エトワール・フィランテ〜星降りの夜の導かれし出逢い〜


















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第十五章 海底遺跡ラビュリントスと動き出す影〜強大な力と謎の封印〜
第百二十九話 壁画と封印と覚醒と〜浮かび上がる記録と記憶〜
 藍と黒が混じる空間が、円筒状となって連なっていく。襲撃にあった部屋の隠し通路、ホログラムの壁を抜けた先は、夜の世界を閉じ込めた細いトンネルのような一本道となっていた。アカツキに逃がされる形でレイルとティルが先行していたが、決してその移動は速くなかった。結果、後から来たアカツキに幾許もなく追いつかれる事となる。
 本来は隠された部屋の、さらに隠された通路のためか、遺跡の他の場所と違って明かりらしい明かりは配置されていない。深海を彷彿とさせる色合いの壁が僅かばかり放つ光で、辛うじて互いの姿が視認できるほど。幸いアカツキの体毛に白が多いお陰で、ティルとレイルも背後から迫られて驚く事はなかった。「よう」と呼びかけたアカツキの声に、暗闇の中で不安に苛まれていてもおかしくない状況下でも、ティルは再会にその顔を輝かせた。
「おかえりなさーい!」
「おかえり、か。全く、こんな時まで肝が据わってると言うか何と言うか。そっちも無事で良かった」
 アカツキも緊張の糸が解け、いつになく頬を緩ませて見せる。ティルは飛び込んでハグを決めようとするが、アカツキはひらりと難なく避けた。「むー」とあからさまに不機嫌そうな声を上げる様子が、あまりにも緊張感がなく、さらにアカツキの破顔を誘う。執拗にハグを狙おうとするティルを押し留め、今は移動が優先だと言い聞かせた事で、ティルも渋々前を飛び始めた。
 狭い道の歩みを進める中、レイルの方から疑問を呈する前に、バシャーモに窮地を救われた事を報告する。その全てをアカツキが言い切るや否や、レイルが休息を提案してきた。アカツキとて別に呼吸が乱れていたわけでも、目立った負傷をしているわけでもない。それでも、暗がりで窺いづらいながらも、アカツキの体力の消耗を感知していた。進化した事による変化の一部なのか、レイルなりの配慮のつもりであった。だが、戦闘にならなければ移動に支障はないと、他ならぬアカツキが拒んだ。何よりその暇もなく、気にかかる事があったからだった。
「レイル、お前はこの遺跡の存在を知っていた。ベーゼが強力な兵を手に入れるには打ってつけ、という意味で。ならば、あの映像で見たものに関しても何か思い当たる節があるんじゃないのか?」
「私が“アップグレード”による進化の果てに得た情報は、少なくはありません。ですが、それは実際に私が見聞きした情報ではなく、あくまで後付けのような形で私の中に送られたもの。その真偽の程が私自身では分かりかねて、答えを出すのを避けていたのだと思います」
「つまり、お前は知っている、という捉え方で良いんだな?」
「はい。端的に申しますと、ここには伝説のポケモンが封印されているのです。ベーゼは恐らくそれを解いて、兵力とするつもりなのでしょう。あの映像で見た壺のようなものは、その封印された何かと捉えるべきです」
 伝説のポケモン──それはミュウツーのベーゼのように数が希少で戦闘能力が高い存在を指す。曖昧な情報自体はいろいろな憶測を生むが、少なくともそれだけで畏怖を抱くには十分過ぎる。腕に自信があるアカツキも例外ではない。伝説や幻とまで言われるポケモン達は、それだけで一線を画すのだ。
 たった一つ。伝説のポケモンがさらに敵に回るかもしれないという情報一つだけで、空気は重苦しくなった。アカツキはそれ以上追究しようともせず、レイルは進んで話す事もせず、ただ自由気ままに飛び回るティルの後をついていって程なく。「わあ!」と喜色に満ちたティルの歓声が上がったと同時に、狭く暗い通路は終わりを告げていた。

 青白い明かりと、明滅する光の広がる世界。美しい海の世界を写し取ったようにも、はたまた満天の星空を模倣したようにも見える。他の部屋や通路と、部屋の材質自体は変わらない。放つ光の色が異なるわけでもない。だが、部屋の壁や天井に至るまで全体にわたって描かれた壁画が、異質さを際立たせていた。ところどころアンノーンによる文字の表記があったり、ポケモンの足跡文字による表記があったりと、様々な描かれ方をしている。
 アカツキは敵の接近に警戒しつつ、ぶらぶらと歩いて壁画を眺める。レイルはまじまじと細部を観察しながら、部屋の中を動き回っていた。両脇に描かれているもののほとんどがポケモンの姿で、木々や海のような自然も一緒に描かれている。一定の距離ごとに題材と描かれている対象は異なり、歴史を綴った絵巻のようにも見えるし、単なる風景画とも見て取れる。ただ、壁画全体をどう切り取っても、空から何かが降り注いでいるのは変わらない。アカツキは別段絵画に明るいわけでもなく、レイルも観察するばかりでこれと言った反応は示さない。
 広い空間に出た事で、ティルは最初気持ちよさそうに飛び回っていた。その内沈黙が耐えられなくなり、二人の真似をして流し見るようにして絵画の前を飛んでいく。アカツキとレイルも、いずれ飽きるだろうと踏んで声を掛ける事はなかった。だが、飛び回る音が途絶え、しかして言葉を発するでもなく、あまりにも静かでおかしい。違和感を覚えて、二人揃って視線を壁画から離してみれば。こういう時真っ先に暇を訴えるはずのティルの目が、壁画のある一点に釘付けになっていた。
「ねーねー、これってボクかな!」
 快活な様子で指し示す先、そこには確かに描かれていた。星型の頭をして、羽衣を持つ絵。見紛うことなき、ジラーチの姿であった。壁にはいろんな種族のポケモンが描かれている。タイプや大きさを問わず、それこそこの星に存在するポケモンなのは間違いない。だからこそ、伝説と同じくらい珍しい幻のポケモンであって、なおかつ“本来この星の存在ではない”ジラーチが記されているのは、懐疑的になって然るべきところであった。
「確かにこれはジラーチです。しかし、何故壁画に? この部屋の壁画は、一体何を表しているのでしょうか」
「ボク、何か知っている気がする」
 夢中になっていて見つめていたティルが、呆けたような声を上げた。いつもの無邪気さが鳴りを潜める。食い入るように見つめ、壁に手を触れ、全体をなぞるように飛んでいく。上から下へ。空に浮かぶ自分の絵から、流星のように。地面に到着したら、再度離陸。壁から離れて、反対の壁の天井付近から全てを俯瞰する。その行為は明らかに、二人が良く知るティルの行動から逸脱していた。
 とんぼ返りのように戻って来たティルが、ふわりと、たなびく羽衣を広げる。好奇心の輝きに満ちた瞳は、既にそこにはない。アカツキとレイルを見下ろす双眸は、憂いに満ちた色を湛えていた。
「小さなお星さまが、大きなお星さまにぶつかろうとした時、それを止めるか決めた。それがボクたち、星の断罪者──“エステレラ・グランツ”の定め」
「おい、どうしたんだ? お前、様子が──」
「そう、ボクたちが導くんだ。この星の行く末を」
 腹部の“真実の瞳”が開眼していた。一度目、それはティルがこの星に降り立って七夜目のこと。未来の光景を見せ、警告しようとしていた時。二度目、サンクチュアリでベーゼに追い詰められ、その力を解放した時。そして三度目となる此度は、一度目の開眼と状況が似ていた。
 抑揚の少ない声、それはいつものティルから比べると、冷え切っていると言っても過言ではない。末恐ろしさすら感じる変化に、アカツキは困惑したように立ち尽くす。だが、レイルの方はそれとは別に、知的好奇心をくすぐられたようで、浮遊できるのを活かして積極的に接近を試みる。
「あなたはいつものティル、ではありませんね? 声色が明確に異質です。まるで何者かに憑りつかれたか、乗っ取られたようです」
「“星の守護者”としての側面。受け継がれた人格。普段の無邪気な子供の裏に隠れた、仮面の裏の仮想人格(ペルソナ)。それがボクだよ。力を解放したり、自分の起源に迫る度に、覚醒は早まる。もしティルと混同させたくないなら、そうだね──ステラ、と仮称するのはどうかな」
「では、以後はそう呼ばせていただくとして。何故あなたはこのタイミングで表出してきたのですか? 今まで行動を共にしていた時間は長かったはず。それをこの壁画の部屋に行き着く時に、しかもこの少人数という状況である事は、全くの無関係とは思えませんが」
「忘れていた事を思い出したから、とでも言うのかな。“ティル”の方はボクの存在を認識してはいないし、話している時の記憶も持ち合わせていない。でも、ボクはずっと君たちの事を見ていたよ」
 自らをステラと呼称する“それ”は、二人に優しく微笑みかける。その柔らかい表情さえも、ティルが見せるものとは違う。姿形は同じ、肉体自体は変わらずとも、そこに存在するのは確かに別個体にさえ感じられた。
 無邪気な顔が消えたジラーチは、ゆっくりと降下していく。合わせてレイルも降りていき、地上にいるアカツキとの距離を縮めた。会話をしやすいようにとの配慮だが、アカツキの怪訝そうな眼差しは、未だ解かれる事はない。
「それじゃいまいち答えになってねえ。重ねてになるが、仮想人格(ペルソナ)とやらがわざわざ出てきたのには、ちゃんと理由があるんだろうな。うっかり出てきた、なんてわけでもないだろう」
「ごめんごめん。一応、ボクという存在が何者なのかも、少しずつ交えながらの方が良いと思ったからさ。ここは、ボクにとっても縁がある場所だからだ。この壁画に描かれているもの、それは間違いなくジラーチだ。そしてこの壁画は、かつて起きた、星全体を巻き込む戦いを描き残したものに他ならないよ」
「旅の途中で時折、過去に大きな戦いがあったという話を伺う機会はありました。各地で“何者か”を狙う内乱が起きたり、町が壊滅させられる襲撃があったりした。観測されている限り、この星全体は平和なもので、大規模な戦いが起こる事はなかったはず。あなたが言っているのも、それに連なる事なのでしょう?」
「そう。彗星から一筋の流星──ジラーチという存在が星に落ちた。その時から始まる、星の断罪者を巡る戦い。本来は表立って現れない“精霊”と、強大な力を秘めた水晶──“フルスターリ”と、“星の守護者”と、諸悪の根源──“ベーゼ”と言う名の災厄を巻き込んだ戦い。当時のポケモンのほとんどがその記憶を都合よく書き換えられ、その真実を知る者は少ない。けれど、レイル。この星に来た“同じ余所者”である君なら、何か思い当たる節はあるんじゃないかな?」
 淡々とした語りとは裏腹に、ステラはあどけない笑みを浮かべる。そこに本物の幼さも可愛さも微塵もない。形骸化した微笑み。ポリゴン2へと進化した事で、感情表現に対する学習能力も得たレイルは、いつもの無骨な表情で応じる。それがティルではなくステラが向けた一種の皮肉なバトンタッチだと心得た上で、あえて感情を込めずに応対する事に決めた。
「そう、私は本来、ニンゲンという存在に作られたポケモン。これを人工物と言うのでしたっけね。ですが、それは私に限った事ではない。進化前ならば持ち合わせていない情報でしたが、判然とした記憶と知識を有している今ならば断言できます。かのミュウツー──あなたが諸悪の根源と断じたベーゼも、ニンゲンに作られたポケモンに相違ない。そうですね?」
「その通り」
「ちょっと待てよ。確かに、このアストルという広い世界で、ポリゴンやミュウツーと言うポケモンの存在の情報を目にした事はあれど、実際にその姿を確認したのはお前達が初めてだ。だが、珍しさという点ではそこのジラーチを含む、精霊たちも同じだろう? ニンゲンってのがどんな奴か知らんが、ポケモンを“作る”だと? そして、お前達がそうなのだと? おいそれと信じられるものか」
 動揺とは違う。好奇心とも違う。しかして、恐怖とも違う。アカツキはただ、目の前にいる二人の存在が明らかに異質である事を、会話を通じて改めて思い知らされた気がして、自身を取り巻く世界の特異性に疑問を投げかけたに過ぎない。
 ステラとレイルは、これに対して表情における反応は示さなかった。態度に出さないだけで、まるで一笑に付すようで。決して煽りのつもりではないが、特異性こそが彼らを形作る“常識”なのだという認識である以上、アカツキが有する疑問が単純に必要以上の興味関心を抱かなかっただけ。ティルとは異なるステラはともかく、アルムの腰巾着のようでしかなかったレイルの一面に、アカツキは知らず距離感のようなものを感じざるを得なかった。
「それを証明する術は確かにありませんが、これが事実です。目にする事実だけで見える世界はあまりにも狭い。しかし、ええ、今の議題はそこではありません。問題は、私と同じ、ニンゲンに作られた存在であるミュウツーのベーゼが、何故このニンゲンのいない星で二度に渡って戦争を巻き起こしているかという事ですね」
「いや、そもそもニンゲンに作られた存在なのだとしたら、何故ニンゲンの存在しないこの星に奴はいるんだ? レイルのように何らかの手段で流れ着いたというのもありえなくもないが……。前提は一旦さておくとして、二度の争いがいずれも、ジラーチを狙ったものだった。だとしたら、ジラーチの持つ力を求めている、というのが答えか?」
「だろうね〜。ボクもそう思うよー。って、これは“ティル”の喋り方だったか、いけないいけない」
 半ばふざけたように、おどけたように、ステラは笑みを覗かせる。場を和ませようとしたのか、単純に茶化しただけなのか、その真意にはレイルにもアカツキにも読み取れない。ただ、いくらステラがティルらしく振舞おうとも、その面影すらなぞれない事は確かだった。普段以上に神妙な面持ちを崩さない二人を見て、ステラは偽りの仮面を脱ぎ捨てた。
「別に今の発言に意味はないよ。ただし、キミの言った事は概ね合ってると思う。憶測の域を出ないものはあるけどね。願いを叶える力か、十二の力を守護者に授ける力か。“ボク”でも、“ティル”でも、それは些事なんだけど。いずれにせよ、あのミュウツーはジラーチという存在を狙っている」
「単純に考えるならば、ベーゼには何か叶えたい目的があるという事だな。今の時点で充分強いあいつに、力を求める必要性は、少なくともおれには感じられない。さすがにその願いまで推し量る事は出来ないが、力だけでどうにも出来ない何かなのだとしたら、願いを叶える力に縋るのも理解出来なくはないか。レイルには何かわかるか?」
「私が彼と同じ、この星とは別の同郷の存在とは限りませんし、何より同じくニンゲンに作られたからと言って、私のような機械的な思考を持つとは限らないでしょう。なので、ステラの言うような“同じ余所者”としての立場から何かわかる事があるかと言えば、結局答えは否です。聞いたところでどうとなるわけでもありませんが、戦いの中で引きだしてみると言うのも、あるいは」
 レイルの提案にも一理ある。だが、ベーゼの実力の程は、一度サンクチュアリで対峙しただけでもわかる。同じポケモンとして括るにはおこがましいくらいに、破格の力を持った存在。そんな相手との戦いの最中、悠長に目的を聞き出す余裕があるとは到底思えなかった。
「まあ、真相を聞き出せたところで、おれ達としては奴の目論見を阻止するためにティルを守る事に変わりはない。確かに、その目論見が不透明なのは気になるところだが、もはやそれで足を止める事は出来ないからな」
「その通りです。少なくとも、主もティルを守るために動くはず。私達のやる事に変更はありませんね。──本当は、私が有するこの情報を共有出来たら、もっと活かせるはずなのが悔やまれますが」
「何かまだ、伝えてない情報があるのか?」
「ええ。ステラがこの壁画を見て目覚めたように、私もこの情報を得た事で、“アップグレード”された上でもロックがかかっていた情報が、解き放たれたのです。ただし、それは映像を伴うもののため、私一人が所持していたところで共有が難しいものなのです。それが有用なものだとしたら、なおの事歯がゆいものです」
「それなら、キミの持つ“記憶”を“可視化”してくれる存在がいれば良い話でしょ? だったら、いずれ現れる」
 それはステラによる予言か。願い事を叶える力の一部か。部屋の空間の一部が歪み、景色にずれが生まれる。その異変に気づくまでに一秒、直後には四つの影が視界に突然飛び込んできた。別行動をしていたシオン・ティリス・クリア・ブレットの四人が、瞬間移動で目の前に現れたのだ。
「移動時間を短縮するために小刻みに“テレポート”を繰り返していたのですが、これはどうも当たりのようですわね」
「こんなところで再会するなんて、何とも奇遇だな!」
「なるほど、可視化──幻覚を見せる力があるなら、あるいは」
 既に話の通っているレイルやアカツキは、思い当たる節──ティリスに視線が集中し、得心したように頷く。再会に喜ぶシオン達にとってはその言動に釈然とするはずもなく、一様に唸り声を上げる始末だった。置いてきぼりにするのはさすがに忍びなく、事の顛末を説明する。未だにブレット達は完全な理解に至っていないが、当の本人たるティリスは納得したように相槌を打っていた。
「そういう事ね。確かに私の力は、テレパシーで相手に直接情報を送り込み、“さいみんじゅつ”でそれを具現化するというもの。ならば、相手の想像するものを汲み取り、それを幻覚として再現する事は理論的には可能ですわね」
「再会が叶ったのは良いとして、ここで悠長にしていても大丈夫なのか? おれ達が通って来た道から敵がやってこないとも限らないだろうし」
「私が音で近づいてくる存在がないか、警戒しておくつもりよ」
「最悪これだけ揃ってるなら、迎え撃つってのもありだろうしな!」
 意気揚々と、割と本気でやる気を見せるブレットに、クリアとティリスが同時に溜め息を吐く。言葉という形に表さずとも、これでもかというほど「やれやれ」という気持ちを込めた嘆息に、ブレットは真っ先にクリアに噛みつこうと不服そうにむくれてみせた。だが、その時間が惜しいとばかりに、言葉の応酬を始めるよりも先にティリスが間に割って入った。
「まあ、脳筋じみた発想はともかくとして。その際は、私も幻覚を中断して、テレポートによる離脱を優先しますので、ご心配なく。それでは皆さん、心の準備はよろしいですか?」
 説明の最中も、シオンが間を取り持ってクリアとブレットを宥めすかす。ようやく落ち着きを取り戻し、今後の動向についても決まった。ティリスの優しい声音に、覚悟を決めた全員が頷く。レイルがティリスへと近づき、ティリスはそのレイルの頭部へと手が触れる。青に彩られていた世界が、瞬く間に塗り替えられていった──。



コメット ( 2020/09/30(水) 23:19 )