに蚊帳の外へと追いやられていた。だが、それに不服を申し立てるものはおらず、二人のやり取りに集中して聞き入っていた。
「そうですね。実はあまりにも重要な未来や力について他人に伝達し過ぎる事は、未来を読む者たちには禁忌とされているのです。これもその禁忌の範囲に入るわけでして、今は説明する事が出来ません。なので、その代わりと言っては何ですが、私の力について簡単に教えましょう。ラデューシティのヤードの館で見た、あの水晶を覚えていますか?」
 その時にはいなかったシオンと地下まで見に行ってないティルを除き、他の三人はあの神秘的で巨大な青白い水晶がすぐに脳裏に思い出され、全員がこくりと小さく頷いた。先にオコリザル達との出来事を言い当てられてしまった後では、自分達が辿ってきた足跡を知っている事に驚く様子はもう見られなかった。
「あの水晶は俗に“フルスターリ”と呼ばれていて、その秘めている力はラデューシティでご覧になった通りです。実はそれがこの島の地面の下に埋まっていて、私に力を与えてくれているのです。そのおかげで、私は三種類の“みらいよち”が使えます。その三つの中に、とある個人に関わる出来事の細部までが分かるもの、物の在り処が分かる特殊なものがあるんです」
「つまりは、その前者の方の力で僕達の行動を見ていて、後者の方のパントさんに与えた力というのも、水晶――“フルスターリ”の力なんですね?」
「ええ、その通り。あなた達をここまで導く為に分け与えた力なんです。そして、そこまでは上手く行ってました。そう、あくまでもそこまでは」
 アルム達が何とか理解して話を纏めていく中で、サーナイトはふと視線を逸らして顔を俯けてしまった。理由が分かってはいたが、あまりの急な変化に戸惑って声を掛けるべきか戸惑っていたところで、サーナイトは垂れていた頭を静かに持ち上げた。相変わらず浮かない表情ではあったが、曇っているアルム達の面持ちを見るなり、自らの曇りを取り払った。
「実は薄々感じてはいたのですが、確信を持てる程に大きな影が差し始めたのは、あなた達がパント達と出会ってからです。私が見える未来にも、徐々に不確定因子による妨害が入ってきて、遂にはトリトンの全員があんな事になってしまって」
「パントさんの辺りからと言う事は、図鑑のジラーチのページについては、一体どういう事なのですか?」
 質問攻めといっては聞こえが悪いが、事実それに近い状況となっていた。重要な事柄ばかりを告げられる余りに忘れてしまっていた事をようやく思い出し、ヴァローが再度サーナイトに近づいて切り出した。話を纏めるのに必死になっていたアルムも、はっとして頷いていた。
「それが、あの本はあの図書館の物でありながら、同時にそうではありませんでした。だからこそ、承認したのです。それと恥ずかしながら、そして疑わしく思われるかもしれませんが、依頼主が誰なのか、私にも皆目分からないのです。力を与えられているとは言え、どうやら万能な力では無いようです。しかし、少なくともこれだけは言えます。盗まれた物から判断するに、確実にその子が大きく絡んでいます。そして、その子がこの星に舞い降りてきてから、“七夜目”の明日に何かが起きます」
「そ、それは一体どういう事ですか!?」
 サーナイトが緊張した面持ちでずばり指し示したのは、すっかりモモンの実の虜となって、話などまったく聞いていなかったティルだった。それに加えて意味深な予言めいた物を告げるのに対し、アルムは思い切り背伸びして声を張り上げた。夜と言う事もあり、風に揺られて植物がざわめく以外は至って静粛だった空間に、アルムの子供らしい高い声が響き渡った。
「すいません。ここまで言っておいて何ですが、先にも申したとおり、予言者は先の事を詳細までは告げられないのです。大きく未来を変えてしまってはいけませんから」
「そう、ですか。分かりました。出来ないのなら、仕方ないですよね」
 ようやく真実に近づいたと喜びに浸っていたのに、思わぬ形でその道が絶たれてしまった。自分ではどうしようもないが、誰かに当たっても仕方が無い――そんなもどかしさに心を悩ませつつ、アルムは表面上だけ笑顔をつくろった。しかし、それは隠しきることはできず、どこか釈然としない様子で、その苦笑すらも引き攣っていた。
「あの、その代わりと言っては何ですが、少しだけならお手伝いが出来ます。さっき言った三種の“みらいよち”の内の一つ、ポケモンの進化の未来が見える力で、あなた達の進化について見て差し上げましょう」
 壁にぶつかって打ちのめされていたところに、思いがけない朗報が齎され、一同は呆然とした様子でサーナイトの方に一斉に視線を集中させた。その中でも、特にアルムが一番その申し出に反応を示しており、暗い感情も吹き飛んで口をぽかんと開けていた。
「さて、まずはアルム。あなたから見ましょうか?」
「えっ、僕からですか? と言うか、本当に良いんですか?」
 真っ先に自分が指名されるとは思っていなかったらしく、アルムの声の調子は完全に上擦っていた。周りにいるヴァロー達の方からくすくすと笑い声が聞こえてきて、アルムは恥ずかしさから顔を俯けるしかなかった。もちろん馬鹿にした笑いでは無く、純粋に素直な反応が見ていて面白かっただけで、それはサーナイトにおいても同様だった。
「ええ、もちろん。どんな結果が出ようと、覚悟は良いですか?」
「はっ、はい。是非とも聞きたいですっ」
 さらに忙しなく顔つきを一変させて嬉しそうに目を輝かせ、アルムは強く頷きながら返事をした。しかし一方では、言いようの無い不安が入り混じっているようにも見えた。その負の感情が渦巻いている証拠に、らんらんとした瞳とは対照的に耳は少し垂れ下がっていた。
「それでは、こちらへ来て下さい」
 サーナイトはすっと立ち上がって奥の祭壇の方へと手招きをした。何が待ち受けているのかと大きな心配を胸の内に抱きながらも、アルムはその後を付いて座り込んでいる皆から離れていった。足取りも決して軽いものではなく、いやな汗が額を伝っていた。
「さて、この辺で良いですかね」
 話し声も聞こえないような位置まで来たところで、サーナイトは移動を止めて屈み込んだ。どうして良いのか分からずにアルムがじっと目を見つめる中で、サーナイトは両手をアルムの耳の辺りに持っていって静かに目を閉じた。深く息を吸い込み、儀式のように祈りを捧げていた。
「えっと、一体何を――」
 対象となるアルムが固唾を呑んで見守る中で、サーナイトの両手が淡い桃色の光を放ち始めた。それは少しずつ小さなアルムの体を侵食していって遂には全体を包み込み、まるで衣を纏っているかのような状態になった。光の繭に包まれているアルムはと言うと、至って落ち着いた様子で目を瞑り、全てをサーナイトに委ねていた。
「これで終わりです」
 次にサーナイトの声が聞こえて目を開けた時には、いつの間にか桃色の衣は消えていた。代わりにアルムの目に映ったのは、サーナイトの悲しげな表情だった。一層不安が掻き立てられ、アルムはおのずから足を一歩後ろに退いていた。 
「それで、どうなんですか?」
「覚悟して聞いて下さいね。あなたには進化する為の条件が揃っています。まず一つに、あなた達の種族――イーブイ種が進化するのに、さほど身体のレベルは関係無いのです。その上、そのリボンは“透明のリボン”と言って、あなたが進化するのにも役に立つ道具なんですよ。その事には気づいていましたか?」
「シオンがくれた、このリボンがですか?」
 “透明のリボン”など初耳な上に、いきなり進化に役に立つと言われ、アルムは今まで以上にそわそわし始めた。一度は強張っていた表情を綻ばせて笑みを浮かべながらも、あまり落ち着かないようで、耳のリボンに頻りに視線を遣っていた。
「ええ、あなたのこれからの行動次第では、その可能性も見出だせる道具なのです。しかし――」
「しかし?」
 自分にとって良い知らせが聞けた後で出て来た打ち消しの言葉の後に、思わずアルムはおうむ返しをしながら目を丸くした。同時に、まるでこれから告げられる事が悪い事だと確信を持っているかのように、表情を再度強張らせた。
「あなたには進化する資格――と言うか、価値が無いのです」
「えっ」
 思考が一瞬にして真っ白になり、口を突いて出て来たのは、声なのかも判別出来ない程に微かな音だった。それは儚く夜の空気に溶けて消えてしまうが、サーナイトにはしっかりと聞こえたようで、一層悲しみの色を濃くしながらアルムを見つめていた。
「ですから、あなたには進化する価値が無いのですよ」
 再度畳み掛けるように聞こえてきた、サーナイトの“価値が無い”という小石のような言葉は、アルムの心の水面に投げ込まれると同時に、小さな波紋を生み出した。それはやがて大きくなっていき、理解力が一時的に衰えているアルムの心を激しく揺らしていった。
「それって……それってどういうこと!?」
 不安とも恐怖とも言える大きな波紋が、耐え切れずに心の湖の畔から溢れ出した。それに呼応するかのように、アルムは動揺を隠しきれずに、速いペースでの呼吸を繰り返しながら喚いた。対するサーナイトはと言うと、真実を伝えるために非情に徹することにしたようで、ただ首を横に振るだけでそれ以上は何も告げなかった。
「そんな、どういう事かちゃんと――」
「アルム、どうしたのー?」
 不意に聞こえたのんびりとした声色に、アルムは次の言葉を紡ぎ出すのを止めて振り返った。そこには、不思議そうに首を傾げながら宙に浮いているティルの姿があった。どうやら、アルムが大声を出した事に心配して近づいてきたらしいが、今のアルムにとっては最も顔を見られたくない相手であった事もあり、一瞬硬直してしまった。
「う、ん。何でもないよ」
 喉まで出かかっていた言の葉を無理矢理押し殺し、口角を吊り上げて笑顔を見せた。しかし、その笑顔には僅かにぎこちなさが見受けられ、現に作られた嘘の顔はすぐに綻びを見せていた。
「ほんとに? 何だか、いつものアルムと違うよ?」
「大丈夫だよ。ティルは皆のところに戻っていて。僕はちょっと散歩してくるから」
 さすがのティルでも異変に気づいたのか、心配したように声を掛けるが、アルムは一切先程までの焦った様子を一切見せようとはしなかった。むしろ笑顔を崩さずにくるりと回って背を向けると、ヴァロー達が待っている方とは逆方向の林に向かって歩き出すのであった。







 ふらふらと彷徨った末にアルムが辿り着いたのは、来た時とはほぼ反対に位置する海岸だった。相変わらず月は淡く朧げに輝いており、深い蒼色に染まった海とのコントラストが趣深さを一層引き立てていた。ぎりぎり波が押し寄せてこない場所で立ち止まると、アルムは元気なく砂の上に座り込んだ。波打ち際の砂は陸以上に冷たさと湿り気を含んでおり、お尻をつけてしばらくは言いようの無い不快感に苛まれた。しかし、そんな感覚もすぐにその心と同化していき、慣れてしまえば心地よくさえ感じていた。
 次々と陸に向かってくる波は、泡沫を生み出しては即座に攫っていくと言った普遍の営みを繰り返しており、見ているだけで心の中までも洗われているような気がしていた。それが幻想の類であると気づくのにそう長くは掛からず、アルムは小さく長い溜め息を吐くと、連続で迫り来るさざなみをぼんやりと虚ろな目をして眺め始めた。それ以外に何をするでもなく、ひたすら物思いに耽っているようであった。
 そんな歳に似合わず哀愁漂う背中に近づいていく一つの影が、ふっと背後の林の奥から現れた。砂の粒子が細かくて足音が聞こえないのと、波が打ち寄せる音が大きく聞こえるのとが相まって、アルムはその接近に全く気づいていないようであった。月光により作り出される影も後ろに伸びているせいか、目視によって気づく様子も無く、その一人の影はアルムの真後ろまで迫った。
「なぁ、アルム」
 予期せず聞こえてきた一つの低い声に、アルムは体を一瞬びくつかせながら、恐る恐る声のした方を振り返った。声で既に誰かは分かっていたが、一応目でも確認したいと思って後ろを向いていくその視界に入ってきたのは、紛れも無くガーディのヴァローだった。
「な、なに、どうしたの?」
 一呼吸置いてから尋ねるその声は、波が絶え間無く生まれる海に映る月のように、か細く不規則に震えていた。気持ちとしてはすぐさまこの場から逃げ出したかったが、もろくなっている心に影響を受けた体がそれを許してはくれなかった。
「“どうしたの”じゃないだろ。お前が急に姿を消すもんだから、どうしたのかと心配したんだぞ?」
「あ、そういう事だったんだ。うん、心配かけてごめんねっ」
 ヴァローが真剣な表情で見つめてくるのに対し、アルムは軽く舌を出してけたように一瞬笑みを浮かべると、そのまま視線を海の方へと戻した。その途中で、浮かべていた微笑みはヴァローに気づかれないように闇へと少しずつ消えていっていた。
「――もしかして、進化出来ないって言われたのか?」
 アルムの顔が全て海の方に向ききったとほぼ同時に、ヴァローは背中に向かって静かに呟いた。決して声量が大きい訳でも、鋭さを持っていた訳でも、冷たい訳でも無かったのだが、アルムは一瞬だけ体が震えた。全てが見透かされる事への恐怖から、振り向く事さえままならなくなっていた。
「図星だな。お前、今まで俺達には隠していたらしいが、自分が進化していない事に悩んでいたんだろ? ほら、レインボービレッジでティルが姿を消したことがあったよな。あの時お前がシュエットさんの家に行っている間に、お前を捜しながらルーンさんに聞いたんだよ」
 今度はヴァローの方からアルムの視界に入っていき、強引に目を合わせようとした。最初はアルムも視線を逸らそうと努力はしていたが、あまりにもじっと見られるのに堪えられず、遂には目を合わせてごく僅かに頷いた。あまりにも小さな所作であり、凝視していなければ気づけないほどであった。
「やっぱりそうだったか。アルム、それじゃ――」
「――ううん、違うの。本当の事言うと、確かにステノポロスで戦いになった時は、進化していたらどんなに良かっただろうって思ったよ。だけど――」
 瞳に映っていたヴァローの姿が、アルム自身が閉じかけた瞼によって消えかけた。だが、途中で止めてはいけないと自覚していたアルムは、一度自分を落ち着かせるように大きく息を吸い込んで吐き出し、精一杯目を開けてヴァローと正面から向き合った。
「クインさんやレイル、シャトンにガートさんにラックさん。他にもヤードさんやスパーダさん、パントさんやペインさん、シオンやセトさん。行く先々でいろんなポケモン(ひと)に会って、皆がそれぞれ異なっていて大変な過去や現実を抱えている事を知ったら、僕の進化の悩みなんて大したことないって思えるようになったんだ」
 先程までの虚ろなものとは違い、より真っ直ぐな眼差しをヴァローに向けた。それは、本心からの言葉である事を、口よりも意思の篭もりやすい目を通して伝えていた。もちろんヴァローにとってもその姿勢は喜ばしいことであったが、一方で府に落ちない部分が生まれていた。
「じゃあ、一体何があったんだ?」
「そ、それは」
 もう一度問い詰められると、アルムは視線を泳がせて答えるのを拒もうとした。それに続いて、開きかけた心を閉ざすかのように顔を俯けて、完全に視界からヴァローを消してしまった。
「アルム。別に言いたくないなら、無理に言えとは言わない。でも、言った方が楽になる事もある。それだけは分かってくれ」
「あっ、うん。いや、でも」
 アルムが見ていない事は承知の上で、ヴァローは柔和で暖かな――優しく包み込んで受け入れるような微笑を湛え、アルムの頭の上にそっと片足を乗せる。対するアルムはと言うと、喉に何かが痞(つか)えたかのように短い言葉を発するだけで、直後には黙りこくってしまった。言いたいけど、言いたくない。そんな二律背反の葛藤が、胸中で激しく渦巻いていた。アルム自身でも制御が利くものではなく、必死に堪えている精神は目前の海とは正反対で荒れ狂っていた。
 話に進展が言えなくなったところで、途端に気まずい沈黙が場を支配していった。アルムは相変わらず下を向いたままで、ヴァローはそれをただ見つめるのみ。耳に入ってくるのは、海が奏でる穏やかな旋律より他には無かった。
「――あのね、僕、怖いんだ」
 海の心地好い演奏を聞きながら黙り続けてしばらく経った頃、アルムは顔を上げてヴァローの方を見据えて想いを紡ぎ出した。その目の奥にはどこか悲しげな光が映っているが、今までは奥底に封印されていた確固たる意思も感じ取れた。
「パントさんとサーナイトさんが言ったよね。ティルが何か大きな事に関わってるって。実は、それがずっと怖かった。何かあった時に、僕なんかがティルを支えられるのか、守れるのかなって考えると、どうしようもなく不安なんだっ……」
 いつもの明るいときと違い、瞳が異様に震えていた。普段は大きな変化を見せない声も裏返り気味で、明らかに動揺している兆候を見せていた。そして、パントの話を聞いた時よりも大きな迷いの様子も同時に、前面に現れていた。
「そっか、やっぱり黙って一人で悩んでたんだな。でも、一応俺達もついてるんだ。それに、ティルに関する予知だってまだ確実じゃないかもしれない。それだけじゃ、まだ不安は拭えないか?」
「だって、それじゃヴァロー達に頼り切る事になっちゃって、僕は役立たずになるかもしれないよね。だから、僕は進化する価値が無いって言われたのかもしれないんだ」
 見る見る内に目に溜まっていく大粒の涙を堪える事は出来なかった。ようやく出せた想いに同調するかのように、悲しみと不安の篭もった涙は、次々と零れ落ちていった。湿気を纏った潮風は乾かしてくれる事も無く、ただ徒に流れていくのを余計に感じさせる役割を担うだけだった。
「お前、もしかして、ステノポロスからずっと悩んでたのか? 自分にはその、存在価値が無いんじゃないかと」
 大体の想いを察したヴァローの言葉に、アルムは顔をぐしゃぐしゃにしながら力無く頷いた。元から不安でいっぱいで揺れていた心が先程のサーナイトの言葉で崩された事も、ここでようやくヴァローにも理解できた。
「ずっと、その事は考えないようにしてたよ。ティルに不安な思いをさせちゃいけないと、思ったから。でも、本当はすごく不安だった。怖かった。いざという時、自分が何も出来ないかもしれないって思って。いや、それ以前に、そもそも僕という存在が必要なのかが急に分からなくなって……。もう、どうしたら良いのか分からないよぉ……うっ、うぅっ」
 自分の存在価値が自分でも危ぶまれ、恐怖は募るばかり。それでも、事情を良く知らないティルには余計な心配を掛けたくない。その一心から、さっきもティルの前では笑顔で振る舞っていたのだった。自己を見失いかけていては、いつも通りにいるなど不可能な事であり、アルムにおいても例外ではなかった。全てを言い切ると、アルムはとうとう声を上げて泣き始めた。必死に我慢しようとはしているが、その最後の抵抗は本心には決して抗えなかった。
「そんな、我慢しなくて良いんだぞ。そりゃあ、ティルを不安がらせないようにしていたのは悪い事とは言わないが、不安を一人で抱え込む事はないんだ。その為に俺がいる。ルーンさんのように、とまでは行かないが、それでもお前の手助けにはなりたいんだ。そうじゃなきゃ、ここまでついてきたりはしない」
 アルムの想いを全て受け止めた後で、今度はヴァローが話し出した。少しでも慰めになるようにと、片足で優しくアルムの頬を撫でていた。他人の暖かな肌に触れたことで、冷え切っていた体が徐々に失っていたものを取り戻し始めた。
「頼むから、俺たちの前では感情を押し殺さないでくれ。泣きたい時は泣けば良いし、笑いたい時は笑えば良い。せっかく一緒にいるのに、お前が一人で悩みを抱えて苦しんでいたら、それこそ俺がいる意味が無いじゃないか。だから、俺には悩みでも何でも打ち明けてくれ。お前がティルを支えるなら、俺はそんなお前を支えていたいんだ。それじゃ、駄目か?」
「駄目じゃない。全然駄目じゃないよ。ほんと、今まで一人で抱えていたのがなんだったんだろうって思えるくらい、すごく、嬉しい。ありがとう、ヴァロー」
「お礼を言われる程の事じゃ無いさ。それと、だ。他人が存在価値を決めるんじゃない。自分自身が見出だすものだ――と俺は思う。ま、これも誰かの受け売りだけどな。だから、お前はお前の好きなようにやれば良いんだ。これも一つの約束だからな。いいな?」
「うん、ありがとう。それと、ごめん。もう少しだけ泣かせて。また悲しくなった訳じゃないんだけど、何だか止められなくて。すぐに、止めるから……」
 心の奥に引っ掛かっていた物がやっと取れたようで、閉じかけていたアルムの心は再び開かれ、穏やかになって解れていった。しかし、それでもまだ残っていた不安を出しきっていないのか、アルムはヴァローに寄り掛かって再び涙を流し始めた。全身を預けて寄り掛かる事で、自然と心も身体も暖かくなっていった。一方のヴァローは、涙で体毛が濡れていくのを全く気にする様子もなく、優しくアルムの背中を摩り続けた。互いを良く知っている仲だからこそ、アルムも安心して身も心も全て預けているのであり、ヴァローもそれに応えていた。
 これまで以上に打ち解けあった二人の光景に嫉妬するかのように、月はさらにその輝きを増して光を放ち出した。海面に映る弱々しい月の影は、暗さに慣れてぐっすりと眠っていた水中のポケモン達の目を強制的に醒まさせるものとなっていた。夜空から降りてくる圧倒的な光に照らされる二つの影は、その後しばらく離れる事は無かったのだった。




コメット ( 2012/09/21(金) 14:58 )