エトワール・フィランテ〜星降りの夜の導かれし出逢い〜


















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第十五章 海底遺跡ラビュリントスと動き出す影〜強大な力と謎の封印〜
第百二十四話 ヴァローの乖離の先に〜光る星はあまりにも眩く〜
 四つあった分かれ道の中で、唯一にして一番異彩を放っていたのが、アルムとヴァローとライズが進んでいる道であった。壁が異質だとか通路の形状が違うとか、その類の違いではない。その点に関してはむしろ他の三つの道と代わり映えしないくらいだ。では、何が違うかと言えば、通路の脇に点々と石が置かれ、それがずっと先まで続いているのである。まるで誰かの足跡を示しているかのよう。
「もしこれが誰かが意図的に残したものなら、皆で向かった方が良かったんじゃないの?」
「そうじゃない可能性もあるだろ? それで全員で行って結局他の道も探さなきゃいけない羽目になるよりはましだろ」
「そうそう、ヴァローの言う通り。この先にとんでもない罠が待ち構えてて、全員引っかかるなんて事あったら怖いしね。それに――」
 まじまじと石を観察してはみるものの、だからと言ってその意図が読み取れるわけではない。アルムは石に何かを見出すのは諦め、他にないかと視線をあちこちに動かしながら先を歩く。その後を付いて歩く二人の内、ライズはヴァローの意見に賛同しつつ、足早に駆け寄ってぴったりとアルムに身を寄せる。恥ずかしさなど微塵もなければ、むしろ誇らしげですらある。堂々とした立ち振る舞いように、アルムも笑みを零すほかない。
「ほら、こうやって久々に近くでアルムくんの事を守れるわけだしさ。願ったり叶ったりだよね」
「ごほん。あー、あー。俺もいるんだけどな?」
「おっと、ごめんごめん。忘れてたわけじゃないんだ」
 相変わらず距離が近いと思いつつも、アルムも何だかんだライズの好意が嬉しくて、咎める事は出来ずにいた。妙な空気に置いてきぼりを喰らったヴァローが、わざとらしく咳払いをして存在感を示す始末である。仲良しこよしで歩いていても周囲の警戒は怠らず、謎の石を見落とさないように歩みを進めていく。
 だが、いくら歩いても終着点はおろか通路に変化すら見えてこず、三人は一度立ち止まって休憩する事に決める。海底遺跡であるが故に通路は全体的にひんやりとした空気が立ち込めており、歩き詰めで火照った体を冷やすにはちょうど良い。せっかく別行動して人数も少ないのだからと、アルムはふと脳裏に浮かんだ疑問を思い切って口に出す。
「ところでさ、ライズ。一つ気になった事があるんだけど、聞いても良い?」
「うん。アルムくんの頼みなら何でも」
「ほら、ライズの故郷でいろいろあったでしょ? あれ以来、その、“レイズ”の方の人格はもう出てこないのかな?」
 ライズは出会った当初から、自身の中に存在する裏の人格に悩まされていた。強い力を扱えるのは裏人格――レイズの方で、故郷であるグロームタウンを後にするまでは、幾度となく入れ替わる事もあったくらいだった。その故郷で新たな力を手に入れてからというもの、ライズが取り乱したりする事がなくなっていたため、アルムとしては不思議に思っていたのだ。
「それなんだけどね、たぶんそっちの人格は、上手い具合に“僕”と統合されたんだと思う」
「統合? つまり、消えてなくなっちゃったの?」
「うーん、それとはちょっと違うかな。彼も僕の一部なのさ。ちゃんと残ってる。けど、前みたいに理性が利かないってわけじゃないみたい」
 淡々と応答するライズの表情は、台風が過ぎ去った後の青空のごとく晴れやかなものである。以前は内に秘める獰猛な一面にあんなに苦しんでいたというのに、今は同じ話題になっても笑みまで零している。別人かと疑うほどの目覚ましい変化に、アルムも目を細めずにはいられなかった。
「前まではね、あっちの危ない人格なんか表に出しちゃいけない、願わくば取り除かなきゃいけないって、ずっと思ってたんだ。だけどね、それは違うんだって、アルムくんが教えてくれたんだよ」
「僕が? 僕、そんな事言った記憶ないんだけどなあ」
「ふふっ、アルムくんが意図したのは確かに違うかもしれないね。それでも、アルムくんのお陰で、僕の中でもやもやしてたものが吹っ切れたのは間違いないんだ。もう一つの人格を拒絶するんじゃなくて、それも僕の一部なんだって受け入れようって、そう思えた。その瞬間から、僕は――ううん、僕達は、前に進む事が出来るようになったんだよ」
 ライズは軽く駆けだした後に、はたと足を止めてアルムの方に振り返った。とびきりの思いが顔中に溢れ出し、満開の破顔を生み出す。追いついてきたアルムが何事かと歩み寄るところへ、ライズは両手でその顔を捕まえ、おでこをぶつけ合う。熱を測る時と同じ仕草で、触れた箇所からお互いの体温が伝わり、アルムにも思わず微笑みが伝播する。
「ライズ、どうしたの? えっと、僕、熱はもうないよ?」
「そうじゃないよ。ただ、こうして近くでありがとうって、そう伝えたかっただけ」
「どういたしましてっ。ライズこそ、いつも僕の事を気にかけてくれて、ありがとね」
「こちらこそ、どういたしまして」
「――お二人さん、先に進むの忘れないようにしような?」
 二人だけの世界に浸っていると、脇で置き去りにされていた残り一名が、拗ねたように自身の存在を誇示する。揃ってばつが悪そうに苦笑を浮かべるが、その息の合いようも仲睦まじく映り、ヴァローとしては溜め息を吐くほかなかった。だが、それで険悪な雰囲気になるわけでもなく、妙に清々しい気分で探索を再開する。

 しばらくは道に沿って続いていた石の目印であったが、ある箇所でそれは途切れる事となる。だが、それは何の変哲もない通路の途中であり、少なくとも視界に映る限りでは“意図的に”立ち止まったりするような場所ではないのだ。不審に思ったヴァローが一度足を止め、二人も合わせてその場で制止する。
「何かあるのか? どうも怪しい感じはするんだが、うーん」
 ヴァローが嗅覚で察知できないかと匂いを探ってみるが、いくら敏感でも何か手掛かりになりそうな物は見つかりそうにない。今度は三人でその場から天井から床まで隈なく視線を配らせてみるが、こちらも成果なし。思い過ごしかと諦め、全員が一歩を踏み出した時だった。
 ブザーのような鼓膜を破るような騒音がけたたましく鳴り響き、アルム達はその場での硬直を余儀なくされる。その脇、通路の壁の一部が崩れ、鈍い光を放つ物が顕わになった。流し目で真っ先に気付いたヴァローが警告の声を上げるのと、砲台のようなものから光が放たれるのは、ほぼ同時であった。
 視界を覆い尽くすような光に、目を瞑って堪える姿勢に入る。だが、いつまで経っても“それ”が到達する事はなく、代わりに大きな衝撃音が轟いた。恐る恐る瞼を開いて前方を見れば、蒼色の防壁が三人を包み込み、前方から撃ち出されている光線を弾き続けている。
「アルムくんっ!」
「ぎりぎり、だ。危なかったあ」
 衝撃で防壁が揺れるものの、罅が入る事もなく持ち堪える。時間の経過と共に絶え間なく浴びせ続けられた光も弱くなっていき、遂には砲台も格納されて完全に収まった。光線が消えた事でようやく安堵の溜め息を吐く。アルムの咄嗟の判断で事なきを得たが、本人が一番肝を冷やしていたらしい。防壁の解除と共に力が抜け、その場にへたり込む程であった。
「何かの防衛機構だったのかな、これ。それとも罠? 間一髪だったね」
「ありがとう、アルムくん。お陰で助かったよ」
「どういたしまして。ヴァローも大丈夫だった?」
「あ、ああ。大丈夫だ。ありがとな」
 全て防ぎ切ったお陰で揃って五体満足であったものの、ヴァローは浮かぬ顔でどこか上の空であった。心配したアルムが顔を覗き込んでも、暫し視線が合わないほど。すぐに気づいて反応してみせるが、やはりどこかおかしい事はアルムも薄々感じ始めていた。
「ヴァロー、どうしたの? もしかして、具合悪いとか?」
「そんなんじゃねえよ」
 いつになくぶっきらぼうな答えしか返せない。そんな自分に苛立ちすら覚えるが、既に発露してしまった感情の欠片を引っ込める事は叶わない。だが、ヴァロー自身にはそれを受け入れるだけの器も、果ては自覚すらも芽生えていなかったのだ。
「悪い。本当に何でもないんだ。心配かけたならごめんな」
 例え嘘でも良い。偽物の笑顔を作って、アルムにこれでもかと振る舞って見せる。それが余計にアルムの目には苦しそうに映って、そんな顔をさせている事がもどかしくて。気が付けば、アルムはヴァローに頬を寄せていた。
「ヴァロー、謝らないでよ。何があったのか、僕に教えて欲しいな」
 アルムの直感がこういう時に冴え渡っているのは、ヴァローも長年の付き合いで熟知している。普段ここまでの距離で接しないからこそ、友の声が強く胸に響いてくる。――いつもなら甘受したい優しさも、今はよりその胸を締め付ける鎖にしかなりえなかった。親友の気遣いが、まるで呪詛のようにヴァローの心に冷たく纏わりつく。
「何もねえよ。お前の気のせいだろ」
「気のせいなんかじゃない! だって、ヴァローっていつも何か悩み事があっても、一人で抱え込もうとするもん。僕、知ってるよ」
「んな事ねえって!」
「そんな事ある! ヴァローって僕には頼れって言う癖して、自分は誰かに頼ろうとしないんだもん!」
 予期せず急所を捉えられ、ヴァローはぐうの音も出なかった。正確には歯を食いしばって唸り声を上げるくらいは出来たのだが、声にならない声で反論には程遠い。自身の中で燃え滾るほとぼりを冷まそうと必死に堪えてはみるのだが、激情の爆発が収まる気配を見せない。いつもなら笑って看過出来るような事すら、まともに冷静な答えが浮かばないのだ。普段と違う自分にヴァロー自身が困惑し、まるで自分が自分でないような気さえする。完全に思考も挙動も止まったヴァローを見かねて、アルムが目を合わせようとする――それは、図らずも逆効果であった。
「知ったような口利きやがって! お前に俺の何が分かるってんだよッ!」
「ご、ごめんっ。ヴァロー、僕は、僕は――」
「うるさい! お前は黙って俺に守られてれば良いんだよ!」
 静寂が支配する広く冷たい空間に、煮えたぎった怒号が響く。咆哮のように反響を続けるそれは、戦闘中に見せる雄々しい声とは真逆の性質を持つ。内包された思いが遠く響き合う毎に色濃く表れるようで、声を発した当の本人が一番やりきれないようであった。直後に取り返しのつかない過ちに気付き、しゅんと耳を垂らすアルムへと視線を遣る。
「ごめ……僕、ただ、君の事が心配、で」
 擦り切れたような悲愴な声に、愁色を湛えた面持ち。かつて見た、幼く弱々しい時の面影と重なって、思考が鈍る。頭痛が酷くなる。視界が揺れる。繰り返してはいけないと立てた誓いを、あろう事か自身の乱心で覆しかねない事に、吐き気すら催す。だが、それすらも他人事のように思えて、ヴァローの心は酷く歪になっていた。
 曲解されて熱の冷めきった言葉が、己が芯に広がり切った頃には、ヴァローはアルムと視線を違えていた。自責の念に苛まれつつも、歩み寄る友を振り切り、心の定まらぬガーディは一人歩みを進めようとする。
「ちょっ、待ってよ! ヴァロー!」
 流れかけた涙を拭い、イーブイの少年はそれでも前に進む。負けじと追いすがる。今ヴァローから離れてはいけないような気がした。ちっぽけな体で、歩幅も種族も違う友の後を追う。慣れない小走りで、早歩きのヴァローの背中に、ひたすらに辿り着こうとする。――ようやく足を伸ばせば届く距離まで来た時に、次の足が前に伸びなくなった。
「アルムくんっ! ヴァロー!」
 迂闊だったと思った時には、既に二人の体が宙に浮いていた。次なる足を踏み出せるはずの地面が、忽然と消滅しているのだ。必然的に闇を湛えた奈落へと身を投げ出され、空を飛ぶ術のない二人に抗う術はなかった。ほんの一瞬、闇の中に一縷の光を見出したのも束の間。駆けながら発するライズの声も、落下するアルムとヴァローの叫びも、受け手の消えた虚空へと消えていった。


コメット ( 2019/05/18(土) 22:29 )