第百二十一話 クリアとブレットの探索〜再会、対峙、届かぬ声〜
弱々しく明滅を繰り返す細長い通路には、淡い青の光で終始満たされている。例えるならば、ステンドグラスから太陽光が降り注ぐ、聖堂の中のように神秘さを湛えていた。歩く度にひたひたとする床も、鉱石で構成されていて硬質な壁も、海の冷たさを内包しているかのごとく冷たい。
特に音らしき音が周囲から発せられることもないせいか、アルム達から分かれてからと言うもの、沈黙が続いて静かな状態が続いている。喧騒に慣れ始めていたクリアとブレットにとっても、その状況がもはや不気味にすら感じられる。
「しっかし、ここは随分と奇抜な遺跡だよなあ。こんな怪しげなところなら、何があってもおかしくないっつーかさ」
「口を動かしている暇があったら、足を動かす。別にここの探索なんて楽しい事じゃないんだから」
二人並んで歩いても全然余裕があるくらいの道幅ではあるが、故に何か仕掛けがないかと目を凝らすにはやや広いうえ、天井もそこそこ高いと来た。幸いにも怪しい箇所は特に見つからないが、逆に探索に進展がないとも言える。未だ一本道が続くばかりで、脇に小部屋なども見当たらない。それが少々、ブレットにとっては退屈に感じ始めた。
具体的には、考えなしに通路の壁を触ったり叩いたりし始めたのだ。沈黙の苦痛に堪えかねて、刺激を求めて、ついつい手を出してしまう。そんなブレットが覗かせる呑気で子供っぽい一面に、クリアは些か苛立ちを覚えずにはいられなかった。
「あのさ、ふざけてる場合じゃないんだけど。さっさとこの先の探索を済ませて、用を片付けなきゃいけないんだから」
「だーかーら、これも探索の一環だっての。ほら、壁を叩いてたら秘密の部屋が見つかったりするかもしれないだろ?」
「もっともらしい事を言って逃れようったってそうはいかない。退屈凌ぎにこんなのどうかな」
不敵な笑みを浮かべたのを合図に、クリアが纏う空気が一変する。その体毛を震わせて大気を冷やし、氷の粒を形成していく。
「ばっか、おまっ、こんなところでやる気かあ!?」
「そうとも。これで君の目も覚めるでしょ?」
抑揚の少ない、割と本気で怒っているようなトーンで言い放ったのを皮切りにして、クリアの周囲を浮遊していた“こおりのつぶて”が一斉掃射された。次々と浴びせかけられる容赦のない攻撃に、ブレットも思わず目を瞠る。それでも何とか持ち前の機敏さを活かし、全て掻い潜って避けてみせる。壁から伝わる氷の破砕音の後に、ブレットが息を荒げながらクリアを鋭く睨みつける。
「アホかっ! 本気で当てる気だったのかよ!」
「当てる気がなければ、今みたいに狙わないよ。ちっ、一発くらい当たれば頭も冷えたのに」
「全弾当たれば頭どころか全身冷えるわ! ちょっとは可愛いところでも見せてみろってんだ、まったく」
「――あははっ! 相変わらずだなあ、クリアとブレットは」
二人で漫才を繰り広げているところに響く、どちらの物でもない第三者の声。アルム達とは先刻既に分かれて、集合場所も最初の広場に指定したはず。名を知る者が呼びかけてくる事はありえない。だが、二人はその声に聞き覚えがある。あるが故に、恐る恐る振り返る。
通路の中央に立っていたのは、頭部からは赤と黒の入り交じった鬣が伸び、二足歩行で体格の良い紫色の姿は狐――というより狼のような感じをしているポケモンであった。その正体は“ばけぎつねポケモン”として名高いゾロアークである。
「あれえ、どうしたの? そんなにぽかーんとしちゃってさ」
雷にでも撃たれたような顔をして呆けている二人に、ゾロアークは悠々と歩み寄る。
「だってお前、もしかしてアクロか?」
「もしかしても何も、そうに決まってるじゃーん。仲間の顔も忘れたって言うの?」
「いや、忘れたわけじゃねーよ。だけど、その、だな」
今行動しているアルム達を仲間とするなら、それ以外にもクリアとブレットには他にも存在する。それがトリトンの義賊であり、襲撃の際に全て掌握されて、催眠の術中にあるとばかり思っていた。目の前に突如として仲間が現れれば、二人とて動揺を隠せないもの致し方がなかった。
「まあまあ。何はともあれ、こうやって無事再会出来たんだ。その喜びを分かち合おうじゃないか」
アクロと呼ばれたゾロアークは両腕を大きく広げ、満面の笑みで二人に歩み寄ってくる。喜びを全身で表現する抱擁の構えに、クリアとブレットも受け入れようとする――はずがなかった。瞬時に後方に跳躍し、アクロから距離を取る。
「おいおい、釣れないじゃないか。せっかくの感動の再会を祝しての抱擁だってのに、そんなに避ける事ないだろ」
「しらばっくれるなよ。そんだけ殺気出しておいて、祝してもクソもあるか」
「おおっと。隠すの下手だったなあ。ま、ばれちまっちゃしょうがないか」
真横に開いていたアクロの口が、不自然に吊り上がる。飄々と笑っていたその表情が引き締まると同時に、頭部の鬣が風にでも煽られたかの如く波立つ。全身からは黒いオーラのようなものが溢れだし、開戦の狼煙が上がった。
まず先手を取ったのは、アクロの方であった。右腕を横に伸ばして構えを取り、俊足の足で肉薄してくる。二足歩行でもその素早さは圧巻のもので、クリア達も覚悟の下に表情を険しくする。
「援護は任せた!」
ブレットが勇ましく地を蹴って前に出る。相手が距離を詰めてくる間に、放出した水分を尻尾の先に蓄え、迫りくる衝撃に備える。機を計って尻尾を振り、同じくアクロがすれ違いざまに向けてくる鋭い爪に照準を合わせた。瞬間、鋭利な斬撃――“つじぎり”と水を湛えた打撃――“アクアテール”が正面からかち合う。純粋な力勝負はどちらも痛撃を与えるには及ばず、五分に終わった。
「そこ、もらった」
互いに衝撃の余波で後退を余儀なくされている間に、クリアは周囲の空気を凍らせて氷の弾丸をいくつも作り出す。超速で撃ち出される“こおりのつぶて”は、確かにアクロ目がけて全て飛んでいった。しかし、アクロは不安定な体勢ながらも左右へ小刻みにステップを繰り返し、これを尽く避けて見せた。
「おうおう、油断ならないな。相変わらず良い腕してやがる」
「軽々と避けておいて軽口ばっか叩くのは、そっちこそ相変わらずなこった」
未だ笑みを絶やさないアクロに対し、ブレットは気に喰わない素振りを見せる。だが、そんな反応に悠長に構っている暇も惜しい。アクロに現時点で真相を吐く気がないのならば、静かに聞きだす機会を窺うか、力づくでも話させるしかないのだ。まだ互いにまともな直撃もなく、人数差有利が働いている内に手早く片を付けようと、今度はブレットの方が先に動きを見せる。
その場で尻尾を大きく振って、片足立ちで一回転して見せる。二本の尻尾が描く軌跡からは無数の星の輝きが生まれ、光線となって次々とゾロアークに向かって放たれる。易々とは避けられないようにとの案から捻りだされた策が、高速で不可避の攻撃――“スピードスター”であった。迫りくる星の運河に対して、アクロは両腕で顔と胸を庇うようにしつつ、真っ向から受けきってみせた。
一撃では大したダメージを与えるには至らず、続いてアクロが反撃の一手に出る。大きく息を吸い込んで、肺に溜まった空気を一気に吐き出した。口腔からは吐息ではなく、赤々と燃える灼熱の炎が一直線に飛び出す。その火炎の対象は、効果の薄いブレットではなく、背後に控えるクリアの方であった。
クリアとて悠々と着弾を待ち構えるほど間抜けではない。これを自身の技で“打ち破る”のは難しいと判断し、射程外に逃れようと後ろに跳ぼうとする。だがその前に、ブレットが立ちはだかり、クリアへと迫る炎の盾となった。
「ばかっ、お前何やってるのさ」
「あちちっ! って、熱くない? 何だ、大した事――」
「そうじゃない、前っ!」
身を焦がす痛みに襲われない事を不思議がっているブレットに、クリアの鋭い怒号が飛ぶ。注意を促した彼の背後から、背筋も凍るような風が前方に向かって吹きつける。直後、炎が揺らめいてものの見事に掻き消え、小さな呻き声と共に炎の中に潜んでいた者の姿が視界に飛び込んでくる。冷気を受けて動きが鈍っているところへ、状況を把握するよりも先に、反射的にブレットが肉薄する。アクロの眼前まで至ると共に、すかさず水の力を蓄えた尻尾――“アクアテール”を振り下ろした。隙を突いた一撃は惜しくも両腕に阻まれるが、少なくとも“こごえるかぜ”はもろに当たった上、追撃で押しやって再度距離を稼ぐ事も出来た。
「アクロの得意技じゃん、幻影を見せるの。ブレット、それすらも忘れたの?」
「ばっか、ちげーよ! ただ、咄嗟の事で頭の中から吹っ飛んでて、お前守らなきゃって勝手に体が動いただけで」
ゾロアークが持つ相手を化かす力の一種で、自らの姿を変えるだけでなく、望む相手に幻影を見せる事が可能なのである。アクロは幻の“かえんほうしゃ”の中に身を隠し、視線が本体から逸れている間に接近を試みたというわけである。ブレットもしどろもどろになりつつ弁明しようとするが、それが思いの外クリアには衝撃的だったらしく、それ以上の嫌味は飛んでこなかった。
「お前は冷静だな、クリア」
「別に。たまたま技の放出主の姿が見えないのに気づいて、思い出しただけさ」
実際、クリアの反撃のタイミングもギリギリであった。もう少し遅れていれば、確実にアクロの凶刃がブレットに届いていた。そして改めて実感する事となった。アクロは本気で自分達を倒しに来ているのだと。せめてその余裕すらもなくなる前に、事情は聞いておきたい――その一心で、まだ戦闘が再開に至らない内にクリアが問いかける。
「アクロ、僕達はトリトンの仲間のはずだろう。どうしてこんな真似をする?」
「どうしてって? そりゃあ決まってるだろ。お前らのせいで、ボス達が操り人形になっちまってるんだからな!」
「待てよ、話がちげーぞ!」
だが、アクロはもう聞く耳を持たない。掲げた両手の内に黒と薔薇色の混じった塊が生まれ、渦を巻きながら収束していく。逢魔が時の空の色を写し取って閉じ込めたような球体を、思い切り地面に叩きつけた。凝集されていた暗黒の力が弾けだし、放出しどころを見つけたように衝撃波を周囲に撒き散らす。
放射状に広がってくる黒の波濤に対して、クリアが先に対抗策を打って出る。外界と通じていない通路に突如として風が吹きすさび、大量の白い雪がその中に混ざる。クリアを中心に白い渦を巻き起こしながら発動した“ふぶき”は、漆黒の衝撃波――“ナイトバースト”を事も無げに埋め尽くしていく。アクロの放った黒の攻撃は、数瞬のせめぎ合いによる抵抗の後に、完全に白の波に飲み込まれた。
「ついでに頭も冷やすと良い」
轟々と吹き付ける氷雪の嵐に、クリアの冷淡な声は溶けていく。技の衝突でいくらか勢いを殺されながらも、身を凍えさせる白銀の群れは、通路ごと氷結させつつアクロを覆い尽くさんと迫っていく。左右に逃げ場のないアクロは、その場で衝撃に備えて身構えた。だが、その体躯が白に染まる事はなかった。猛烈に吹き付ける“ふぶき”の中にも、僅かに技の効力が及ばない空間が存在したのだ。
「二対一だからって慢心し過ぎなんだよッ!」
風の流れに逆らい、鬣を激しくたなびかせながら、アクロは“ふぶき”の中を物ともせず駆け抜ける。皮肉にも自身の技で視界が遮られ、標的に接近されている事に、クリアは気づく由もなかった。そして、技の効果時間が切れて嵐が収まったと同時に、眼前まで近づいていたアクロの姿がようやく顕わになった。クリアも躊躇いなく氷塊を生み出そうとし、ブレットが阻止に動こうとするが、時既に遅し。
吹雪を切り裂いて進む疾風は、誰にも止められない。逆風さえも押し返す勢いを付けた、横一文字の爪撃。防御の術もなく、一瞬の隙を突かれて切り払われたクリアは、背後の壁に強く叩きつけられた。当たり所が悪かったのか、急所を捉えられたのか、そのままずるずると崩れたっきり動かなくなってしまう。
「てめえっ!」
相棒を先にやられ、ブレットもさすがに頭に血が上った。だがそれでも、最低限の冷静さを欠いてはいない。無策に突っ込んでいくのではなく、むしろ最善の策が浮かんで実行に移す。至近距離から素早く尻尾を振り、星型の光線による弾幕を張ったのだ。ここまで詰め寄っておいて、退く手はアクロにはなかった。その歩みは止まらず、被弾しつつもさらに“スピードスター”の中を突っ切ってくる。
「させっかよ!」
ブレットもおいそれとは接近を許すはずもない。“スピードスター”の突破に手こずって視界も不良の内に、星の群れの尾を追うようにして接近していく。ブレット自身も、体から放出する水の尾を引きながら。
ようやく星の光線が止んで、アクロが防御の構えを解いた――その時、眼前には既に対敵の姿があった。“スピードスター”に負けず劣らずの速さは、まさに韋駄天のごとし。そこから瞬きする暇も許されず、水滴を纏ったブレットの拳がアクロの顔面を捉える。瞬間、溜められていた水のエネルギーが破裂し、水飛沫の放散と共にアクロの体は大きく吹き飛ばされた。
追撃を選んだブレットは、着地して間もないアクロに再度“アクアジェット”を仕掛ける。身の危険を感じたアクロは即座に両手に力を篭めて、悪の力の爆発準備に入る。だが、初動で攻撃は見切っている。苦し紛れに放たれた“ナイトバースト”では、殊に速さに自信のあるブレットの足を阻む事は叶わなかった。波状に飛んでくる衝撃波を跳躍でひらりとかわし、“アクアジェット”と落下の勢いを保ったまま、全身を覆う水を尻尾の先に収束させる。
攻撃放出直後、伸ばした腕も戻せぬ隙だらけの頭上から、渾身の一撃が叩き込まれる。激しく水泡が弾ける衝撃と共に、アクロは豪快に地に叩きつけられる。今度の猛攻ばかりは、簡単には起き上がれるほどのものではなかった。
「勝負あったな」
一拍あって地に降り立ったブレットは、警戒を解く事なくアクロを睨みつける。その予感は的中し、射程内に一歩踏み入った途端、伏せた状態から爪の横薙ぎが飛んできたのだ。後ろに跳んで距離を取りつつ、アクロを凝視する。ゆらりと立ち上がったアクロには、確かに連撃のダメージは刻まれているようではあるが、同時にその瞳にぎらぎらとした鈍い光が宿っている。闘志にさらなる火を着けたようであった。
「アクロ、お前のそれはただの誤解だ! なのに、何がお前をそこまで駆り立てるんだ!?」
「オマエ、タオス」
感情に任せたブレットの怒号も、アクロにはちゃんと届く事はなく、通路に虚しく響くだけ。ゾッとするような無機的な声の中に、望む応答は一切なかった。ただ、腕を振り上げて、再開の合図を出す。ブレットは歯ぎしりさせながらも、戦意に満ち溢れた相手を迎え撃たんとする。
アクロが鬣を靡かせると、周囲の景色が少しずつ侵食され始める。蒼い輝きを秘めていた壁から光が失われ、夜の帳が落ちたかのごとく闇に覆われていく。ゾロアークが見せる事の出来るものは、単にワザの幻影に留まらない。元は化かして目を騙す事が真骨頂の力なれば、こうして景色すらも自らの思いのままにする事も可能なのである。
アクロの意のままに出来上がったのは、視界を確保する光の失せた、暗澹たる世界であった。これではどこから攻撃が来るか予想が付かないどころか、見えもしない。全方位に意識を向けて身構えるブレットの体は、瞬間痛みと共に後ろに弾き飛ばされる。物理的な攻撃をされた以外の感覚が分からないところへ、続けざまにアクロの爪の攻撃が繰り出される。見えない攻撃を避ける術もなく、ブレットは甘んじて受けた。無様に倒れ、痛みに顔を顰めつつも、暗闇の中に光明を見出した。
なおも非情な攻撃はなおも継続されるが、ブレットは聴覚に神経を集中させた。そこから天性の勘と俊敏な動きで捌き切る事に成功する。クリアを沈黙させた一撃を辛くもかわしたブレットは、細い足に水を纏わせ、その場からの速やかな離脱を図る。飛沫を撒きながら距離を取ろうとする鼬に対し、アクロも負けじと追いすがる。
逃げるのを止め、俄かに振り返って反撃を試みる。追随してくるならば、狙いどころは確実に自分の背後である。作戦を悟られぬように疾走のペースは変えず、即時に転回、迫りくるであろう箇所を予測して“アクアテール”を振り翳した。
「がは……っ!」
水を纏った尻尾は確かに直撃した――はずなのだが、同時に鈍痛が腹部を捉えた事を、ブレットは息を吐き出しながら痛感させられる。がら空きの懐を撃たれた一撃はあまりに重く、体力を根こそぎ持っていかれる程であった。しかし、容赦のない追撃はさらに続く。衝撃でよろけているところへ、すかさず鋭い爪による一撃が入った。
度重なる攻撃に、ブレットは意識が飛ばされそうになった。歯を食いしばって何とか堪え、崩れそうな足に力を入れ、よろよろとみっともなく逃げようとする。そうして敵に背を向けた瞬間、細い首元を掴まれ、暗闇に包まれていた視界がようやく晴れていく。
だが、今さら光が確保されたところで、絶体絶命の危機から逃れる術はない。体格差も相まって、ブレットの足は地から離れ、宙ぶらりんの状態になる。相手を見下ろしてみれば、その青い瞳に光は窺えず、濁りしか感じ得ない。それを口にする事すら、今のブレットには叶わないのであるが。
アクロは空いた方の腕を振り、迷うことなく前方に突き出す。長く鋭利な爪は、抵抗の叶わぬブレットの体を、易々と貫いた――。