エトワール・フィランテ〜星降りの夜の導かれし出逢い〜


















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第十五章 海底遺跡ラビュリントスと動き出す影〜強大な力と謎の封印〜
第百二十三話 幻の中の幻、真実の中の虚構〜幻術対決と義賊の憤怒〜
 ゾロアークのアクロが華麗に駆けていき、一気にキルリアの少女との距離を詰める。不動の構えだったティリスだが、眼前に敵が迫った時点で、軽く腕を振る素振りだけ見せる。攻撃も回避も見せないところへ、アクロが素早い挙動で腕を突き出す。その鋭い切っ先は対象を捉える事はなく、残像を擦り抜けていくのみであった。彼女が得意とする、幻覚を用いた戦法である。その本体は、既にアクロから離れた位置にある。
「やっぱりお前、気に喰わないな。部屋の仕掛けを突破したのは褒めてやるけど、戦いではむかつく限りだ」
「あら、相手を惑わす戦い方が好きな私には、最上級の褒め言葉ですわね」
 ティリスはあくまでも悦に入った表情で皮肉ってみせる。散々対峙してきたからこそ、シオンはティリスの能力の厄介さは身に染みて分かっている。アクロが幻影使いなら、ティリスは幻覚使い。互いに相手を欺く事に特化した特殊能力の持ち主だけあって、その力を以って捻じ伏せようとしているらしい。
 アクロが徐に胸の前で腕を構えると、周囲に三日月形の真空の刃がいくつも形成されていく。その出現の後に腕を横に振るうと、弾かれたようにして一気に撃ち出された。“エアカッター”と称される全てを切り裂く刃は、高速でティリスへと迫る。だが、直撃を阻むようにして迫り上がった岩の壁に当たり、衝撃ごと全て吸収されてしまう。――否、本来触れられるはずのない幻影の風の刃が、相殺される幻影を“見せられて”いるのである。
 アクロはそれでも躊躇うことなく接近を試みる。脚力に物を言わせ、瞬時にティリスの視界から消え、背後に回り込むようにして動く。振り返る隙も与えず、軽い跳躍の後に、ティリスの後頭部目がけて爪を振り下ろす。
「ふふ、読みが甘いわね」
 しかし、その一手が本体に届く事はなかった。今度は幻を生み出したのではない。すんでのところでティリスの体がその場から消えたのだ。空振ったアクロが着地と同時に周囲に目を光らせてみれば、先程までアクロ自身が立っていた位置に少女の姿はあった。
「厄介だな。お前、今のはいつもの力じゃないな?」
「さあて、それはどうかしら?」
 不敵な笑みを浮かべるティリスの足元から、ここには存在しないはずの植物の蔦が現れる。意思を持ったかの如くうねうねと動くそれらは、捕獲相手に向かって一直線に伸びていく。アクロが目を凝らすと同時に、空色だった瞳が赤へと変わり、鋭い眼光と共に妖しく光らせる。炯眼(けいがん)は少女の生み出す幻覚を見破り、それに伴って伸び来る蔦を一本ずつ消失させていく。だが、全てを打ち消すには至らず、迫る最後の一本を、力を篭めた自らの爪で断ち切ってみせる。
 勝ち誇ったような表情を浮かべ、留守になっていたアクロの足元から、再度蔦が生えてくる。即座に対応する事はもはや叶わず、アクロの体は容易に絡め取られてしまう。爪で切ろうにもぎりぎりと縛り上げられ、身動き一つする事も許されない。音が聞こえるくらい歯ぎしりをするアクロの前に、颯爽と“瞬間移動”でティリスが現れた。
「大見得を切った割に、中々無様な格好を見せているじゃありませんの」
「なめるな」
 ドスの利いた声で威圧するアクロは、一矢報いようと幻影の力を発動させる。自らの背後から、通路全体を飲み込む規模の濁流を発生させ、怒涛の勢いでティリスの視界を埋め尽くさんとする。猛り狂う大きなうねりに小さなキルリアの体が飲み込まれ、蔓が緩んでいくのを感じ、アクロは成功を確信する。
 次の瞬間には、その希望も即座に打ち砕かれる。ティリスが波の中でも平然とした様子で手を伸ばすと、幻の波はたちどころに霧散してしまったのだ。心が緩み切っていたアクロを、さらに強い力で蔦の縄が縛り上げていく。
「貴方、私の力を根本から勘違いしておいででは? 私は視覚を欺くだけではありません。術中に落ちた者の頭を直接支配するのと、同じなのですわよ」
 いとも容易くアクロの幻影を看破してみせた理由はそこに尽きる。ゾロアークが生み出す幻影があくまでも蜃気楼と言った光の屈折による錯覚の類であるのに対し、ティリスが扱う幻覚の力は脳に直接作用するもので、ティリス自身のイメージをサイコパワーで強引に植え付けるのだ。それに抗う力がない限りは、幻影の力ごと飲まれてしまうのである。
「俺を小馬鹿にしてやがんな? ふっざけんな! てめえなんかに舐められてたまるかよッ!!」
 幻覚が生み出す植物に捕らわれていようとも、アクロはその力を物ともせず、耳を劈くような咆哮を上げる。気合いと共にアクロの全身から溢れ出す黒いオーラは、そのまま体を包んで強固な鎧のような役割を果たし、強力な捕縛の蔓さえ退けていく。異様な光景にティリスも驚く中で、アクロが両手を広げる動作をすると、それに連動してアクロが纏っていた漆黒の衣が盛大に弾け、悪の力を秘めた波紋となって広がる。
 幻の蔓を消滅させた“ナイトバースト”は、その勢いを保ったまま次なる標的であるティリスをも飲み込まんとする。しかし、少女はたおやかに微笑むだけで、焦りの色は微塵も見せない。眼前まで迫る衝撃波に物怖じせず、天井を一瞥の後に寸前でその場から離脱してみせる。
 ティリスの体が再度現れたのは、天井近くの空間であった。アクロはそれを読んで跳びあがり、さらにその背後へと回り込んでいた。隙を捉えたと確信するアクロが振り下ろす腕はしかし、完全に空を切る事となった。空振りを喰らってバランスを崩したのも束の間、上空からの自然落下を迎えることなく、アクロの体はいつの間にか地に降り立っていた。その目の前には、先程と変わらぬ笑顔で立っているティリスの姿があった。蜜のように蕩けた笑みに、アクロは一層憤怒の色を濃くする。
「どうしたのかしら?」
「やっぱり、てめえのそれは“テレポート”だったってわけか。せこい真似しやがって」
「あら、せこいだなんて心外ですわね。私、“さいみんじゅつ”の亜種たる力と“テレポート”くらいしか使っていませんのに」
「それがせこいっつってんだよ!」
 足をバネのようにして力強く地を蹴り、アクロは瞬時に間合いを詰める。憤慨を力に変え、振りかぶって攻撃の構えを取ろうとする――電光石火の攻撃も虚しく、勢いのついたアクロの体は、気が付けば硬質の壁に激突していた。
「貴方、“テレポート”が使用者の体だけを移動させるものだとお思いで?」
「がっ……くっそ、こいつは一本取られたってか」
 アクロは歯噛みしつつも、睨みを利かせるのは忘れない。鬣を揺らして目を光らせると、得意の幻影を展開させる。今度は攻撃性の伴うものではない。視界を完全に奪う濃霧が、周囲一帯に広がった。対峙する敵の姿はおろか、シオンやブレット達の方まで包み隠して何も見えなくなっている。
 次の瞬間、白い幕の向こう側から、黒のエネルギー波が爆発を伴って迫りくる。実体のある攻撃、ましてや敵の姿も見えない状態で、幻術による防御は期待できない。ティリスはすかさず“テレポート”で上空へ回避する。アクロはその動きを読んで追い縋っていた。空中に現れた背後を取って、爪を振り下ろす。
 だが、ティリスはそちらに反応を寄越す事はせず、空間を捻じ曲げる力を自身の斜め下方向に行使する。少女の背後に現れていた“幻影”が掻き消えると同時に、“本物”がまるで一時停止でもした映像のごとく滞空していた。
「空間移動が出来るという事は、空間認識能力にも長けているという事ですの。私の真似事か知りませんが、偽の自分を投影しようとしたところで、幻影である以上はお見通しですわよ」
「ちっ、これも“ねんりき”とかの類か? いや、それなら悪タイプの俺に効くはずなぞ」
「ええ、違いますもの。どうせ動けないなら種明かしを致しますが、“テレポート”による空間に作用する力を、移動ではなく固着に用いた。それだけですわ」
 地に足も着かず浮遊しているアクロは、口を動かして話す事こそ叶えども、体は微動だにしなかった。ただ優雅に微笑むティリスを、震える目元で鋭く睨み返すのが関の山である。動きを封じられた状態で暫く殺気を放っていたが、身動きが封じられて観念したのか、唸り声を上げるのすら止めた。
「抵抗は無駄ってか。煮るなり焼くなり好きにしろ」
「牙は折れたようですわね。でも、それを決めるのは私ではありませんでしてよ」
 ティリスが目配せした先には、気絶状態から起きたグレイシアのクリアと、その脇に並んで立つブイゼルのブレットの姿があった。一連のやり取りは二人もしっかりと聞いていた。処遇を託されたのだと察し、二人は静かにアクロの下へと歩み寄る。
「本当にオレ達が決めても良いのか? 動きを止めてくれたの、あんただろ」
「ええ。確かに制したのは私ですが、あくまで勝負に水を差して手助けしただけの事。本来は貴方達の間での問題であると、私は認識しておりますもの。お二人が決めた事ならば、私もそれに従いますわ」
「ありがとな。助けてくれた事も含めて、クリアの分まで礼を言う」
「僕はもう起きてるんだけど。何で代わりに言ってるのかな、君は」
「いやあ、照れ屋のお前が素直に言うわけないよなーって思ったから」
「誰が照れ屋だって」
 礼節を弁えて言葉を交わしたつもりが、いつの間に話題がすり替わる。自然体の二人のやり取りに、一時前の緊張感を忘れ、ティリスにも裏のない笑顔が浮かぶ。だが、それはクリアやブレット、シオン以外にもう一人、表情の変化をもたらした。敵対していたはずのゾロアーク、アクロの顔が綻んだのだ。険しい顔つきばかりだった彼の顔が、初めて。
「お前達は本当に変わらないな」
「それ、褒め言葉か? そういうアクロは、変わっちまったな」
「悪い方向にね」
「クリアの冷たい言葉が、妙に突き刺さるな」
 殺意と復讐の念に囚われていた戦闘員(てき)の姿はもうそこにはない。あるのはかつての同胞として対面する、一人の義賊(なかま)としての純粋な姿であった。だが、既に対立した事実は変えられない。それを自覚しているアクロは、自ずと伏し目がちにならざるを得なかった。未だ警戒を解く事もなく、ブレットが腕組みをして歩み寄る。
「そういえばお前、オレ達のせいでボス達が操り人形になった、みたいな事を叫んでいたな。あれは一体どういう事だ?」
「違う、のか? お前達二人が仲間を売った。そのせいでそこにいるキルリアに心を乗っ取られ、全員操り人形にされたと聞いた」
 今度は視線が一斉にティリスの方へと注がれる。決して良い意識の集中ではないため、ばつが悪そうに視線を泳がせるが、ややあって素直に首を縦に振った。
「貴方達の義賊の仲間に術をかけた、という意味では紛れもない事実ですわ。ですが、その言い方だとまるで、私が私兵として操っていたみたいな意味合いになります」
「そういう切り返しをするという事は、違うと言いたげだね」
「ええ。あくまでも私は、意識を乗っ取って催眠状態に置いて、こちらのアジトまで連れて行っただけ。いくら“テレポート”を使えると言っても、その許容数には限界がありますもの。それ以降は昨日こちらの二人にお話した通りですわ。精神を侵して操り人形にしたのは、他でもないベーゼです」
 おとなしく聞いていたアクロの目が点になった。自身が知っていた事実と異なる説明に、頭が追い付いていないようであった。暫く間を置いて、ようやく理解が追い付いてきた辺りで、牙を剥き出しにして怒りの色を顕わにする。だが、それは今までのようにクリアやブレットに向けられたものではない。遥か彼方、ここにはいない相手を見据えているような視線だった。
「あいつ、か。どうやら俺は盛大な勘違いをしていたらしい。非礼を詫びるなんて今さら言えないが、せめてこの先くらいは、俺もてだ――ッ!」
 徐々に柔和な気色を取り戻しつつあるアクロが、突如言葉に詰まった。喉まで出かかったものを、異物に押し込められたかの如く。引き笑いに似た不自然な息の吸い方をしたかと思えば、アクロの瞳から光が消え失せた。
「ど、どうしたんだ、アクロ。急に様子が変わっちまって」
 異変を察してブレットが駆け寄ろうとするが、ティリスが制止する。瞬く間にアクロの身体からどす黒い靄のようなものが溢れ出し、その体を包み込んでいく。不気味な現象に後退りを余儀なくされていると、動きを封じていた空間固着の力が解けた――否、謎の靄に“解かされた”のだ。
 シオンも既に尻尾を掴んで臨戦態勢に入る中、ティリスは状況を静観していた。自らの術を破られてもたじろぐ様子はなく、未だ努めて冷静な分析を出来るようであった。
「何やらおかしいですわね。アクロさん自身も、既にベーゼの術中にあって、何か仕込まれていたのでは……?」
 ブレットの脳裏には、一度追い詰めた時にアクロが見せた異様なまでの狂気が浮かぶ。嘘の情報で踊らされ、あまつさえ操り人形として精神を囚われているのだとしたら。そう考えるだけで、ブレットの心にはマグマのように沸き上がるものがあった。
「ベーゼとか言ったな。許せねえ! ここまでオレ達の仲間を虚仮にしやがって!」
 ブレットの隣に立つクリアは、一言も発せずに、ただ宙に浮かぶアクロを凝視する。謎の黒い靄に侵されている彼の目には、既に彼自身の意思が宿っている様子はなく、自我は完全に消滅しているようであった。
 二度目の対峙。だが、アクロの方が何かアクションを起こしてくる事はなかった。――正確には、身じろぎらしい事は何もしない。代わりに靄が肥大していき、その隙間から閃光を放った。目も眩むような光、“フラッシュ”に誰もが目を瞑らざるを得なくなる。そして視界がようやく開けた頃には、眼前にアクロの姿はなくなっていた。
「幻影で逃げられたようね。逃がしてしまった、とも言うべきかもしれないけど」
 戦闘準備を解き、シオンがほっと胸を撫でおろす。だが、近くにいるクリアとブレットの二人は、突っ立った状態で虚空を見つめるばかり。その瞳には陰鬱な影ではなく、光が宿っているのは確かであった。
「なあ、オレ達にもベーゼって奴を倒さなきゃいけない理由、もう一つ出来た。改めて先に進もうぜ」
「ブレット、思いの外冷静で驚いた。そうだね、僕達は戦おう。皆のためにも」
 途方に暮れている暇はない。クリアとブレットは既に前だけを見ていた。シオンとティリスも言葉を交わす事なく、視線のみで頷き合う。探索はまだ始まったばかり。合流した四人は再度、各々が目指すべき場所に向けて歩みを進めるのであった。


コメット ( 2019/04/21(日) 22:59 )