エトワール・フィランテ〜星降りの夜の導かれし出逢い〜 - 第五章 水の王国と一人の少女〜変わった出会いと階級の差と〜
第二十七話 祭典中の町巡り〜袖振り合うも多生(たしょう)の縁〜
 空っぽになった心を不安にさえさせるような冷たい隙間風が吹き抜ける、大きな建物と建物の細く暗い通路。気に留めようとしなければ、誰かの存在を確認出来ないような陰湿な場所――そこで突然知らないポケモンに話し掛けられ、アルムは泣くのを止め、呆気に取られていた。迷子になっている自分の助け舟になってくれるのか、はたまた声を掛けてくれただけなのか。一人ぼっちの現状ではまだ手放しでは喜べず、何をしていいのか戸惑ってしまっていた。
「もしかして、迷子になっちゃったの? 君、名前は?」
 すっかりおとなしくなってしまったアルムの様子を見て、マリルは優しく微笑みかけながら歩み寄っていく。怖がらせないようにとの心配りなのか、体に対して足が小さい事も相まって、その一歩一歩は非常にゆっくりである。
「僕の名前は、アルム。別に迷子になった訳じゃないもん……」
 泣いていると気づかれずに強がりたいのか、アルムは急いで前足で潤んでいる目や頬を拭った。その乱暴さたるや、拭うというよりかは、擦ると言った方が正しいくらいだった。
「ふふっ、強がらなくても良いのよ。私はシオンって言うの。もし良かったら、あなたのお友達を捜しながら、この町を案内してあげるわよ」
「えっ、ほ、本当に?」
 近くに頼れる者がいない時に、一筋の希望が差し込んだからか、今までずっと暗かったアルムの表情に、ふっと今まで消失していた明るい色が戻った。そんなアルムの問い掛けに、助け舟として現れたマリル――シオンは、もちろん頷いて受け入れる。
「さあ、早速行きましょうか。こんな暗いところからは早く出て。もっと明るく楽しい顔をして、ね?」
「う、うん」
 いつも一緒にいる友達と付き合うのとは違う感覚をどこかで覚えながら、アルムはシオンに引き連れられるがままに暗い路地裏を出て、明るい通りへと一歩を踏み出していった。







 シオンがアルムを連れていったのは、様々な出店で賑わう商店街だった。花屋や木の実屋と言った店から、趣向の凝らされた工芸品を売っている店、さらには旅路には必要となってくる様々な道具を置いている店もたくさん軒を連ねていた。
 散策をしていく中で、一人でいるのと誰かがいるのとでは全く心持ちが違うのか、アルムには自然と笑顔が戻っていた。その上で見知らぬ土地でもなるべくアルムが楽しめるようにと、シオンは適宜話し掛けたりもしてくれていた。
 二人はいつしか時間が経つのも忘れ、仲良く寄り添いながら駆け回っていた。ほとんどの店を見て回ったところで、シオンはアルムを一軒の道具屋へと誘った。そこは装備品を専門的に売っているらしく、ショーウインドーにはポケモンのマネキンまで立っている程の本格的な店である。そんな都会ならではの店に入り込んで、一体何をしているのかと言えば、スカーフやバンダナなどを次々と試着していた。
「ねぇ、こんなのはどう? 結構可愛いと思わない?」
「うん、シオンにはピッタリだと思うよ」
「そうじゃなくて。あなたにすごく似合ってると思うの」
「――あのさ、シオン。僕は女の子じゃないんだけど……」
 アルムとしては、シオンは買い物に付き合って欲しいのだと思い、試着するのも彼女の方だと予想していた。だが、実際に試着させられていたのは、何故かアルムの方だった。しかも、スカーフよりもリボンの方が圧倒的に確率が高かった。そこで、まさか自分の性別を間違えているのではないかと思い、恥ずかしそうにしながら聞いてみる。
「そんな事、最初から分かってるわよ。だからこそ、こうやって可愛くしようとしてるんじゃない。」
 勘違いしているという予想は大はずれだった上、あまりにもあっさりと返され、アルムはぽかんと立ち尽くすしか無かった。しかし、すぐに正気に戻って今の自分の格好を思い出し、シオンから急いで離れた。
「ちょっ……分かってるなら、なおさら止めてよっ! こんな女の子みたいにリボンを着けて、は、恥ずかしいよ……」
 後退りして距離を取っているアルムの顔は、見る見る内に赤く染まっていった。近くにあった縦長の鏡に映っているリボンを着けた自分の姿を見ると、顔が燃えているのではないかと思う程に熱くなり、すぐに目を背けてしまった。
「ふふっ、そんなに恥ずかしがる事無いのに。アルムが着けても、十分可愛いわよっ」
「もう、からかうのは止してよっ! 絶対にシオンの方が似合うんだから、シオンが着ければ良いじゃないかぁ……」
「えっ、私? 私はいつも着飾るのを手伝ってもらう側だから、たまには誰かをコーディネートしてみたかったのよね。それで、あなたが適任ってわけ」
 戸惑い半分、恥ずかしさ半分でシオンに怒ったように返してみるものの、まるで効果無し。寧ろ火を付けてしまったみたいで、シオンは意地悪そうに笑うと、次から次へとリボンを持ってきては試着させ始めた。
 最初こそ嫌がっていたものの、シオンが楽しそうにしているのを見ていると、アルムも満更でも無くなっていた。シオンの着せ替え人形にされたように振る舞って楽しむ事にする。その様子は、さっき出逢ったばかりとは思えない程に仲が良さそうに見える。
「ね、シオン。僕達って、もう赤の他人じゃないよね。それって、友達――って事で良いのかな?」
「友達、ね。すごく素敵な響き。それも良いわね。……あらっ? そのリボン、今までの中で一番似合うわよ?」
「そう、かな? で、でもさ、やっぱり恥ずかしいよっ」
 ヴァロー達の前で見せるよりも、一段と明るい笑顔を浮かべた。そんなアルムが放った言葉に、照れ笑いを見せるシオンが最終的に選んだのは、淡い橙色に染まったリボンだった。それをアルムの右耳に結び付けると、シオンは嬉しそうに笑って見せる。
(あれ? でも、試着するだけして、この後どうするんだろう?)
 楽しむだけ楽しんだ後で、アルムは改めて疑問を抱いていた。自分では外せない以上、シオンに外してもらうしかないのだが、そのシオンはその素振りは一切見えない。やや心配になり始めた時、それはすぐ解消される事となった。
「それじゃ、このリボンを買いましょうか」
 決断も早々に、アルムを引き連れ、シオンはいそいそと入口近くのカウンターの方へと向かおうとした。そこでは、全身が茶色の毛で覆われている中で、お腹の部分は白い毛でリング状の模様が描かれており、体と同等の大きさの尻尾で直立しているポケモン――オタチの姿があった。どうやら店員らしく、二人が近づいてくるのを笑顔で待っている。
「店員さん、この子に似合ってると思いますか?」
「はい。そちらのイーブイさんにとてもお似合いだと思いますよ。お買い上げになりますか?」
「あっ、シオン、ちょっと待って! 僕、お金持ってないし、そもそもリボンは――」
「いいのいいの。私が代金を払うつもりだったから、アルムは気にしないで」
 予想外の行動に驚愕しながら、アルムはその場に踏み止まってリボンを返そうとした。しかし、シオンは全く気に留める様子もなく、やや引きずる形で強引に連れていく。意地でも抵抗しようとするアルムは、踏ん張ってシオンの手を引き離した。
「だ、駄目だよっ! すごく楽しかったし、気持ちは嬉しいんだけど、買ってもらうのはやっぱりいけないよ……」
「嬉しいって思ってもらえるなら、気持ちだけじゃなくて、これ(リボン)も受け取って。私のちょっとした我が儘に付き合ってもらって、楽しませてもらったお礼だから」
「我が儘なんて事無いよ! 寧ろ、助けてもらったのは僕の方だから、お礼なら僕が言うべきだもん。シオン、ありがとっ」
「いいえ。これで感謝の気持ちはおあいこって事ね。だから、そのね、“友達”として、受け取ってくれない?」
 シオンが俯きがちに頼んでくるため、アルムは頷く事も拒否する事も出来ずに困惑してしまった。無論いらないという訳では無かったのだが、助けてもらった相手に物を貰うというのは、気が引けてしまっていたのである。
 曖昧な態度のアルムを見つめながら出方を伺うシオンだったが、遂には業を煮やしたらしく、一旦アルムのリボンを外した。その行動にアルムがきょとんとしている間に素早く会計を済ませると、リボンを再び耳に着けてくれた。
「本当に、良いの?」
「ええ、もちろんよ。私達が出逢った記念という事で、大事に着けてくれると嬉しいな」
「うんっ、もちろんだよ。大事にするね。シオン、ありがとう!」
 改めて貰える事が分かると、アルムはリボンを前足で確認するように撫でながら、ふっと顔を綻ばせた。そんな純粋な気持ちの表れを端から見ているシオンは、嬉しそうな、でもどこか寂しそうでもある面持ちをほんの一瞬だけ見せると、再びアルムを連れて店の外へと出ていった。

 町の通りは相変わらず混雑してはいるものの、先程までよりは少なくなっていた。そして、来た当初には横目でしか見えなかった、道の脇に並べられている紋章のような刺繍が施された旗。それが城に近づくにつれて増えていくのが分かった。
「そういえば、一体この町はどうなってるの? 広い町って、いつもこんなに賑やかで、通りがポケモンで溢れ返ってるの?」
「うふふっ。さすがにいつもなんて事は無いわよ。今はちょうど戴冠式が行われていて、国全体が活気づいてるの」
「えっと、質問ばっかで悪いんだけど、戴冠式って何?」
 アルムは不思議そうに旗を見遣りつつ、その場に立ち止まった。小さな村の出身であるので知らないのは仕方ないのだが、気まずそうに苦笑を浮かべている。
「戴冠式って、簡単に言うと、今の国の王様が新しい王様に変わる事を国民に知らせる儀式なの。そしてこれは、国全体でそれを祝ってるってわけ」
 導くようにアルムを追い越して先を歩きながら、シオンは振り向き様に答えた。疑問が解決した事で、アルムも速足で歩みを前に進め始めた。
「へー、そうなんだ。僕の故郷は小さな村だから、あんまり大きな国の事とかは良く分からなくて……。でも、新しい王様って、一体どんなポケモン(ひと)なんだろう。やっぱり皆に慕われてるすごい存在なのかな? 一度会ってみたいなぁ」
「さあ、ね。慕われてるかは分からないけど、国民から期待だけはされてるみたい」
 何故か国王の話になると、シオンは些か素っ気ない態度を見せた。何があるのかはさすがに分からないが、部外者が詮索するのはどうかと思い、アルムはそのまま黙って付いていく事にした。
 その後も、城の方に向かいながらヴァロー達を捜し続けるが、やはり見つからないでいた。尤も、シオンと一緒に行動を始めてからは、寄り道をしながら散策をするのが主となっていたのも、捜索が上手く行かない理由にあった。だが、楽しんでいる二人にとっては、どちらも重要となっていたのである。
 移動に時間は掛かったが、粗方町の中を巡ったところで、ようやくシンボルである城が間近に見えてきた。遠くからでは分からなかったが、近くに来ると、その壮大さを一層強く感じた。防衛機能よりも豪華さを重視している為か、城と王宮とが融合しているもののようであった。塔の先端などには青を基調とした装飾も多く見られ、全体的に落ち着いた雰囲気が漂っている。入り口の重厚な扉の前やその周りには、見張りのポケモンの姿も見受けられ、高貴な者の住む場所である事が簡単に見て取れた。
「ねぇ、アルム。たぶんこの辺にはいないだろうから、引き返して捜し直してみない?」
 城の外観に見惚れているアルムの傍らで、城に背を向けた状態でシオンが突如として切り出した。その顔は何か焦っているようにも見え、アルムにも簡単に変化が読み取れた。
「えっ? でも、まだこの辺は捜してないけど……」
「ここに来るまでにいなかったんだから、城の近くには余計にいないはずよ。とにかく、急ぎましょう」
 シオンが頑として理屈の通らない考えをこじつけようとする事に、アルムは一瞬戸惑いを見せた。しかし、直後に強く引っ張られて迷ってるどころでは無くなり、まさしく強引に連れられてその場を離れていった。


 シオンがようやく立ち止まったのは、城から一番近いところにある路地裏だった。最初から最後までほぼ全力疾走だったため、二人ともすっかり息を切らしている。
「はぁ、はぁっ……。シオン、そんなに急いで、どうしたのさっ……」
 しばらく経った後で、アルムはやっと呼吸を整えて喋れるまでになった。そして今度は大きく一回深呼吸をして、訝しげな視線をシオンに向ける。
「いいえ、別に。ちょっと、あの場にはいたくなかっただけ」
 対するシオンはと言うと、何食わぬ顔で隙間の出口に立って、通りの方を頻りに覗いていた。あからさまに怪しい行動は、アルムに植え付けられた猜疑心を成長させていった。
「別にって事は無いでしょ? 何かあったのなら、話して欲しいな」
「あなたには関係ないからいいの。それじゃ、戻りましょうか」
 アルムは心配そうにしているにも係わらず、シオンは一瞬だけ無表情になった。すぐに元の優しい表情に戻りはしたが、アルムはその変化を見逃さなかった。
「もう“友達”なら、関係ないって事は無いでしょ? 悩みがあるんなら、教えてくれない?」
 アルムが向ける、純粋無垢な眼差し。それは、瞳自体も、込められた想いも、濁る事なく澄んでいる。背を向けていたシオンも、さすがに無視する事は出来ずに、溜め息を吐きつつ向き直った。
「そんな……ずるいじゃない。そんな事言われたら、そんな目で見られたら、無視出来ないじゃないの」
 どうやら観念したらしく、シオンは悔しそうに笑っていた。でも、その表情はどこか嬉しそうにも、安心しているようにも見えた。再度覚悟を決めたように口から一息吹き出すと、優しく微笑みながら口を開いた。
「それじゃさ、アルム。もし、私が王女だったらどうする――?」




コメット ( 2012/08/10(金) 00:05 )