第二十六話 初めて訪れる大都市〜広くて盛大なステノポロス〜
スパーダに“テレポート”で次の町に移動するのを手伝ってもらい、アルム達一行はラデューシティからは既に遠ざかって歩いていた。その途中、大きな綿雲が多数浮かぶ青空の下で、暖かい風が足元を撫でるのを心地好く感じながら一休みしていた。その目前には、ラデューシティよりもさらに広い都市と、それを囲む城壁、そして、その中央には壮麗な城郭が構えているのが見える。
「わ〜! アルム、あの雲美味しそうだね! ね?」
「えっ? うん、まあ、そうだね」
休憩している間も、ティルはひたすら飛び上がっては手を伸ばし、雲を掴もうと躍起になっていた。その傍らにいるアルムは、無邪気なティルの問い掛けにも、何故か上の空といった感じであった。ガーディとポリゴンは、そんな二人の様子を、少し離れた位置で観察していた。
「あの、ヴァロー殿?」
「殿なんて堅苦しいもの付けなくても、ただのヴァローでいい。それで、お前の方から話し掛けてくるなんて珍しいが、どうかしたのか?」
ややぎこちないレイルの会話の始まりに、いつもとは違う印象を受け、ヴァローは一瞬だが戸惑った。もちろんそれで話を遮るつもりはなく、そのまま続けさせる事にした。
「はい。先程から主を見ている限り、溜め息ばかり吐いたり、暗い表情ばかり浮かべています。何処か体調でも悪いのでしょうか?」
「そうか、レイルも気づいていたのか。あいつ、気丈に振る舞ってはいるが、たぶん一人で悩んでいて、心の中は不安で一杯なんだろうな。ティルについてあんな事を聞いた後じゃ、仕方ないけどな」
ティルに話し掛けられる度に明るく笑って見せるが、そう振る舞うべき対象の視線から外れると、アルムはすぐに複雑そうな表情になった。その様子をヴァローは心配そうに見つめながら、レイルと一緒に近づいていく。
「では、その不安の種を解消すれば良いだけの話ではありませんか? 別に、一緒にいなければならない義理はありませんし、放っておけば勝手に自分の住み処に帰るでしょう」
「お前らしい合理的な考えだな。でも、アルムにはそう簡単には行かないんだ。もう少し、様子を見てやろう。俺も不安な訳じゃないが、簡単に割り切るのも何だから、な。……そういえばお前、アルムの事を心配してるのか?」
「いいえ。ただ、何か問題があってはいけないと思っただけです」
「そっか。それを心配してるって言うんだけどな。まあ、俺としては危害さえ加えないのなら、別にどっちでも良いけど――」
互いの考えを疎通させたのを境に、会話はぱったりと途絶えた。二人が近づいてくるのに気づいたアルムが、ティルと一緒に笑顔を見せながら駆け寄ってきたからである。そこでちょうど休憩も終え、堀が穿(うが)たれて設けられた跳ね橋を通り、城郭都市の中に入っていくのであった。
◇
溢れんばかりの好奇心を胸に、橋を越えて広大な土地に踏み入れた四人を待ち受けていたのは、大勢のポケモンの姿だった。目の前に広がるのがたった一本の通りとは言え、広さが広さだけに、ブルーメビレッジとは比較にならない程の数であった。
入り口にあった看板には“ステノポロス”と書かれており、それがこの都市の名前らしい。都市と言う事もあってか、建設物にも細部まで趣向が凝らされているところが多かった。窓枠には蔦状の金具が付属していたり、街灯の一部がステンドグラスになっていたりと、一目見ただけでも優雅さが感じられた。遠目に見える城は、尖塔が立ち並んで古代的で厳かな雰囲気を残しながらも、窓が多く豪華絢爛な様子が見られる。
一方で、通りの脇には木々もたくさん生えており、ところどころに草原や花畑もある所から、この都市は自然の物と手を加えられた物が上手く共存しているようである。
「すごく賑やかで楽しそうだねっ! ボク、こういうところ大好きっ!」
雑踏で埋め尽くされた通りを何とか移動しながら、アルム達は一直線に城へと向かおうとしていた。そんな中で一人、ティルはご自慢の羽衣を用いてのんびりと飛び回っている。笑顔は絶やしておらず、よっぽどこの盛り上がり様を楽しんでいるように見える。
「それにしても、この尋常じゃないポケモンの多さは一体何だろうね」
「さあ。俺達が今まで巡ってきた場所とは規模が違うからな。これが普通なのかもしれないぞ?」
周りから聞こえるたくさんの声に掻き消されないように、二人は必死に声を上げながら先を進んでいく。ティルを見失わないように、そして、全員が逸(はぐ)れないようにしながら順調に前へ前へと歩いていくが、一向にポケモンの数は減らない。それどころか、その数は城に近づくにつれて増えているようである。
「よし、一旦こっちに入るぞ!」
あまりに先が見えないため、アルム達はヴァローの掛け声で、避難するように路地裏に飛び込んだ。普段ならば狭くて暗く、不快感しか覚えないような空間も、この状況下にあっては腰を落ち着ける最適の場所だった。
「はぁ、いくら何でもポケモンの数が多過ぎだよ。息苦しくなりそう」
「そう? ボクはこんな風に皆が楽しそうでわいわいしてるの、良いと思うけどな〜。アルムはそう思わないの?」
すっかり疲れきった様子のアルムに対し、ティルは至って元気そのものであった。アルムにはそれが羨ましくさえ思いつつ、呆れたように首を横に振った。
「さて、こっからどうする? せっかくここまで来た以上は、城まで行って見てみるか?」
「うん、せっかくだからね。城は見た事も入った事も無いから、すごく気になるし。もちろんティルも行きたいでしょ?」
「行きたい! 早くお城に行きたいっ!」
アルムもティルも、未知の“城”というものに憧れており、二つ返事で向かう事に賛成した。ヴァローも異論は無いようで、早速四人はポケモンでごった返している大通りへと戻っていった。今度はティルも高く飛ぶのを止めて低い位置に留まり、アルムとヴァローの体を軽く掴んで逸れないようにした。レイルはレイルでしっかりと後ろからピッタリとくっついていた。しかし、激しく揉みくちゃにされていく中で纏まって動けるはずもなく、おまけに先にもなかなか進めずじまいだった。そうして人混みならぬポケモン混みにうんざりし始めた頃、一つの問題が起きた。
「あ、あれっ……みんな、どこに行ったの――」
――雑踏の波に流されるがままに歩みを進めさせられ、気がつけばアルムは独りぼっちになっていたのである。ティルが迷子にならないように気をつけないと――そう思っていたのだが、まさか自分がそうなるとは思っていたらしく、表情には焦りの色が窺える。
「えっと、ティルー! ヴァロー! レイルー!」
とりあえず皆の名前を呼んでみるものの、か細い声はざわめきによって完全に掻き消されてしまい、一切遠くまで届かないようである。
耳で駄目なら目を使って探せば――そう考えて辺りをひたすら見渡すが、見知らぬポケモンの姿しか見えなかった。これだけいればヴァロー達と同じ種族のポケモンも居そうだが、それすらも見つからなかった時点で、半ば諦めかけていた。それでも、今度はやり方を変えて捜し続けるのであった。
◇
アルムがヴァロー達から離れてしまったのに気づいたのとほぼ同時に、ヴァロー達もアルムがいなくなったのに気づいて捜し始めていた。
「アルムー! どこにいるのーっ!」
ティルは自らの羽衣を活かし、空から大声で叫んで捜していた。なるべく高いところまで飛んで、目でも捜しながら声を上げるが、あまりにもポケモンの数が多くて効果が無いようであった。一方で、地上ではヴァローとレイルが見逃す事がないように気を張って雑踏を掻き分けて捜していたが、こちらもさっぱり成果は上がらなかった。
「ティル、どうする? 一応城に行く事は決めてあったし、アルムも城に向かうはずだ。だから、あいつの事を信じて、先に行って待っていないか?」
闇雲に捜したところで、皆目見つかる見込みは無いとヴァローは判断していた。幸いにも行き先を決めておいた事もあり、とりあえず一番可能性のある方法を取るように提案するが、ティルは全力で首を左右に振っていた。
「嫌だよ! ボクは、アルムと一緒にお城に行きたいっ! アルムがいないと、寂しいもん。アルムが一緒じゃなきゃ、嫌だもんっ……」
ティルはすっかり悄気返ってしまい、ゆっくりと地上に降下してきた。その小さな瞳を潤ませ、寂しそうな表情を見せている。いつもの、そして先程までの元気な様子は、既にそこには無かった。
「でもな、城に行った方が確実に会えるんだぞ?」
「ダメっ! みんなで一緒に行くんだもん!」
説得に負けじと、ティルは声を張り上げて、駄々を捏(こ)ねるように主張した。我が儘に見えるかもしれないが、少なくともティルはティルなりに考えを持っていた。新しい町に来たら、全てをみんなで一緒に回ろう――と。泣き顔から意思の強さがひしひしと伝わってきて、ヴァローも遂には観念したようだった。
「はぁ、分かった。とりあえず、捜せるだけ捜そう」
「ほんとに? それじゃ、頑張ってもっと捜そう〜!」
根負けしたヴァローは、溜め息混じりに決断した。それを聞いたティルは、一気にやる気が戻ったのか、再び高くまで飛び上がって捜索を開始した。
◇
「ここでも、無いのかなぁ……」
アルムは宛ても無くうろうろと歩き回って、ヴァロー達を捜し続けていた。いつもその気分を表している耳が、元気なく垂れ下がっていた。
なるべく広範囲を捜せるように、路地裏を通り抜けては別の区画(ブロック)へと移動を繰り返してはいたが、やはりそれらしき影すらも見当たらなかった。
「こ、このまま見つからなかったら、どうしよう……」
とぼとぼと歩くその後ろ姿には、全く覇気が感じられない。視線もあちこちに忙しなく動かし、明らかに挙動不審になっていた。通りから聞こえてくる他のポケモン達の賑やかな声も耳に入らず、どんどん表情が暗くなっていく。
「ううっ。迷子は、一人は嫌だよぉ……。みんな、どこに行ったの?」
アルムはなけなしの希望と勇気と共に、再び路地裏に入った。暗くて狭い道を歩いているせいか、不安で押し潰されそうになり、いつもティルの前で見せる態度とはまるで変わってしまう。ティルの前ではお兄ちゃんぶって気丈な仮面を被っていられるものの、今はそうもいかなかった。我慢していた体の方にも、少しずつ変化が現れ始めた。目に溜まっていくもののせいで、視界もぼんやりと揺らぎ始め、顔も徐々に下に向いていく。
「こんな大きなところで一人ぼっち……。置き去りにされたんじゃないよね……?」
独り言を呟く声も次第に小さくなり、前へと進め続けていた足もふと止まってしまった。もちろんこの呟きも、本心から思った事ではない。しかし、小さな心のほんの片隅ではそうかもしれないと疑い出したのである。
外から見ただけでも広大なこのステノポロス。その中で一人逸れてしまった事で、ヴァロー達の輪からだけでなく、周りからも疎外されたような錯覚に陥っているのも原因であった。
「お願い……一人ぼっちは嫌だっ。迷子なんて……」
たかが迷子ではあるが、一人でいるのが苦手なアルムにとって、感じている寂しさは相当に強いものであった。ティルがここにいなくても、迷子くらいで泣くもんか――改めて強く決心をして、口の端を噛み締めて気持ちを紛らわそうとするが、正の効果は全く現れなかった。
どこを見渡しても、知らない物・ポケモンばかり。自分だけが見知らぬ世界に放り込まれた感覚に苛まれ、どんどん孤独感が増していく。いつも明るいティルも、頼りになるヴァローも、自分を慕ってくれるレイルも、今は側にはいない。この都市の中にいるのは分かっているものの、それだけではアルムの寂しさを軽減させてはくれなかった。
「ぐすっ……みんな、置いてかないでよっ……」
遂には、一粒、また一粒と、円らな瞳から小さな雫が零れていく。いつも誰かに囲まれていて、故郷でも一人になった事の無いアルムは、この孤独に耐えられなくなっていた。完全に視線は真下へと向いてしまい、頬を伝わって落ちる涙によって地面が濡らされていく。そうして、自分では悲しみの感情をコントロール出来なくなり始めた時だった。
「あら? そこのイーブイくん、どうかしたの?」
久しく聞かなかったような気がする、
他人の声。アルムには特別暖かくて優しいそれは、突如として耳に入ってきた。それが聞こえてきた後ろに振り返ると、そこにいた声の主は、丸い耳と尻尾を持ち、全体的に青い体色をしたマリルという種族であった。