エトワール・フィランテ〜星降りの夜の導かれし出逢い〜


















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第十五章 海底遺跡ラビュリントスと動き出す影〜強大な力と謎の封印〜
第百十九話 遺跡への道のり〜それぞれの決意、思惑、暗雲〜
 海底にある岩で出来た洞穴の中には、仄かに青い光が通り抜けているようであった。アトランティス自体がさして水深の深いところに位置する都市でなかったが故に、深海のような暗澹たる世界とはまた違っていた。そして遺跡へと通じるこの洞穴にも同じ事が言えるようで、つまるところどこかから海の青が染み出して空間いっぱいに広がっているという、なんとも不思議な光景となっているのだ。
 水中都市に入る際に授かった精霊の加護の一つ――空気を確保してくれる泡の層は健在であり、一行の進行に支障を来す事はない。依然として水中でありながら、呼吸の叶う状態なのである。だが、その加護も長くは要らないのだと告げたのは、他でもない遺跡の情報を提示したレイルであった。
「だって、海底遺跡って呼ばれてるって事は、そこも水の中には変わりないんでしょ? それなのにこの泡が必要ないって、一体どういう事なの?」
「ええ。主の質問にお答えいたします。この遺跡は少々特殊で、言わば異空間のようなものなのです。こことは異なる世界――もしくは私の故郷たる“ニンゲン”のいた世界での表現を用いるならば、ダンジョンとでも言いましょうか。そこには地上と同じように空気が満ちていて、我々の呼吸も難なく出来るような構造となっているのです」
 言葉上では意味は理解出来ても、実際にどんな様子なのかは自分の目で確かめてみない事には分からない。生返事に近い形で答えるアルムには、未だ実感が湧かないのだ。だが同時に、わくわくが募っているのも事実であり、新しい発見に胸を躍らせているのである。結果として、首を傾げて疑問符を浮かべながらも、期待に満ち溢れているような様子がその顔からは窺える。
「でも、さっきまで目的地らしい目的地がなかったとは言え、そんな簡単に決めて良かったの? あのミュウツー達の目論見を阻止するという名分があるけど、私達に一体何が出来て、何をすべきなのか、そこまでちゃんと考えてはいなかったものね」
 シオンが投じた一石で、全員の歩みがぴたりと止まる。アトランティスに立ち寄ったのは、その前の町で解放した者達を無事送り届けると言う名目の下であったが、今回に関してはさらに事情が変わってくる。
 今までは行く先々で何らかのトラブルに巻き込まれ、その解決に向けて動く形であった。だが、今回はそれとは異なり、ミュウツーのベーゼ相手に自分達から攻勢に打って出る事となる。生半可な覚悟で挑むべきものでもなければ、危険が伴う事を承知で動かなければならない事態でもある。アルム達とて軽い気持ちでここまで来たわけではないのだが、目の前に差し迫る事実を突きつけられて、戸惑わずにはいられなかったのだ。
「ごめんね。皆を困らせるつもりじゃなかったんだけど、そこをはっきりしておきたくて。新たに一緒に付いてきてくれる事になったのが、三人も増えたのならなおの事だと思ったのよ」
「それで思い出した。そういえば一つ大事な事を聞き忘れてたんだけど、クリア達は本当に僕達に付いてきてくれるの……?」
 決して存在を忘れていたのではないと言わんばかりに、アルムはクリア達へと視線を投げかける。だが、それもどこかおずおずとした様子であり、顔色を窺っているような感じがある。今は自分達の方針を定める事も重要なのだが、それ以上に新顔であるクリア、ブレット、ティリスの事が気がかりだったのである。
「ここまで来ておいて、今さらそれを聞く?」
「う、ごめん。ただ、本当に良いのかなって、一応確認しておきたくなって」
「ったく、仲間に入れてもらってるのはこっちなのに、どうしてぶっきらぼうな答え方しか出来ねえかなあ」
 クリアの棘のある物言いと冷然とした目つきに、それを予想していたはずのアルムも畏縮してしまう。ブレットが諫めると同時に溜め息を吐くと、クリアも少しばつが悪そうな顔をする。以前とは異なり、曲がりなりにも反省と歩み寄りの態度を見せなくはないらしい。微妙に気まずい空気になっているところへ、ふとその流れを断ち切るように割って入ったのは、クリアとブレットのさらに後ろに控えていたキルリア――新たな同行者の一人であるティリスであった。
「私からもお話させて欲しいですわ。私も皆さんには特に理由も話さず、勝手に付いてきた身ではありますから」
「そういえば、クリアとブレットは彼女から話を聞いたのかもしれないけど、私達はまだなのよね。実際、アルム達があなたと打ち解けてこの場にいるだけで、知らない事ばかりなんだもの。元々は敵だったわけだし」
「ええ、そこのマリル――シオンと言う名前だったかしら、貴女の言う通りですわ。事情も話さないままでは、例え敵意を向けられても仕方のないくらい。ただ、まずは単なる成り行きでこうして付いて来たのではない事だけは理解していただきたいですわ」
 シオンからの視線を掻い潜るためではない。ティリスは自分が敵ではないと改めて認識してもらう目的で、つい先日まで対峙していたとは思えないような柔和な表情を見せた。休憩目的で立ち止まっている一同も、素直に聴き入る体勢に入る。
「そうですわね。私が皆さんにこうして付いてきた理由はいくつかあれど、大きな理由は一つ。一度はあのミュウツー――ベーゼに加担した身であり、その贖罪の意味もあってでしょうか。何より私も、これ以上の暴走は見過ごせないのですわ。ええ、このままでは下手したら、この星の全員が危ないかもしれませんから」
 クリアとブレットと一夜を過ごした時のように、自らの過去を語るような事はしない。あくまでも自分が付いていく事による利点を述べた上で、この場にいる必要性を証明するに留まる。少なくとも疑問を投げかけたアルムにとっては、説明がなくとも笑顔だけで充分であった。
「まあ、君の決意は分かったし、それが口から出まかせじゃないんだろうって事は何となく分かる。だけど、僕達も何度か苦しめられたわけだしね。すぐに疑いが晴れるってわけでもないけど」
 鋭利な言葉を投げつけるのは、直近で一番被害に遭ったと言っても過言ではないライズであった。真っ当な理由を聞いて既に受け入れつつあるシオンやヴァローとは違い、未だ硬い表情を崩さず、ただ冷たい視線をティリスに向けている。慌てたアルムが、ライズに駆け寄って心配そうに見上げる。
「ライズっ、ティリスさんは悪い人じゃないよ! 今は反省もしてて、僕達に友好的に接してくれるし、それに――」
「わかってるよ。ふふ、アルムくんは本当にお人好しだなあ。そんな君が言うんだから、信じないわけにはいかないじゃないか。でもね、それとこれとは別でさ」
 アルムにはこれ以上ないくらい甘い笑顔を向けて、その名残を引っ張りつつ、ライズはティリスと向き合う。糾弾される覚悟のティリスは表情を曇らせているが、対するライズの視線は先程のように凍ったものではない。
「だから、改めて君がどこまで誠実なのか、僕に行動で証明してみせてよ。万が一アルムくんに何かしようものなら、僕は今度こそ君を絶対に許さないから」
「ええ、肝に銘じておきますわ。私も全力で身の潔白を――いえ、信頼を勝ち得てみせますから」
 行動を共にし始めてまだ一日も経たないというのに、ティリスが敵対していた時とは比べ物にならない程多様な顔を見せている。彼女を縛り付けていたベーゼの呪縛から解き放たれたからであろうか、その表情にも生き生きとした色が戻りつつある。その証として、前までは地面に向きがちだった視線が徐々に上に向くようになり、晴れやかで明るい、しかしどこか悪戯っぽい笑みさえ浮かべてみせるのだ。これにはライズも険しい面持ちをさらに緩めるしかなくなった。
「ティリスさんの決意に便乗するわけじゃないんだけどさ、僕も似たような事を考えてた。贖罪ってのは僕には難しくて良く分からないんだけど、でも、あのミュウツーを放っておいちゃ駄目だってのは僕も思うんだ。だから、もし僕に出来る事があるのなら、何かしたい。具体的に何をって分からなくても良い。僕達にはそれが出来るって、レイルがそう言ってくれるのなら、僕はそのレイルの言葉に応えたいって思うんだ」
 自信を喪失した状態にあったアルムの面影は、既にそこにはなかった。打って変わって凛々しいくらいの面持ちに、瞳に強い光を宿して輝かせるその姿は、ここまでの積み重ねで得た確かな経験値による成長の印であった。責任を、期待を、一身に背負う事もない。本当の意味で純真な心の表れである。
「アルムくんが頑張るなら、僕は寄り添ってその手助けをする。危険なところに飛び込むなら、手を繋いで一緒に行く。僕の方針は、最初からずっと変わらないよ」
 傍らに寄り添うライズも、いつものおどけたようにして甘えたような素振りを見せるのとは違う。己の確固たる意思を、強い思いの下に隣に立っている事を、真率な表情を漲らせて示して見せる。心強くて温かい言葉に、ほんの少しこそばゆくなりつつも、アルムはその思いに応えるようにはにかんでいる。
「おれもだ。最初はお前たちの道案内くらいだと思い、その先は少し付き合うつもりで同行しただけだった。だが、最近のお前たちの輝きを見てると、こう、守ってやりたい衝動に突き動かされるんだ。ここからはおれ自身の意思で、お前たちの支えになる。グラスレイノの一兵士、オルカの部下としてではなく、お前たちの仲間として、な。そのためになら、今まで鍛え上げてきたこの腕、存分に活かそう」
 アカツキが示す矜持と覚悟も、ライズと大差ないものであった。普段言い慣れない単語を口にしたせいか、少々気恥ずかしそうにして一瞬目を逸らしてはいるが、それも含めてアカツキらしい宣言であった。アカツキの気持ちをしかと受け取ったアルムは、笑顔で頷いてみせる。
「俺もあのミュウツーを野放しにはしておけない。あの時は歯が立たなかったけど、俺達だって成長していないわけじゃない。対抗する手段があるなら、食らいついて行きたいと思うさ。それに、俺がアルムを守ってやらなきゃいけないし、な!」
 ヴァローが貼り付けた笑顔の裏に、焦げのような黒い染みが見え隠れする。実際のところそれは、アカツキやライズの言葉とは似ても似つかない、空元気に近かった。心中には様々な思いが渦巻いていて、複雑な感情の坩堝と化している。真の思いが見つからず、迷宮を彷徨っているような錯覚さえ感じるほど。それをおくびにも出さないのは、ヴァロー自身がそれを異質なる感情と捉え、許容していないからであった。
「うん、ヴァローもよろしくね!」
 だが、他人の心の内など、分かりやすく示されなければ到底理解しがたいもの。アルムも親友の言葉に秘められた真の思いを汲み取れるはずもなく、きらきら眩しい笑顔を引き続きヴァローに向ける。いつもなら会心の笑みで返すはずのところを、その眩しさに目が霞むくらい辛く感じ、ヴァローは苦笑混じりの何かに留める事しか叶わなかった。その原因が何なのか、自分自身が気づいていないという致命的なミスすらも、本人は知る由もないのだが。
「じゃあ、私も改めて。一国の王女として、世界を危機に陥れかねない者達の存在は捨て置けません。でも、それ以上に私は一個人として、皆と行動を共にしたい。その先に例え危険が待ち受けていようとも、あなた達と一緒なら苦ではないわ。だから、これからもあなたの傍にいさせてね?」
「シオンがそう望んでくれるなら、喜んで! これからも、その、僕の傍にいてね?」
 問題提起を促した張本人たるシオンも、相応の理由を胸に秘めていた。不意打ちの如く打ち明けられたシオンの思いに対し、ライズの時とは異なり、アルムは照れ隠しで前足で顔を掻きながら、やや目を伏せがちになる。思わぬ反応にシオンもくすりと微笑みつつ、心地よく優しい声音で「ええ」とだけ返した。
 これで昨夜宣言したレイルや庇護対象のティルを除き、長らく旅を共にしていた仲間からは思いの丈を聞く事が出来た。残るは、最初はいざこざもありつつ、何度も鉢合わせしては、今は歩みを共にするという変わった境遇の相手――クリアとブレットの二人であった。物言わずとも視線で察したのか、まずはブレットが腰の位置に手を当てて存在を誇示する。
「オレは、そうだな。憂さ晴らしってやつだ! 義賊の仲間はおろか、お前たちを誑かしたり脅かそうってやつに会って、直接ぶん殴ってやらねえと気が済まないもんでね!」
「そんな理由で良いの? たぶん、戦いは戦いでも、きっと辛いものになると思うけど」
「アルム、そんなの気にしてんのか? 大丈夫だっての! オレだってそんな事は覚悟の上でこうやって付いてきてんだからさ!」
 ブレットに頭をわしゃわしゃと乱暴に撫で回され、アルムは視界を塞がされる。撫でられるのが終わった頃に見上げると、ブレットの顔には快活そうな笑みが溢れていた。いつものお調子者の雰囲気が形を潜めていて、輝く笑顔を真っ直ぐに向けられてしまっては勘繰るのは野暮というものだった。おとなしくこれ以上ブレットに物言いするのは止めにする。
「僕もブレットと似たようなもんって事でよろしくー。あ、一応復讐心みたいな、そんなどす黒いものじゃないってのだけは言っておくけどさ」
 普段とは立場が逆転して、こういう時ばかりはクリアの方が軽口になる。本心は決してそんなに軽いものではない事は、アルム達も徐々に慣れて察しつつある。少なくとも噛みついたり拒否したりしないだけ、クリアなりの意思を持って同行しているのだろうと納得する事にする。
「ここで立ち止まっているわけにもいかないもんね。よーし、このままずんずん元気に遺跡まで進もう!」
「アルム、ここに来てリーダー気質にでも目覚めたのか?」
「もう、ヴァローったら茶化さないでよっ」
 緊張を溶かすような笑顔も存分に添えて。結束を固めるように、再確認した思いを一つにして。士気も上がった一行は、神秘的な海中の青い道を突き進む。各々が内に秘めたる思いが、未だ真なる意味での交錯の時が来ないまま。


コメット ( 2018/06/12(火) 20:40 )