第三十二話 試練の終了と旅立ち〜行方を追う道のり〜
アルム達の抵抗も虚しく、最後の最後で謎の箱を奪われてしまった。一応は目的の“王家の証”を手に入れたので、試練は成功したものの、晴れやかな気持ちとはいかず、三人ともすっかりしょげ返っていた。だからと言って、留まってたところでどうしようも無いため、とぼとぼと洞窟を後にして、ステノポロスの城へと戻っていったのだった。
「ふむ、ちゃんと王家の証は持ち帰ってきたようだな。これで、晴れて合格と言ったところだ。だが、三人して何故そんなに暗いのか、教えてはくれないか?」
大きく煌びやかな玉座に座り込んで、やや高い位置から三人を見下ろしているのは、国王であるエンペルトのセトだった。帰ってくるなり見受けられた三人のあまりの沈み様に、眉間に皺を寄せていた。
直視され続けている事に堪えられなくなった頃に、三人を代表して、シオンが細かく経緯を話し始めた。財物庫に侵入してきたグレイシアとブイゼルの二人組の事、そして、その二人組が財物庫の箱を盗んでいった事を。説明の途中も、正直怒られるのではないかと思い、時折顔色を窺っていた。一方で、聴き入るセトの方はと言うと、聞いている最中も、必死に説明するシオンの顔を真剣な面持ちで見つめていた。
「――という訳なの。お父様、逃がしてしまってごめんなさい」
「謝る必要は無いぞ。そうか、今になってあの箱を持っていったのか。全くタイミングの悪い奴らめ」
頭を下げて説明を終えたシオンの頭を撫でながら、セトは柔和な笑みを浮かべていた。しかし、途中でセトが漏らした一言に、シオンはもちろん、アルムとヴァローも耳を疑わざるを得なかった。三人が一様に驚きの表情を見せて顔を見合わせる中で、シオンがもう一度セトの方に向き直った。
「お父様、何を言ってるの? ステノポロスの財宝が盗まれたのに、『今になって持っていった』って、それはどういう意味?」
「ああ。あれはステノポロスの財宝ではなく、一応“私の”所有物だからだ。それに、その二人なら知ってるというのもあるからな」
『え――はいっ!?』
置いた間隔までもピタリと揃った上で、三人の声は見事にシンクロして玉座の間に響き渡った。特にシオンの声が一番大きく、その大きさに一緒に驚いていたアルムが驚く程だった。返答は聞いたものの、それだけでは状況が全く掴めず、反射的に叫んでしまったのである。叫び声が三重唱のようにしばらく木霊した後で、意地悪っぽくセトが笑って見せた。
「ははっ、悪かったな。まあ、知ってるとは言っても、どこで何をしている連中かって事くらいだし、突然持っていかれたのも事実だけどな」
「ちょ、ちょっと待ってよ! それじゃ、お父様はいつかは持っていかれるって分かってたって事? それ以前に、お父様はどうして彼らと接点があるの? それに、“私の”所有物ってどういう事なの?」
セトの話を聞いてようやく状況を把握出来てきたシオンが、今度は矢継ぎ早に質問をぶつけた。深刻な事件だと思って心配していたのに、セトだけは承知の事のようで、ただの杞憂に終わった事に些か怒っていたようだった。その証拠に、全てを吐き出した後で、大きく頬を膨らませていた。
「まあまあ、そんなに一度にたくさん質問するな。今から説明してやるから。全ての答えになる事一つを言うと、私は昔、海賊をやっていたのだよ」
「へぇー、海賊を――って、待って、お父様。そんな話、一度も聞いた事が無いわよ!」
「まあ、慌てるな。海賊と言っても、善良なポケモン達に対して悪行ばかりを行ってた海賊から物を奪ったり、時には奪われたものを取り返す――義賊みたいな、取り返し屋みたいな事をしてたんだよ」
淡々と語るセトに対して、娘であるシオンは衝撃の事実だったのか、ひたすら瞬きをして話を聞き続けていた。そんなシオンの驚嘆の声も軽く静めるセトは、何故かその反応を楽しんでいるようにも見えた。
「あの財物庫には、豪華な宝箱の他に、ちょっと古びた感じの箱があっただろう? あのほとんどが、盗まれた物を取り返した際にもらった報酬や、仕事の際に拾って引き取り手がいなかった物なんだ。アジトが小さくて置き場所が無いという事で、一部を譲り受けたってのもあるが……。もちろん、盗まれた箱もその一つだ」
財物庫にあった錆びた箱や木製の箱を思い出し、アルムとヴァローも合点が行ったようであった。互いに見交わして頷いた後で、続きを話そうとするセトの方を、多大な関心を持った目で見つめる。
「それでだが、海賊を辞めた後も、海賊の団員とは付き合いを続けてたんだ。そして、たまに様子を見に行った中に、その二人組もいたってだけだな。しかし、さすがにこのタイミングであの箱を持って行かれるとは思わなかったが」
話も一区切り着いてあらかた理解するところまで追いつけたところで、アルムとヴァローには今一度疑問が浮かんだ。互いの考えをひそひそ声で確認し合った上で、アルムが思い切って前に一歩踏み出した。
「あの、セトさん。それじゃ、あのグレイシアとブイゼルも、義賊って事ですよね? でも、それが事実なら、少しおかしいんです。実は、あの二人はリーブフタウンの図鑑の一部を盗んだ犯人なんですけど、これは一体どういう事でしょうか?」
「まさか、そんなはずは。我々の義賊は“トリトン”と言うのだが、その方針は『一般のポケモンからは、物をむやみに盗むべからず』と言ったものなのだよ。今考えても随分と緩い精神だが、それでも団員はきっちりと守っていたはずなのだが」
セトはアルムの質問に対して大きく動揺していた。大きな腕――正確には翼だが――を前で組んで、唸り声を上げて考え始めた。大きな体の移動に、玉座がぎしぎしと小さい悲鳴を上げる。だが、よほど問題が深刻なのか、セトにはそんな事はお構いなしのようだった。
「うーむ、考えられるとすれば、その図鑑が現在の持ち主でない事だが……そもそも一体どういう事か、詳しく説明してくれないかな?」
「はい。実は――」
アルム達はここで、財物庫でのやり取りも含め、自分達の旅の軌跡を語り始めた。極力余分なところは省きつつ、それであって図鑑の事については詳しく。普通なら話しはしないのだが、セトにどこか安心感を抱いていたアルムは、ティルについても交えながら話した。
ところどころ言葉に詰まりながらも喋り続け、全てを言い切った頃には、シオンとセトの親子は複雑そうな面持ちであった。興味を持ったような、はたまた未知の事に恐れを抱いているような感じである。
「なるほど、そんな事情があったとは。つまり、ジラーチの正体を知る為の大事な物を、クリアとブレットが持ち去った、と。そして、それは本人も認めていたのだな?」
「はい、間違いないはずです。パントさんの絵も、これで確証が持てましたし」
話を整理して理解したセトは、返答を聞くなり、今度は吐息を漏らして悩ましげな表情を見せる。威厳もあって堂々としていた頃からは想像もつかない程に、“普通の”動揺した態度である。
「しかし、やはり納得が行かんな。海上で盗みを働く場合は別として、陸で取り返す仕事をする際は、間違いなど起こるはずないのだが。そもそも、図鑑の一ページだけを盗むという依頼自体がおかしい。もしや、トリトンで何か良からぬ事が起きているのかもしれないな」
セトも出来る限り思案してはみるものの、盗みの手掛かりとなる事はそれ以上浮かばなかった。それでも少なくとも、二人組の正体や大方の事情がわかっただけでも収穫がある為、アルムとヴァローはセトに向かって小さく会釈した。
「さて、戴冠の儀式が一通り終わったとは言え、私としてはいつまで居てくれても構わないのだが、君達はそうも行かないだろう?」
「はい。手掛かりに近づけた以上、早く会って真実を確かめたいですから」
一応好意で持ち掛けてはみるが、セトにも既に分かっていた。アルム達はまたすぐに出発する――それはすなわち、別れを意味する――と。だからこそ、セトは敢えてシオンの方を向こうとはせず、それ以上は話そうともしなかった。
「ねぇ、お父様。トリトンのアジトに行けば、詳しい事が分かるわよね。だから、アジトの場所を教えてくれない? 私がアルム達を案内するから」
しばらく黙りこくっていたシオンが突如、意を決したように言葉を発した。思いも寄らぬその内容に、アルムやヴァローだけでなく、セトまでが瞬間的に固まった。何か言葉を発する間もなく、顔も、そして体までも、金縛りに遭ってしまったかのようだった。
「そ、それは駄目だよ。シオンは王女なんだから、この国から出ちゃいけないんだし」
誰よりも声に出して先に反応したのはアルムだった。何かを振り払うように首を横に振るその表情には、嬉しさと悲しさの両方が滲み出ていた。この二つの想いは、さっきのセトとヴァローのやり取りを受けた時に芽生えたもの。特に後者は、今までも体験した別れの時に感じたのとは少し違う、どこか淡い悲しみだった。
「そうだよな。シオンは仮にも、将来この国を背負って立つ王女様なんだもんな」
同意をするヴァローの言葉も、アルムにとっては嬉しくないものであった。それが正しい事であるのは分かっているのに、何故かもやもやした矛盾した思いが渦巻いていく。そのせいか、この少し乾いた空気を吸う度に、空虚感が支配し始めた胸が苦しくなっていた。
「そんな、王女様って理由で突き放さないでよっ! ねぇ、お父様。良いでしょ? 私、アルム達を助けたいの」
そんな中で、当の本人は必死に父親(セト)に訴えかけていた。このまま一緒にいたい。離れたくない――そんな思いの篭った強く真っ直ぐな眼差しに、セトは暫し無表情のまま黙り込む。それを境に誰もが動こうとはせず、一時的に沈黙が空間を包み込んだ。
「二人の言う通り、王女ともあろう者が、勝手に国を出ていく事は許されない。お前も分かっているだろうがな」
暫し経った後で紡ぎ出されたのは、国王らしい、正当な答えだった。誰もそれを否定する事など出来ない。それは国王だからという理由ではなく、純粋に理に適っていたから。
だからこそ、アルムは余計に小さくなっていった。これ以上、空虚感を取り払える言葉が思い浮かばなかったからである。もっと楽しい時間を引き止める為の――シオンと一緒にいる為の確かな理由が。
「それじゃ、やっぱりシオンとはここでお別れだな」
「うん。そう、だね」
知らない内にいつの間にか、心の中が暗い青色に染まっているような気がした。悲しみの青でもあり、しかしシオンの体の色とは違う濃い青に。一緒にいる時間こそ短かったが、アルムにとってはとても長く感じられていたからであった。そんな楽しかった記憶を心の中で振り返りながら、ちゃんと別れの挨拶をしようと顔を上げたちょうどその時、セトが深呼吸のように長い溜め息を吐いた。
「まだ話は終わってないぞ。――シオン、お前はその場にいながら、この国の財物庫から物を盗まれた。それは紛れも無く、お前の責任だ。だから、責任を持って取り返してくるのだ。元取り返し屋として、そして、国王としての命令だ」
至って真面目な――しかし、その奥には優しさを覗かせるような顔つきのまま、シオンの方をじっと見据えた。そのセトの命令を聞いて意味を理解し、喜びの感情を顔いっぱいに滲ませたのは、シオンだけではなかった。
「えっ、それって」
乾いた空気を吸い込んでも、不思議と心に潤いが戻ってきており、息苦しさは少しも感じなかった。ふと気がつけば、強張ってた口元が緩んでいた。自然と口から零れたシャボン玉のような言の葉がふわふわと浮かんで弾けると、アルムの笑顔は一層明るさを増していった。
「後の事は私に任せなさい。お前はまだ若いんだから、もっと外に出て世間を知ると良い。大事な仲間(とも)と一緒に、大事な物を見つけてくるのだ」
「あっ、はいっ!」
最後の父親としての励ましに、シオンは全ての思いを込めた声で返した。その凛とした力強い声は、空気さえも澄み渡らせる程に部屋中に反響していった。
「うむ、良い返事だ。これがトリトンまでの道のりを描いた地図だ。シオン、気をつけて行くのだぞ。必要な時は、いつでも頼ってくれて構わないからな」
一瞬だけ視線を下げて淋しそうにしつつ、セトは一枚の折り畳まれた紙を渡した。シオンはセトと同じ気持ちを示すようにそっと受け取りながら、すぐに表情を戻してアルム達の方に向き直った。
「さて、居場所も分かった事ですし、早速行きましょうか!」
「そうだな。ほら、アルム。いつまでも嬉しそうににやけてないで、早く行くぞ」
それが合図とばかりにセトに背を向けると、シオンとヴァローは堂々とした行進で外へと歩き出す。アルムの方に振り返る二人は、外から差し込む陽光も相まって、どこか眩しく輝いているように見えた。
(あれ、何か――すごく懐かしくて暖かいような……。まるで、リアス姉さんとルーン兄さんがいるみたいだ)
アルムはふと自分の兄と姉の姿をシオンとヴァローに重ねながら、軽くなった心と同じように足を弾ませて二人の背中を追いかけるのであった。先程までいたじめじめした洞窟とは違い、明るく光を照らし続ける太陽の下、涼しく心地好い風が吹く外の世界へと先に行った二人の後を。
そんな明るい日差しの下に出て、今まで気にしないようにしていて、実は心の奥では気づいていた、“もう一つ”の空虚感は満たされていった。それと同時に、一時は曇りかけたアルムの心も、今の空のように雲一つなく、澄み切った明るく鮮やかな青に――晴れやかになるのだった。