エトワール・フィランテ〜星降りの夜の導かれし出逢い〜 - 第五章 水の王国と一人の少女〜変わった出会いと階級の差と〜
第二十八話 シオンと身分と友達と〜王家だからこそ抱える悩み〜
 シオンの言い放った“王女”という言葉に、アルムは思わず耳を疑った。口が開いたままで表情が凍り付いており、言葉も出ないようである。その様子を受けて、返事を待っているシオンは、さらに距離を縮めて口を開いた。
「それで、どうなの?」
「あ、えっ? シオンって、王女様、なの?」
 驚愕のあまりになかなか声が出ず、アルムはやや遅れて反応する形になった。“もし”という言葉が含まれていた事など、もはや完全に忘れており、視線を泳がせている。
「だから、そうだったらどうするの?」
 仮定と思わせて言った割には、接近してくるシオンの面持ちは固いものであった。少なくとも、冗談を言っているような類の表情で無い事は、アルムにも容易に分かった。ここは一拍置いて、慎重に考えを纏めて想いを伝えようとする。
「そりゃあ、何でこんなところにいるのか。そして、何で僕と一緒にいるのか。この二つを聞いてみたい……かな?」
「そう。じゃあ、それを聞きたいのはどうして?」
「だって、王女様ってすごい人なんでしょ? わざわざそれを隠して、しかも戴冠式をやっている今、ここに僕なんかといるのは変だなって思うから」
 口を動かすにつれ、徐々に表情も解れつつあるアルムに対し、シオンはその正反対となっていた。先まで見られた優しい笑顔はいつの間にか消え失せ、その面影はどこにも感じられない。
「そんな事を聞いて、一体どうしたの?」
 さらには、自分が普段するからこそ分かる、気分が落ち込んだ時の合図――耳や尻尾を下に向けるという行為が、シオンにも見受けられた。そんなシオンの微妙な変化を注視していたアルムは、気まずそうに声を掛けた。
「やっぱりあなたも、私が王女だと知ったら、そうやって遠ざかろうとするのね」
 遂に真実がシオンの口から告げられた。アルムも既に把握してはいたが、改めて正面から突き付けられると、戸惑わずにはいられなかった。
「だ、だって、王女様なら僕が気安く声を掛けて良いのかわからないし……。それより、どうしてここに?」
「戴冠式が嫌になったからよ。もう、王家という身分に縛られるのはうんざりなの。私は……普通の女の子になりたい」
 目に見えて現れていた訳ではないが、声は話が進むにつれてか細くなっており、シオンは閉ざした心の中で泣いているようだった。掛ける言葉も見つからずに暫しの沈黙が流れる中で、二人の間を湿っぽくて生暖かい隙間風が吹き抜けた。ふと空を見上げると、いつの間にか陽光(ひかり)が分厚い雲に遮られていた。
「我が儘だってのは分かってる。何不自由なく暮らせているし、別段生きていくのに困った事などないの。だから、こんな風に逃げているのは、国民達から見れば、何を贅沢言ってるんだって思うかもしれない。でもね、不自由が無い裏にある、その窮屈さが嫌なの」
 塞き止める物が無くなったかのように、シオンは今まで貯め込でいたものを吐き出していった。アルムも聞いてみたい事があったが、ここで話を切るのは野暮だと思い、おとなしく聞き入る事にした。
「王家のしきたりも、この国の歴史も、国を治める事についても、必死に勉強もしてきたから、不安な事がある訳でもないわ。でも、国民の皆に期待されるのが辛いの。私も、普通の女の子みたいに自由に動き回ってみたい。今日みたいに、誰の目も気にする事なく、友達と一緒に遊んでみたいの。私の周りにはいつもお付きのポケモンしかいないから」
 シオンの心の底からの告白は、一旦そこで終わりを告げた。全てを言い切ったその表情は、空に浮かぶ分厚い灰色の雲のように、どんよりと暗いものとなっている。
「あの、王女様? 僕には少しだけ気持ちが分かるけど、でもどうして今のタイミングでなのかは分からないです。どうして?」
 激しい意気消沈ぶりに居ても立ってもいられず、アルムは時機を見計らって慎重に声を掛けた。さすがに相手が王女という事もあってか、言葉遣いも自然と丁寧に変わっていた。しかし、シオンは黙り込んだままで、それに対する答えは一向に返ってこなかった。
「ねぇ、王女様――」
「王女様って呼ばないで!」
 突然発せられた怒号は、狭い空間に反射して響き渡った。一瞬にして湿り気を含んでいた空気が張り詰め、不快感どころか緊張感を漂わせるまでに凍結した。怒鳴られたアルムは、小さく飛び上がって身を竦ませてしまう。
「あ、ご、ごめんなさい……」
 アルムが必死に絞り出した言葉は、謝罪の言葉だった。いきなり怒られた事で頭が真っ白になり、それしか出て来なかったのである。何故こうなったのかは訳が分からなかったが、アルムの中では悠久にも感じられる時が流れるように感じられ、身動きもせずにただ黙ってしまう。
「あっ、ごめんなさい。そういうつもりじゃないの。別にあなたを責めようと思った訳じゃなくて……」
 自分のやった事を振り返って後悔したのか、シオンは慌てて怯えた様子のアルムに歩み寄った。罪悪感に苛まれているアルムは、シオンが近づいてきても、顔を俯けたままで動かなかった。
「お願い、こっちを――私の方を見て」
 最初は怒りの感情の余韻が残って躊躇うものの、さっきとは違う優しい声を耳で感じて安心し、アルムは恐る恐る顔を上げた。足、腹部と徐々に視線を上げていき、顔の部分に来て目が合った瞬間に、不安が表れていた顔が綻んだ。シオンはもう怒っている様子もなく、穏やかな目をしていた。柔和な笑みを浮かべると、その小さな手を伸ばして、アルムの頭を優しく撫でた。
「私ね、こんな身分だから、友達らしい友達がいなかったわ。王女ってだけで一歩退いた場所から接してるみたいで、とても友達なんて関係にはなれなかった。だから、あなたが“友達”って言ってくれた時は、本当に嬉しかったの。……そこで、お願い。アルムだけは王女様って呼ばないで。せっかく友達になれたのに、また身分で壁を作られるのは嫌なの」
 今まで見た中で、シオンは一番寂しそうな顔を見せた。今にも泣き出しそうではありながら、それを必死に堪えているよう。それは、その身分の者にしか分からない辛さを内に秘めているようにも窺えた。
「あの、ごめんね、シオン。でもね、友達じゃなくなるってつもりで言ったんじゃないんだ。だから、その、これからも、友達でいてくれるかな?」
 ぽつりぽつりと、新たに吹き始めた暖かいそよ風に、アルムは自らの言の葉を乗せて飛ばした。恥ずかしさから来る照れ隠しの為か、視線を逸らしながら頻りにリボンを触っている。返答を待ってそわそわして、どうにも落ち着かないようであった。そんなアルムにもう一歩近寄り、シオンはその手でぎゅっと強く抱きしめた。
「ありがとう、アルム。こちらこそ、“友達”としてよろしくね」
 王女という身分に縛られた者としてではなく、純粋に一人のポケモンとして出た本音。それは、アルムの他の誰にも聞こえる事なく、静かに二人だけの空間に溶け込んでいくのであった。







 不気味で薄暗い路地裏を出た二人は、真っ直ぐ城へと向かっていた。シオンも城に戻る覚悟が出来ており、その上でヴァロー達をもう一度捜すという事を二人で決めたからである。四足歩行のアルムには、手を繋ぐなんて芸当は出来なかったが、その代わりに二人はぴったりと寄り添って歩いていた。
「そういえば、アルムの友達って確か、ガーディにポリゴン、そしてジラーチっていう種族の子だったっけ?」
「うん、そうだよ。僕が言うのも何だけど、今考えるとすごいメンバーだよね」
 他愛ない会話の中で、アルムはヴァロー達の事を思い返し、くすりと小さく笑って見せた。しかし、その明るい色はすぐに掻き消え、曇った表情に逆戻りしてしまった。
「やっぱり、寂しい?」
「ううん。シオンがいてくれるから僕は寂しくはないんだけど、ティルが寂しがってないかなぁと思って」
 心配して声を掛けてくれるシオンに、アルムは軽く首を振って返した。実を言うと、本心でもあり、一部は嘘でもあった。ティルが心配なのに変わりは無いが、再会が出来ない事に対する不安が強いのも事実だった。それを悟られたくないアルムは、自然と差し障りの無い事で繕ったのであった。
「アルム、ごまかしたって駄目よ。これでも私、一族の中でも特に耳は良い方で、微妙な感情の変化も読み取れたりするの。さっきよりは落ち着いてはいるけど、一方であなたがまだどこかで不安がってるのも分かるわ。だから、あなたも私に不安とかを打ち明けて欲しいなって思うの」
「あ、えっ?」
 シオンには全て悟られていた事に驚くと同時に、心の底では安心していた。本心を隠す必要が無い、気が置けない友達が出来た――と。アルムの黒い瞳に、再度暖かい輝きが戻った。
「うん、ありがとう。このまま会えなかったらどうしようかなって思ったら、ちょっと怖くなっちゃったんだ」
「大丈夫、絶対に見つかるって! その友達も、城を目指してたんでしょ? だったら、後はあなたがここにいるって事を知らせられればいいだけじゃない?」
「でも、それがそう簡単に――」
 否定しかけたところで、アルムは突然言葉を切って考え始めた。そして、シオンが不思議そうに首を傾げるのをよそに、何かを閃いたように一瞬目を見開くと、首から提げているオカリナをそっと口にくわえた。
「そっか、そのオカリナがあったんだ。最初から気づけば良かったのにね」
 ここまで来ればシオンにも分かったようで、納得したように話し掛けた。アルムはシオンに対する同意と気まずさから苦笑を浮かべると、大きく息を吸い込んでオカリナに空気を送り込んでいく。
 そこから流れるのは、決して目立つような大きいものではなく、静かで優しい音色。その旋律はと言うと、とても軽やかで速く、ブルーメビレッジが奏でていたのと非常に似ていた。耳に残っていたのを直感的に思い出して即興で弾いているのであろう。傍らにいるシオンを含め、道を歩くポケモン達もふと足を止めてその不可思議な様子を見守っている。
「ふぅ、終わり――って、あれ?」
 今まで目を瞑ったままで奏でていたため、アルムは視界が開けると同時に目を見張った。演奏を止めた瞬間に、目の前に複数のポケモンが自分を見つめている事に驚いたからだった。あまりに突然の事で慌ててきょろきょろしていると、そのポケモンだかりの中にガーディ、ジラーチ、ポリゴンという見覚えのある三人の姿が目に入った。
「あーっ。やっぱりアルムだ〜!」
 いち早くアルムの姿を見つけたティルは、素早く飛んできて力強く抱き着いた。その表情には満面の笑顔が湛えられており、いつも以上に力と想いが篭められていた。
「アルムー、会いたかったー!」
「あはは、僕も会いたかったよ」
「これで一件落着だな。ところで、そのリボンはどうしたんだ?」
 ティルに覆いかぶされる形で床に伏しているアルムの耳に次に聞こえてきたのは、ヴァローの声だった。ティル程ではないが、その表情には安堵の色が見られる。
「あっ、これは、その……」
 アルムはリボンを指摘された事で顔を赤らめていき、視線を徐々に逸らしていった。ヴァローに気づかれた事で、改めて自分の今の格好を思い出したからだった。それ以降、アルムは全く声を出さなくなってしまった。
「おい、アルム――」
「――どうやら恥ずかしくて声が出なくなったみたいだから、私が代わりに話すわね。初めまして。私はシオン。あなた達がアルムの友達ね?」
 いつまでも答えが返ってこない事に待ち兼ねていると、シオンがずいと一歩近づいて、ヴァロー達に切り出した。
「ああ、初めまして。俺はヴァロー。こっちのジラーチはティルという名前で――」
「ええ、話は全部アルムから聞いてるわ。さあ、立ち話も何だから、ここを一旦離れましょうか」
「うん。でも、どこに行くの?」
 林檎のように赤かった顔も元に戻り、ようやく立ち直ったアルムに向かってシオンは微笑んで見せた。質問に対して答えは返さずに、アルムを起こして寄り添いながら城に向かって真っ直ぐ、何の迷いも見せる事なく歩いていく。その一歩一歩は弾むような感じで、全てを吹っ切ったように軽快で楽しそうであった。



コメット ( 2012/08/15(水) 18:31 )