エトワール・フィランテ〜星降りの夜の導かれし出逢い〜


















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第十四章 水中都市アトランティスと結界使い〜精霊の秘密と新たな兆し〜
第百十二話 アカツキの信念と羨望〜惑う心を照らす道標(あかり)〜
 いつもの心強い強固なバリアを張る光でもなければ、目を眩ます閃光でもない。ただこの高台一体を包み込むような淡い光が、オカリナから放たれた。蒼い光の展開と同時に、突然倒れたアルムの周りに、その場にいる全員が一斉に駆け寄った。堅く目を閉じて繰り返している呼吸も荒く、体に触れるとほんのり熱い。典型的な風邪の症状であった。ライズが必死に呼びかけるが、それに応える余裕もないらしい。シオンが“アクアリング”をアルムの周りに展開させ、少しでも体力の回復を図るが、大して効果はないようであった。
 グロームタウンを出発する辺りから、その兆候はあった。アトランティスに来る道中に頻りに休憩を求めてきたのも、体調不良によるものであったのだ。それでも早く着きたいと思う余り、ひたむきに隠そうとして平生を装い、体に負荷をかけていた。その我慢の限界が、心の決壊と共に訪れ、目にも明らかな症状として表れたのである。
「たぶん、本当は戦いたくないって思いながら無理して戦って、その心労がここにきて祟ったのね」
「こいつさ、辛かったら正直に言えって言っても、悟られないように平気なふりをする癖があるんだよな。長い事一緒にいるのに、また見抜けなかった」
 苦しそうに横たわるアルムに寄り添い、シオンは例え気休めでも気分が良くなるようにと体を優しく撫でる。その傍らでは、ヴァローが悔しそうに歯を食いしばる。同時に、獲物を狙う猛獣の如き鋭い眼光を、こうなった原因の一人であるマナフィのニノアへと向ける。進化前で相手を慄かせるほどの体長や体つきでもないが、代わりにいつしか一人前の威嚇の術を身に着けていた。視線に射抜かれたニノアも、険悪な雰囲気に耐え切れず苦笑を浮かべる。
「そんな睨まなくたって良いじゃーん。そりゃあ緊迫感を持たせるために言葉攻めにしたのはちょっと反省してるよ。でもさ、直接何かしたわけじゃないしさ、そもそもニノアが悪いわけじゃないし」
「ああ、分かってるよ、んな事。八つ当たりして悪かったよ」
 ヴァローとてその辺りの分別は弁えている。今はただ、また何も出来なかった自分への激情を転嫁してしまいたい衝動に襲われてしまったのだ。一度頭を整理して反省した事で、いつもの冷静さを取り戻した。しょんぼりして座り込みながらも、アルムの傍から離れようとしないティルを一瞥すると、余計にいきり立っている場合ではないと奮起する。
「俺、広場の方に戻って、元気になるような木の実でも探してくる」
「じゃあ、私も一緒に行くわ。ヴァロー一人で木の実を運ぶのも大変でしょ?」
「それでは、私もご一緒致します。効能のある木の実を選別し、ここにいち早く戻ってくる最短ルートも既に把握済みです」
 四足歩行のヴァローでは、木の実を咥えて持ってくるにも限界がある。手を使えるシオンが運び手として名乗りを挙げた。加えて、レイルが珍しく自主的に同伴を買って出る。主たるアルムの異変に、ただ黙って控えているだけではいられなくなったのであろう。ヴァローとシオンもその行動に一瞬驚くが、アルムを思っての事ならば無碍に断る理由もなく、快く了承する。
「僕はアルムくんに付き添って――ううん、そうですね。ティルくんを外に連れ出して、宥めてきます。今アルムくんの元にいても、どうしようもないでしょうし」
 傍で看病したい本音を喉元でぎりぎり押し殺し、ライズはアルムが喜びそうな事を最優先する事にした。いつもなら遊んでくれるのだとはしゃぐティルも、やはり気分が沈みこんだままで調子が戻らないが、ライズに付いて行く事に異存はないようである。ブレットも子供をあやすのは得意だと自信満々に賛同し、半ば無理矢理クリアを付き添わせる形でその場を後にする。
「俺が頼むのも変な話だけど、アカツキはアルムの事見守っててくれないか。一番腕の立つアカツキが、一番頼りになるんだ。ついでに、あのいけすかない精霊様が何かやらかさないかも見張って欲しいし」
「ああ、別に構わねえよ。いざとなったらこいつを担いで逃げ出してやるさ」
「信用されてないなあ。まあ、見張りがいようといなかろうと、別に悪さしてやろうって気もないけどさ」
 ニノアの監視役も担ってもらおうと、ヴァローが適任者――この中でも一番戦闘面において信頼の置けるザングースのアカツキを指名した。ニノアはけたけたと笑ってごまかそうとするが、そんな事で警戒を解くのはおろか許すほど甘くはない。案の定思い切り敵対視された事がよほど不服なのか、ニノアはべーっと舌を出して建物の屋根を通り越し、町の方へどこか飛んでいってしまった。
 あれだけ賑やかで騒がしくなっていた旅の一団も、中心となるアルムが倒れて太陽のように明るいティルがしおらしくなった事で、火が消えたように一気に静かになった。アルムの為にと銘々に散ったところで、海草と石畳の広がる場に残されたのは、アルムとアカツキの二人きりになった。
 今は静かに寝息を立てているアルムを見ていると、今までにない感情がアカツキの心の中を渦巻いた。最初はオルカの指示通りに道案内で終わらせるつもりが、成り行きで戦闘にも巻き込まれたとは言え、ここまで付いてきてしまっている。それは間違いなく自分の意思であり、自分の中の“ある認識”が変わり始めたのだと薄々気付きつつある。そのきっかけをくれたのが、こんなちっぽけなやつなのか――その小さくも精一杯もがく戦士の体に触れようとした時、その者は目を覚ました。
「アカツキ、さん? あれ、僕は一体……。それに、皆はどこ?」
「体にガタが来て倒れたんだ。今はお前の体調が早く良くなるようにと、あちこち動き回ってる。だから、お前はまだ寝てれば良いんだ」
「いや、でも、まだ話の途中だったし、ティルの事が心配だし……。あっ、そうだ、それに、あの世界の事も――」
 その気苦労が絶えないせいで体調を崩したと言うのに、この期に及んでまだ他人の憂慮をするとは――アカツキも溜め息を吐いて呆れそうなくらいであった。無理に体を起こそうとするアルムを、アカツキは強引に寝かしつけた。抵抗するだけの力が現状残されているはずもなく、あっけなく押し倒される。
「変な夢でも見てたのか? 他の奴らの事は良いから、具合の悪いやつはもうちょっとおとなしく寝てろ」
 方法こそ力ずくでぶっきらぼうなものではあったが、声は至って優しかった。そう諭されてしまっては反発するのもさすがに憚られ、アルムも黙って従う事にする。ただ、言うとおりにするのは体を横たえて休める事だけ。眠気に身を任せて意識をまどろみの中に落とし込むのだけは、どうしてもしたくなかった。いつもなら温かい泥の中に滑り込んでいくような感触を味わうのだが、今回ばかりは意識を手放した瞬間に冷たい感情の渦に呑まれ、二度と戻って来れないのではないかという畏怖すら抱いてしまう。
「ねえ、アカツキさん」
「なんだ。声が震えてるけど、怖い夢でも見たのか?」
 就寝前の絵本を待つ子供のような声を出すアルムに、寝てろって言ったじゃねえか――なんて無粋な事はもう言わなかった。それだけでもありがたい。しかも、心境がもろに表れた声の上擦りまで見抜かられている。ヴァローやシオン達のようにいつも傍にいて安心する相手ではないが、彼らとはまた違う安心感を抱かせてくれる。そう感じたアルムは、喉下まで出掛かった言葉をそのまま迷わず出す。
「ううん、違う。ただ、その――アカツキさんは、今みたいに誰かに狙われた経験ってある?」
「そんなの――ああ、あるさ。嫌というほどな」
 聞いたところでどうという事でもないのだが、アルムにとっては今置かれている立場は想像だにしなかった恐ろしいものなのだ。単にじりじりと迫り来る不安を紛らしたいのか、経験則から対応策を考えたいのか――どちらにせよ、一挙手一投足からアルムの心情をそれとなく察したアカツキは、退屈凌ぎも兼ねて応じる事にする。その様子はさながら、寝付けない子供に昔話を聞かせる親のようである。
「それがさ、逃げようと思えば逃げられるものだったって事、ある?」
「おれが狙われる事になった場合はいくつもあるけど、逃げた事はなかったかもしれねえな。おれなりの覚悟の付け方、だったのかもしれない」
「――へえ、興味深い話をしてるね。せっかくなら僕も混ぜてよ」
しばらくは誰も上ってくるはずのない階段から、水色の体躯をしたしんせつポケモン――グレイシアのクリアが現れた。相方のブレットとは違い、ティルの相手をするのは性に合わなかったのだろうか。アルムとアカツキから等間隔の距離を空けて座り込む。いかんせん今いる中でもとりわけ思考が読みづらい相手だけに、アルムも何かされるのではとついつい身構えてしまう。だが、今回ばかりはそれは杞憂であった。
「君さ、もう少し肩の力を抜いても良いと思うよ。あんまり長い間見てきたわけじゃないけど、君は子供の癖に背伸びしようとし過ぎ」
 正確には、予想していたよりもずっと突っ込んだ指摘を受けて、心を激しく揺さぶられた。手痛い事を言われて黙っているわけにもいかず、アルムは横たえていた体をゆっくりと起こす。
「子供の癖にって――だって、皆しっかりしてるんだもん、僕もしっかりしなくちゃって思うから。だから、アカツキさんみたいに強いのが、羨ましいって言うか……」
「そう、その義務感が何か違うって言うか、それ、君一人で背負うもんじゃないって言うか。なんとなーく会った時から思ってたんだけど、戦いとかで無茶するようなタイプじゃないけど、それとは別の意味でどこか危なっかしいんだよね」
「そいつはおれも何となく感じてた。状況が状況だけに悠長にしてられねえのは分かるけどよ、一人で空回りしたって駄目だって事だ。何のためにあんなにたくさんの、お前の事を心配してくれる仲間がいるんだ? おれは腕っ節が強い事よりも、そっちの方がよっぽど羨ましいけどな」
「違うんだ、確かに皆は頼れるけど……けど……っ!」
 頼れる仲間がいるからこそ、力になるためにも甘えきってはいけない。皆の信頼に見合う自分でいなければと、二つ前の町から薄々思うようになっていた。自分に嘘は吐かないと、月影の孤島でヴァローと誓ったはずなのに。力を望み過ぎる事への未練は、サンクチュアリで断ち切ったはずなのに。
それでも、圧倒的な力の差を目の当たりにして、実際に対峙して、何の代償もなしに平生を保てという方が無理であった。そこでアルムが対価としたのが、弱音を吐かない事だったのだ。こうして二人に痛いところを突かれた事で、余計にむきになって反発してしまう自分さえも、嫌になってくる。視線を泳がせながらも、何とか前を向いていたはずのアルムの顔は、直後の沈黙から段々地面の方に向いてしまう。
――本当は、こんな事を嘆くつもりではなかった。夢の中でティルに励ましてもらって、前を向こうって決めたばかりなのに、ついつい甘えたくなる衝動に駆られて、感情的になってしまった。漠然とした不安は消えていても、具体的な不安はまだ心の奥底に張り付いてずっと離れなかったのだ。だが、それを咎めるつもりは、目の前の二人にはなかった。
「お前がこれからどうしようと、余計な口出しをするつもりはもうねえよ。ただ一つ、一応人生の先輩として言っておくと、自分に嘘を吐くのは良くねえと思うぞ。それが例え、やらない事で結果として周りからどんな顰蹙を買う事になったとしても、自分の信念を曲げてまでやる事に、意味なんかねえ。少なくとも、おれはそうやって生きてきた」
 けだるい体に連動して重く沈みかけていた心が、羽のようにふっと軽くなるのを感じる。眼下の町に視線を遣りながら言ってのけるアカツキの姿が、アルムには純粋にかっこよく映り、いつしか憧憬の眼差しを向けていた。ただ腕っ節が強いだけじゃない。グラスレイノのオルカがアカツキを認めていたのには、信頼に足る頼もしさと逞しさを兼ね備えていたからなんだ――相変わらずぼんやりした頭でも、それくらい納得のいく答えを自分の中で見つけられた。
 そして、自分が憧れるのは勇ましさではなく、信念を貫く姿勢にあると気付いた。自分より長く生きた者の言葉は胸に残り、頭の片隅にずっとあった不安という塊も徐々に融解していく。もはや顔を俯ける必要はなくなった。垂れていた耳を伸ばし、弾かれたように顔を上げると、そこに晴れ晴れとした表情のアカツキがいた。
「ありがとうございます、アカツキさん。すごく気が楽になりました。それと、クリアもありがと」
「別に、僕は礼を言われるような事をした覚えはないよ」
「まあ、何か吹っ切れたような、良い顔してんじゃねえか。顔色は良くないままだけどな」
 直接的にしつこくは言わないが、遠回しにまだ安静にしていろと釘を刺されてしまった。アカツキから充分必要な処置は施されたため、今度は安心して休息を取る事に集中する。意識は覚醒しきっていてまだ眠れそうにないが、目を閉じているだけでも充分休む事は出来る。このまましばらく落ち着いていれば、この体調の悪さも快方に向かうだろう――そう思っていた。
「あら、こんなところでのんきにお昼寝かしら? 随分と悠長なものね」
 ――望まぬ者の到来さえ、なければ。
「あなた、は……っ!」
「お久しぶりの方と、前の町で会ったばかりの方と、初めて見る方がいますわね。ごきげんよう」
 再三に渡ってアルム達を苦しめてきた刺客の一人――うら若き麗人のような姿をした非情なるキルリアが、にっこりと微笑んだ。


コメット ( 2016/05/15(日) 22:24 )