エトワール・フィランテ〜星降りの夜の導かれし出逢い〜 - 第十四章 水中都市アトランティスと結界使い〜精霊の秘密と新たな兆し〜
第百十三話 キルリアの幻術を突破せよ〜願いを込めた新たな顕現〜
 全身を隈なく包み込むような、つるりとした感触。体の熱を全て吸って奪っていくような、心地よいほどの冷たさ。口を開けても取り込まれないが、絶えず水分を摂取しているようで乾燥とは無縁な、全身で感じる潤い。自然と呼吸が出来るために忘れがちになるが、時々ゆらゆらと光の波が視界を横切る度に、ここが水中である事を思い出す。そんな本来ならば水の中での呼吸手段を持たぬ者達を容赦なく拒む空間において、尾行されていようなど夢にも思わなかった相手との望まざる再会を迎えてしまった。
 緑色の髪のような頭部に、赤い半円形の角が生え、体は白く二足で立つ、体躯の良い艶やかな雌を思わせる姿。これまでも“さいみんじゅつ”で幾度も苦しめられた敵の登場に、アルムはおろか他の二人も驚きを顕わにする。凍りつく一同を見て悦に入っているのか、キルリアは悠々と構えて見据えてくる。間を置いて状況が飲み込めた事で、臨戦態勢に入ろうとするが、アルムは体にしつこく纏わりつく倦怠感から、上手く立てなかった。
「優雅で堂々とした登場だな。不意打ちなんぞしなくても余裕ってか」
 鈍い赤を宿した炯眼(けいがん)が、真っ先に侵入者を捉えた。アカツキは眼光鋭く勇み立ち、いつでも斬りかかれるように爪を前に出す。刺々しい皮肉に対しても、キルリアは一笑に付して見せる辺りにも、余裕の色は嫌というほど窺える。小憎らしい事この上ないが、このまま突っ込んでは敵の思う壺だと、アカツキは出しかけた足を引っ込めてアルムを庇うようにして立つ。その立ち位置よりもさらに一歩先を踏み出し、因縁の大きいアカツキ以上に敵意を剥き出しにしていたのは、グレイシアのクリアであった。
「そういえば、あんたが義賊のアジトで好き勝手やってくれた黒幕なんだっけね。そのお礼は僕がたっぷりとしてあげるよ」
 以前酒造の村でクリアとブレットに鉢合わせした時に、元凶がキルリアである事は既に話していた。先の短いやり取りの中で仇である対象だと認識していたからか、必要以上に話す余地などクリアにはない。光を浴びて鈍く輝く、氷のように美しい全身の体毛を震わせ、周囲に微小な氷の塊を生み出す。きっと睨みつけるのを合図に、宙に留まっていた氷の弾丸は一斉に撃ち出される。牽制などではない、速攻を仕掛けたクリアの“こおりのつぶて”はしかし、標的を捉える事なく虚空を抜けていった。
「あらあら、ご挨拶ですわね。まだそちらは名乗ってくださってもいないのに。まあ、その必要も名前を伺う気もさらさらないんですけど」
 憎まれ口を叩くと同時に少女の姿が揺らぎ、力の発露を示す。瞬時に視界から掻き消えたキルリアは、いつの間にか正面から左方に移動していた。目を瞠る移動速度への驚きで反応が遅れるが、それでもクリアは即座に転回して対応する。口から吐く息に粉雪を散らし、広範囲に広がる凍てつく息吹を繰り出そうとする。
 今彼らが立っている空間は、元は水で満たされている。本来ならば“こごえるかぜ”などの類の技は、丸ごと水に溶ける形で不発に終わるのが妥当であるが、ここは精霊の司る特殊な空間である。故に結果として、雪交じりの身を震わす風は地上と何ら効果を違える事なく巻き起こった。
 だが、その攻撃もお得意の幻術とやらで再度なかった事にされるか――半ば諦めつつ動向を見守っていると、“こごえるかぜ”はキルリアに“順当に”直撃した。大したダメージを期待出来る技ではないが、それでも凍てつく風を受けたキルリアは軽くよろめき、その体を幾許か雪で白く染めていた。
「あれもやられているふりをするための幻? でも、それにしては違和感がないような……」
「幻覚使いとやるってだけでも厄介だが、あくまで勘だけどな、あれはたぶん幻なんかじゃねえはずだ。それが出来てるなら、今頃また小憎らしい幻覚攻撃の一つでも浴びせかけてきてるだろうしよ」
 僅かばかりアカツキ達よりは幻覚に抵抗力のあるアルムの目から見ても、眼前のキルリアは確かにクリアの攻撃をもろに喰らっていた。だが、今までは鮮やかにかわしていた印象の強かったアルムとしては、甚だ疑問でしかなかった。
「正規のルートで入ったのではない以上、全身を包む泡を使わずしてこの中に留まるには、別に身を守るための膨大な力が必要なはずだ。さしずめ、ただでさえ幻覚を見せるには力が要るはずなのに、そちらに割かれている挙句、ないようで存在する水にテレパシーによる干渉を妨害されているとかそんなところでしょ」
 アルムが抱いていた疑問は、この土地に詳しいクリアが代わりに解消してくれる事となった。あくまで一個人の仮説に過ぎないが、もしそうならば大いに合点も行く。手応えがあった事で少し違和感を抱き、動向を窺うでもなく漫然としていたが、これで新たに動くべきアルムの中での理由の一つが芽生えた。
「だとしたら、操っていた奴らを失い、力も大幅に削られるリスクを負ってまで、こんなところにのこのこ現れた理由は何だ? 冷やかしにしちゃ無理があんだろ」
 今まで散々妨害ばかりしてきた相手ではあるが、今回ばかりはその真意が読めない。満遍なく白化粧を施された全身から白粉を叩き落としつつ、キルリアはアカツキの噛みつきに対してにっこりと、不自然な作り笑いを浮かべてみせる。
「信じてもらえなくとも構いませんわ。これは迷いを吹っ切る為の賭けですの。私が今までしてきた事が、果たして正しかったのか、それとも間違っていたのか、分からなくなりましたの」
「あんた、僕をこけにするつもり? 自分で何を言ってるのか分かってんの?」
「ええ、分かってますわよ。馬鹿にしないでくださる? だから、自分の行動の是非を確かめたいと、そう申しておりますの」
「僕の仲間を好き勝手弄んでおいて、その口ぶりは何さ。確かめるも何も、間違ってるに決まってるでしょ」
 仲間を利用されて怒り心頭のクリアにとっては、キルリアの言動の一つ一つが既に油に火を注ぐようなものであった。だが、それが虚言だとは思わず、存外冷静に受け止めていたのは、残るアルムとアカツキの両名であった。
「クリアの言うとおり、倫理的な意味で言うならこいつは間違ってるんだろうな。だが、こいつの言いたいところはそうじゃねえ。何らかの指針や理念の下に動いてきたんだろうが、それ自体がそもそも正しかったのかとか、そういう事じゃねえのか?」
「何だよ、こんな極悪非道な奴の意思まで汲み取れって言うの? そんなの、僕はまっぴらごめんだね」
「まあ、お前の憤りも何となく分からなくはねえよ。身内を利用される苦しみは、おれもあいつに充分味わわされたからな。だけどな、まだ何かが通じる余地の相手を、理解しようともせずに打倒しようとすると、後悔する事だってあるのは肝に銘じておいた方が良いぞ」
 ぎすぎすした雰囲気になるかと懸念したが、クリアはそれを気に食わない顔をしながらも聞き入れ、出しかけた怒りの塊を静かに飲み込んだ。それを受けて安心したアルムが、満を持して切り出す。
「キルリアさん、前に言ったよね? 僕、キルリアさんの事、本当は悪いひとには見えないんだって。だから、その、こんな事止めようよ」
「それを言うなら、私もその時言いましたわよね。本気で容赦致しませんって。ですから、今度こそここで決着を着けさせていただきますわ」
 キルリアが手を振った先の空間から、紫色の光を帯びた葉っぱが無数に現れる。ただの葉っぱではないという嫌な予感は的中している。自動的に追跡する魔の力を帯びたそれは“マジカルリーフ”と呼ばれ、一般的には必中の技とされている。もう一度手を振る事で、葉っぱの群れは一斉にアルム達目掛けて飛んできた。
「避けられないんだったら、防ぐしか……!」
 体力的に上手く逃げ切る自信のないアルムには、そちらの対抗策の方が無難で賢明であった。強く念じる事でドーム状の蒼い防壁を展開し、不可避の攻撃に備える。だが、それが悪手である事を、直後に思い知らされる。
 マジカルリーフはまんまとバリアを擦り抜け、アルム達の元に到達したのだ。これも幻影の一種だと気づいた時には、その体を切り裂かれていた。――しかし、その葉は一枚たりとてアルムの体に当たる事はなかった。全て、アカツキが代わりに受け切ったのだ。
「大丈夫、だな。こんくらい大した事ねえから、そんな暗い顔すんな」
 白い牙を見せて、アカツキはにっと不敵に笑ってみせる。やせ我慢ではなく、まだ本当に余裕のある範囲ではあるらしい。だが、今の一手が何の意味も持たなかった事に、アルムは自責の念を抱かずにはいられない。
「どうせ自分のせいだとか思ってるな、いっちょまえに。守れる力があるからって、何でも背負い込むのは良くないぞ。だから、多少守れなかったくらい、気にするな」
 反論しようと出しかけた言葉を、喉元で止めて引っ込める。相変わらず求めているような心強い言葉をくれるアカツキに、今度こそ心の底から迷いを絶ち切って、アルムは安堵の表情を見せる。今まで勝手に気を張っていたのが嘘のよう。一人じゃないと思えるだけで、不思議と力が湧いてきた。
「アカツキさん。守ってくれて、支えてくれて、ありがとう。僕、やっぱり背伸びしなきゃってどこか思うところがあって、無理してたのかも」
「ああ。そのせいで今回倒れたって言っても過言じゃないだろうしな。けど、それを自覚出来ただけでも収穫があったんじゃねえのか?」
「うん、僕もそう思う。仲間を頼るって事の大事さを、身を以って分からされたって言うのかな。これで、胸を張って、ヴァロー達と正面から向き合って、甘えられる気がするよ。――甘えられるってのも変だけどねっ」
 体調の悪さも手伝って、ここまでずっと強張っていたアルムの顔に、今度は柔らかな笑みさえ零れる。決して油断して良い状況ではないのだが、逆にこういう時だからこそアカツキの頼りがいを実感して、素直に笑えたのだ。それにアカツキも、珍しく優しい笑みで応じてくれた。溢れる暖かな思いの欠片が、光の粒となってアルムの体から飛び出し、オカリナの中に溶け込んでいく。

 刹那に起こる、蒼い煌めきの爆発。オカリナから眩い光が放たれ、視界を覆い尽くしたかと思えば、時間の経過と共に収束していく。目に見える形で現れたそれは、力の解放、もしくは上昇の証。夢現の中でティルが告げた、兆しの一部。アルムにとっては既に馴染みのある感覚で、自ずと何が起きたかも把握出来た。後は実践でその真価を試すのみである。
 凛とした眼差しに、既に愁いも迷いもなく、今度こそ全てが吹っ切れた様子であった。その視線に射抜かれて、凄むような鋭いものではないと頭では分かっていながらも、キルリアはたじろいでしまう。だが、キルリアとしてもここまで来て引き下がるわけにはいかない。様子を窺いながらサイコパワーを溜め、次なる幻術を解き放たんとする。
「僕は、こんな事望んでないです。僕はもっと、ちゃんとキルリアさんとお話がしたいだけ――」
 迎え撃つアルムの切なる願いと共に、新たに顕現する力。アルム自身の体とオカリナが光を放ち、それが結晶化して宙に浮かんでいく――その正体は五枚の大きな光の壁で、さながらアルムを守護するようにくるくると周回しながら漂っている。アルム自身も見覚えのない力ではあるが、直感で思い通りに操る事が出来るような、そんな根拠のない自信に満ち溢れていた。
 対するキルリアは、未知の力であろうと、既に準備を終えた力の解放を止める気はなかった――否、もう止めたいとさえ思わなかった。一種の覚悟を乗せた幻術の力が、キルリアを中心に一気に放出される。蒼い幻想的な空間が一瞬にして赤と黒の入り交じる禍々しい空間へと塗り潰され、一気に気温が上がって灼熱地獄と化す。
「やばそうじゃないか、これ。僕の氷技とどっちが勝つか勝負しようってんなら――」
 あまりの熱さに顔を顰め、息苦しそうに喉を酷使して喋りつつも、クリアは勇んで前に出ようとする。その足を、同じく表情を険しくするアカツキが制止した。
「何だよ、邪魔するのか」
「邪魔するんじゃねえよ。ただ、せっかくの見せ場なんだ、ここは怒りを抑えて任せてやろうじゃねえの」
 被害を受けたという意味ならば、アカツキもクリアに負けず劣らずの経緯がある。もし復讐心にのみ心を囚われるなら、自慢の爪を以ってしてすぐにでも殴りかかりたい程であった。だが、猛り狂う怒りという猛獣を鎮め、なおアルムに全てを託そうとする気概に、クリアも根負けした。その強さを認めた彼と自分自身に、冷気の盾を施し、動向を見守る事にする。
 期待の眼差しを向けられるイーブイの少年は、涼しげな顔――と言うより、落ち着き払っていた。アルムとてこの幻術の影響が皆無ではないであろうが、それでも汗一つかかず、顔つきもしっかりとしている。熱されたと“感じる”空気を吸って、さらに気持ちを落ち着けた。意を決したアルムは、祈りを込めて目を閉じる。
「キルリアさん、こんなまやかし、もう終わりにしましょう」
 思いを力に。願いを現実に。アルム自身が纏う光と、オカリナの光が明滅する。それに呼応するように、アルムの周囲を飛び回っていただけの光の板の動きが止まる。そして、横一列になった五枚の板は、その形状を矢状の物へと変え、一斉に撃ち出された。迫りくる業火を吹き飛ばし、いとも容易く貫き、目標であるキルリアを捉えて撃ち抜く――事はなかった。
 軌道がキルリアから見事に逸れた五本の光の矢は、キルリアの脇の空間に深々と“突き刺さった”。奇妙な光景にアルム以外の全員が呆気に取られる中、薄氷が割れるような音と共に、矢が刺さっている空間に亀裂が入っていく。それが赤黒い空間全体に及んだところで、陶器が粉々に砕けるような音が響き、キルリアが支配していた空間が完全に砕け散る。
 目を引くおどろおどろしい赤は瞬時に掻き消え、元の美しい青が戻ってきた。必要な物だけを淘汰するかの如く、アルムの新しい力が、キルリアの幻術を正面から打ち破ったのである。
「えへへっ。キルリアさん、僕の勝ちですね――」


コメット ( 2017/02/21(火) 22:23 )