エトワール・フィランテ〜星降りの夜の導かれし出逢い〜


















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第五章 水の王国と一人の少女〜変わった出会いと階級の差と〜
第三十話 王位継承の試練〜洞窟に眠る宝(もの)〜
 開け放された四角い窓から、一陣の突風が舞い込んだ。頬を撫でる風には幾分か涼感が内包されており、外に広がる暗澹たる世界のおどろおどろしさを増幅させていた。その闇は今にも窓から侵入してきて、城の明かりさえも飲み込んでしまいそうな程であった。天にうっすらと雲が架かっていた事が大きかった。
「どうしたの? そんな暗い顔をして、突然“お願い”なんて言い出して」
 冷たい空気を破り、アルムは開口一番に疑問の声を上げた。まだ何も聞いてはいないが、シオンを見るその目は、どこか彼女を心配をしているような――優しく、暖かい光を宿していた。
「あのね、明日儀式があるってお父様も言ってたでしょ? あれは、私が王位を継承するのに受ける必要がある試練の事なの」
 表情が少し暗くなっているとは言え、笑顔が消えた訳ではないらしい。アルムが集中して聞いてるのに気づくと、シオンは軽く笑ってみせた。それが無理に作られた物である事は、雰囲気だけでも察する事は可能だった。
「別にそんなに深刻な事じゃないの。その試練って言うのは、この近くにある【アクティウムの洞窟】に行って、王家の証を取ってくるっていうものなの。誰かを同伴させるのも認められている。でもね、その同伴者は、試練を受ける者が信頼出来る相手だけって決められてるの」
 シオンはそこで喋るのを止めると、窓から外の方を見遣った。太陽は徐々にその姿を暗まし始め、その代わりに月が神秘的な光を放ちながら存在感を示していた。つい先程まで見えていた雲もあっという間に姿を消し、無数の星も負けじと自らをアピールする準備をしていた。
「私ね、王家と国民の関係って、この自然と同じだと思うの。王家の者は空からみんなを明るく照らす太陽で、国民はその光の下で育つ生物って具合にね。みんなはこの太陽が良いと言うけど、太陽は空の中ではいつも独りぼっちよね。だから、いつもたくさんの仲間に囲まれてる地上の生き物達や、この空で言うなら月や星がすごく羨ましかったの」
 夜空にぼんやりと光る月に羨望の眼差しを向けると、シオンは一拍を置いて再びアルムの方に向き直った。月光に照らされて影が濃く映るその顔には、嬉しさと戸惑いが混在した複雑な色が窺える。
「話が逸れちゃってごめんね。それでね、私を王女としてではなく、一人の普通のマリルとして接してくれた時も、友達と言ってくれた時も、とても嬉しかった。あなたと一緒にいると、私は自然体でいられるの。だから、何を言いたいかと言うと、その、あなたは私にとって家族以外に信頼出来るポケモンなの。それで――」
「試練を受ける時に、その同伴者になって欲しいって事かな? もしシオンが本当にそう思ってくれてるんなら、僕はもちろん良いよっ」
 ここまで来れば、シオンが最後に言い切るまでも無かった。アルムは優しく笑いかけながら、自分の思いを先に告げた。シオンも喉元まで出かけた言葉を飲み込み、呆気に取られたように固まった。
「まぁ、こんな事を言っておいて、外れてたら恥ずかしいけどね」
「ううん。そう言いたかったの。だから、アルムが受け入れてくれてとても嬉しいし、ほっとしてる。本当にありがとう」
 シオンに明るい笑顔が戻っていき、アルムも心底ほっとしていた。釣られて口角を上げて綻ばせると、シオンはそのアルムの頬に手を添えた。距離が近さに緊張して体が火照っていくのを実感する中で、シオンは温もりが伝わった手を離して静かに背を向けた。
「何か長々と話してごめんね。さあ、夕食の用意が出来ている頃でしょうから、そろそろ行きましょうか」
 その後ろ姿には、先程までうっすらと映っていた暗い影は消え去っていた。光を取り戻したシオンに誘われるがままに、アルムは部屋を後にした。
 微かに光を放ちながら瞬く星空の下、夜独特の静寂が町全体を支配していた。風の子も悪戯を止めたのか、外は無風状態となっており、より一層静けさを引き立てている。しかし、その町を代表する城の中はと言うと、その逆となっていた。城内のポケモン達が慌ただしくあちこちに駆け回っているのである。
「なるほどね、アルム達はそんなところから来たんだ。すごい旅をしてきたのね」
 城のある一室を貸し切って行われているシオンの戴冠式前の宴の席に、アルム達一行も混じっていた。王女の連れて来た来客という事でもてなしを受けつつ、今までに無いくらい楽しい時間を過ごしていた。一段と賑やかな空間の中で、アルム達はこれまでの旅路についてシオンとラグナに聞かせていた。
「そんなにすごいって程でもないけどな。二つの町を巡ってきたに過ぎないんだし」
「でも、滅多に城から出られない私達にとっては、その旅は壮大で羨ましく思えるの。ラグナはそう思わない?」
「はふはふっ。……うん、おねーちゃんの言う通りだと思う」
 低いテーブルの上から立ち上る湯気と香りが鼻腔をくすぐって食欲を掻き立てており、その一つ一つがどれも美味しそうだった。その内の熱い物を頬張りながら、ラグナは姉の羨望の眼差しを理解して頷いた。
「やっぱり国の象徴的な存在であるシオン達は、中々外に出る事は無いんだね。時々息苦しくなったりしないの?」
「おねーちゃんはこの国の大事なお姫様なんだぞー。あなたもおねーちゃんの事を知ったなら、仕方がない事くらい分かって下さい」
 口に含んだ食べ物を飲み込んだかと思えば、ラグナはさりげなくアルムとシオンの間に割って入ってきた。その上でやけに辛辣な態度で接するのであったが、何だかんだでアルムに慣れ始めている節があった。
「うん、分かったよ。ごめんね、気持ちを察せなくて」
「あ、謝らないでっ。別にそういうつもりで言ったんじゃないから……」
 アルムが申し訳なさそうな素振りを見せた事で、遂にはラグナの脆い敬語の仮面は外れ、反省の色を窺わせた。そんな幼い王子を挟むようにして、アルムとシオンは微笑みを浮かべた。そこから間もなく、楽しそうにそれぞれの身内話を語る内に、互いに打ち解けていった。
 他の城のポケモン達もここぞとばかりに盛り上がって場の空気もより華やかなものになり、時が経つのを忘れるくらいに楽しい時間を過ごした。ある者は調子に乗って歌い踊り、ある者はひたすら誰かと話し続け、またある者は黙々と食事に夢中になっていた。気がつけばいつの間にかすっかり夜も更けており、宴の席を終えた後のアルム達は用意してもらった部屋で、シオンと一緒に眠りに就くのであった。







「さて、覚悟は良い?」
 快晴が大地いっぱいに広がる翌朝になり、場所は町から少し離れたところ。全てを飲み込むか、はたまたそこから何か風を吹き出すのか、そんな印象さえ抱かせるような、巨大な怪物の口のように開かれた穴の手前に来ていた。山肌にぽっかりと空いているその穴の手前には、目印とばかりに【アクティウムの洞窟】という看板が立て掛けられている。
 中はまるで夜のように薄暗く、空から降り注ぐ太陽の光では、内部の様子がほとんど確認出来ない程である。まさしく洞窟と言うに相応しく、足元には苔が生えていて湿っぽい空気が漂っている。不気味さで言うなら今まで巡ってきたところでも一番の入り口を目の前にして、まだ入る決心がついていないのか、アルムは入り口の手前で立ち止まっていた。隣にはシオンが寄り添って不安そうに見つめている。
「ねぇ、本当に大丈夫? 怖いなら止めても良いのよ」
「う、うん。平気だよ。ちょっと、暗いのが怖いだけで」
 アルムは必死に笑ってみせるものの、作り笑顔にしかならなかった。ここに来るまでは自信満々でいたものの、自分が負った役割の責任の重大さを感じ、物怖じしてしまったのである。
「やっぱり、彼にも付いてきてもらっておいて良かったわね」
 苦笑いを浮かべながら振り返るシオンの視線の先には、溜め息を吐いているガーディ――ヴァローの姿があった。互いに目を合わせ、そしてアルムの表情に気を配りつつ、揃って気まずそうに目で合図を送る。
「そういう訳だ。アルム、俺も一緒に付いていくからな」
「うん。お願いね、ヴァロー。それと、シオン、ごめん。昨日あれだけ大見得を切っておきながら、ここまで来ても本当に頼りなくて」
「別に良いのよ。私が一緒に来て欲しかったのは、あくまで信頼の置けるポケモンなんだから。アルムが適任だと思った事に変わりはないわ。さあ、それじゃ早速中に入りましょうか!」
 意気揚々と先頭を切るシオンの後に付いていくように、アルムとヴァローも続けてひんやりとした風が流れる洞窟の中に足を踏み入れた。
 ぺたぺたと足音を立てながら、アルム達は岩で出来た洞窟の中をひたすら手探り状態で突き進んでいった。壁にはところどころ間隔を置くようにして松明のような物が掛けられており、ヴァローの炎ワザで明かりを燈して利用していた。このような物がある辺りからも、他者の手で作られた洞窟である事は間違いないようである。
 最初こそ長く続く単調な一本道だったものの、途中からは分かれ道が現れ始めた。分岐点には簡単な暗号文や文献のような物が書かれた看板もあり、シオンが随時読み解きながら、長時間立ち止まる事なく順調に先へと進んでいった。道中では時折シオンが振り返るなり、アルムの表情を確認して微笑みかけるという場面が幾つか見られた。
 そうして行き詰まる事なく四つ目の分かれ道を右に進んだ頃から、道は途中から開けていき、松明によるものではない光が奥から差し込んできた。空気も涼しくて心地好いものになっていき、土砂降りの雨が降り注いでいるような轟音も聞こえてきた。戸惑う事なく真っ直ぐ進んでいって広い場所に出ると、それまでとは景色が全く変わっていた。
 ごつごつとした岩の天井からは、ところどころ陽光が差し込んでおり、空間全体をぼんやりと照らしている。空間の両脇に目を遣ると、その源泉がどうなっているのかは分からないが、轟々と音を立てて流れ落ちる滝が見えた。流れている水は透明度が高く、城で飲んだ物と同じくらい透き通っていた。滝壺に落ちて叩き付けられて弾ける水しぶきも、光に照らされて一粒一粒が美しく、幻想的な物となっている。
 その中央を走る一本道の先は、広い正方形の岩の床となって行き止まりとなっており、中央には下に通じる横幅の広い階段が見えた。その階段を囲むようにして、対角線上には四本の荘厳な柱が立っている。その柱の上部には、それぞれステノポロスを象徴する旗が付いていた。
「ここでこの階が終わりって事は、あの階段の下に王家の証があるのかな?」
「ええ、たぶんね。私も来た事が無いから、全く分からないけど。とにかく、先に進みましょう」
 興味深そうに一通りこの神殿のような間を見渡した後、シオンが再び先頭になり、一行は階段を一歩ずつ降りていった。
 ひたすら続く石の階段も足元はほとんど見えず、再び壁の松明に頼らなければならない程に暗くなっていた。上から流れてくる冷たい風が足元を吹き抜け、気温が徐々に下がっていくのを感じたアルムは、体が小刻みに震え始めた。
「あれ、何か寒くない?」
「そうか? 一応松明も点いてるから、そこまで寒くないはずなんだけどな。とは言っても、俺は炎タイプだから、その辺は分からないけどな」
 一応ヴァローにも声を掛けてみるものの、思った通りの答えは返ってこずに首を傾げた。続いてシオンにも眼差しを向けて同意を求めるが、こちらも分からないとばかりに不思議そうな顔をする。
「まあ、元々洞窟の中だし、下に向かってるからね。それに、さっきの滝が流れてるのも、空気を冷たくしてる原因なのかも。何にせよ、早く取りに行きましょうか」
 あっさりとシオンが結論を出したところで、アルムも一応納得し、寒さを紛らわす為に階段に足を擦るように駆け降りていった。それでも何となく釈然としないのか、訝しげな表情のままであった。







 殊に急いでいた訳ではないものの、アルム達は空気も外よりは薄い位置にいるため、息を切らしていた。ようやく落ち着けたのは、階段を降り始めて十数分後で、ちょうど降り切ったところであった。その降りたすぐ先は、再び狭い道となっており、突き当たりには木製の古びた扉があった。シオンは下げている小さなポーチから一つの鍵を取り出すと、扉に駆け寄っていって鍵穴に差し込んで開錠をした。鍵が開く音がすると同時に扉を開いた奥には、また先程の空間とは違うものとなっていた。
 地面には多数の宝箱が置かれており、いかにも宝物庫という感じである。中身が何かまでは分からないものの、その豪華な装飾の付いている宝箱からも、王家に相応しい宝が入っている事が感じられる。しかし、その内のいくつかは錆びていたりただの木の箱だったりするなど、例外の物もあるようである。そんな中で全てに共通して言えるのは、箱には厳重に鍵が掛けられているという事である。
「へぇー、こんな風になってるなんてね。もっと早くに来てみたかったわ」
 いの一番に感嘆の声を上げたのはシオンだった。物珍しそうに宝箱を頻りに触りながら、あちこち歩き回っている。落ち着きの無い動きからも、この場所を知らなかったのは真実であるようだった。
「ねぇ、シオン。こんな事を言うのも何だけど、僕がついて来る必要はあったのかな?」
 ここまでも不安で一杯だったが、目的地に着いて余計に膨らんでふとアルムが漏らした不安――それは、この場における自分の存在価値であった。ついて来るだけでも十分楽しい気分ではあったのだが、いざ思い返してみると、自分は何も役に立ってなどいない。それがアルムの気持ちを複雑にしていたのである。
「うーん、これと言っては無いかもしれないわね」
 繕う事のない正直なシオンの答えに、その事を心のどこかではわかっていながらも肩をがっくりと落とす。しかし、直後に「でも」とシオンは続ける。
「私一人じゃ、ここまで来れなかったかもしれない。それは決して体力や装備が足りないとか、そういう意味じゃないの。何か、先代の国王達の重圧に押し潰されそうになると言うか……。今まではそれでここまで来れなかったんだけど、今回は違った。一緒にいて欲しい友達がいたから。だから、私がそう思ったからって理由だけじゃ駄目かしら? 絶対に自分を役立たずだなんて思わないでね」
「うんっ、それだけで十分嬉しいよ」
 心底ほっとしたのか、アルムの表情には安堵の色が滲み出ていた。隠そうとしても隠しきれない程に自然と零れ出る笑みを見て、シオンもどこか嬉しそうにする。
「おーい、アルム。何を顔を赤くしてるんだ?」
「べ、別にそういう訳じゃ……。そ、それより、王家の証ってどこにあるの?」
 ヴァローがからかうのにますます困惑しながら、アルムは強引に話を切り換えた。ふっとヴァローが鼻で笑っているのを尻目に、シオンに付いてアルムは先へと進んでいった。
 この空間の突き当たりまで来たところに、高貴な赤い布であしらわれた高い台座があった。その上にはこの宝物庫にある物よりも小さな箱が二つ置かれており、片方は鍵の掛かっていない宝箱らしい。近づいていってそっと箱を開けて中を覗くと、ステノポロスの紋章が刻み込まれている円形に形作られた水晶が入っていた。ネックレスのように首から下げる事が出来るようにもなっている。
「これが王家の証? すごく綺麗だねっ」
「ええ、私もどんな物か知らなかったからびっくりしてるわ。でも、こっちの箱は何かしら?」
 “王家の証”を掲げてまじまじと見つめながら、シオンはふともう一つの箱へと視線を移した。何かを入れる為の物ではなく、透明の箱の中には密着するように複雑に、そして折り重なるようにして複数の金属の棒が繋がっていた。もっと簡潔に言うならば、一種の機械の箱のようにも見える。
「これは何だろう? これも王家の宝なのかな?」
「いえ、まさか。こんなの、文献でも見た事ないわよ」
 アルムもシオンも、この未知の物体にはただ首を傾げるしか無かった。ヴァローも横から中まで覗いてはみるが、結局何なのか分かりはしなかった。
「とにかく、“王家の証”は手に入ったんだし、さっさと城に戻りましょう」
 得体の知れない物には下手に手を触れないでおこうと思い、三人は来た道を戻るべく振り向いたその時だった。一気に空気が冷たくなったかと思えば、三人の僅か数歩先の地面に青白い細い光線が当たり、一瞬にして足元の岩が凍り付いた。その光線が飛んできた方向に恐る恐る目を遣っていくと、そこには水色の体毛を持っており、耳や体の模様には菱形が見られる四足歩行のポケモン――グレイシアの姿があった。冷気が漏れているその口が、ゆっくりと動いた。

「さあ、それを渡してくれないかな――」



コメット ( 2012/09/03(月) 23:15 )