エトワール・フィランテ〜星降りの夜の導かれし出逢い〜


















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第四章 芸術の都市と夫婦の悩み〜神秘的な力と不器用な愛と〜
第二十二話 語られるペインの過去〜二人の出会いの瞬間(おもいで)〜
 皆を起こさないようにそっと扉を閉めて、僕は緊張しながら廊下に出た。たぶん泥棒さんって、今の僕みたいに心臓をばくばく鼓動させながら動くんだろうなって考えちゃった。
 昼までのお日様の光が途絶えたせいか、空気はすっかり冷たくなっていた。明るさの方はと言うと、微かに届いている光のおかげでようやく足元が見えるくらいに暗い。お化けかなんかが出ないか不安だけど、とりあえず明るい方に歩いていってみる。
 その方向は左の方で、一番手前にある部屋の扉から漏れてきているみたい。あそこって確かお昼にパントさんがいた部屋じゃ――そう思いながら、扉の隙間から中を覗いてみる。本当はパントさんがいたりしたら怖いし、ましてこんな時間に見つかったらどうしようかとも思ったけど、無駄な心配だって分かってほっとした。
「おや、こんな時間にどうかしましたか?」
 だって、そこにいたのはペインさんだったから。夜遅くに部屋を抜け出してここまで来たのに、全然怒っているようには見えない。むしろ、優しく微笑みかけてくれている。
「あの、明かりが見えたので、何かなさってるのかなあと思いまして……」
「そうでしたか。起こしてしまったようでごめんなさいねぇ。ちょっと準備をしてたんですよ」
 本当は笑顔で怒ってるんじゃないかとも一瞬疑ったけど、それも取り越し苦労だったみたいで、ペインさんはすぐに足元のバスケットに視線を移した。僕もちょっと覗いてみると、何かいろんな種類の色の着いた液体の入った入れ物が見えた。
 それからペインさんは、赤色の液体の入った入れ物を中から取り出すと、棚にある瓶の中に注ぎ始めた。見る見る内に瓶は液体で満たされた。何かどろどろしてるし、昼はパントさんが使ってたから、あれは絵の具を補充してるみたい。でも、こんな夜遅くにどうして――
「これは、昼に補充の為に買ってきた物なんです。あの人が絵に速く取り組みやすいように、私がいつもこの時間にやってるんですよ」
 ――そんな事を考えてたら、僕の心を見透かしたみたいに、ペインさんは話してくれた。僕って、考えてる事が顔に出やすいのかな――なんて思ったけど、それより気になる事があって聞いてみる。
「いつもって、それはパントさんの仕事ではないんですか?」
「ええ。これは、私があの人に付いていくって決めた時から、私の仕事になってるんです」
「付いていく、ですか。あの……出来れば、パントさんとペインさんとの馴れ初めなんか聞かせてもらってもいいですか? 目が冴えちゃって……」
 こんな事言ってみるけど、目が冴えてるというのは半分嘘。本当は眠くなってきたんだけど、聞ける時に聞いておきたいと思ったんだ。そうすれば、少しはパントさんがスランプになってる原因が分かるかなって。出過ぎた真似だってのはわかってるけど、それでも何か僕に出来る事をしたかったから。
「ふふ、何だか恥ずかしいわねぇ。でも、別に面白い話じゃないんですよ? 眠れないのなら、童話を読んであげますけど……」
「いえ、是非とも馴れ初めを聞きたいですっ」
 こんな事言うのは子供らしくないって言われるかもしれないけど、そんなの今は気にしない。体格の差もあって、ちょっと上目遣いな感じで見つめていたら、ペインさんは優しく微笑みかけてくれた。
「分かりました。……何か孫に聞かせてるみたいだね。あれは何年前の事だったかしら……。正確には忘れてしまったけど、私がまだ若かった頃の事です」

 ペインさんはバスケットの脇に置いてあるポットから皿にお茶を注いで、それを床に置いてくれた。舌先で軽く舐めて喉を潤しながら見上げると、ペインさんもカップに注いで軽く啜って、僕の方に視線を落としてきた。
「あの頃の私は、特に何をするでもなく、将来自分はどうしたいのか悩んでました。やるべき事はいろいろあったんでしょうが、何だか時々無気力な状態が続いていたんです。まあ、若者にはありがちな事なのかもしれませんけどね」
 くすりと笑うペインさんに釣られて、僕も思わず笑ってしまった。その感覚はまだ僕にはわからないけど、何となく昔の事を話すペインさんが嬉しそうに見えた。
「そんな私が、ある日町をぶらついていた時に出会ったのが、パントさんでした。出会った時からあの人は画家を志望していて、その日も絵を描いていました。同種族という事もあってか会話も弾んで、途中から絵のモデルになってくれないかと頼まれたんです」
 ペインさんはそこで一旦言葉を切って、窓の方へと歩いていった。真っ暗になってる外の方をぼんやりと眺めてるみたいだけど、どうしたのか僕にはさっぱり分からない。だから、ここはとりあえずおとなしく待ってみる事にする。
「私には、それがすごく嬉しかったのです。他人から見れば、ただ絵の題材にされたに過ぎないのでしょうが、私にとっては違いました。目標も無く、例えるならば真っ白なキャンバス同然だった私の心に、あの人は色を付けて描いてくれたのです。それからは、あの人の家であるここに頻繁に手伝いに通うようになりました。最初はあの人も手伝いはいらないと断ってましたが、私がしつこく通い詰める内に、段々あの人も私を受け入れてくれるようになりました。あの頃は笑顔の絶えない日々だったんですよ」
 あの鬼のような形相をしているパントさんに限ってありえないって心の中で思ったけど、ペインさんの優しい笑顔を見てたら、嘘を吐いてるんじゃないって事がわかった。僕には恋とか愛と言うのは縁が無いけど、たぶんペインさんはその類いの思い出に浸ってるんだと思う。
「お手伝いをする日々が続いて、それがいつの間にか生き甲斐になり、あの人に寄り添うようになったんです。恥ずかしい言い方かもしれませんが、私にとっては本当に運命の出逢いと言っても過言ではありませんね」

 全てを話し終えると、ペインさんは小さな溜め息を吐いてまた遠くの方を見つめた。この高台から見下ろしている方は確か――噴水の方角かな。と言う事は、あの部屋の絵が二人が出逢った時にパントさんが描いた絵だったんだ……。それがわかると、僕にはその出逢いを運命を“恥ずかしい”だなんて全然思えなかった。
「もうこのくらいですね。さあ、そろそろお休みなさいな」
「あっ、もう一つだけ聞きたい事があるんですけど、いいですか?」
 ペインさんがこっちに近づいてきて僕の背中を押そうとするけど、まだ本当に聞きたい事が一つあったんだ。今の内に確かめたい事だから、とりあえずお願いしてみた。
「いいですよ。聞きたい事って何ですか?」
「えっと、ペインさんは今でもパントさんの事を愛してますか?」
 これも僕なんかが軽々しく聞く事じゃないけど、パントさんのスランプを調べる為にはもっと二人についてよく知っておかないといけないって思ったからこそなんだ。でも、さすがにこれはまずかったかな――なんて思いながら上目遣いでペインさんの顔色を窺ってみた。
「全く、子供が聞く事じゃないですよ。でも、聞かれたからには答えないとね……。ええ、もちろん今でも、あの人の事を想ってますよ」
 何か少し怒ってるようにも見えるけど、恥ずかしそうにも見える表情でペインさんは答えてくれた。声もちょっと上擦ってるみたいで、以前お父さんとの出逢いを話してくれていた時のお母さんにそっくりだ。顔がほんのりと赤いのが良く見えるもん。
「さあ、今度こそ寝ましょうね」
 さすがにこれ以上は限界みたい。僕も眠くなってきちゃったし、あんまり詮索し過ぎるのも、失礼だから。ここまで聞いた時点で失礼かもしれないけど。
「それじゃ、ふわぁ……。ペインさん、おやすみなさーい」
「はい、おやすみなさい」
 欠伸をかきながらペインさんに寝る挨拶をして、僕はみんなの寝てる部屋へと戻って眠りに着いたんだ――。




◇ ◇ ◇




 その翌朝、アルム達は部屋の外から聞こえてくる穏やかな音色で気分良く目が覚めた。眩しい朝日が差し込む窓から外を覗いてみると、時刻を知らせる為か目覚まし用なのかは分からないが、昨日見た音楽を好む町のポケモン達が、和むようなゆったりとしたメロディーを奏でていた。
「アルム〜、おはよ〜っ」
「うーん。ティル……おはよ……」
 揃って思いっ切り伸びをして、アルムとティルは同時にゆっくりと起き上がった。眠い目を擦りながら周りを見回すと、他の全員は既に目を覚ましていた。
 何やら食欲をそそられるような香りがしてテーブルの方に目を向けると、その上には幾つもの料理が並べてあった。器や皿の数や料理の量からして、この部屋にいる全員分が用意されているようである。
「あれ、これは?」
「ああ。ペインさんがわざわざ用意してくれたんだ。俺はお前達を起こそうとしたんだけど、ペインさんがそっとしておいて良いって言って、起こさないように静かに持って来てくれたんだぞ」
「えっ、ペインさんが?」
 ヴァローの説明を横で聞きながら、アルムはテーブル上の料理をじっと見つめた。どういう風に作られているかは分からないが、しばしば母親の近くで料理の様子を観察していたアルムには、少なくともその品数や出来具合から判断して、時間を掛けて作られている事が分かった。アルムが昨晩部屋に戻ろうとした時も、ペインは絵の具の詰め替え作業を続けていた。その後でアルム達よりも早起きし、手間の掛かる料理を作っていたと考えると、大変な労働を熟した事になる。
「ペインさん、大丈夫なのかな? 働きすぎてるように見えるけど……。それに、そもそもパントさんは何をしてるんだろう」
「何をぼそぼそ独り言を言ってるんだ? せっかく作ってくれた料理なんだ、早く食べようぜ」
 回想と想像を巡らしてぼーっとしていたアルムは、ヴァローの言葉でようやく意識が現実に戻り、朝食を食べる事にする。



 その後、朝食を食べて終えた頃に、ペインが食器を回収する為に部屋に入って来た。部屋を出ようとする際、アルム達が何かを言い出す前に、ペインが遠慮せずに滞在してくれて良いと持ち掛けてきた。一泊させてもらったのだから十分だ――その意向をヴァローが伝えたのだが、パントに目的があって来たのなら、その目的を果たすまでいてくれて構わないと再度言ってくれたので、好意に甘える事にするのであった。
「ヴァロー、どうしようかな」
「ああ。絶対にパントさんに頼まなきゃならない訳じゃないけど、手掛かりも無しに一冊の本の一ページを見つけるなんて、ほぼ不可能だしな」
 ペインからの親切な申し出を受けた後で、二人は暫し考え込んでいた。ここまで来た目的も、最初の旅立ちの時こそ違えど、そもそもはティルの正体を知る為。リーブフタウンで図鑑のジラーチに関するページが盗まれた事を知り、続くブルーメビレッジで探し物を見つけるのが得意なドーブルの噂を聞き、そして今に至るのである。
 ティルの正体を知る事は必要不可欠ではないが、せっかくここまで来たのだから、出来るなら知りたいという思いがある。しかし、パントのスランプが直るまで待っているというのも、ペインに対して迷惑をかけるようで申し訳がない。そう考えた二人は、同時にある決意をする。
「俺達でパントさんのスランプを何とか出来ないかって思ったんだけど」
「うん、僕もそれを考えてた。僕たちで出来る限りの事はしようよ。泊めてもらった恩返しの意味も込めて」
 互いに見つめ合い、アルムとヴァローは了解の意志を示すように頷いた。二人とも全く同じ事を考えていたのである。手っ取り早いと言ってしまえばそれまでだが、とにかくは確実な方法で先に進む為の決断である事も間違いない。そう確実した上で、二人は再び絵を描く事に没頭し始めたティルとシャトンを残し、一旦部屋を出た。幸いにも廊下には他に姿は見当たらない。
「さてと、これからどうするか……」
 姿が見えないとは言え、いない訳ではないはず――そう考えた上で、先に小さい声で話し掛けたのはヴァローであった。
「僕は……パントさんの事をもっと知りたいから、パントさんの方に接触してみるね」
「ああ、分かった。お前が昨晩起きた後で何をしてたのかは知らないが、ペインさんの事は分かってるみたいだし、俺はペインさんの手伝いをしながらもっと深く聞いてみる事にするか……」
 昨晩一人で部屋を出ていった事をヴァローに気づかれていた事に驚きつつ、アルムは軽く首を縦に振った。パントに関わるのは緊張するのか、大きく深呼吸をして心臓の高鳴りを抑えると、右に曲がっていくヴァローに背を向けて、パントの工房(テリトリー)へと向かうのであった。



コメット ( 2012/07/21(土) 22:13 )