エトワール・フィランテ〜星降りの夜の導かれし出逢い〜 - 第二章 図鑑を巡る二つの出会い〜暖かさと冷たさの交錯〜
第九話 町の散策〜勘違い弟の敵討ちは兄の役目〜
「う……ん。暑い。重い……」

 途中までは柔らかくて暖かかったはずの、寝心地の良い草のベッドの上。それが突然暑さと重さに襲われて、アルムは思わず目を開けた。ぼんやりと霞みが掛かっている視界の中には、まだぐっすりと眠っているヴァローの背中が捉えられた。いつの間にかアルムの方に転がっていたらしい。そして、今度は重さを感じる自分の体の上に目を向けると、ティルが覆いかぶさるような形で眠っていた。
 これ以上は眠れないと思ったアルムはティルをそっと床に寝かせて起き上がった。窓の方に目を遣ると、外はまだ仄暗くて暁時らしかった。特にする事もないので、眠い目を擦りながら外を眺めていると、何処かからとんとんと何かを叩いてるリズミカルな音が聞こえてきた。
「こんな時間に何だろう?」
 ふとその音に興味を持ったアルムは、ヴァローやティルを起こさないように草のベッドを踏まないように避けながら、部屋のドアの方へと静かに歩いていった。
 まだこの家の構造をあまり知らないのと廊下が薄暗いのもあって、ウロウロと迷ってしまった。現在位置は分からないものの、とりあえず自分の耳を頼りに先に進んでいく。
 あるドアの前に来た時に音が一番大きく聞こえ、そっと開けてみた。最初に目に入ってきたのは、クインの後ろ姿だった。高い台の上で何か手作業をしているらしいが、背の低いアルムには見えなかった。しかし、辺りにはあの優しくて甘い香りが充満していたため、木の実を扱っているのだろうと予想はついた。
「おや、こんなに早い時間にどうしたんだい?」
 アルムに気づいたクインは、振り向き様に問い掛ける。その右手にはモモンの実が、左手には木製の包丁が握られており、料理の用意をしているらしい。
「ちょっと目が覚めちゃって……」
「そうかい。それじゃ起きた序(つい)でに、目覚めのジュースでも飲むかい?」
 部屋を抜け出た事を咎めたり追及したりする事はせず、クインは屈んでほんのり赤みがかった色のジュースの入った木の器を差し出してきた。
 “目覚め”という単語に少し引っ掛かりながらも、軽く口を付けて舐めてみた。最初は何とも形容しがたい微かな清々しさが舌の上に広がっていくが、それが痛みと言うに近い刺激が走った瞬間、痙攣か反射か、体が小さく飛び上がった。
「うん……美味しいで……っ!」
 不意打ちに驚きつつもさらに好奇心から試飲を続けると、アルムは言葉を失うと同時に顔を顰め、舌を口の中から出した。
「か、辛いですっ!」
 口の中が燃えるとも棘で突き刺されるともわからない錯覚を覚えつつ、アルムは涙目になりながら叫んだ。心の平穏を失ってひたすら足をじたばたさせながら、必死に辛さを堪えていた。
「おや? クラボの実を入れ過ぎたかねぇ……。そんなに入れたつもりはないんだけど……」
「げほっ……いえ、僕が辛い物が苦手なだけですから……」
 ()せながら息を整えると、アルムはようやく落ち着きを取り戻した。それを見たクインは先程のモモンの実を一口大に切り、アルムの口の中に入れてくれた。モモンの実を噛んで満面の笑みを見せて喜ぶアルムを見て、クインも思わず笑みを零す。
「アルム、ちょっと手伝ってくれないかい?」
「はい、手伝わせて下さい!」
「うん、いい返事だね」
 その後夜が明けるまで、アルムはクインの朝食作りを楽しみながら手伝った。本当に楽しみながら、互いに笑顔を絶やす事無く。その光景はまるで本当の親子のように幸せそうだった。







「おはよー。アルム、早いね!」
「本当だ。お前、そんなに早起きだったか?」
 外の空気も徐々に暖かくなっていき、町のポケモン達も動き始めた頃に二人は起きてきた。早く目覚めたのは誰のせいだと言おうとしたアルムだったが、クインとの楽しかった時間を思い出して何も言わずに、二人を朝食の用意された部屋に案内する。
 部屋では全ての準備を終えたクインが待っており、全員揃ったところで食べ始めた。レイルも後から現れたが、食べる様子もなくじっとしているだけだった。
 出逢ってから一晩経って、図書館が休館日という事もあり、レイルも同伴でクインに町の中を案内してもらう事になった。昨日町をある程度回ったと言っても、図書館の道すがらに少し寄り道をした程度だった為に、三人は楽しみでもあった。
「ほら、見てごらん。あれがこの辺で美味しいって噂になっている木の実料理の店だよ。本当はあそこにも連れていってあげたかったんだけどねぇ……」
 遠くに見える店を指差しながら、クインは物寂しそうに呟いた。理由が分からないティルが無邪気な笑顔で覗くと、クインは何事もないかのように笑ってみせた。その後も終始同じような顔を覗かせる事があったが、決して四人には見せないようにするのだった。
 その後も町ならではの良い所を回ったのだが、流石は町だけあってアルム達の村とは違い、長い事歩き回っているのに、まだ全てを回りきれていないようである。その道中、クインが少し買いたい物があるからと四人に中央広場で待っているように言った。中央広場にはこの町のシンボルとも言える巨木が堂々と立っている。その荘厳な様子からは、長年ここで全てを見守っていたのだろうと思われる。そんな広場には他のポケモンもいないようで、とても静かだった。
 そこで一息を吐いて休んでいる四人の背後から近づいてくる、怪しげな四つの影があった。わざと地面を強く踏み締め、足音を立てている。ガーディという種族上、四人の中では一番耳が良いヴァローが、その音に気づいて振り返る。その足音の主は、三人のマンキーとその進化系である一人のオコリザルだった。
「よぉ、お前らか。俺の可愛い弟を可愛がってくれたのは。礼を言わなきゃな」
 怒ったような顔で――それも元からの怒っている顔にプラスアルファで――オコリザルは声を掛けてきた。弟とは誰かと思い、マンキーの方に目を遣ると、一人だけ明らかに体毛がボサボサになっているのがいた。それが図書館で絡まれたマンキーだと気づいたアルムは、すぐに目を逸らした。
「どういたしまして〜」
「いや、そういう意味の礼じゃねえよ! 全く、調子狂うぜ……」
 事情とオコリザルの言ってる意味が分かっていないティルは、言葉をそのままに受け取ってそう言った。一方のオコリザルは、肩透かしを喰らったように呆れている。
「アニキ、そんな奴ほっといてさ……」
「ああ、そうだったな。という訳で覚悟するんだな」
 一人のマンキーの一言で調子を取り戻したオコリザルは腕組みしながら威圧的に言い放つと、アルムに向かって近づいて腕を振り下ろしてきた。アルムは慌てて身を翻し、それを間一髪の所で避ける。
「攻撃してきたって事は、そっちこそ覚悟は出来てるんだな?」
 ヴァローは自らの鋭い牙を見せ、敵意を剥き出しにする。その“いかく”には、威勢の良かった四人も一歩退いてしまう。
「威勢の良いガキだな……。だがお前に用は無い。“メガトンパンチ”でも喰らえ!」
 オコリザルは右の拳を構え、アルム目掛けて鋭くパンチを突き出していく。
「そうはさせるかっ!」
 ヴァローは瞬時に息を吸い込み、口から燃え盛る豪火を放ち、アルムとオコリザルの間に炎の壁を作った。むやみに炎に突っ込むのは危険だと判断し、オコリザルは攻撃の手を止めて後ろに下がった。
「お前の相手は俺がしてやるよ。この豚猿!」
「生意気な奴め……。おいお前ら、残りの奴らを頼んだぞ」
「了解です」
 オコリザルはヴァローの挑発に乗ったらしく、ヴァローの攻撃の誘導に従うように向かっていく。この誘導も、オコリザルとの戦いに巻き込まないようにする為の考えであった。その一方で、指令を受けたマンキー達は、それぞれアルム、ティル、レイルに向かって駆けていく。
「ティル、逃げて!」
「よそ見をしてる場合か?」
 ティルの心配をしている内にマンキーがいつの間にか近づいてきており、手刀を作って振り下ろして“からてチョップ”を仕掛けてきた。アルムは“でんこうせっか”の素早い身のこなしでその場から離れる。距離も置けた所で今度はレイルの方を見てみると、既に気絶しているマンキーに“サイケこうせん”を浴びせ続けていた。
「もらった!」
 再び接近していたマンキーは手刀を振り下ろしてくる。咄嗟にアルムは、足元の砂をマンキーの顔に向けて蹴りかけた。
「ぐっ、目が……! よくもやりあ――がっ!」
 出し抜けに繰り出された反撃に対し、マンキーは必死に手で目に入った砂を振り払おうとする。その隙を狙い、アルムは“たいあたり”をして突き飛ばし、急いでレイルの元に向かう。
「レイル、もういいよ! 気絶してるじゃない!」
「主、何を言うのですか。戦いを始めたのは彼ら。そして主に危害を加えようと言うならば、それ相応の事をされても文句は言えないでしょう」
 アルムの呼び掛けを聞きながらも、レイルは“サイケこうせん”の手を緩めずに自分の行動の正当性を主張する。
 それは違うと言いたかったアルムだったが、レイルの無機的な声が何処か怖くて何も言えなかった。変に神経を逆撫でするような事を言えば、主と言ってくる自分にも攻撃を仕掛けてくるんじゃないか。そう思ったから。ただ、このまま攻撃を続けさせるのはいけないと思い、引き離して技を止めさせる。レイルはその行動の意味が分からないようで、角張っている頭部を機械のようにかくかくと傾げる。
「私はあなたの為にやっているのです。何故攻撃を止めさせるのですか?」
「何故ってそれは……君のはやり過ぎだからだよ。それに、僕の為にとかはいいから……」
 “プログラムされている”正しい事をしているレイルは、自分が間違っているとは思っていないらしい。アルムが今まで会った事のないようなタイプのポケモンであるレイル。その態度に衝撃を受け、動揺したアルムは、レイルの問い掛けに目を逸らして答える。
「よそ見はするなって言ってるだろ!」
 レイルと話している間に、先程突き飛ばしたマンキーが腕を十字にしてアルムに飛び掛かってきた。避けられないと確信して動くのを諦めたアルムの前に、レイルが立ちはだかった。マンキーの“クロスチョップ”はそのままレイルに直撃し、アルムはレイルとともに後方に飛ばされる。
 着地の際に背中を擦った以外は、アルムは大してダメージは受けなかった。それに対し、身を呈してアルムを庇ったレイルはもう動けない状態だった。この時、アルムは改めて思い知らされ、戦慄した。自分が油断していたせいで、レイルを傷つけてしまったのだと。そして目の前で倒れているレイルの姿を見ると、こんな弱い自分を庇ってくれたレイルに申し訳ない気がしてならなかった。
「ハッ……今度は二人纏めて始末してやるよ!」
 そんな事を思っている間にも、マンキーは再び“クロスチョップ”の体勢で猛進してきた。アルムは攻撃に対する怯えから来る震えを振り払い、レイルの前に立った。
 ――レイルは僕を身を呈して守ってくれた。正直すごく怖い……。けど、今度は……僕が守る番だ!
 そう決意を固めた瞬間、アルムのオカリナが淡く優しい、蒼い光を放ち始めた。そしてマンキーが眼前まで近づいた時、アルムとレイルを蒼い球状のバリアが包み込んだ。
「えっ……これは何?」
 アルムも唖然とする中で、バリアと真正面から激突するマンキーの“クロスチョップ”。それにバリアはびくともせず、逆にマンキーは勢いを保ったままバリアにぶつかり、遠くまで弾き飛ばされた。
 衝撃が強かったのか、マンキーは仰向けに地面に激突した後動かなくなった。それを見て驚きと安堵を同時に感じながら、アルムはすぐにレイルの方を振り向く。
「レイル、大丈夫? ごめんなさい、僕が弱いばかりに……」
 アルムはがっくりと頭(こうべ)を垂れて謝罪する。旅立つ前に恐れていた事が起きてしまい、後悔の念から来る涙を目にうっすら浮かべている。
「主、声の調子がおかしいですよ? 目からも何やら分泌物が出てますし、大丈夫ですか?」
 感情を持たないレイルには、悔しさも悲しみも分からない。それゆえに、アルムの異常には気づけても、その理由が理解出来ないのである。
 これでレイルには感情が無いというのを改めて思い知らされたアルムは、同じ生き物として悲しくなって顔を背けてしまうのだった。そして同時に、未だ何も分からない“ニンゲン”に対して怒りのような感情を抱くのであった。何故こんな事をするようにしたのかと――。



コメット ( 2012/07/08(日) 22:50 )