エトワール・フィランテ〜星降りの夜の導かれし出逢い〜


















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第四章 芸術の都市と夫婦の悩み〜神秘的な力と不器用な愛と〜
第二十四話 パントの描く未来の正体〜近づくものと、遠ざかるものと〜
 しばらく互いの手を堅く握りながら涙を流し続け、強い想いを再確認すると同時に、長らく放置して枯れてしまっていた二人の心に、徐々に暖かい潤いが戻っていった。終了を告げると言わんばかりに優しい笑みを零すと、両手を離してそれぞれ椅子に座り込んだ。
「そういえば、あやつらにもお礼を言わなくては。こうして自分が失いかけていた事に気づけたのも、あやつらのお陰でもあるのだ。それに、用事があってここに来たようだからな」
「そうですね。準備をしたら、あの坊や達のところに行きましょう」
 端から見れば、アルム達の訪問は、些細な事に過ぎなかったかもしれない。だが、二人にとっては、それが偶然とは言え、関係の修復のきっかけをもたらしたのだと考えていた。休むのも早々に椅子から立ち上がると、二人は扉に向かって歩いてくる。流石に覗き見していた事がばれてはまずいと思ったアルム達は、息を殺しながら忍び足で部屋へと戻っていった。
 しかし、気づかれずに慌てて戻ったまでは良かったのだが、その後一向に二人は現れなかった。今さら取り越し苦労とわかっても遅く、無駄に待ちぼうけを喰らう羽目になった。
「パントさん達、来ないな……」
「うん。まあ、とりあえず仲直り出来たみたいだから、僕としては安心だけどね」
 ヴァローが大きく欠伸をする前を通りながら、アルムは先程の二人の仲睦まじい様子を思い出して微笑んだ。純粋に縒(よ)りが戻ったのが嬉しく、まるで自分の家族内の出来事のような気がしていたのであった。
「主、一つ伺いたい事があるのですが、よろしいでしょうか?」
 今までひたすら観察をしていて黙っていたレイルが、突如アルムの行く先に現れ、真っ直ぐに視線を合わせてきた。久しぶりに声を聞いて驚きつつも、アルムは首を傾げて声を掛ける。
「うん、いいよ。それで、何?」
「はい。私は旅に同行させて頂く中で、涙は“悲しい”という感情の時に流す物だと学びました。そして、“楽しい”、“嬉しい”という感情も学びました。だからこそ分からないのです。何故あのお二方は“嬉しい”はずなのに、涙を流していたのかが……」
 それはまさしく、感情というものを学び、覚え始めたレイルならではの質問だった。無機質な声のはずなのに、どこかそうは感じさせないような抑揚が表れていた。そんなほんの僅かな機微を感じつつ、アルムは年相応の明るい笑顔を見せた。
「それはね、嬉し泣きとか、嬉し涙って言うものなんだよ。みんなが泣くのは、悲しいからだけじゃないんだ」
 その答えが分かっているアルムは、まるでティルに説明する時のように、丁寧に分かりやすく話してみた。一丁前に語ってはみるが、やはり照れ臭いようで、言葉を切ると同時にはにかんでいた。すると、レイルは理解した証として小さく頷くと、用が済んだと判断してアルムから離れていこうとする。
「あ、あのさっ、レイル」
 その後ろ姿を見た瞬間に、アルムはやや遠慮がちにレイルを呼び止めた。そのアルムの表情は、嬉しさと不安が入り混じったような、明暗のはっきりしない複雑な色である。
「はい、何でしょうか?」
「君の感情について、前から不思議に思ってたんだ。それで今の反応を見たら、何か分かったような気がして、もしかしたら君は本当は――なんていろいろ考えたけど……。ううん、ごめん、やっぱり何でもないや」
 一連の会話の中で気づいた事を聞こうとするアルムだったが、躊躇いを見せて止める事にした。言いかけはしたが、それが今の関係を崩すのではないかと危惧し、全てを口に出す程の勇気が無かったのである。そんなアルムの気掛かりなど露知らず、別段気にする様子も無いレイルは、再び背を向けて離れていくのだった。
「前にも言ったかもしれないけど、今はまだ知るべき時じゃないって事じゃないのか? 時が来たら、レイルの方から真実を語ってくれるかもしれないしな」
「うん、そうだと良いんだけどね。僕の単なる想像なのかもしれないし、本当のところは全然分からないし、ね」
 アルムの言葉を濁すような話し方にヴァローは引っ掛かるが、当の本人はそっぽを向いたっきりぼんやりと考え事を始めてしまった。結局はその後味の悪い締め方が尾を引き、特に声が飛び交う事は無くなってしまった。

 やり取りから十分も経たない内に、パントとペインがキャンバスや絵の具などの絵画セットを抱えて部屋に入って来た。二人の登場で微妙な雰囲気を払拭してくれた皮切りに、アルムは虚ろな表情を消して歩み寄っていく。
「えっと、パントさん? 一体ここで何をするのですか? もしかして誰かの絵を描くんですか?」
「当たらずとも遠からずだ。お前達は探し物があって来たのであろう? だから、今からその作業をするんだ。お礼と言っては何だがな……」
 まだ涙の跡がうっすら残っているパントの顔やその言葉に、もうぎすぎすした感じは無かった。まだ完全に心を開いた訳では無いが、それでも優しい雰囲気を纏っているように見えて安心したアルムは、二人に向けて明るい表情に見せる。
「それで、探して欲しい物は何だ?」
「はい、それが、リーブフタウンにある図鑑の一ページなんですが……分かりますか?」
 ここまで来ておいて何だが、アルムには一抹の不安があった。それは、全くと言っていい程に手がかりの無い物を探せるのかという事だった。唯一ある品を除いては。
「大丈夫だ。何かその図鑑に関係ある物は持ってないか?」
「あっ、そういえば!」
 パントの言葉を聞いて、アルムは何かを思い出したようにリュックの中をごそごそと探し始める。必死に掻き分けていって徐に取り出したのは、一枚の緑色の栞だった。
 重くて運べないという理由で、図鑑を持ち出す事も出来なかったが、その代わりとして、クインがあの図鑑専用の栞を渡してくれていたのである。そもそも探し物を見つけてくれるドーブル――パントの事を口走ったのがクインであり、こうなる事が最初からある程度分かっていたのであろう。
「うむ、十分だ。それでは行くぞ、ペイン」
「はい。分かってます」
 パントは受け取った栞を右手に持つと、今度は左手でペインの右手を握った。互いに見つめ合って一度頷くと、それが合図とばかりにペインは目をそっと閉じる。
 全員が固唾を呑んでじっと見つめる中、変化は突如として訪れた。ペインの周りに小さな光の粒が複数出現し、円を描くようにぐるぐると回り始めた。その光の粒は同時にパントの方にも現れ、同じように円を描いて体の周りを回る。やがて二つの“光の円”はゆっくりと浮上していき、二人の頭上でぴたりと静止した。それらは一呼吸置いたところで横方向に動き出して交差し、それぞれ別の宿主の体を囲むように降下していき、胴の位置に来たところでそれぞれの体に溶け込んでいった。
「あなた、終わりましたよ」
「ああ。次はわしの番だな……」
 ふっとペインの手を離すと、パントはその手で筆を握って目を閉じた。数秒の間を置いて開いた時には、その瞳には青白い光が宿っていた。見た目こそ怪しいものの、本人にはちゃんと意識があるようで、些か険しい顔つきですらすらとキャンバスに向かって筆を走らせ始めた。
「ペインさん。これは一体どうなってるんですか?」
「順を追って説明しますね。まずは物を探す――この要素を満たす為に、私が“スキルスワップ”を使って、別のポケモンから“ものひろい”の特性を一旦借り受けるんです。そして、その能力をまた同じ技であの人に移す訳です。もちろん、その特性をお借りしている方にはお礼をさせて頂いてますけどね。ここまで分かりますか?」
 二人の間を移動した先の光の円を思い出して、全員が相槌を打つように何度も頷いた。理解出来た事を確認すると、ペインはさらに続ける。
「しかし、それだけでは、あくまで物を拾う事が出来るだけです。そこで、今度は“みらいよち”を使いながら絵を描く事で、これから先の探し物の行方を追え、かつ誰にでも分かる絵として現せるのです。“スケッチ”を使える私達ならではの事なんです」
「なるほど、すごいですっ。でも、それじゃ探し物と関係ある物が必要な理由は?」
「それはですね、あの人の“みらいよち”が、痕跡を辿って物を探すのに長けている――と言うか、特化してるからなんです。それもこれも、とある巫女さんのお力のおかげなんですけどね」
 アルムの質問にもちゃんと答えながら、ペインは丁寧に出来る限りの説明をしてくれた。ところどころ不明瞭なところはあるものの、ある程度は理解出来たのか、一様に感嘆の声を上げた。しかし、アルムだけは納得行かない様子で訝しげな表情を浮かべる。
「あのっ、今言った巫女って言うのは――」
「よしっ、絵が完成したぞ」
 幾度としてアルムの言葉を遮るのは、相変わらずパントだった。質問したい事があったが、一番の目的である絵が完成したという事で、とりあえず喉まで出かけたものを押し殺してパントの方に視線を向ける。
 並べて置かれている二枚のキャンバス。一枚には、高貴な雰囲気が漂う深紅の布が敷かれた台座の上に一つの小さな箱が乗っており、その陰に水色のポケモンの影が潜んでいるという絵が描いてある。そしてもう一枚の方には、一面真っ黒に塗られた背景の中心にある青色と緑色で構成されている球体に、稲妻状の大きな(ひび)が一筋入っているという絵が描かれている。
「まずはこっちの台座の絵だな。こんな事は初めてだが、どうやら誰かが干渉して、わしが絵を描こうとするのを妨害をしてるとしか思えないのだ。本来なら、その持ち主と探し物が正確に描けるはずなのだがな。そんな芸当が出来るのは、相当な力を持つ奴に限られてくるはずだ」
 実際に“スケッチ”を行ったパントによれば、不可視で強力な何かに妨げられたと言う。描き始めた時のしかめっ面もそのせいらしく、パントには幾分か疲労の色が窺えた。あまりにも理解し難い上に不意を突かれ、アルム達も呆然としてしまう。
「だが、妨害を受けたからと言って、全く関係無い物を描いてしまった訳ではなく、寧ろ普通の“みらいよち”になったのだ。恐らくお前達が訪れるこの次の町で、ここに描かれている水色のポケモンに出逢うだろう。そして、このポケモンが鍵を握っているのは間違いない」
 複雑な面持ちで腕組みをしながら、パントは自らが描いた絵に再度目を通した。その話に、ティルを除いた一同は、顔を強張らせながら聴き入っていた。

「それでもう一つ。こっちはおまけに描いたのだが、予期せずこっちの方が重要になってしまったみたいだ。まず結論から言わせてもらうなら――今後、そのジラーチと係わり合うのは危険だ。生半可な気持ちで関わるのは、お前達にとって命取りになるぞ」
 いきなりの深刻な展開に、今度は全員が驚きの表情を見せた。その衝撃は、いつも冷静なガートまでにも及んでいた。同時に、先程まで暖かく居心地の良かったその場の空気が一気に凍りついた。
「ど、どういう事ですか? そんな、ティルに何かあるとは思えません! だって、こんなに明るくて無邪気なティルといると危険なんて……!」
 真っ先に反論を言ったのは、中でも一番動揺しているアルムだった。言葉の羅列としては理由が上手く説明出来ないものとなっていたが、少なくとも言いたい事は声の震えと面持ちからひしひしと伝わってきた。
「まあ、落ち着きなさい。これはあくまで、未だ来ない――未来なのだ。そして、これが本当にそのティルとやらに関係しているのかも定かではない。しかし、お前達の事を考えながら描いていたら、自然とこのような物が出来上がった。これだけは事実だから、可能性として受け止めておいてくれ」
「……はい、分かりました」
 不安で胸が一杯になるものの、確実ではないという事を知り、アルムはほっと胸を撫で下ろす。それは他の皆も同じらしく、背後からはいくつかの安堵の溜め息が聞こえてきた。
「さて、これからどうしますか?」
 緊張の糸が解けたところで、ふとペインが別の話題を持ち掛けてきた。いつまで居てくれても構わないとパントとペインは優しく言ってくれたが、この町での目的は果たしたので、早く次の目的を果たす為に旅立つと告げて、帰りの支度を始める事にした。
「皆さんがいなくなると、何だか寂しくなりますね。外まで見送りは出来ませんが、どうぞ気をつけて。またいつでも寄っていって下さいな」
「はい。ペインさん、いろいろとありがとうございました」
 元より荷物もそんなに多いものではないため、素早く支度を済ませた後で、アルム達は家の玄関にて見送りを受けていた。改めて家の外観を眺めると、最初に来た時とは全く違う建物にさえ見えた。それは、訪れた時に抱いていた緊張と不安がパントとペインの優しい人柄で中和され、暖かい色に変わっていたからである。
「町を出るには、最初に入って来たところに戻っていくと良い。ここからだったら、西に向かったスパーダというエルレイドのところが一番近いだろう。では、道中は気をつけてな」
「はい。パントさんも、お世話になりました。お二人とも、お元気で!」
「バイバ〜イ。またね〜!」
 ついさっき突き付けられた事実に関する余韻は残さなかった。別れ際は心配させないように済ませようと、アルム達なりの配慮をした。それぞれが胸中にある明澄ならざる思いを一時的に引っ込め、感謝の思いで空気を明朗に彩って、パントとペインの家を後にするのだった。









 パント達と別れてからしばらく西に歩いたところに、見覚えのある小屋が建っていた。近づいていくにつれ、徐々にその中にいるエルレイド――スパーダの姿も、遠目にもはっきりと確認出来るようになってきた。
「なぁ、お前ら……」
 今の今まで、特に誰かに話し掛ける事もなく、ずっと黙りこくって後を付いて来ていただけのガートが、不意に口を開いた。全員の視線がガート一斉に注がれる。
「俺達はここで別れる」
『えっ、どういう事です(でし)!?』
 即座に驚いて反応して叫んだのは、アルムとシャトンだった。シャトンが驚くという事は、もちろんシャトンには相談せずに、ガートが独断で決めたという事になる。
「でも、お兄ちゃん。私、もっとアルム達と一緒に旅がしたいでしっ」
「お前もさっきの話は聞いただろう。こいつらといると身に危険が及ぶかもしれないんだ」
「そ、それでも付いていきたいでし!」
「兄として、同伴者として言わせてもらう。駄目だ。ブルーメビレッジに帰るぞ」
 いつもの愛らしい笑顔は消え、シャトンは必死になってガートに反対しようと試みていた。しかし、再三の抵抗も虚しく、頑なに連れて帰ろうとするガートに遂には押し負けてしまい、渋々頷いて受け入れる事にする。
 その様子をずっと側で見ていたアルムも、同じように反論したいのは山々だった。シャトンはせっかく出来た友達であり、まだ楽しい旅を続けたいという思いもあった。だが、ガートの言い分も尤もである事も重々分かっていたため、敢えて口出ししない事にしていた。恐らくルーンがこの場にいたら、自分にも同じ事を言うのではないかとも考えていた。
 そして、決して旅をするのが嫌になった訳ではないのも、そして何より、シャトンを心配するガートの気持ちも、ちゃんと受け止めていた。

「――っ! 誰だ!」
 そうして再び重苦しい空気になった中で、突然反射的にヴァローが上空に怒号を飛ばした。そのまま威嚇行動を取って、ある一点を睨みつける。
「ヴァロー、急にどうしたの?」
「……いや、俺の勘違いだったみたいだ。誰かに監視されてるような気がしたんだ。しかも、何だか殺気のようなものまで感じて……」
「気のせいじゃない? とにかく、早くスパーダさんのところに行こう!」
 アルムは何とか気を取り直し、明るく振る舞おうとしていた。ヴァローの感じた視線を信じない訳では無かったが、一度見上げてみてもそれらしき姿は見つからず、今は前に進む事を考えていたのである。一方のヴァローも、背筋に残った寒気と不審な感じは否めなかったが、今は嘘のように何も感じなくなり、アルム達の後を追う事にした。
 その後、順調にスパーダと再会したアルム達とガート達は、ここで別れるという事を話した。すると、スパーダからは別々の場所に“テレポート”で出る事という旨を知らされ、別れの挨拶を交わす事にする。
「ここでお別れだね。短い間だったけど、一緒に旅が出来て楽しかったよ」
「私もでし! まるで、昔もこうやって旅をしてたみたいでし!」
「ボク達、また会えるよね? そしたら、また一緒に旅をしようね!」
「うんっ。もちろんでしっ!」
 アルムとティルからそれぞれ別れの挨拶を受けるシャトンの目には、うっすら寂しそうな暗い色が映っていた。それでも、気を遣わせないようにと、いつも通りに笑ってみせた。
「ガートさんも、一応世話になりました」
「まぁ、俺は何もしてないけどな」
 こちらで別れを告げるのは、ヴァローとガートである。相変わらず仲良くなった訳ではなさそうだが、それでも最初のような悪い関係では無くなったようだった。互いに握手を交わすと、ヴァローはアルム達と一緒にスパーダの元に駆けていった。
「それじゃ、またね!」
 手を振りながら口に出すその言葉を最後に、アルム達は“テレポート”で一瞬にしてガートとシャトンの目の前から姿を消してしまった。シャトンは名残惜しそうにその消えた後に残った足跡を見つめて、スパーダが戻るのをじっと待つのであった。








「さあ、次は貴方達の番です。では、参りましょう」
 それからスパーダが戻ってくるのに、さほど時間は掛からなかった。すぐにしょげているシャトンを抱え、ガートの右手を握った状態でスパーダは、再び“テレポート”で町の外へと出た。自分の周りの空間が捩曲がるような奇妙な感覚を再び味わいながら、刹那の移動を開始する。
 一秒も経たずして空間移動で現れたのは、ラデューシティのドームの外周では一番ブルーメビレッジに近い場所であり、来る時にも一度通った場所であった。
「それでは、貴方達もお気をつけて」
 頭を下げているスパーダの見送りを受けながら、シャトンとガートは一路故郷へと歩みを進めていく。その足取りは、二人してどこか重いものだった。
「ふむ、あれもジラーチの接触者か。では、今の内に消すか――」
 その二人の様子を監視するかのように見つめる一つの怪しい影。それは、自らの羽を器用に羽ばたかせて、ドームの上で滞空(ホバリング)を続けていた。
 そして、決意をしたように羽を大きく広げると、大きく一回羽ばたかせた。その素早い羽の動きから生み出される衝撃波は、無防備な二人に向かって真っ直ぐ飛んでいく――。



コメット ( 2012/07/27(金) 20:39 )