エトワール・フィランテ〜星降りの夜の導かれし出逢い〜


















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第六章 義賊の真実と不思議な巫女〜出会いの真相と力の秘密〜
第三十三話 潮風の吹き抜ける砦〜トリトンへの潜入〜
 マリルのシオンを旅の仲間に加え、水の都とも言えるステノポロスを後にしていた一行は、セトに貰った地図を頼りにひたすら歩き続けていた。最初の内は、比較的背丈の高い雑草が広がる、何も無い平坦な道のりだった。後ろを振り返っても、遠くにステノポロスやアクティウムの洞窟が目に留まるだけの、大した景色の変化も無い移動が続いていた。王国から離れてしばらくは、進む先にはそれらしい集落も何も無かったのである。
 しかし、ステノポロスの城下町が小さく見え始めた頃から、雰囲気が徐々に変わり出した。全身をそっと撫でていく風には、微かに鼻の奥を刺激する塩辛い香りが混じっており、どこか湿気も多く含まれている。足元には乾燥した砂が多く現れ始め、生えている植物にも変化が見えてきた。草丈が低いわりに花が大きいものが多く、その葉は厚く、多肉質な物や毛で覆われた物が増えてくる。
「あれ? 何か、少しずつ景色が変わり始めたみたいだね」
「流れる風には微量ながら塩分が含まれていますし、足元の植物は海岸植物が多く見られるようになっています。つまりは、確実に海に近づいてきているのです」
 アルムは静かに目を閉じ、茶毛の耳と尻尾を風の流れに任せていた。今まで受けた事の無い新鮮な風を感じながら、新たな土地への期待感を僅かながらに抱いていた。その雰囲気に浸ってるのを邪魔しないようにとの気遣いからか、レイルは風下に回り込んで淡々と説明していた。
「そうなんだ。じゃあ、トリトンも近いのかもね?」
 地図を持って案内してくれているシオンに尋ねるべく、前進しながら首だけを後ろに向けた。しかし、シオンは後ろで微笑を湛えているガーディ――ヴァローと会話を交わしており、返答は一向に来なかった。
「ねぇ、アルムー!」
 気づいてくれない事に内心がっかりしながら前に向き直るアルムの視界に、突如ジラーチのティルが飛び込んできた。その頭の上に、大きく分厚い一枚の葉っぱを掲げていた。
「びっくりしたぁ。一体どうしたの?」
「あのね、この葉っぱの帽子、似合うかなーって思ったの! ね、どう?」
 潮風に揺れる頭の短冊も気にしない様子で、ティルは口を大きく広げて笑顔を浮かべていた。それと同時に、両手で支えている葉っぱを左右に揺らしながら、必死に自分の功績をアピールしている。よほどその珍しい葉っぱが気に入ったらしく、しっかりと掴んで離さなかった。
「うーん。まあ、良いんじゃない? 面白いと思うよ」
「そう? やったーっ! ねえねえ、レイルはどう思う?」
 アルムの意見を聞いて喜びつつ、今度はレイルに話題を振った。自分の横幅よりも大きな葉っぱを持っているのに、そして風の煽りも受けると言うのに、重さなど全く感じていないようにレイルの前に移動をして、ティルは返答を待った。
「大きい葉っぱですね」
 即座に返ってきたあまりにも素っ気ない言葉に、アルムが先に凍りついた。似合うかどうかを聞いているのに、これではティルが怒るのではないかと思ったからであった。
「大きい葉っぱでしょ〜! これ、あっちで見つけたんだ〜。ねぇ、あっちにもっとたくさんあるから、早く行こうよ!」
 アルムの予想は大きく外れ、ティルは未だに明るい表情を崩さなかった。それどころか、葉っぱを見つけた事をどこか誇らしげにしながら、全員を先導するかの如く飛び始めた。アルムもその後ろ姿を見つめて、目元を緩めて優しい表情を見せながら、ゆっくりとした歩調で後に付いていった。三人が前方で和気藹々としたやり取りをしてるちょうどその頃、シオンとヴァローは三人とはやや距離を置いて並んで歩いていた。少なくとも、前の三人の話し声が聞こえない程ではあった。
「ありがとな、シオン」
 時々二人の間を吹き抜ける突風が耳に音を残していく中で、唐突に切り出したのはヴァローの方だった。静かでありながら、しっかりと思いの篭ったその声は、そよ吹く風に乗ってシオンの元に届いた。
「えっ、何であなたがお礼を言うの? 寧ろお礼を言うべきなのは私の方よ。洞窟では助けてくれて、ありがとう」
「まあ、あの場面なら誰だって助けるさ。それで、俺がお礼を言いたいのは、アルムの事でだ」
 ふと飛び出した“アルム”という名前に、シオンも耳を大きく動かして反応した。表情も疑問でいっぱいといったように小さく口を開いて、きょとんとしている。
「ステノポロスに来るまでは不安そうにしてたアルムが、シオンと出逢ってからはその曇りが消えて、嬉しそうにしてるんだ。だから、アルムの不安を取り払ってくれたみたいで、感謝してる」
 葉っぱを持ち上げてるティルと、向かい合ってるアルムの後ろ姿を見つめたまま、ヴァローは言葉を紡いで発した。その目は二人の様子を暖かく見守っており、時折二人のやり取りに笑うことも多かった。
「えっ、そんな事? それなら、お礼を言われる程の事をした訳じゃないから、別にいいわよ。それにしても、アルムの事をすごく心配してるのね」
「まあな。この旅に連れ出したのは俺だし、あいつが何でも抱え込まないようにするのが俺の責任だからな」
 一切の躊躇いも見せずに返したヴァローの方を向いて、シオンは真っ直ぐな――そして、穏やかな眼差しで一瞥した。それに気づいて照れ臭そうに視線を逸らすと、ヴァローはアルム達に追いつくべく駆け出すのであった。







 空気の変化は、先に進むにつれてより一層濃くなっていった。足元もほとんどが白い砂に覆われており、今度は嗅覚を刺激する潮の香りだけでなく、聴覚にも働きかけてくる、心が安らぐような穏やかなリズムの潮騒が遠くから聞こえてきた。
「ねーねー。あれがそうかなー?」
 足を使うことなく悠々と空を飛んでいるため、遠方まで見渡せるティルは、顔だけをアルム達の方に向けながら、嬉しそうに上下に動いてある方向を指差していた。全員が一斉にその先に視線を送ると、階層こそほとんど無さそうではあるものの、横幅に関してはステノポロスの城と肩を並べるくらいに広い砦が目に入った。
「そうね。義賊とは言え、気を引き締めて行きましょ」
「ああ。アルム、覚悟は良いな?」
「う、うんっ」
 シオン、ヴァロー、アルムの順に意気込みと確認の声を上げると、いざ潜入する為に入り口に勇み立った。さっきまで明るく振る舞っていたティルも、三人が集中しているのに気づき、表情は崩さないまでも後ろからレイルと一緒に付いていく事にしていた。
 複数の細い丸太で作られた巻き上げ式の門は開け放されており、難無く中に入る事には成功した。その砦の中の様子はと言うと、小さな集落のように家のような建物が点在しており、そのほとんどがボロボロになってる小屋であった。中には骨組みと布製の屋根を張っただけのものや、単に藁で編んだような敷物を広げてあるだけのものもあり、賊の砦と言う雰囲気がそこかしこに漂っていた。
「おかしいわね。賊という割に、全くポケモンがいないようだけど」
 敵地に堂々と乗り込んだということもあり、一歩ずつ辺りを警戒しながら進んでいくが、シオンの言う通り自分達以外のポケモンの姿が全く見えず、さすがに違和感を抱き始めた。耳をそばだてても、砂を踏み締める足音と、遠くから響いてきているのであろう小さなさざなみしか聞こえなかった。
「みんな、隠れんぼしてるんじゃないのー?」
「まさか。まあ、ティルのはさすがに無いとしても、この大きな建物の中にいるんじゃない?」
「いや、そうだとしても、一人くらいは見張りがいるはずだろ。ここまで無防備だなんて、よっぽどのことだろ」
 一人だけ一切警戒する様子も無く、あちこち自由に飛び回るティル。背後から敵に狙われないかと、頻りに振り返っているアルム。そして、常に視界に入る限りを全体的に見て警戒を怠らないヴァロー。三者三様に辺りを見回すものの、やはりそれらしい影すらも見える事は無く、蛻の殻という表現が適切だった。神経を張り詰めているのにも限界が来たらしく、突き進む内にいつの間にか散策状態となっていた。その途中も生活の痕跡が見られるだけで、気配を感じることも無かった。その内に遂には一番奥にある、砦の中で一番大きなログハウスのような建物の前まで辿り着いた。
「ここが一番怪しいな。よし、中に入るぞ」
 最後に残った場所に潜んでいる可能性は捨てきれず、ここからは再び細心の注意を払い、ヴァローを先頭にして扉を開けて中に入っていった。造りは至ってシンプルで、一本の長い廊下がずっと奥まで続いているようだった。脇にはいくつか小部屋も見られるが、ここにもポケモンの姿は無かった。何が待ち構えているのか不安に思う中で、一番最初に目に飛び込んできたのは、十人程のポケモンが地面に俯せに倒れている光景だった。
「これは、どういう事だ?」
「もしかして、眠ってるのかなー?」
 詳細までは分からないまでも、とりあえず異変を感じた三人は、黙って通り抜けて奥へと歩みを進めた。その一方で、全くこの緊張した空気に気づかないティルは、起こそうと突いたり体を揺らしたりしいたる。しかし、寝ているにしては、全くと言っていい程反応が無かった。例え熟睡しているのだとしても、触れた物を払いのけるくらいの仕草はしても良いはずだが、それはおろか触れた感触すらも無いようだった。
「ねぇ、レイル。レイルなら、このポケモン達がどうなってるか分かるかな?」
 起こそうと躍起になってるティルはそのままにしておき、アルムは一番頼りになると思ったレイルの元に歩み寄った。いつも冷静な判断を下し、知識を持ち合わせているレイルならば、この状況も容易に把握できると踏んだからであった。
「そうですね。少なくとも死んではいないようです」
「えっ」
 レイルの返答にその一言だけ漏らすと、アルムは思わず後退りしてしまった。「死んではいない」という言葉に、久しく感じていなかった冷たさを感じ、背筋が寒くなったからである。
「主、どうしたのですか? 良い知らせなのに、何故一歩下がったのですか?」
「そ、それは」
 「君の事が怖くなった」なんて、到底言えるはずもなかった。そんな事を言ってしまえば、どうなるか分からなかったから。かと言って、このまま黙り込んだとしても、逃げられるはずもない。それを感じた上で頭を巡らすが、良い言い訳が思い浮かばなかった。
「アルム、レイル。奥から話し声が聞こえてきたわ」
 口をぱくぱくさせて挙動不審になり始めた頃、ちょうど良い時機にシオンが二人の間に割って入った。おかげで上手く話は流れ、アルムもほっと胸を撫で下ろして後を付いていく事にした。シオンの耳を頼りにしながら、その声の主にばれないように途中からは忍び足で進んでいき、分かれ道まで行き着いた。足元には大量の木屑が散らばっており、ただでさえ岩がごつごつして歩きにくい足場を余計に悪くしている。
「こっちよ。二つの声が聞こえるわ」
 シオンが指し示した方向は、壁に多くの樽が置かれている右の道だった。先程よりもさらに警戒心を強めながら、またもヴァローを先頭にして歩みを進めていった。同じ岩場でも、アクティウムの洞窟のようなじっとりした嫌な湿気とは違い、ひんやりと涼しい空気が漂っていた。しかし、緊張感はあの時以上であり、決してその心地好さに浸っている暇は無かった。
「ねぇ、やっぱりこの先にいる人達に会ったら、戦いになるのかな?」
 ふと独り言のように静かに零れたのは、邪魔する物があればすぐにでも消えてしまいそうなくぐもり声だった。まるで、空から落ちる途中の不安定な雪の結晶のような声――その発声主は、視線をあちこちに泳がせているアルムであった。その証拠に、時折顔を上げつつ、顔色を窺うようにヴァローとシオンに交互に視線を送っている。
「まぁ、状況によっては、避けられないかもな」
「やっぱり。だったら、僕は行かない方が良いかなぁ?」
 アルムはふと下を向いて足を止めてしまった。いつもはふわふわとしている自慢の毛さえ、アルムの心境を反映しているかのように、元気なく垂れているように見えた。中々顔を上げようとはせず、人形のように動かなくなっていた。
「どうしたの? 一緒に行かない方が良いなんて事は無いわよ?」
「でも、僕は弱いし、戦いになっても役に立てるか分からないよ」
「あなた、もしかして、洞窟の時の事を気にしてるの?」
 徐々に耳が垂れていくアルムの反応から察したシオンは、小さな足で踵を返し、淋しげな顔のまま近づいていった。それはもちろん、アルムの顔だけでなく、声色からも推測した上で心配の色を見せているのである。
「私は別に、アルムに戦って欲しいとか思ってないわよ。無理しなくても良いんだから、ね?」
「ううん、そうじゃないんだ。何か、ね。自分が弱い気がして急に自信が無くなったというか」
 気遣うつもりで言ったシオンだったが、本人の意図とは対照的に、アルムはますます声がか細くなっていってしまった。最初はちゃんと合わせて見据えていたはずの視線も、だんだんとシオンから逸らしていった。
「アルム、お前は本当は――」
「――なーんてね。えへへっ。僕の演技、上手かった?」
 負から正への変わり身は、ほんの一瞬だった。ヴァローが心配そうな表情をして近づいてくるのを途中で遮るように、アルムは軽く舌を出して悪戯っぽく笑みを湛えた。先程までとはまるで別人のようで、あまりの速さに誰も対応できなかった。
「さあ、先に進もっ」
 シオンとヴァローがアルムの豹変ぶりに驚いて固まっているのを尻目に、アルムはいち早く一歩を踏み出した。あの悲しみの余韻など、微塵も残すことなく。不審に思いつつも、残りの全員も後に付き従うように進んでいった。
 そこからしばらくは、またしても無言の状態が続いた。黙々と進む内に脇の樽は増えていき、長い道の出口が見えてきた。開けた部屋の奥には二つの影も見え、近づくにつれて徐々にその正体も明らかになっていった。水色の体毛と菱形の模様が特徴のポケモンと、橙色の体毛と首の黄色い浮袋が特徴のポケモン――クリアとブレットである。
「君たちは確か、あの洞窟にいた」
 ようやく気配で気づいたのか、グレイシアのクリアはアルム達の方に振り向いた。攻撃を仕掛けてくるのかと思い、ヴァローは端から漏れんばかりの炎を口に蓄えるが、クリア達の方は一切その様子を見せなかった。それどころか、ほぼ無表情のままつい最近見知った訪問者を見つめているだけであった。構えを取っておらず、戦う意志の欠片すらも見受けられない。
「そうだ、箱を盗んだお二人さん。あのポケモン達も、お前達がやったのか?」
 まだ警戒しているのか、ヴァローは攻撃を放つ姿勢を維持したままであった。それは同時に、他の皆を守る為にと、一歩前に出て屈み込んでいる姿勢でもあった。
「違うさ。僕達が来た時には、既にこの有様だ。疑うんなら好きにすればいいけどね」
 一方のクリアは、依然として対抗する素振りも見せなかった。嘲笑のようなものさえ浮かべながら、アルム達の事を横目で見ているに過ぎなかった。眼光にも鋭さが感じられない上、洞窟で会ったときのような殺気は放っておらず、それは隣にいるブレットにおいても同様に言える事だった。
「じゃあ、どういう事ですか? もし良ければ、詳しく教えて下さいませんか?」
「ああ、良いだろ。ここで話すのも何だから、ついて来いよ」
 警戒を解いたアルムが怖ず怖ずとヴァローの陰から顔を出すと同時に、地面に座り込んでいたブレットがのろのろと、魂が抜かれたかのように立ち上がった。さすがにここまでの態度を見せられると、ヴァローも威嚇するのを止めて構えを解いた。
「一応誤解の無いように言っとくけど、僕達に戦う気は無いから」
 続いてクリアも立ち上がると、ブレットと一緒にアルム達が通って来た道を進み始めた。まだ事情が分からずに半信半疑ながらも、アルム達もとりあえずその背中を追って来た道を戻ることになった。建物内を通り抜ける冷たく不吉な風は、彼らの知らないところでその濃さを増していくのだった。



コメット ( 2012/09/21(金) 14:43 )