エトワール・フィランテ〜星降りの夜の導かれし出逢い〜


















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幕間〜過去と未来を繋ぐ者たち〜
幕間五 〜乱れ咲く水の剣舞〜
 階下から幾度となく響く物騒な物音に、フタチマルのオルカとニューラのガートは気を取られそうになる。何か聞こえないかと耳を澄ませてみれば、幸いにも聞き覚えのある悲鳴などは未だ届いてはこない。だが、それ以上の注意を向ける余裕は、生憎二人には残されていなかった。
 視線を逸らそうものなら、すかさず好機と見た接敵した相手――コジョンドからの攻撃が飛んでくる。二人がかりでもなお、この場に釘付けにならざるを得なかった。歯がゆく思いながらも、下で交戦しているであろう三闘士の事を信頼し、今は眼前の敵のみを見据えて応戦に集中する。
花びらのようにひらひらと舞う粉雪が、一陣の突風で酷く乱れる。それを合図にして、目を見張るような速度でコジョンドは肉薄する。風に乗って僅かばかり速度を増すコジョンドの体は、その色合いもあって背景の白銀に溶け込むようで、動きの捉えにくさに拍車がかかった。
「相変わらず素早いな」
 雪国で白の世界に目も慣れ、加えて戦闘経験も少なくはない二人には、その軌道を追うのはさほど苦ではなかった。俊足には自信のあるガートは、敵の射程内に入る前にすかさず逃れる。打って変わってオルカの方はと言うと、回避ではなくその場で迎え撃とうと、両手に愛用の武器――ホタチを構えて待ち受ける。
 体を捻らせて回転を加えたコジョンドの腕が、しなる鞭のように迫る。ホタチに水を纏わせて剣を模ったオルカは、両の剣を交差させて防御の構えを取った。瞬間、“はたきおとす”衝撃で水が削がれ、耐えきれなくなった左のホタチを取り落としてしまう。だが、敵方の攻撃が衰えた隙を見逃さず、オルカはそこから一歩踏み込んで、残る右の太刀を横に薙ぐ。
「ちっ、痛いじゃないか」
 水の刃は確実に懐を捉えた。コジョンドは痛みに顔を歪ませ、再度叩こうとしたのを阻止される。よろめく間にオルカはホタチを拾い上げ、二度目の太刀を仕掛ける。体勢を崩した状態での回避は叶わず、見事に“シェルブレード”が刺さった。こちらは防御が間に合った腕に当たったに過ぎないが、それでも最初の一撃は予想以上に重かったらしく、コジョンドは腹部を押さえながら後方へ高く跳ぶ。
 その着地点に、動きを読んだかのように黒い影があった。両手の中に冷気を蓄え、雹のようなものをいくつも作りだしている。空中でガートの動きを察したコジョンドは、下に向けて大きな腕を振るう。撃ち出された“こおりのつぶて”は、間一髪のところで腕でガードされた。
 当初とは軌道が逸れて、ガートの立ち位置から離れたところに降り立つ。すかさず追撃に動く姿に気付き、コジョンドは腕の先を丸めて突き出す。駆け寄りながら拳に冷気を溜めていたガートは、身じろぎして交わした後に、空いたところへ“れいとうパンチ”を繰り出した。直撃の後にコジョンドの毛が凍り付き、確かな手応えを得る。しかし、それを実感したのも束の間、反撃の拳が飛んできて、ガートはそれをもろに喰らう羽目になる。
「その体勢から打ち込んでくるのか」
「くふふ、ボクの体術を舐めちゃいけないよー。伊達にかくとうタイプやってないっての!」
 後ろに吹っ飛ばされ、足裏を擦りながらガートは急停止を試みる。だが、踏ん張りが利いて後退が止まったところへ、意気揚々とコジョンドが跳躍してきた。ガートは反射的に横に跳び、コジョンドの鋭い蹴りは空を切る。何とか危機を脱したのも束の間、無様に転がるところへ追い打ちをかけようと、コジョンドは両手の内に波動の力を込め始める。
 攻撃に向けて力を蓄えている脇から、視界の外にいたオルカが一気に肉薄してきた。一本のホタチに力を集中させ、二刀の時以上に水の刃を長くしている。足を掬うようにして振るわれた一太刀に、コジョンドはすんでのところで反応を見せた。力を溜めるのを止めてその場で後方宙返りを決め、オルカの“シェルブレード”を軽快に回避する。空振って行き場を失った水の刃が、大量の飛沫となって周囲に飛び散る。
 オルカの攻撃こそかわしたものの、鮮やかさを求めた余計な動きのせいで、次なるガートの接近を許してしまう事となった。握られた拳には冷気が集束していき、勢いよく振り下ろされる。コジョンドの着地と同時に拳も到達するが、その矛先はコジョンド自身ではなく、足元の床であった。水飛沫をあげながら悠々と地に降り立ったコジョンドは、こけにするかのように薄ら笑いを浮かべる。
「ばーか。どこ狙ってんだよ」
「どこって、お前の足を狙ってんだよ」
 余裕を内包していた冷笑が凍り付き、コジョンドは急ぎ足元に視線を配ろうとする。否、配ろうとせずとも、何が起こっているかは既に感覚で分かった。だが、それを察知するには、あまりに遅すぎた。オルカが放出した水をガートが“れいとうパンチ”で凍らせて、移動の自由を奪ったのである。
 好機到来。ガートは正面、オルカは背後に立つ。氷の力を蓄えた拳と、水の力で模倣した剣による挟撃。足並みを揃えて一気に接近して速攻を仕掛ける。だが、絶体絶命の窮地にあるはずのコジョンドは、ただ静かに、失せたはずの不敵な笑みを取り戻していた。
「甘い、と言うか。若いと言うか」
 ほぼ“同時に”迫る攻撃を、コジョンドは広い視野で捉える。三者共に互いの攻撃範囲に入ったところで、コジョンドは小さな身じろぎと共に両腕を振る。その動きは対応が間に合わない程に早く、また正確そのもの。コジョンドは両者の攻撃を同時に“みきり”、流れる水のように華麗に受け流した。
 勢いを削がれて体勢を崩す二人を、もちろん見逃すはずもなく。未だ射程内にいるガートを狙い、拳を鋭く叩き込んだ。殴り飛ばされながらも必死に転倒を堪えるガートだが、その身にはダメージとは別に脱力感が襲っていた。
「ガート、大丈夫か!」
「追撃でも加えておけば良かったものを。相変わらず甘ちゃんな王子だ」
 オルカは攻撃の手を止め、急ぎガートの下に駆け寄っていた。その隙にコジョンドは足元の氷塊を砕いていた。その手には“気”とも呼ばれる淡い光が宿っており、足の束縛から解放されるとその光はコジョンドの身体へと溶け込んでいった。
 ガートも再び立ち上がろうとするが、その足はいささか覚束ないものになっていた。先の一撃、それは相手の生命力を奪い取る“ドレインパンチ”に他ならない。元よりかくとうタイプと相性が悪いのも相まってか、ガートには堪えていたようで、逆にコジョンドは体力を回復させる事となっていた。
「あはは! 好機が一転して、膝を折るなんてね! なんて滑稽なんだろう」
「調子づかせるわけにはいかねえ。何としてでもここで――」
 力を入れて立ち上がろうとするガートを、オルカは静かに押し止めた。その瞳にはただ一点の曇りもなければ、憤慨も焦燥もない。凛とした立ち振る舞いに、ガートも思わず動きを止めて見守る。
「僕だって、ただのうのうと王宮で暮らしてきたわけじゃない。久しく離れていた君にも、それを見せよう」
「二対一でも苦戦していたのに、一対一で良いのかい? 王子様」
「良いのさ、それで。お前の慢心をひっくり返すことが出来るのなら」
 険しい顔つきや、穏やかな色こそあれど、今まで下手に笑う事がなかったオルカが、初めてこの戦闘中に笑った。だが、その笑顔も直後には真剣な面持ちに塗り潰されて隠れる。ホタチを携えた両手を広げ、水の力をその先に凝集させる。“シェルブレード”として振るう武器を設えた。今回はそれだけに留まらない。
 剣先から溢れ出した水は、オルカの背中にも伸びて集束していく。それは同じように剣を模っていき、一本、二本、三本と次々に形成されていく。浮遊する三本の水の剣は、オルカの意思に沿って動く、さながら剣の翼のようである。“つるぎのまい”――それは一口に舞と言っても様々で、その動きで直接相手を翻弄する使い方もある。オルカの場合は“シェルブレード”と組み合わせる事で、手持ち以外の攻撃手段として編み出したのである。
「ガート、良かったら君の力も貸してくれないか?」
「俺の分まで持ってけ。後は頼んだぞ」
 膝を着いていたガートは、オルカの持つホタチの片方に冷気を飛ばした。見る見る内に水の剣は凝結していき、鋭さを伴った氷の剣へと姿を変えた。白銀の刀身が一振りと透明の刀身が四振り、準備が整ったところでオルカはコジョンドに相対する。
「我が五本の剣、見切れるか」
 一度全ての切っ先を向けて、煽り文句を一節。それを皮切りにして、オルカは地を蹴って動き出した。背中の剣もオルカに伴って追尾してきている。コジョンドは異様な光景を見ても何一つ取り乱す素振りを見せず、ただその場で静かに構えた。両手の内には徐々に波動を渦巻かせ、球体を作り出していく。集束された力の塊――“はどうだん”を、手を前に突き出す勢いで撃ち出した。
 正面から迫る不可避の弾丸に対して、目配せの後に背中の水剣の一振りを差し向ける。剣と弾丸はぶつかり合って相殺。発射後の隙に乗じ、オルカは一気に懐まで飛び込んだ。その接近を読んでいたコジョンドは、両脇から鞭のように腕を振り下ろす。オルカも無策で射程距離に踏み入れたのではない。交差させていた腕を振るい、水の剣で迫る挟み撃ちを打ち払った。
 コジョンドは後方によろめかされ、ガードが完全にがら空きになった。この機を逃すはずもなく。背中の二振りの剣が地面と水平に飛び、コジョンドの身体をすれ違いざまに斬りつける。苦悶の声を上げる敵にさらに追い縋り、今度はガートから託された氷の剣で袈裟懸けの一撃。余裕の色を湛えていたコジョンドの目に、狼狽と憤怒の濁った色が混じる。
「やってくれたねえ。ボクにここまで痛みを味わわせるなんて」
「言ったろ。その慢心をひっくり返すって。まだまだこれからだ」
「図に乗るなぁ!」
 仮面の剥がれた獣が猛り立つ。咆哮を合図に地を蹴り、視界に映る憎き相手へと迫らんとする。対峙するオルカは水を手繰り、即座に“つるぎのまい”を展開。ぎらぎらとした炯眼を光らせるコジョンドに、三本の剣を差し向ける。だが、それは一気呵成に撃ち出すのではなく、一本ずつに分けて順番に。
 コジョンドは軌道を見切って、一射目を往なしてみせる。だが、次なる第二射にまで“みきり”が及ぶ事はなかった。既に迫る二本目は脇を掠め、三本目を辛うじて気力を篭めた“ドレインパンチ”で打ち砕いた。その間にも水の剣は次々と生成され、コジョンド目掛けて射出されていく。絶え間なく繰り出される剣の応酬は、その勢い怒涛の如く。コジョンドも紙一重のところで避けているのもあるが、全てに対応出来ているわけではなかった。
 歯噛みしながら耐える状況に痺れを切らしてか、コジョンドは飛び交う剣の猛攻の合間を縫って、“はどうだん”を作り出す。苦し紛れに撃たれた一発はオルカに一直線に向かうが、二刀の壁に阻まれてあえなく霧散する。しかし、直撃が狙いではない。オルカが剣の守りを解いた時には、眼前からコジョンドの姿が消えていた。
 一度見失った対象は、地面に映った大きな影と共に視界に飛び込む。それはオルカの頭上、天井すれすれまで跳躍していた。悠々と“とびはねる”姿に見とれている暇などもちろんなく、急降下の後に勢いそのままに鋭い蹴りを入れてくる。剣のガードでは堪えきれず、踏ん張りが利かずにオルカの体は吹き飛ばされた。精巧な剣を模る“つるぎのまい”は解除を余儀なくされる。
 間髪入れずに、コジョンドは再び高く跳び上がる。地面を転がるオルカにそれを見届けている余裕はなく、起き上がる頃にはその姿を視界に捉えるより先に、コジョンドの攻撃が到達していた。床を走る衝撃。風圧と共に舞い上がる粉雪。辛くも飛び退く事が出来たお陰で、コジョンド側に着地の際の一瞬の隙が生まれる。
 時間にしてほんの一瞬。すぐに立て直してコジョンドは地を蹴る。だが、その動きのずれは、オルカにとって好都合だった。瞬時に“つるぎのまい”を展開。今度は大剣を三本ではなく、小剣を数多く生み出した。コジョンドの軌道を目で追い、今度こそ確実に動きを捉えた。
 コジョンドの体が降下を始めるより先に、剣の群れを一気呵成に撃ち出した。目標はもちろん、空中を舞う薄紫色の管狐。咄嗟に大きな振袖のような両腕で振り払おうと試みるが、その数全てを叩き落とす事は叶わない。一斉に襲い掛かる小型の水剣は、微塵も避ける隙間を生み出すことなく、身動きも抵抗も及ばないコジョンドの体を尽く斬りつけていった。
「対空の型、“篠突く雨”ってね」
 地に落ちるコジョンドを背に、オルカは不敵に微笑んだ。受身もまともに取れず無様に着地した――そう見えたはずなのだが、コジョンドは落下後すぐに起き上がった。倒したと確信していたために、オルカも慌てて構え直す。しかし、当の相手はと言うと、にたにたと不気味な笑みを浮かべているのみであった。
「そうかそうか。この国の王子様も、中々に手練れだったってわけだ。ジラーチの力を手にする前に、これは面白い収穫だ」
「収穫、だと? 一体何をふざけている」
「ふざけてなどいないさ。現にこれは、大きな祭りの前の単なる余興、お試しみたいなもんさ。実力を図るためのね。お互いに」
 飄々とした態度は疲弊していてもなお相変わらずで、オルカも警戒を解く事なく“つるぎのまい”を展開させる。だが、その間にコジョンドも手の先に蒼の気の力を収束させ、球状に練り上げる。“はどうだん”と水の剣が撃ち出されたのはほぼ同時。密度の高い力同士が中間地点でぶつかり合い、爆発を引き起こして相殺する。霧が晴れた頃にはそこには既にコジョンドの姿はなかった。視界を遮断した隙に、自慢の脚力でこの場を離脱したらしい。
「王子! 大丈夫でしたか!」
 階下から三闘士の三人――ルッツ・フリップ・ループが上がってくるのと同じくして、身を休めていたガートもゆっくりと体を起こした。銘々に安堵したような色を浮かべて駆け寄ってくるも、未知の侵入者に対しての用心は怠らない様子で、周囲に鋭い視線を配る。それらしき影が見当たらなかった事で、今度こそ真に安心して集結を果たす。
「こっちは無事だ。階下の方はどうだ?」
「それが、倒しきる前に全員引き上げていったんだの」
「やはり、か」
 一同の五体満足を確認したところで、オルカは背を向けてテラスの方へと歩みを進める。未だ鈍色の曇天から舞い散る白雪は、視界を埋め尽くしている。城の上部からの景色を眺望し、思いを馳せるように遠くに視線を向けた。その矛先は山を越えた先の景色にあった。
「奴はジラーチの力を手にするという旨を口にしていた。という事は、以前国を救ってくれた彼らに、必ず何かを仕掛けるつもりであろう」
「だとしたら、お前はどうするつもりだ?」
「僕は僕で、この国で為すべき事がある。――そう思っていたけれど、それは復興までの一時で充分だと気づいた。国を救ってくれた者達に、今度は僕が恩返しをせねばな。一国の王子として名が廃るというものだろう」
「そう。それでこそ、俺達の王子だ。俺が舞い戻ってきた甲斐があるってもんだ」
 コジョンドの応戦に追われてうやむやになっていたが、ガートは遭遇時にその旨を告げていた。一度王国を離れて名を変えて暮らしていた程であったのに、わざわざ自ら足を運んできた。その理由に心当たりがなく、オルカはやや呆けたような顔をしながら口を開く。
「ダスク――いや、ガート。君は一体何をしに戻ってきたんだ?」
「お前を迎えに来たんだよ。元は“妹”を本当の母親に会わせてやりたくて、いろいろ探るために動いていた。そうしたら、対峙しなきゃいけねえ野郎がいる事が分かってな。あのジラーチを引き連れた奴らが、そいつらと因縁があるのも分かった。なら、仲間が多いに越した事はないと思ってな。この世界をその手に収めようと企む輩に抗う同志としてな」
「それは誂え向きのお誘いだな。では僕も、延いてはこの国を守るために、剣を取ろう。今度こそ彼らに後れを取らぬように、な」
 水を纏ったホタチを高らかと掲げ、オルカは宣誓を述べる。最初こそ三闘士は戸惑いの声を上げるものの、襲撃された事態を重く受け止め、賛同して送り出す事を決意するに至る。勇ましい姿を見せる王子に、ガートも眩そうに目を細めつつ、しっかりと頷いて握手を交わす。
 こうして今、アルム達と縁を得たオルカ達もまた、星を巡る運命の渦中に飛び込む事へとなるのであった。



コメット ( 2019/05/27(月) 20:19 )