第百二十二話 シオンとティリスの親交〜融解と早い合流〜
青光りする通路の壁は、まるで全体が胎動しているかのように、宿している明かりが強くなったり弱くなったりしている。太陽の光が届かぬこの空間において、視界を確保する材料となっていて、
幽けし光は美しさと儚さが同居している。壁伝いに歩くシオンも、その神秘さに思わず目を奪われていた。
「本当に不思議な場所ね。アトランティスのように優雅な海の世界とは違うけど、重厚なイメージのある遺跡にしてはどこか神秘的で。あなたもそう思わない?」
「ええ。確かに不思議、というか変わった場所だとは思いますわ」
壁に仕掛けが施されていないか目を凝らしながら歩みを進めるティリスも、シオンの問いかけにはしかと答える。こちらは曲線を描くような通路となっていて、遠くの方までは見渡せなくなっている。ずっと曲がった道を歩いていると、今自分がどっちに向かって歩いているのか分からなくなり、方向感覚すら怪しくなってくるほどである。
しばらく道なりに進んでいると、これまで一本道が続いていたはずの景色が変わり、脇に小部屋があるのを発見した。今は遺跡内の大まかな探索が目的のため、二人は揃って中へと足を踏み入れてみる。空間自体は大した広さはなく、壁も通路から一続きになっているため、材質は同じく鉱石によるものとなっている。
正方形の室内の目立った特徴としては、部屋の最奥に立方体型の箱のようなものが配置されているのみで、それ以上に何も見当たるものはない。一応入り口付近で聞き耳を立てて改めて部屋全体に目を配ってみるが、他に影も物音も見聞き出来るものはなかった。罠等がないか警戒し、調査も兼ねて壁伝いにそろそろと歩みを進めていく内に、何事もなく箱の前にまでは辿り着けた。
箱の上面は壁と同様に光が灯されていて、いくつもの四角の図形が細長い線で繋がっているのが見える。二人には浮かび上がっているそれが地図のようなものなのだとはっきりと分かり、思わず息を合わせたかのごとく顔を見合わせる。しかし、直後にティリスがすぐに目を逸らしてしまう。
「ここ、想像しているよりもずっとすごいところなのかもしれないわね。こういうところには縁がなかったけど、私も冒険心を擽られるって言うのかしら。ふふっ、これじゃアルム達の事を笑えないわね」
映し出された図から自分達の現在地を推測して把握しつつ、シオンはティリスに笑いかける。その居心地の悪さに、笑顔を向けられた少女はさらに戸惑い、望まぬ苦い顔をしてしまう。
「つかぬ事を伺いますが、貴女は私を警戒してはいませんの? もちろん警戒して欲しいという意味ではないのですが、それでも私は貴女にとって、つい先日まで敵だった存在です。もちろん貴女に迷惑が及ぶことをしたのも、重々承知の上です。それでもなお、貴女はそんなにも親しげに接してこれるのですか?」
未だ同行し始めて幾許もないためか、打ち解ける機会らしい機会は特に設けられなかった。互いの素性は知った上で、アルム達には受け入れる姿勢が整っていたのだが、ティリスにはそれが度し難かったのだ。冴えない表情の理由にようやく合点が行ったシオンは、なおも柔らかい面持ちを崩すことなくティリスへと視線を向ける。
「さて、何故でしょうね。アルムがあなたを信用しているなら、私もそれに倣ってみようと思ったのよ。疑うより信じる方が、ずっと楽だもの」
「そういう問題ではないと思いますの! 私は幻覚で貴方達を欺いてきた者です。どこまで偽りで塗り固められているかなんて、分からないはずではありませんか。なのに、どうして……」
「アルムと同じく、私もあなたの事を知りたいと思ったからよ。嘘だって決めつけていては、何も分からないもの。せっかくあなたも仲間になってくれたんですもの、ね?」
シオンの弾ける笑顔が眩しくて、輝いていて、遺跡の光よりずっと明るく温かくて。ティリスもようやく溜飲が下がった。彼らは揃いも揃ってお人好しの集団なのだと。疎外感を勝手に抱いて遠ざけていたのは、自分の方だけだったのだと。それに気づかされて恥ずかしくなると同時に、言いようもない嬉しさが込み上げてくる。アルムやクリア、ブレット達に受け入れてもらえたのとはまた異なる、新鮮な感覚に相違なかった。
「それに、きっとあなたも欺き続けるのに疲れて、自分自身を偽らないように一歩を踏み出そうとしている。その大きな歩みの一つとして、気後れしながらも私達と行動を共にしようと決意した。違う?」
「貴女、本当に鋭いんですのね」
「これくらい察しがつかないようなら、王女なんて務まらないものよ。今はそんな身分、関係ないけどね」
シオンがそっと差し伸べた手に、ティリスもそっと自らの手を重ねる。逸らしていた視線を合わせて、絡み合わせる。これでもう完全に後ろめたさを感じる事はなくなった。持てる力の限り、彼らに助力したいと願うほどに。否が応でも感じる新たな結びつきに、ティリスの表情も解けていった。和解も済んだところで、今後についての作戦会議を執り行う。
ティリスとしては一度集合地点まで引き返して、地図が存在したという情報を伝えたいと言う。一方でシオンは、このまま先に進んで探索を続け、繋がっている先の道での合流を果たせないかと言うのだ。四方向に分かれていた道だが、シオン達が通ってきた道は、ぐねぐねとした先でいずれアルム達が選んだ道に通じている。わざわざ戻って待つよりは、進んだ先で新たな収穫を得る可能性に賭けた方が建設的だろうという結論に至り、二人は来た道を引き返そうとして部屋を後にしようとする。――入る時は避けた部屋の真ん中を、堂々と通って。
「そういえば、あの地図に妙な表記がありましたわよね。部屋の中央部に、何かの紋章みたいな図形が。あれって一体――」
疑問が全て言の葉に乗る前に、二人が到達した中央で円形の光の陣――地図の表記と同じ魔法陣のような印が地面に描かれていき、光を伴って発動する。その間はほんの一瞬、瞬きする暇もなく、踏み出した足が同じ部屋の床に触れる事はなかった。
「――何だったのかしら、って――」
ようやく続きを紡ぎ終えたと同時に、二人の体は新たな場所に着地するに至る。そこは代わり映えしない壁と正方形の空間でありながら、背後にあったはずの地図を映し出す柱がない辺り、既に元いた場所でない事実を二人にありありと示してみせる。
「これ、もしかして遺跡に入る時と同じ仕組みかしら?」
「ええ。あの時と同じ波動を感じます。迂闊でしたわ。こんな事ならば、あの図形が他のどこに通じているかくらい、覚えておくべきでした」
「後の祭りなのは仕方ないわね。それよりも、外から何か衝撃音みたいなの、聞こえてこない?」
シオンに促されて耳を澄ませてみれば、確かにティリスの耳にも届いた。断続的に聞こえてくる、激しく何かがぶつかり合う音。続いて轟々と暴風が吹き荒れる音かと思えば、水が弾ける音に、壁に何かが叩きつけられる音が響く。壁の向こう側の騒々しい事態に、二人は息を潜めつつ探索の機会を窺うが、ようやくこの部屋の全貌に気が回った時に異変に気付く。
「この部屋、密室よね。瞬間移動した先が、見事に行き止まりだったって言うの? せっかく何かが起こっている近くにいるって言うのに、見に行けないのはもどかしいわね」
さっきまでいた部屋とは異なり、四方を抜け穴のない壁に囲まれていて、他に通じる道らしきものが見当たらないのである。途方に暮れるシオンをよそに、ティリスは一頻り考えた後に目を閉じて壁に手を触れる。
「いいえ、行き止まりなんかじゃありませんわ。これは道が巧妙に隠されているだけ。恐らくは部屋の仕掛けではなく、何者かの能力としてね」
エスパータイプの勘なのか、力による察知なのか。ティリスは一見閉ざされた部屋に身を置かれても、冷静沈着を保っていた。シオンが固唾を呑んで背中を見守っていると、不意にティリスが振り向いて、確かににっこりと笑って見せた。余裕たっぷりの面持ちである。
「そう、少しだけ時間を頂けないかしら。この小細工を、私の力で中和出来ないか試してみますわ」
言葉にも自信が満ち溢れている。シオンはそれを信じて頷くと、ティリスは再び集中して壁に向き合った。頭に生えた二本の赤い角が、ふわりと光を纏って発光し始める。そこを起点にティリスの体からサイコパワーが溢れ出し、壁を伝って徐々に空間全体に広がっていく。
部屋に満遍なく光が及んだところで、ティリスは閉じていた目を開いた。呼応するようにして光が弾け、壁の一部分も同じようにして“剥がれ落ちた”。念動力で無理に壊したのではない。そこに異質な物として張り付いていた何か――ホログラムで模られた見せかけの壁を、宣言通り彼女の力で剥離したのだ。
「あそこっ、ブレットが――」
“仕掛け”が解けて視界が開けたと同時に飛び込んでくるのは、ブイゼルとゾロアークが一騎打ちを繰り広げている場面であった。しかも、既に攻防の終わり際で、ブレットが首元を掴まれ、あわや止めを刺されそうになっているという窮地である。すかさずシオンが飛び出し、ティリスが手を伸ばそうとする。
だが、助けの手が届くよりも、ゾロアークの爪がブレットを貫く方が早かった。ブレットは白目を剥いて、腹部に爪が刺さったまま力なく項垂れる。横顔からも窺える、ゾロアークの勝ち誇ったような、ひたすらにあくどい笑み。直後にシオン達の存在に気付いてもなお崩れる事のなかった。――必殺の一撃を見舞った相手の姿が、蜃気楼のように掻き消えてしまうまでは。
「ふう。間一髪で間に合ったようですわね」
霧散した影の代わりに、本物のブレットの姿がいつの間にかシオンとティリスの隣にあった。目前で展開された惨劇のように腹部を貫かれている事はなく、シオンもほっと胸を撫で下ろす。不利な状況で一方的に攻撃を受けて、酷く消耗している事には変わりないが。
「お、おお!? オレ、完璧に死んだと思ったのに、どうなってんだこりゃ」
「私の幻術と“もう一つの力”で、あの展開をなかった事にしたのですわ」
「そっか。それは恩に着るぜ。少しぶりだな、二人とも。息災で何よりだ」
「やられていたあなたが言う台詞じゃないと思うけどね。でも、無事で良かった」
この状況下にあっても溌溂さは健在で、ブレットは仲間との再会に躊躇いなく笑顔を振り撒いていた。だが、気が緩んで体の重さが戻って来たらしく、すぐにその場に蹲った。一応は互いの無事を確認し終えたところで、殺気を放ち続けている対敵へと視線を戻す。
最高の決め所を邪魔されたためか、ゾロアークは今までにもまして怒りを露わにしていた。後頭部の毛を逆立たせ、新たに現れた邪魔者へとその矛先を向ける。しかし、その対象はシオンではなく、ティリスの方に完全に向かっていた。
「お前、裏切ったってわけだな。前からどうもきな臭いと思ってたんだ。ちょうど良い、ここで始末してやろうか」
「ええ、望むところですわ。もっとも、貴方にそれが出来るなら、の話ですけどね」
売り言葉に買い言葉で、開戦前から火花を散らす。離れた位置で倒れているクリアはおろか、近くにいるシオンやブレットさえも眼中にないようで、意思を汲み取った二人は後ろに下がる形でティリスに相手を任せる事にする。