エトワール・フィランテ〜星降りの夜の導かれし出逢い〜


















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第十五章 海底遺跡ラビュリントスと動き出す影〜強大な力と謎の封印〜
第百二十八話 ホログラムの部屋、浮かび上がる器〜格闘勝負と乱入者〜
 凛とした空気に包まれている通路に響くのは、一対の足が硬質の地面を踏みしめる音。目を凝らせば姿見にさえなるような、そんな美しい地面の上を滑らかに動く影は三つ。一つは地に足着けて歩く白色の(いたち)で、種族名はザングースと言う。その隣を一定の速度で、地面から僅かに浮いて移動しているのは、ポリゴン2と言う名のポケモンである。そしてさらにその二人の後方、やや離れた位置でジラーチが蛇行するように羽衣で飛び回っている。
「ねーねー、アルムのところに戻るのまだー?」
「まだです。探索は始まったばかりですので」
「えー、ボクつまんないよー」
 あっちへゆらゆら、こっちへゆらゆら。緊張感の欠片もない。久方ぶりにアルムと別行動になっているのも手伝ってか、ティルは早い段階で駄々を捏ね始めていた。元々二人の背後でふらふらと飛び回っていたのも、黙々と探索を続けるのに飽きていた証拠であった。子供を(なだ)めるのには慣れていない二人が同伴となったのには理由があり、少人数になるならなるべく戦力を分散させようと相談した結果である。
だが、それで納得がいくはずもなければ、遊び相手も不在で面白くもないティルは、こうして時折引き返そうと催促してくる。さすがに一人で飛んでいてもつまらないのか、今度はアカツキの近くまで飛んで行って、視界の中を横断する。わがままで気まぐれな子供に対し、アカツキは呆れるでもなく。珍しく口元を綻ばせ、ふっと笑いかけていた。
「悪いな。もう少し付き合ってくれ。ここで何か良い発見があれば、きっとあいつらを喜ばせる事も出来るからな」
「もしかして、アルムも喜んでくれる?」
「ああ、喜ぶだろうな」
「じゃ、ボクもがんばるー!」
 少なくともアカツキは嘘は吐いていない。動機を与えれば、子供と言うのは素直に動きやすい。ティルはその象徴とばかりにやる気を取り戻し、俄然張り切って飛び回る。とは言え、本来面倒を見られるだけの立場であり、不審な個所を見つけるなどといった芸当はまるっきり向いていない。細かい探索は二人に任せて、後ろをひょこひょこと付いてくるのが関の山である。
「あっ、何か見つけたー!」
 ――関の山である、はずだった。陽気にはしゃぐ声に二人が振り向くとほぼ同時に、ティルが通路の壁の中へと消えていくのが見えた。触れば分かる硬質の壁を、いとも容易く擦り抜けるようにして。さながら霧の中に飛び込んでいったかのよう。その様は吸い込まれていったという方が正しい。
「おい、今のどうなってるんだ? とにかく追わなきゃだな」
「ええ。私も通路はチェックしていましたが、もしかしたら彼だからこそ通れたのかもしれません。ここは未知な部分が多いですから」
 互いに顔を見合わせるのも一瞬の後に、二人はティルが姿を消した壁の前までやってくる。揃って注視してはみるものの、前方に見えるのは何度観察しようともただの壁に他ならない。黒光りしていて、冷たい輝きを宿すだけの壁。だが、ティルがここで姿を消したのも間違いない。勘繰っていても埒が明かないと、アカツキとレイルは同時に壁に触れてみる。――否、触れてみようとした瞬間、ティルと同じように体が壁を通り抜けた。
「ホログラムというものでしょうか。部屋の存在を隠すための」
 するりと抜けた先、壁の向こう側にあった空間は正方形をしており、ホエルオーが縦に二匹並んでも余りあるくらいには広い。目立つのはその広さ以上に、最奥の天井から下がっているスクリーンであった。その手前には立方体型の箱が据えられており、表面には文字らしきものが浮かび上がっている。ティルがそれには目もくれずに飛び回っている間に、アカツキとレイルが箱の方へと近づく。
「部屋の存在を隠す、か。だとしたら、これに一体どういう価値があるのやら」
 腕組みをして考えるアカツキを余所に、レイルは口先で平然と盤上を突いていく。闇雲に突くのではなく、明らかに手馴れた様子で次々と謎の機械に触れていった。最後に一度、表面の中央にある円形のボタンを叩く。すると、突如として白紙状態だったスクリーンに何かが映し出された。それはツボのような形をした半透明の器で、その周囲に鎖が巻き付いているという、不可思議な図であった。
 浮かび上がる器は無機的なものでありながら、生き物のように鼓動している。他に映るものがないが、鎖が実存する実寸大の物だとするならば、少なくとも器はザングースの暁の二倍以上ある事は推測できる。三人とも当然見覚えがあるものではなく、顔を見合わせて茫然としているばかりだった。
「これがこの部屋に隠された謎、か?」
「いいえ。これは正確には――この遺跡に隠されていたもの、と言った方が正しいです。もしかすると、これがベーゼ達の狙いなのかもしれません」
「――きゃはっ! みーつけた。ピンポーン! ご明察なのでしたー!」
 耳がくすぐったくなるような――否、脳まで溶けるくらいの、幼子のような高い声が響く。声がしたのは、アカツキ達が抜けてきたホログラムの壁の方から。二足で立つすらりと華奢でしなやかな薄紫色の体躯(たいく)は、まるで人のようでありながら、腕の部分は振袖のようになっている。その顔は狐に近く、目尻が細長くなっていて、長い髭のようなものが二本両頬から伸びていた。
「お前、確かコジョンドとかいうポケモンだよな。こんなところで一体何してやがる」
「何してるかなんて愚問だったりするよねー。ボク達、散らばってベーゼ様のために探索してたんだけど、ボクはとびっきり運が良いらしい。こそこそ嗅ぎ回るキミ達をぶっ潰しに来たに決まってんじゃーん!」
 開口一番に物々しい発言、狂気的な笑顔を振り撒くのも早々に、コジョンドは鞭のように振った腕を叩きつける。後ろに跳んだ事で直撃は免れるが、この一撃を皮切りに一気に緊張の糸が張り詰め、開戦の合図となる。好戦的な動きから、最初から対話の叶う相手ではない事は火を見るよりも明らかだった。アカツキも即座に意識を切り替え、毛を逆立てて臨戦態勢に移る。
「レイル、ティルを連れて下がれっ!」
 先陣を切ってアカツキが果敢に応戦に動く。レイルも自身の役割を熟知し、即座にティルを連れて戦いに巻き込まれない位置に移動した。この空間に出口は一つしかなく、その前をコジョンドが陣取っている。とあれば、邪魔にならないように今は離れるしかない。なるべく壁際まで避けていようと、隅まで体を寄せた瞬間。この部屋に入る時と同じ感触を得た――つまり、壁のない空間に再度遭遇した。するりと壁のない場所を通り抜けた二人の体は、そのままホログラムの向こう側へと消えていく。二人の移動と消失を視界の端で確認していたアカツキだが、今は交戦を買って出た以上、そちらを気に掛けている余裕はない。一瞥だけして向き直るや否や、アカツキは正々堂々敵に向き合って突っ込んでいく。
 “でんこうせっか”の速度で素直に一直線に進み、その腹部に爪で一撃を叩きこむ。速度の乗った殴打は確実にコジョンドを捉え、呻き声を上げながらその体は弾き飛ばされた。防御の構えで盛大にすっ転ぶ事はなく、正面から受けきった事もあってか無事に着地を果たした。攻撃を受けた箇所を摩りながら、コジョンドは攻撃主に向かってにたりと笑って見せる。
「キミみたいな勇敢なやつ、ボクはだーいすきだよ。なんたって、壊し甲斐があるもの」
 鈴を転がしたような甘い声に、抑えきれない狂気が混じる。蜂蜜の中に山葵(わさび)を落とし、攪拌(かくはん)したかのよう。アカツキは背筋を氷柱で撫でられたような錯覚に陥った。纏っている雰囲気が明らかにこれまで手合わせしてきた相手と異質な事に気付いたのだ。戦いの熱気で興奮しているのではない。受けた攻撃そのものに愉悦を感じているのだ。だが、身震いするほどの不気味さを肌で感じようとも、アカツキとしてはここを退くわけにはいかない。
 歴戦の強者は、乱れた心の整え方を弁えていた。一息吐いて腹に力を篭め、気合いを入れ直す。嘲笑うかのように無防備で不動の相手を見据え、覚悟を決めて駆けだした。今度は正直に真正面からの突破は試みる事なく左右にフェイントをかけ、揺さぶって出方を窺ってみる。俊敏に動く敵を目の当たりにしても、コジョンドに目立った動きは見られない。
 向こうが格闘タイプであるが故、相性的には圧倒的に不利であるのはアカツキも嫌と言うほど分かっている。だからこそ速攻を仕掛け、反撃の隙すら与えないように畳みかける。不用意に刺さる爪は引っ込め、パンチを得意とするエビワラーのように拳の攻撃に切り替えた。息も吐かせぬ連続攻撃は、その場を動かないコジョンドに次々と突き刺さっていく。アカツキが突き出す拳にはしっかり速度も力も乗っている。しかし、渾身の一撃を喰らっても、未だ膝を折らせる事すら叶わないようであった。
「くふふ。キミと(あそ)ぶの楽しいね」
「こっちはちっとも楽しくなんかねえよ」
「そんな事言っちゃうんだ。釣れないなー」
 拳でのやり取りで充分であり、悠長に会話するつもりは毛頭ない。アカツキは力強く地を蹴って、一瞬の間に相手との距離を詰める。今度は生来持つ鋭利な爪を顕わにし、間合いに入ったところで腕を振り下ろす。頭部を捉える一撃――それは、紙一重のところでコジョンドが身動ぎ、かわされてしまう。空振った体勢を立て直そうと動くアカツキの腹部に、今度はコジョンドの蹴りが突き刺さった。
「かはっ」
 隙が生まれたところに撃たれた蹴りは、急所を捉えていた。肺に溜まった空気が、ぎりぎりまで搾りだされる。苦手とする一撃に息が詰まり、意識を根こそぎ持って行かれそうになった。アカツキは歯を食い縛って持ち堪え、必死に保って視界を確保しようとする。
 コジョンドは笑う。嘲笑う。ひたすら愉快そうに。だが、その動きは正確無慈悲。もろに喰らってよろめいているところへ、追撃とばかりに低姿勢から鋭く蹴り上げる。アカツキは視界が反転し、その体は床を何度も転がっていく。戦意も体力も衰えてはいないが、不意を打たれた連続攻撃に、さしものアカツキにも動揺の色が窺えるようになる。
「く、そっ……」
「ほらほらぁ、早く立たないと、また痛いの食らわせちゃうぞぉ?」
 弱った獲物を嬲る肉食獣のような、ぎらぎらした目つきをしている。口角が吊り上がり、恍惚とした表情を見せる。愉しげな様を包み隠さず表すコジョンドに、久しく感じる事のなかった悪寒すら覚える。アカツキは隙を見せぬようすぐさま立ち上がり、構えて敵を見据える。ダメージの蓄積は多くはないが、受け一方ではじり貧になるのは見えている。ならばとアカツキは低く構え、自分から仕掛ける姿勢を取った。
 四つ足になって“でんこうせっか”による素早い肉薄を試みる。コジョンドは速度の上がったその動きを捉え、接近に合わせて鞭のような腕を振り下ろす。“はたきおとす”攻撃が届く前にアカツキは横に跳び、急な方向転換。コジョンドが外して生じた隙を縫って、アカツキが反撃の爪で切り裂く。それはコジョンドの体毛を幾許か削り取り、僅かでも身に纏う鎧を削ぎ落した。続けざまに振りかぶった一撃は、惜しくもコジョンドの幅広い腕に阻まれてしまう。
 弾かれた勢いで一旦距離を取って、アカツキは攪乱しようと左右に激しく動く。目まぐるしい動きにコジョンドも目で追いはするが、振り下ろした腕は空を切り、捉える事は叶わなかった。 “ブレイククロー”によって守りの手薄になったところを、アカツキはさらに追い立てる。二度目の攻撃もコジョンドへと刺さり、その体を一文字に切り裂いた。度重なる重い一撃に、さしものコジョンドの表情も苦悶に満ちたものになる。大きくよろめいたところで、アカツキは一気呵成に畳みかけようとする――伸ばしたその腕は、体ごと床に叩きつけられた。
 衝撃。暗転。地面に顔を叩きつけられて悶えるところを堪え、アカツキは咄嗟に体を起こす。眼前を掠める鋭い鞭は辛うじて直撃を免れたが、今度はコジョンドの怒涛の連続攻撃が迫る。舞うような軽やかで速い動きはよもや回避は叶わないと踏み、アカツキはタイミングを合わせて爪で往なしていく。だが、その勢いは止まるところを知らず、じりじりと押され始める。どうしても一手が足りず、遂には掬い上げるような一撃で腕が打ち払われてしまう。
「さあさあ、これで終わりなのかな!」
 アカツキに生まれた最大の隙に、コジョンドの愉悦が最高潮に達する。とどめとなる一撃を構え、横薙ぎの腕でその強靭な白い体を打ち据えた――かに見えた。だが、その強力な鞭は、アカツキの体を捉える前に何かに阻まれていた。その正体が宙に浮かぶ光の剣だと気づいたコジョンドは、一度後方に跳んで距離を置き、あからさまに舌打ちをして不快感を表す。
「こいつはあまり……使いたいわけではなかったが」
 それはコジョンドがグラスレイノで苦汁をなめさせられた、“つるぎのまい”に他ならない。苦渋に満ちた顔からも、その苦手意識はありありと伝わってくるほどである。しかし、アカツキも今の攻防で疲弊したのに違いはない。呼吸が乱れているのが他ならぬごまかせない証である。
「“つるぎのまい”が使えるからって何さ。キミが劣勢な事に変わりはないね!」
「否定はしない。が、あまりおれを侮ってくれるなよ」
 地を蹴って飛びかかる。跳躍から繰り出されるコジョンドの蹴りを、アカツキの周囲に陣取る剣の一本が防いだ。衝撃で光の剣は形を失うが、他の剣がアカツキの手の振りに連動し、コジョンドの体を弾き飛ばした。回転しながら着地を決める狐の下に、アカツキが追い縋る。追随する剣を振るい、爪と同時に攻撃を仕掛ける。
 コジョンドはひらりと身を躱し、迫り来る二段攻撃をやり過ごす。だが、本命のもう一方の爪を避けるには時間が足りず、ざっくりと胸元を切られる事となった。今度は苦痛で歪むその顔に、爪を引っ込めたアカツキの拳が直撃する。次は意趣返しとばかりに、無様に床を転がる番となった。
「ふざけるな。このボクが、このボクが、二度も同じ技に舐められてたまるかあ!」
 激昂の咆哮を上げるが早いか。手の先で力が収束するのが早いか。気を篭めた蒼の球――“はどうだん”が、溜めも短く撃ち出された。アカツキは剣を前方に展開し、不可避の気弾に対する盾とする。衝突と同時に相殺し、衝撃で一瞬視界を塞がれる。コジョンドはその勢いに乗じて接近し、アカツキの眼前まで辿り着いていた。
 “つるぎのまい”を再度発動しようとするも、その速度に及ばず。先に振るわれていた鞭の腕が、的確にアカツキの体を打ち据えた。鈍い音が響き、飛ばされた先でアカツキの体は仰向けになる。地に伏せたところを狙い、コジョンドは格好の的に目掛けて“とびひざげり”を繰り出す。
 ――だが、その蹴りは、脇から飛来した別の蹴りによって阻まれた。その先に立っていたのは、燃える炎のような色合いと模様をした体。窮地に立たされたアカツキを間一髪で救った相手は、かつて拳を交えた軍鶏ポケモン――バシャーモであった。蹴りを交えたところで、コジョンドは宙返りをしてその場を離れる。
「ぎりぎりくたばってねえようだな。そいつは何よりだ」
 バシャーモは肩で息をするアカツキの腕を掴んで、乱暴に持ち上げる。抵抗しようと藻掻こうとしていた体を、部屋の隅へと放り投げた。力なく壁に叩きつけられ、そのままずるずるともたれ掛かる。打ち付けた頭を擦りながら立ち上がるが、アカツキには痛手ではなかったらしい。不器用なバシャーモなりの、戦線を離脱させるための配慮らしい。
「お前はあの時の。いったい、どういうつもりだ?」
「口ばかり達者なやつは、おとなしく引っ込んでな。お前はこの先、まだ戦うべき相手がいるはずだ。こんなところで消耗してる場合じゃないだろ。こいつの相手は俺がやる。さっさと追いつくが良いさ」
「――恩に着る」
 その理由は口にしなかったが、いずれにせよありがたい助太刀には変わりない。頼もしい参戦者にその背を任せ、アカツキは二人が消えた壁の方へと走っていく。その姿を一瞥こそすれど最後まで見届ける事はせず、バシャーモはバトンタッチして引き受けた敵へと鋭い眼差しを向ける。炯眼で刺された当の本人はと言うと、先程までの怒りは既に静まっており、新たに現れた獲物に視線は注がれていた。アカツキとのやり取りに水を差す事もなく見守っていた辺りに、その不気味さが窺える。
「おやあ? ちょっとー、キミは別の階で探索していたはずじゃないのかなー? それはベーゼ様への反逆に他ならないわけだけど、そんな事しちゃって良いのかなぁ?」
「こちとら元々、お前みたくあいつに(へつら)って従っている覚えはない。俺は俺で好きなようにさせてもらうさ」
「なあにそれ、面白くないの。じゃあ、ボクがベーゼ様の代わりに粛清してあげるね」
 コジョンドは面白くなさそうに口を尖らせた。小悪魔のような微笑みとは真逆に、その瞳にはぎらぎらとした光を宿す。だが、それでバシャーモに怯む様子はなく、手首から炎を吹き出して臨戦態勢に入る。互いに見合って出方を窺い、地を蹴って肉薄していった――。


コメット ( 2019/11/04(月) 23:23 )