エトワール・フィランテ〜星降りの夜の導かれし出逢い〜


















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第十三章 ライズの故郷、グロームタウン〜開花、回帰、邂逅、〜
第百七話 戦う理由、交える覚悟〜アカツキとバシャーモの交戦〜
 バシャーモの脚力を以ってすれば、瞬時に肉薄することなど容易い事だった。地を蹴って豪快に飛び上がり、自慢の長い足を伸ばして蹴りかかる。炎を纏わせた鋭い一撃――“ブレイズキック”が脇腹に炸裂するはずだった。だが、ザングースのアカツキも負けていない。正面から受けずに片腕で受け流し、がら空きになった懐に斬撃を見舞わんとする。反撃自体はバシャーモに読まれていたらしく、残った足を器用に伸ばして鋭利な爪を辛うじて弾いた。タイプの相性的にも苦手とする相手にも怯まず、受け流し術を巧みに駆使して交戦する様は、対峙するバシャーモも舌を巻いている様子である。だが、緊迫感を持って戦いに臨むアカツキには、どうしても一つ腑に落ちない事があった。
「お前、手加減して遊んで戦ってないか?」
「いんや、そんなこたあねえよ」
 実際にこうして手合わせしているからこそ感じる。アカツキも相性の面で分が悪いとは言え、善戦しているのは確かである。だからこそ、大して力を入れずともバシャーモの攻撃をかわしきれる点に、激しく違和感を抱いていたのである。
「じゃあ、動きに迷いが感じられるとか言ったら、否定できるか?」
「――てめえはエスパーか何かかよ。間違ってる、と言ったら嘘になるな」
 バシャーモは至って涼しい顔をして、手首から炎を噴き出させている。決して無理に平生を繕っている風でもなく、あまつさえ不敵な笑みを零す程である。舐められているのだとしたら癪に障る事この上ないが、どうもそうではないらしい事は感覚的に心得ていた。だが、張り詰めた緊張を笑い飛ばすかのような飄々とした態度こそが、アカツキには逆に怪しく感じざるを得なくなる。
 下手に勘繰られたくないと思ってか、バシャーモは炎を纏った拳を強く握り締め、腰を落として戦闘体勢に入った。いつしかバシャーモの顔からは笑みが消え、代わりに獲物を見つけた狩人のような鋭い眼光を飛ばしている。心を見透かすような言葉で動揺を誘うのは諦め、アカツキも隙を見せないようにゆっくりと迎え撃つ準備を整える。
 背後で地を抉る轟音が響いたのを合図に、両者は揃って接近せんと大地を蹴り出す。炎による多少のダメージは覚悟の上で、片腕を盾に勢いを殺して拳を受け流した。だが、バシャーモの方も負けてはいない。隙も大きくなる足とは違い、すぐに腕を引っ込めて次なる炎の拳を飛ばしてくる。アカツキは同じように事も無げに防いでみせ、次は自身が攻撃に移る番となる。踏ん張りを利かせていた足に力を加え、素早く鋭い跳躍を繰り出した。ばねのようにして、かつしなやかに、爪による一撃を見舞う。
 懐に飛び込む形で突き立たれた斬撃は、胴に刺さるすんでのところで強靭な腕に阻まれる事となった。急所こそ外したものの、今の強襲で全く負傷がなかったわけではない。腕を切り裂かれた痛みを堪えている隙に、鋭さよりも破壊力に特化した一撃――“ブレイククロー”を叩き込んだ。

 衝撃をもろに受けて弾き飛ばされ、バシャーモは背中から地面を滑っていく。ようやく止まって舞った砂が降り始めたところで、むくりと起き上がる。いかほどのダメージを与えたかどうかといった予想はこの際脇に捨て置き、アカツキはまず言葉を紡ぎ出す事を選んだ。
「お前、何故こんな事をしている。お前もこの星への復讐を企む奴らの仲間か?」
「ご名答。ずばずば当てられて怖いっすな。そうさ、ちょっとした暇潰し感覚で参加してんのさ。強い奴と戦って腕を試すには持って来いだからな」
「――そんなくだらない考えで戦っているって言うのか。反吐が出るような理由だな」
 飛び掛らんとするわけではないが、その代わりと言わんばかりに言葉の一つ一つが尖っていた。アカツキは不快感を顕わにして、血が滲み出そうなくらい拳を堅く握り締めている。鎬を削る戦いにおいて、他人を傷つける事を厭わず平然としている事が、アカツキとしては何よりも許しがたかった。ただ強者とぶつかり合いたいという己の競争心と欲求の下に、軽い気持ちで平和を壊そうとするような浮ついた考えを持っている。そんな相手に、好きにさせるわけにはいかないと、心の内に秘めたる熱い感情を煮え滾らせながら。
「てめえには関係ねえよ。さあ、そろそろ本気を出してかかってきてくれねえかな」
「言われずとも、そのつもりだ」
 バシャーモにはバシャーモなりの行動理念があると理解した上で、アカツキは相手の望みどおりの戦いという形で、正面からそれを打ち砕く事を心得た。一種の戦闘狂に何を説いたところで意味を成さない。力で捻じ伏せるしかないと、これまた似た思考を持つからこそ通じ合えたのかもしれない。顔を見合わせて、互いににやりと含み笑いを見せたのを皮切りに、顔つきは一変して戦闘は再開される。
 どちらも自らの速度を飛躍的に高めて突撃するわざ――“でんこうせっか”を駆使しながら間合いを見計らっており、距離を置いては詰め、一撃を交えると同時に離れるという流れを何度も繰り返す。わざそのもののタイプからアカツキに多少分があるはずだが、バシャーモ自身の高い身体能力と攻撃力がその差を埋めて余りある程であった。
「どうした?」
 全力のぶつかり合いで高揚してきたのか、バシャーモの声が先程よりも上擦っていた。呼吸が乱れがちになりながらも、体力を激しく奪われるような局面が増えるにつれて、徐々に生き生きとし始める。単に楽しんでいるという域を超え、極度のスリルから快感を得て中毒になっていると言っても過言ではない。その目に宿る鈍く黒い光は、欲望を満たすために暴れる獣のそれと同じである。
 対するアカツキはと言うと、あくまでも相手のペースに飲まれぬように体力を削る作戦に打って出た。バシャーモが高揚感に任せて打ってくる拳を一打一打見切り、引き際に斬撃を見舞っていく。ちらほらと防御しきれない炎による火傷や防御手数ではアカツキの方が上回っていた。
 しかし、さりとてアカツキにも余裕があるわけではなく、拭い切れぬ不信感を胸に攻防に臨んでいた。拳を交わしていく中で、そんな敵の感情の昂りが憎らしいほど分かるだけに、余計にイライラが募っていく。冷静でいようと努めようとも、それは動作の中で粗となって現れてしまう。

 バシャーモはその隙を決して逃さなかった。いつしかこれまでになくバシャーモの放つ炎の勢いは増しており、動きも冴え始めていた。アカツキの集中力の低下とバシャーモの勘が鋭くなった事が相まって、先程まで受け流せていた“ほのおのパンチ”を、アカツキはもろに喰らう事となった。
 全ては最初から策略の内か、はたまた本能から来る機転の良さか――深手になるぎりぎりのラインを見極め、あえて自ら体力を削るような戦い方を選んだ理由はそこにあった。特性である“もうか”を発動させる事で、攻撃の威力を上げるのを狙っていたのである。
 急所を捉えた一撃で初めて地面に平伏すアカツキを前に、バシャーモはわざとらしく声高らかに笑ってみせる。それは心の底からの嘲笑というよりは、煽る為に演じたものに他ならないくらい、ぎこちなさの残るものであった。
「そんで、オレから言ったわけでもないのに、わざわざ一対一にした理由は何だ? ガキばっかとは言え、数で圧倒した方が理にかなってるだろうに。それともあれか、最初からオレに敵わないと覚悟した上で、あいつらを傷つけないようにとの優しさかなんかか? だとしたら笑えるな。こうやってオレの前で無様に這いつくばってりゃわけねえ――」
「黙れ。うぬぼれるんじゃねえぞ」
 ぴしゃりとどすの利いた声を一つ搾り出す。調子に乗って声高らかにべらべらと喋り出したバシャーモも、喉まで出かけた言葉を飲み込む。平伏していたザングースへと一瞥くれてみれば、殺意の篭ったぎらぎらとした眼光が、堂々と仁王立ちする者を鋭く射抜かんとしていた。これにはさしものバシャーモも、一瞬たじろいでしまう。
「へっ、なんでえ。まだ良い目してるじゃねえか。それくらいの脅しにゃ揺さぶられねえよ」
「脅し――程度にしか見られてないのな」
 最後の言葉を継ぎ終えるが早いか、砂埃が舞うが早いか。アカツキの姿が、瞬時に視界から掻き消えた。反射的に構えようとした刹那、鈍い音が響くと同時に、バシャーモの世界が反転する。意識を飛ばすまではいかないが、乱打戦で受けた中で最も重い一撃であった。格闘タイプならではの強靭な脚力と精神力によってか、両足で踏ん張って何とか堪え、不気味な笑みを見せながらゆらりと上半身を前のめりにする。
「何故そんなモン持ってるのに、今の今まで使わなかったのか、不思議でならねえんだよな」
「そうだな。ずっと表に出す事無く隠してきたこの姿は“醜い”が故に、あいつらの前で見せたくなかったもんでな。しばらくこの勘を取り戻すのに時間が必要だったのもある」
「なるほどなあ。血が騒いできたってところか。あいにく、てめえの今の一手で、俺の方もざわついてきたところだ」
 互いに興奮は頂点に達していた。見据える相手の命を剥ぎ取るくらいの覚悟と勢いで、激しい衝突を繰り返していく。一撃でも貰えば負けが確定する拳や爪の応酬を、両者共にすんでのところで受け流していた。風を切る音と、小刻みに繰り返される荒い息遣いと、体と体がぶつかり合う鈍い音が、元より静寂のみが残る場を支配していた。
 既に限界が近い故か、もはや動きに精彩を欠いていた。しかし、ここまで来た以上は関係ない。まるで終着点を見失った子供の喧嘩のように、技の応酬どころか、ひたすら殴り合うだけとなっていた。

 そして、先に足の限界を迎えたのは、皮肉にも未だ瞳には強い闘志が宿っているアカツキの方であった。大きく踏み込んだ爪の一振りを見舞おうとしたのも虚しく、両足に力が入らずに体勢を崩してしまう。−―だが、そこで勝敗を決する一撃を打ち込めたはずのバシャーモは、不意に拳を引っ込めた。咄嗟に返り討ちにしようと身構えていたアカツキも、一旦腕を下ろした状態で相手を睨み据える。
「やーめたやめた。今のところここに用があるわけじゃないしな」
「どういう事だ? ここに来て戦いに躊躇し始めた、というわけでもないだろ」
「ああ、その逆さ。お前は何か隠し玉を持っているようだが、その手の内を見せないような戦い方を見る限りでは、今はそれを拝めそうにないからな。次までの楽しみに取っておくのさ」
 そこまで見抜かれていたか――と、アカツキはその勘の鋭さに半ば呆れたように苦笑を浮かべる。だが、不思議とそれに嫌な感情は抱かなかった。むしろ妙な清々しさがあるくらいである。まだ決着が着いたわけでもなければ、互いに体力がほとんど削れられた以外は状況に何の変化もないと言うのに。ざわついていた心が収まりつつあった。
「やはり根本的な部分で奴らとは違い、悪事を働きたいってわけではなさそうだな。単に戦いの高揚感を求めて加担している、といった程度か」
「だから、それはさっきも言ったろうが。正直あのいけすかねえミュウツーの野郎が何をしでかそうが、俺としては知ったこっちゃねえ。ただ、こうでもしねえと、このスリルや熱いバトルのない世界では、俺みたいな奴は生きづらいんだよ」
「それを別の方法、方向へ向ける事は出来ないのか? 何もあいつの下でなくとも、戦う事くらいならいくらでも――」
「――一度足を踏み入れて、手を貸しちまった以上は、もう後には退けねえんだ。でも、倒すべき相手である俺にそうやって手を差し伸べようとするてめえは、ちょっとどころかだいぶ変な奴だな。そういう馬鹿みたいな思いやり、嬉しくないって言ったら嘘になるな」
 乾いた笑いを向けてくるバシャーモを、アカツキは途中から何故か憎めなくなっていた。手合わせした事で分かるのは、何も相手の実力ばかりではない。その一撃一撃に秘められた思いも、汲み取る事は可能なのだ。だが、相手が相応の覚悟を持って臨んでいる以上、無理に引き止めようとしたところで結果が変わらない事はアカツキも自ずから承知していた。ならば、すっかり鋭さの失せた視線を投げかける。
「お前の背景が何であれ、また今回のように彼らの前に立ちはだかるならば、次も容赦はしないぞ」
「それは覚悟しておくさ。こっちこそやらなきゃいけねえ事のためなら何でもするから、またこんな風に話せるなんて思うなよ、グラスレイノのアカツキさんよ」
 名前と所在まで知られていた事にアカツキは驚愕するが、それも去り際となっては瑣末な事であった。一度干渉してしまった以上は、これも何らかの縁である事は間違いない。これからもこの因果は繋がっていくであろう。今は一時の休戦としてその背中を見送りつつ、かつての自分の姿を重ね合わせるアカツキの胸中には、言葉には表せぬ複雑な感情が渦巻いていた。清濁の区別も付かぬほど入り乱れていく激情を、理性による手綱をかけて必死に押し殺し、一度の深呼吸と共に平生の自分へと戻っていく。
「過ちは消せるものじゃないが、過去は所詮過去でしかない。未来で挽回する事はいくらでも可能だ。あいつ自身がそれにさえ気づければ良いんだけど、な――」
 いつしか太陽を覆い隠していた分厚い雲も霧散し、荒涼とした大地は一面茜色に染まっていく。いつにも増して焼け爛れたような夕日を背に、純白の体毛を朱に照らされながら、アカツキは戻るべき場所に向かって動き出す。激戦の後に遅れてやってくる疲労と倦怠感に抗って重い足を進める先は、かつての自分とバシャーモがだぶって見えた過去の方角ではなく、常に未来を見て歩く者達の待つ明るい道であった――。



コメット ( 2015/05/23(土) 21:10 )