エトワール・フィランテ〜星降りの夜の導かれし出逢い〜


















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幕間〜過去と未来を繋ぐ者たち〜
幕間三 〜しじまを切り裂く不穏の影〜
 外は相も変わらず白い粉雪が舞い降り、凛冽な寒気に包まれている。柱のみで壁が存在しない箇所などは、突風でも拭こうものなら一瞬にして床が白銀に染め上げられてしまう。そんな極寒の地にある氷の王国――グラスレイノの王宮は、今日も今日とて静寂で支配されていた。その中を慌ただしく動き回るのは、水色の肌をしたラッコのようないでたちをしたポケモン、この国の王子たるフタチマルのオルカであった。
「ふむ、町の方は抜かりなく、か。ぼちぼち以前の姿を取り戻しつつあるのは喜ばしい事だな」
 通路の往来を繰り返しながら、オルカはぶつぶつと独りごちる。一度はラクル――真の名をティリスと言うキルリアに誑かされた事で、自身の手で王国を破綻の道へと歩ませかけた。それに対する猛省もあってか、民への謝罪と相応の対応を即座に行い、信頼を少しずつ取り戻しつつある。そして、再度忠誠を誓った三闘士含め国民の尽力もあってか、王である父の体調が快方に向かうという本懐を遂げるに至った。
 ようやく気疲れから解放されつつあるオルカであったが、一息吐く余裕はなかった。何しろ側近に怪しい存在が紛れていた以上、いつまた同じ事を繰り返さないとも限らない。警戒を怠らないようにと、まだ王国転覆を狙う良からぬ鼠が紛れていないか、虱潰しに探させている。それと同時に、王国の入り口に門番を配備するなどの方策をあれこれと思案していたのだ。
「父上は常日頃からこういう事をこなしていたのか……僕も精進しなければ」
 両手で頬を打ち、気合いを入れ直す。ひたすらに頭を悩まして周回していた柱の前をようやく過ぎ、次なる職務に移らんと動こうとした時だった。オルカは背後から殺気を感じ、瞬時に振り向く。腰の辺りに備えている貝殻を両手に持ち、胸の前で構えた。刹那、盾にした貝殻に鋭く高い衝撃音が響き、オルカの体は後ろに飛ばされる。
 無事に防ぎ切ったオルカの視界に映ったのは、二足で立つ黒い体毛の、目つきの鋭い猫のようなポケモンであった。赤い左耳だけが異様に長く、両手には白く鋭利なかぎ爪が備わっている。はっきりと姿を捉えて種族が判明したオルカは、目を瞠って一歩後退りする。
「ダスク、なのか、君は」
 その姿には覚えがあった。表向きではオルカが国外追放の令を出し、グラスレイノを出ていった張本人に相違ない。ニューラと言うポケモンはあまたおれども、その立ち居振る舞いだけでオルカは確信に至る。
「いや、今はガートと名乗っているんだったな。そこまで久しくはないが、此度は一体何が――」
 オルカが言の葉を全て口にするよりも先に、ニューラが地を蹴って動き出した。転倒を誘発するような足元を物ともせず、風に乗る白雪を纏いながら迫ってくる。素早い動きではあるが、オルカにも目で追えないわけではない。斜め右方からの接近をその場で待機し、向こうが爪を振り上げてくるのに合わせてホタチを構える。防御の体勢は見事に成功し、“きりさく”攻撃を受け流してみせる。ニューラが勢いのままに後続の爪を振り下ろしてくれば、それももう片方のホタチで凌いでいく。互いに痛打も受ける事なく攻防は終わり、二人は一旦距離を取る。
 だが、それでニューラの猛攻が止んだわけではない。数歩下がって両手を突き合わせ、その掌の中で小さな結晶を生み出していく。複数形成されたところでニューラが前に手を突き出すと、その動きによって弾丸の如く礫が撃ち出される。素早い“こおりのつぶて”への対応は間に合わず、甘んじて小さな氷の塊を受ける。小さいとは言え群れとなっているため、次々に固い飛来物の直撃を受けるのは痛い事この上ない。オルカも顔を顰めながら耐えながら、反撃の一手を試みる。
 こちらも掌の中に水のエネルギーを蓄え、螺旋状に練り上げていく。攻撃を察知したニューラが阻止に向けて動こうとするが、オルカも直立不動で備えているわけではない。小刻みにステップをしながら動き回り、敵の射程内に飛び込まないように逃げる。それでも着実に距離を詰めてくる中で、先に次なる行動に及んだのはオルカの方だった。収束させていた水の力を、両手を突き出す事で一気に解き放つ。輪の形で飛びゆく“みずのはどう”に対して、既に床から足が離れていたニューラは、直撃を覚悟で咄嗟に腕で防御の構えを取った。
 ――しかし、肝心の攻撃がニューラに当たる事はなかった。幾重にも生まれた水の輪は、ニューラへ向かう軌道から逸れ、背後の柱にぶつかって弾けたのだ。戦闘の口火を切ったのは確かにニューラの方であるが、オルカはどうしても腑に落ちず、攻勢に出る事が出来ないでいた。
「やはりこんな事は止めよう。僕は君と争いたくはない。もし、もし君が不甲斐ない僕への復讐を望んでいるのだとしたら、それは甘んじて受け入れよう」
 戦意を喪失したのか、ホタチも定位置に戻し、水の力を溜めていた腕も下ろしてしまう。ニューラは再び一直線に駆け出し、完全に動きを止めたオルカに一気に迫り寄る。大きく振りかぶった腕を伸ばし、その喉元に鋭利な爪を突きつけた。
「未だに甘ちゃんのようだな、王子。俺は俺の意思でこの国を後にした。お前に復讐心なんて、あるわけないじゃないか」
 ニューラ――もといガートには、元よりオルカを傷つけようという意思はなかった。口元を緩ませてみせるや否や、爪を下ろして数歩後退りする。たった今まで激しい攻防を展開していた事もあって、オルカもその場に茫然と立ち尽くしてしまう。だが、ガートの言葉が嘘でないと徐々に信じられるようになると、強張っていた体も弛緩し始める。
「じゃあ、何でこのタイミングで戻ってきたんだ? それに、こんな風に攻撃まで仕掛けてきて」
「それは小手調べをしたに決まっているだろう。王子が見ない間に腑抜けになっていないかどうか、確かめておきたくてな」
「腑抜けって……中々厳しい事を言うもんだな」
 本気で試されていたと告げられては、オルカも苦笑を浮かべるしかなかった。普段は強面のガートも、珍しく釣られて笑って見せる。しかし、砕けた様子を見せたのもほんの一瞬。すぐに神妙な面持ちに変わった。
「まあ、杞憂だって分かって安心した。そしてもう一つ、俺がまたこの国に舞い戻ってきたのには理由がある」
「もったいぶってないで教えて欲しいな。君が戻ってきた理由ってのは何だい?」
「ああ、それは――」
 凛とした空気に緊張の糸が張り詰め、オルカも固唾を呑んで見守る。だが、その続きが口から出る事はなく、唐突にガートに突き飛ばされる。後退しながら揺れ動く視界の中、直前まで自身が立っていた場所に、落石の如く“何か”が降下してきた。その衝撃で地に落ち着いていた雪が舞い上がり、姿を隠す煙幕のように展開する。
 容姿の仔細は見えないまでも、白雪越しに影絵のように映る姿は視認出来る。それがオルカとガートの間でゆらりと動き、落下の振動をものともせずに立ち上がる。二足で立つ長身のそれは、妙に長い腕を雪煙の中で大きく振り、一陣の突風を巻き起こした。
「やあ。初めまして、かな」
 白い幕が晴れて中心にいた影の正体――薄紫の体毛をしたオコジョのようなポケモン――コジョンドは、吊り上がった目でにたりと笑った。誰かを楽しませるのが目的ではない、己が楽しみのために愉悦を求める道化師のようにただ不気味に、愉しそうに。
「くふふ、そんなに構えないでよう。ボクは単にキミ達と遊びに来たんだからさ」
「急襲を仕掛けておいて、構えるなも何もあるか」
「正論噛ましてくるのやだなあ。せっかく楽しもうと思ったのに」
 そこに立っているのは、まるで無邪気な子供のよう。喋り方があどけなく、それでいて邪気が感じられない。既に成熟した体に釣り合わぬ、純粋さを持ち合わせているような印象をオルカたちは抱く。だが、それは純粋であるが故の狂気である事も、滲み出る雰囲気から二人は察していた。不用意に構えを解くはずもなく、間に挟む形で睨みを利かせる。
「おー、コワイコワイ。全く歓迎されていないみたいで、すごく寂しいんだけど、な!」
 言葉を切ったのを皮切りにして、コジョンドはようやく動きを見せる。いの一番に狙ったのは、先の上からの襲撃と同じ、オルカの方であった。短い屈伸の後に脚力に物を言わせ、眼前まで一気に近づく。その動きはオルカがホタチを抜くよりも早く、振り下ろされた腕の体毛はさながら鞭の如くしなり、鋭く打ち据えられたオルカは堪らず地面に叩きつけられる。
 コジョンドはその頭上からさらに踏みつけに近い蹴りを繰り出そうとする。だが、既に一拍遅れで駆け付けていたガートが黙って見ているはずもなかった。足が届く前に氷の弾丸が直撃し、コジョンドは追撃を阻まれる。その間に起き上がったオルカがホタチを両手に構え、収束させた水で剣を象る。“こおりのつぶて”を喰らって呻いている隙に、がら空きの懐に一閃を叩きこんだ。前後から挟み撃ちに遭い、コジョンドは苦悶の表情を浮かべる。ここが好機とばかりに、オルカとガートは示し合わせたように同じタイミングでの接近を試みる。
 よろめきかけていたコジョンドは、咄嗟にバランスを取ってその場で独楽のように回り、軽やかに舞ってみせる。遠心力がついた振袖のような両の腕は、迫りくる二つの凶刃を確実に捉え、“はたきおとし”た。期せず受け流されて体勢を崩す二人に、続けざまに腕を振るう。平手打ちのような小気味よい音とは対称的に、その一撃は鋭く重いものだった。接近した距離以上に弾き飛ばされた二人は、無事に着地を決めつつも、苦虫を噛み潰したような顔をする。
「ふふふ、良いねえ。そうこなくっちゃ。手応えのない相手なんて、壊し甲斐もないしね」
「こいつ、遊んでやがる。何が目的だ、お前」
「目的だってー? それはねえ、破壊さ。この国の。あのキルリアのやつがへまをやらかしたらしいからさ、その尻拭いってわけ」
 歪んだ笑顔で以って、律儀に答える。そのコジョンドの両手の内に渦が生まれ、青色の球体を形作っていく。相手の手の内に気付いたオルカもすかさず水を手繰り、掌の上に力を集結させる。優位な挟撃状態を諦め、オルカは回り込むようにして一目散にガートの方に駆けだした。
「だからさ、キミ達も他のポケモン達もさ、おとなしく壊されてよ!」
 悦楽に満ちた甲高い声が木霊すると共に、高密度に圧縮された球体が撃ち出された。次なる標的――かくとうタイプを苦手とするガートは、オルカを頼って互いに接近していく。その後を追尾するように動くエネルギー球――“はどうだん”から逃れるのではなく、オルカが迎撃可能な距離まで辿り着いたところで、オルカの方の準備も整った。狙いを澄まして、水の振動を発生させる。
 清澄なる半透明の水の力と、蒼の輝きを放つ気の篭った力。同音異義なる“はどう”の力が、両者の間でぶつかり合う。衝突から生まれる蒼浪が幾重にも渡って広がり、周囲の空気も激しく震える。しばらくは拮抗していたかに見えたが、威力に劣る水の力が徐々に劣勢となる。じりじりと“みずのはどう”が削られていき、最後には“はどうだん”の方に軍配が上がる。威力を殺された波導の弾は、貫通しきらずにその場で弾け飛び、より距離の近いオルカとガートは余波で吹き飛ばされた。
「くっ、すまない、ガート。想像以上の力で、僕のワザでは相殺しきれなかった」
「謝る事はない。お前の迎撃がなければ、俺に回避の術はなかったわけだしな」
 余波には大した威力はなく、二人揃って立ち上がるには申し分ないくらいの体力は残っている。コジョンドも二人が動くのを今や遅しと悠々と待ち構えていた。互いを気遣いながら立ち上がる二人を、冷めた目で見据えつつ。
「ふうん。中々に面白い動きをするんだ。これはボクの方は良い獲物を貰ったって感じかな。下の階の方は、まあ、ごった返しててつまらないだろうしね」
「下の階って、まさか……潜り込んでたのはお前だけじゃないのかっ!」
「そりゃそうじゃーん。単騎突入なんて、天辺を落とす時だけだよ。今回の目的はそれとは違うからね」
 コジョンドはにたりと不敵な、陰湿さを含む笑みを、顔中に貼り付ける。険しい顔つきになる二人を余所に、不穏を告げる爆音が、しじまを切り裂いた――。


コメット ( 2017/12/12(火) 12:12 )