エトワール・フィランテ〜星降りの夜の導かれし出逢い〜


















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第十四章 水中都市アトランティスと結界使い〜精霊の秘密と新たな兆し〜
第百十七話 トリトンの仲間と三人の決意〜クリアとブレットとティリスの夜会話〜
 アルムとシオンとレイルが揃ってフルスターリの安置されている間で、交流の一時を過ごしていたのと同じ頃。アルム達が与えられたのとは別の、そして隣の邸宅に、クリア・ブレット・ティリスの姿があった。アルム達一行が一斉に寝静まっていた時も、こちらの三人は顔を突き合わせていた。
「貴方がたがこちらに来た理由は、もちろんお仲間の事を聞きたくて、なのでしょう?」
「まあ、主目的はそれだ。けど、それ以外にも、あんたの事を知りたくなったってのがある。あの子供のイーブイが、そんな事を口にしていたから」
 つまるところ、クリアもアルムに毒気を抜かれ、少なからず――どころか多大な影響を受けていたのだ。以前のクリアだったら、必要な情報を聞き出すことにしか興味がなかったはず。その些細ながらも大きな前進とも呼べる変化を、間近で見て感じていたブレットは、大層嬉しそうに笑みを零す。
「まさかクリアがそんな事を言うようになるなんてなー。ちょっと見ない間に随分と丸くなったな。アルムから何か得られるものでもあったのか?」
「そこ、にやつかない。凍らせるよ」
 ブレットには相変わらずの手厳しさだが、裏を返せば真意を見透かされたくないが故のきつい当たりとも取れる。それ以上突っ込んでは本当に凍らされかねないと、ブレットは追及を諦めて話を聞く体勢に入る。
「私の話なんか、本当に聞きたいんですの? さっきまで対峙していた上に、貴方がたお二人の仲間を奪ったやつですのよ。仲間に関する情報ならともかく、有益でもない話をしたところで――」
「あー、もう。僕はそういうの好きじゃないんだよね。あんたを憎んでいたのは嘘じゃないけど、それはもう水に流すべき事だって、あの子がそう教えてくれたから。必要のない憎しみを抱いたままでは、僕もあんたも救われない。違う?」
 クリアの視線は相変わらず温かいとは言い難いものではあるが、少なくともそこには普段以上に気遣いと優しさが溢れていた。ひとえにアルムによる感化があり、クリア自身も自分の心境の変化を受け入れ、ティリスの事を許しつつある事が大きな要因であった。
「貴方がたって、揃いも揃って甘い方ばかりですのね……優しい、とも言うのでしょうけど」
「あいつらと一緒にしないでってば。僕は僕なりの考えがあるだけで」
「素直じゃないのもここまで来ると考えものだよなー。キルリアのお嬢さんもそう思うだろ?」
「ブレット、その余計なお喋りをする口を凍らせてあげようか?」
「いいえ結構ですすいませんでした」
 ブレットは平謝りをして一時凌ぎ。からかう機会を窺ってはいるのだが、今すぐに飛び出せば確実に仕留められるのは目に見えている。悪戯好きの性分を知っているクリアとしてはさらなる牽制の一つでも撃っておきたいのだが、それではいつまで経っても本題に移れないと、半ば観念してティリスの方へと向き直る。すると、険しい表情をしていたはずの少女に、ふと優しい笑みの花が開いている事に気付いた。
「ごめんなさい。こんな立場で失礼を承知なのだけど、貴方がたがあまりにも仲良さげなもので、つい楽しくなってしまったのですわ」
 何だかんだで三人同室になってからずっと、キルリアは自分の置かれた状況を認識しているが故に――もっと言えば過度に恐れを抱いていたがために、その面持ちも強張っていた。だがここに来てようやく、緊張の糸も良い具合に解れた。ブレットもそう言われて悪い気はせず、一緒になって笑顔を絶やさなくする一方で、クリアは些か不服そうに視線を逸らす。
「別にこいつと仲良くなんかない。腐れ縁みたいなもんだから」
「必死に否定しようとする辺りが、何だかますます微笑ましい限りですわ。私も……ええ。貴方にとってのブレットという存在のように、もっと互いに信じ合える存在がいれば、ここまで落ちぶれる事もなかったのでしょうね」
「過去は振り返っても仕方ねーだろっ。それよか、これからそういう奴を見つけていけば良いんだよ! な? クリア?」
「何でそこで僕に振る。何で腕を回してきて嬉しそうに笑う」
 久々に打ち勝った気がして、ブレットも調子づいたのか殊更に機嫌が良い。満更でもない顔をするクリアも、やれやれと溜め息を吐いてはいるが、さっきまで脅したように凍らせようとする素振りは見せない。付き合いが長い事もあってか、自然と通じ合っているところは多いらしい。ひとしきり触れ合って満足したところで、ブレットはクリアから離れ、その場に座り込んでティリスを見据える。あまり話題が逸れても終わらないと、話を待つ体勢に今度こそ入ったのだ。
「では、信じ合える相手を作る第一歩を踏み出すためにも、私が知り得る限りの真実を話さねばなりませんわね。恐らく既出の事実である部分もいくつかあるでしょうけど、その際は聞き流してくださいな。私も一頻り、自分の行いについて顧みたいというのもありますので」
「あんま深く考え込むこたあねえよ? あんたのやった事、大体は分かってるつもりだし、既に事実はオレ達なりに受け止めてるつもりだ」
 アルム達とアジトであるトリトンで会いまみえ、月影の孤島で巫女であるサーナイトから話を聞き、ヴィノータウンでアルム達と再会の折に陰謀の渦中にいるキルリアの事を告げられた事で、仲間の大まかな事情については分かっている。その真実を受け止めた上で、前に進むと決心しなければ、今二人はこうしてここにはいないのだから。
 クリアとブレットの光を湛えた眼は、何があろうと挫けぬ心の表れでもあった。真っ直ぐな眼差しからそれを汲み取ったティリスは、感心したように、そして少し安心したように、表情を綻ばせる。
「お二人とも、お強いんですのね。委縮していた私が恥ずかしくなりそうなくらいですわ。貴方達がご存知の通り、トリトンに所属していた義賊――貴方達の仲間は、私の“さいみんじゅつ”で一度は術中に落ちました」
「一度はって事は、その後術から解き放たれたってわけ?」
「ご明察。 “さいみんじゅつ”の本来の使い方と言うか効果は、相手を眠らせると言ったものですわよね? しかし、私はそれを少し応用していて、その真骨頂は眠った状態に強い暗示をかける事で、相手を思い通りに操るところにあるのです。ですが、それには眠らせるより集中力とサイコパワーを要するのです。対象が多かったり、あのイーブイの子のように精神攻撃に耐性があったりすると、効き目が薄くなるのです。貴方達の仲間はよほど屈強な精神の持ち主揃いだったのでしょうね」
「さっすがはボスたちだよな! 何かそういうのを聞くだけでも、嬉しくなってくるもんだぜ」
 ブレットは歯を見せるくらいの勢いで、二人に向かってにっと笑いかけた。仲間の事や信頼関係に関して褒められると嬉しそうにする辺り、よほどトリトンの仲間の事を誇らしく思っている事が容易に窺える。クリアもこれにはうんうんと頷く。
「しかし、本来戦力にすべく狙いを定めた者達が思い通りにならなくては、面白くないでしょう。ですから彼は――ミュウツーのベーゼは、方針を変えたのです。抵抗する面倒な心さえ壊してしまえば、後は操り人形にするのは容易いだろう、と」
「おいおい、正気かよ。使い捨ての駒にするためなら、そいつの心はどうでも良いってのかよっ!?」
 ブレットは憤り、立ち上がり、息を荒くする。クリアもブレットほど目立った行動には移さないが、わなわなと震えている辺りには怒りを留めきれずにいるのと同時に、焦燥の色が滲み出ている。
「ええ。それほどまでに自身の願望に実直で、自分以外のものを軽視していたのですわね。私の力でも充分可能ではありました。先程の戦闘でもお見せした発展形、幻術を見せて打ち負かす事によってですわね」
「淡々と説明してるけど、まさかそれ、実行したっていう報告なんじゃないだろうね?」
「滅相もありませんわ。他者を人形にして操っていたような私が言えた義理ではありませんが、さすがに精神を破壊してまで操るような趣味はありませんもの。だから、私は出来ません、他の対象を捜す方が早いと思いますと、そう告げましたの」
 この時点でキルリアがクロではないと信じたクリアとブレットは、怒りを引っ込めておとなしく座り込んだ。結局表面上の事実だけ受け止めていた事を思い知らされるが、少なくとも目の前にいる少女が行為に及んでいない故、敵意を再度現すのは適切ではないとの自覚があったのだ。だが、次なる言葉が継がれてこない不吉さに、嫌な予感は薄々していた。固唾を呑んで、両者の視線が集中する中、ティリスは静かに首を横に振った。
「しかし、それでは気が済まなかったベーゼは、己の強力な超能力で、彼らの心に穴を穿ちました。彼には“さいみんじゅつ”は扱えないはずですが、天賦の才なのか、私の力を一時的に乗っ取ったのか、原理は分かりませんがともかく彼らの強靭な精神に直接攻撃を与えたのです。尤も、そこに至るまでに、無抵抗の相手を肉体的に酷く痛めつけた、というのもあるのですが」
「それで、それでボス達はどうなったんだ!?」
「ブレット、落ち着いて。今順を追って話してくれてるんだから」
「ええ、逸る気持ちも分かりますが、今は鎮めてくださいまし。それで、体も疲弊して抵抗力の落ちている彼らの心は、あっさり陥落しました」
「嘘……だろ……じゃあ、皆は……」
 心が、空気が、体中の血が、全てが凍りつくような錯覚を感じる。視界がぐるぐると回り、吐き気すら催してくる。敵の手に落ちた事は、頭では分かっていたのだが、裏で行われていた支配までの流れの衝撃に、二人は耐えきれなかった。クリアとブレットの顔に見る見るうちに絶望の色が広がる。
「最後までお聞きくださいまし。陥落こそしましたが、崩壊は免れました」
「はあっ?」
 素っ頓狂な声を上げると共に、途端に生気が戻ってくる。色も感情も失いかけていたところに、最悪の事態とは異なる展開が舞い込んできたのだ。二人が不意を突かれたように呆然とするのも仕方なかった。
「これでも一応、精神掌握にだけは長けていると自負している身です。ただ悪戯に壊そうとするだけのベーゼの目を盗んで、寸前で義賊達の心を保護して、奥底に封じ込めました。酷く傷ついてはいましたが、少なくとも彼らの心は未だ残っています。これで贖いになるとは思ってもいませんが、せめて精神が破壊される事態だけは、私としても見過ごせなかったのです。その点だけは、安心して――」
 キルリアの少女が全てを告げ終える前に、ブレットがその手を取って、強く握った。
「ありがとう、オレ達のボスの心を守ってくれて、本当にありがとう」
 口を衝いて出たのは、ひたすらに感謝の意であった。一時は思い留まった叱責や復讐を覚悟していたティリスには、ただただ予想外の反応である。橙色のイタチの少年の瞳から、ぼろぼろと涙が零れ落ちるのも含めて。
「何故そこで感謝の言葉が出てくるんですの? 全てを告げると宣言こそすれ、貴方達に真実と嘘とを判別する術はないはず。貴方達に取り入るための、芝居かもしれないのですわよ?」
「僕達にだって、多少の嘘を見抜く目くらいある。だけど、“あなた”からはそれを感じなかった。だから、信用に値すると踏んだ上で、当然の帰結として感謝を告げただけ。ブレット、そうでしょ?」
「ああ、さすがはクリア、こういう時も冷静だな」
「でも、それでも、元はと言えば私が操ろうとしていたという事実には変わりはありませんわ! だと言うのに――」
「それを言うなら、あんたがぎりぎりのところでボスたちの心を守ってくれたのも事実なんだろ? その事実さえ分かれば、オレ達にとっちゃあんたは感謝の対象にしかならねえよ!」
 そろそろ涙を流しっぱなしの羞恥に耐え切れなくなったのか、ブレットはぐいっと乱暴に頬を伝う滴を拭い、改めてティリスと握手を交わす。ぶんぶんと勢いをつけて縦に振り、その度に少女の体は大きく揺れ動く。だが、悪い気は微塵もしなかった。むしろ、胸にぽっかり空いていた穴が、クリアとブレットの誠意で埋められていくようであった。
「本当に、お人よしばっかですのね。羨ましくなるくらい」
「へへっ、褒めてもなんも出ねえよ」
「ブレット、この場合、呆れられている事もあるから気を付けようね。たぶんそんな意図はないだろうけど」
 互いに抱え込んでいた思いを、もやもやを、しこりを吐きだし終えた事から、凍り付いていた空気も一気に溶け出す。だが、最悪が避けられたに過ぎず、課題が山積みである。一時の安堵に浸っているのも早々にして、ティリスがそこですかさず現実に引き戻す。
「しかし、あくまでも私は心を保護して封印したに過ぎません。今現在、貴方達の仲間は、実質心のない状態で、ベーゼの指揮下で動いているようなものですわ。既に私の管轄外で、私がその洗脳を解く事は叶いませんの」
「つまり、ボス達を正気に戻して心を元に戻すためには、そのミュウツーを倒すしかないって事だな?」
「理解が早くて助かりますわ。そうなりますわね。過酷でしょうけど、それが唯一にして確実な方法ですわ」
「だったら、話は早いじゃねえか。アルム達に協力して、あいつをぶっ倒しに行けば良いんだよな!」
「短絡的だけど、そうなるね。ブレットにしては良く出来ました」
「オレは子供扱いかよっ」
 突っ込みを入れるブレットの動きにも、いつものキレが戻ってきた。激しく動揺こそしたものの、助けられる可能性が僅かにでも残っているなら、その希望に縋りつくだけの根性と気持ちの強さを二人は持ち合わせている。故に一度は挫けかけた心も、こうしてなお強固な決意へと変わっていたのだ。ここで、「でも」とブレットが怪訝そうに言葉を繋ぐ。
「クリアは本当にそれで良いのか? アルム達に同行して、行動を共にするわけだけど」
「君は僕を一体何だと思ってるんだよ。掛け値なしに動けない、誰とも行動を共にしない、非情な一匹狼とでも思ってるわけ?」
「まあ、当たらずとも遠からずだな」
「――後で覚えておきなよ。ともかく、だ。まあ、あのイーブイ達に恩みたいなものがないわけでもないわけだし、何よりボス達のためってのもあるし、協力しないでもないかなっては思ってる。それに、今の僕達はまだまだ力不足だしね」
 曖昧な言葉でごまかして、素直じゃないように見せてはいるが、その実本心はとても分かりやすいものだった。ブレットがまたしても喜色満面の笑みを見せる。そして、クリアの言う事が的を射ているのも事実で、相方もそれは重々承知のようであった。
「オレ達自身が強くなるためにも、これはアルム達に付いていくっきゃないな!」
「ブレット、何だかんだであいつらの事を気に入ってたもんね。嬉しそう」
「クリアはそうじゃねえのか?」
「前まではそうでもなかったけど、今は否定はしない……かな」
 それを本人たちの前で見せたらきっと大いに喜ぶであろう、細やかな笑みと吐露を見せる。だが、相棒のブイゼルの前では、肝心なものもからかう種にしかならない。本音の出し場所と相手を間違えたと、クリアは口走ってから後悔する。
「ところで、ティリスはどうするんだ? 良かったらオレ達――と言うかアルム達に付いてこねえか?」
 今度は初めて名前で呼ぶ。ブレットとしては何気ない、自然な歩み寄りの一環でしかなかったのだが、当の本人は不意を衝かれて一瞬呆けたようになる。自信なさげに自身を指差すティリスに、笑顔のイタチが頷いたところで、ようやく話を振られた事に気付いて首を振る。
「私は、そうですわね。分かりません。少し、自分の気持ちに整理を付けたいと思っていますの。少なくとも今夜は寝ながらゆっくり考えたいものですわ」
「そっか。別に無理強いするつもりはねえからな。じゃ、二人ともおやすみ」
「おやすみ。氷漬けにならないように気を付けなよ」
「それ、犯人お前だよなあ!? 散々からかわれた仕返しにするなよ! したら化けて出てやるからな!」
 最後の最後まで二人は仲睦まじい様子を見せる。アトランティスの住民やトリトンの義賊を含め、利用するために“さいみんじゅつ”で操っていた首謀者として然るべき刑を受ける事は、敗北した時点で覚悟はしていた。だが、それを不問にするばかりか、優しく手を取って感謝を述べるだけに飽き足らず、あまつさえ仲間になろうとの勧誘さえしてくる。それも、一人だけではない。
 最初は甘さだと小馬鹿にする気持ちもあったが、それはあっという間に薄れていった。代わりに湧き上がってくる、心のどこかで昔から切に願っていた、身を委ねたくなるような心地よさに、ティリスの心は揺れていたのだ。だからこそ、今すぐここで答えを出す事は叶わなかった。それでも。
「ふふ。二人とも、おやすみなさいませ」
 今この時だけは、温かい輪に入っていたいと思う。心苦しい話をしたにもかかわらず、素敵な一時と心の安息を提供してくれた二人に、ティリスは今一度笑顔で以って応じた。明日を迎えるのがもう怖くないと、明日は今までと違い光と共に訪れると信じて。孤独だった少女は、初めて落ち着ける場で眠りに落ちるのであった。


コメット ( 2017/07/01(土) 19:20 )