エトワール・フィランテ〜星降りの夜の導かれし出逢い〜 - 第十三章 ライズの故郷、グロームタウン〜開花、回帰、邂逅、〜
第百四話 明鏡止水と疑心暗鬼〜本当の自分と偽りの自分〜
 天井から壁面に至るまで全てを(いばら)のような電流の灯火に照らされた洞窟内は、奥に進むにつれて電気エネルギーの濃度が高まっているように感じる。相変わらず地面を伝って鋭い電気が伝ってくる事がないのは、電気タイプではないイーブイのアルムにとっては好都合だった。それでも肌を刺すようなぴりぴりしたような感覚は増していき、比例するかのごとく否が応にも緊張感が増していく。この先にライズがいたとして、果たして自分は何が出来るのだろうか。ライズが一瞬にして取り乱してしまうような剣幕の父親から解き放ち、がんじがらめの束縛からどう救い出せば良いのだろうか。真剣に悩み始めたところで、正解など到底見えてこなかった。まだまだ戦う力も未熟な自分に出来る事など高が知れている。
 では、どうすれば良いのだろう。足を止めて考えたところで、たった一つ、当たり前の答えに辿り着いた。自分に出来る精一杯の事をやろう。例えあのライチュウに叶わなくたって良い。ただ、目の前でまた何も出来ず、大事な友達を泣かせるような事はもう嫌だ――自分の中で納得のいく結論に至ったところで、アルムはそれ以降あれこれ杞憂に苛まれる事はなくなった。

 途中いくつか岐路に当たる事もあったが、何故か特に迷う事も無く進む事が出来た。オカリナが淡い光を纏っていたのもあってか、やけに直感が冴え渡っていたのだった。だからこそ、五つ目の分かれ道を抜けた先の開けた空間に躍り出た時、そこに捜し求めていた相手がいるのを見ても大した驚きはなかった。ただ、心にあるのは一抹の不安と、それを掻き消すくらいの喜びである。今度こそ本物だという根拠のない確信も内心抱いていた。
 キルリアはあらかじめばらばらに幻覚を見せておいて、対面したところで仲を引き裂こうと画策していたのかもしれない。あくまでも推測の域を出ないが、キルリアの魂胆がそこにあったのだとしたら、ある意味感謝せねばならない。お陰でライズと再会を果たす事が出来たのだから。
「ライズ、僕、君の事を追ってここまで来たんだよ。一緒に皆のところへ帰ろう?」
 ライズの寂しく丸まった背中に、優しく織り込まれた言葉の毛布を掛ける。いつものライズなら、ここで振り返って温かい笑顔を向けてくれると信じて、そっと一歩ずつ歩み寄る。声と足音でようやく察知してくれたのか、ライズはよろよろと立ち上がって、
「悪い。“おれ”はもう――」
 その先を告げずして、アルムの傍らを駆け抜けていった。茫然自失。全身を走る電流が、余計に悪寒を誘う。再会の喜びを噛み締める暇もなく、一瞬何が起こったのか、頭でも心でも理解不能であった。数秒の間を置いてからやっと、あれがライズではなく別人格のレイズで、迎えに来た自分をあっさり置いていったのだと分かった。キルリアが逃亡前に最後に吐き捨てた、『仕込みは必要なかった』という旨が、ここで飲み込めた気がした。何故今になって入れ替わったのかなど、アルムにとっては瑣末な事である。自らに帯電する電気で、脳の信号が必要以上に速くなりでもしたのだろうか。考えるよりも先に、アルムは反射的に足を動かしていた。





 町の中心部からは遠く離れた洞穴を出発したヴァロー達は、ライラの情報を充てにしながら、アルムとライズが向かったと思しき方角へと走っていた。未だ目覚めぬティルを運ぶのは、ザングースのアカツキが請け負っている。いつもならヴァローの嗅覚の出番なのであるが、生憎の雨でその役目を充分に発揮できない事が大きな要因であった。それに加え、ヴァローの集中力と注意力を散漫にして特訓の妨げとなるのを避けるようにとのライラの配慮が重なったため、今は視覚を頼りに大まかなに突き進む。
 アルムとライズが数刻前に通った道を辿って目的地に着くまでに、あれだけ猛威を振るっていた雨はすっかり止んでいた。急な天候の移り変わりに至る時点で、ヴァローの全身から迸る炎が途絶える事はなかった。天性のセンスであろうか、急ごしらえな特訓ながらも、ヴァローは着々と成果を上げているようである。ライラも思い通りに事が運んでいるのに満足しているらしく、誇らしげな表情でヴァローと話している。その間にシオンとアカツキで今後の動向について相談していた。
 ここまで来ても雨に紛れて匂いが追えないとなると、残る手段はシオンの類稀なる聴覚で二人の居場所を探知することであった。聞き込みをしていっても構わないのだが、町の雰囲気がやけに暗い事と、手間が掛かるとの事から却下となった。雨が上がった事で雑音が少なくなり、ある程度の距離まで近づけばアルムかライズの心音で判別出来なくもないとシオンは言い切った。自信満々のシオンを信じて、一行は二人の捜索を開始しようとぐねぐねした町の中央通りへの歩みを進めようとする。

 ――次の瞬間の事だった。ちょうど最奥の屋敷までの道程の中間地点で、けたたましい音を轟かせて一筋の雷光が落ちた。それは落下先にあった家を粉々に砕き、さらには大規模な炎上まで引き起こす。これも不運な天災の一部なのだろうかと思っていたが、住民であるポケモンの様子がどうもおかしい。一様に怒り狂っているようであった。危険が潜んでいるかもしれず、遠距離からシオンにいわゆる盗み聞きを委ねる。すると、この町では住居に自然の雷が落ちる事はありえず、誰かの仕業に違いないとの事であった。
 では、一体誰が――集ったポケモン達が考えを巡らせ始めたところで、爆煙が何者かによって吹き飛ばされた。一斉に視線が注がれた先にいたのは、ライズに似た姿をしたプラスルという種族のレイズと高身長の軍鶏ポケモンのバシャーモ、そしてその後ろに隊列を為して控えている軍団のような大勢のポケモン達であった。彼らが醸し出している雰囲気は物々しく、遠くからでもはっきりと危険だというのが窺い知れる。ザングースのアカツキが、真っ先に爪を構えて敵方を睨むように見据える。
「あの集団は何だ? どう見ても穏やかじゃないようだが」
「あれは関わらない方が良いかもね。と言っても、こちらへ向かってきているわけじゃないようだから、とりあえずは気付かれないようにしないと。どうもそこそこ手練(てだれ)のようだしね」
 ライラの予感は見事に的中した。取り巻いていた周辺のポケモンの反撃はまるで歯が立たず、ものの数秒の内に蹴散らされてしまう。強引に事を収めた彼らは、平然とした様子で今度は町で一番目立つ屋敷に向かって歩き始めた。干渉するべきではないと判断したものの、アルムとライズが出くわしたとしたら一大事である。万が一を避けるためにも、動向を探るべくヴァロー達も後を追うことにする。

 そして、行き着かんとする先に齎されたのは、先に続いて空間を引き裂くギザギザの刃のような稲妻だった。二度目の雷はしかし、先刻の白色とは違い、青白い光を主に纏っていた。何かおかしい――異変に気付いたのはヴァロー達だけでなく、前を進むプラスルのレイズも同じであった。
「これは傑作だな! ライズのやつ、気が狂いでもしたか、それとも見境がなくなったか。自分の邸宅を攻撃し始めるとはね」
 雷で粉々に砕かれた門を潜って行くマイナンの姿を遠目に眺めつつ、レイズはさも滑稽だといった様子で高笑いをしている。一方で、その姿と名前を捉えたシオン達にとっては、気が気ではない。いち早く駆けつけて事情を聞きたいが、生憎ライズとシオン達を結ぶ直線状にレイズ達がいて、道を塞ぐ形になっている。これでは迂闊に近づけないとじれったく思っているところに、また目を(みは)るような光景――ライズの後を追うようにして屋敷へと入っていった一つの茶色の影――が飛び込んできた。その影の正体にいち早く気付いたヴァローとシオンは、互いに視線を交わして頷き合い、そして駆け出した。

 雷の襲来で発生した砂埃が立ち込める中を、放浪者のごとくふらふらと歩き回るマイナンの瞳に、光は失われつつあった。酷く霞がかって何も見定められず、ただ光のある方へ向かうだけの抜け殻と化している。
「おれはお父様を超える。そうすれば、お父様はおれを認めてくれるんだ。その上で、良い子にしていればきっと……」
 譫言(うわごと)のように何度も繰り返している。その様子はさながらレイズの行動理由――破壊衝動とライズの欲求がそのまま表れた形である。屋敷内のポケモンは思いも寄らぬ襲撃に戸惑い、逃げ回るばかりであった。ただ一人、ライズの父たるライチュウを除いては。
「そう、それで良いのだ。おかえり、我が息子よ。さあ、その力を見せ付けてみろ」
 建物の一部が崩れていてもどこ吹く風といった様子で、ライチュウは飄々としていた。息子を見下ろす視線は、アルムと共に現れた時に向けたものとはまるで違う。どこか誇らしげである。そのぎらぎらと輝く瞳に映る色は、決して温かいとは言い難いものであるが。
「お父様、これでおれを認めてくださいますか? あなたのためになら、全てを投げ打っても良い。だから、またおれの事を――」
「ライズ、待ってよ!」
 自分に飛んできた悲痛な声に、ライズは階段に乗せかけた足を止めた。泣きそうなほどにぐしゃぐしゃになった顔を向けてくる仲間の姿に、虚ろだったライズも胸を締め付けられ、哀しそうな色を表情いっぱいに浮かべる。想いが伝染したのか、ライズの黒く暗く塗り潰された眼には、知らず熱い物が込み上げていた。
「僕達との旅で見せたライズの表情は、全部偽りだったの? 僕には今のライズの方が苦しそうに見えて仕方がないよ」
「何で君が泣いている? これは全部、おれの問題なのに」
「だって、だって! ライズが痛いって叫んでいるのが聞こえたんだ。心が辛そうにしているって、あの森の時のように感じたんだ。だから、僕が代わりに……」
 とめどなく溢れ出す想いの結晶を、止める事など出来なかった。わざわざ突き放すような態度を取ったにも係わらず、危険を承知でまた乗り込んできた。いつもは臆病ながらもここぞとばかりに勇敢な姿を見せるアルムに、普段以上の憧憬の篭った眼差しを投げ掛ける。出会ってからずっとしがみついてきた相手に眼差しを向けられ、激しい動揺を見せているその実は、既にレイズではなくなっていた。
「違う――いや、やっぱり違わない。そっちも自分だ。自分なんだけど、本当の自分がどれなのか分からないんだ。どう大事な相手と接したら良いのか、今まではこれって接し方が決まって見えていたのに、一体どうしたら良いのか全く見えなくて……」
 だが、完全にライズとしての人格に戻ったわけでもない。心の迷宮を彷徨って、出口の光を前にしても抜け出せずにいた。入口付近から長く伸びて手綱を締めている鎖に、未だに囚われているせいで。その鎖の先を堂々と握り締めている主は、思わぬ邪魔者の乱入に不機嫌な心中を顕わにしている。
「追い出したはずなのに、のこのこと戻ってくるとは。今は親子の会話の最中なのだ。実力行使で出て行ってもらっても構わないのだが?」
「ライズの事を力の持ち主としか見てないくせに! 他にいっぱいあるライズの良いところを何も見ようともしていないくせに! そんなひとが、これ以上、ライズを平気で傷つけるような事をしないでっ!」
 ライチュウの飛ばした雷光の如き眼光と、アルムの侮蔑と擁護の想いを篭めた視線が、虚空で火花を散らしてぶつかる。仇を為すと捉えたライチュウから離れた紫電が、宙を駆け抜ける。迎え撃つように放たれた鋭い雷光はしかし、前回と同じ手段(バリア)によって阻まれる。ライチュウもここで攻撃の手を緩める事はなかった。体から溢れ出す電撃を、惜しみなく送り続ける。持久力での勝負へと持ち込まれていたが、対するアルムには憔悴の色はない。これで話す時間が稼げると思って後ろに向き直ると、マイナンは口元をわなわなと震わせて激しい感情の捌け口を探していた。その矛先は、自然とアルムへと向かう。
「君には……親から何不自由なく愛を受けて育った君には、到底分からないよ! 誰かに認めてもらえないのがどんなに怖くて、苦しいかなんて!」
「いいや、僕にも分かるよ!」
 呼び掛けとは違う怒声は、アルムがライズに放つ初めてのものであった。閉ざされつつあった藪のようなライズの心に、一閃が解き放たれた。ライズも思わず口を噤んでたじろぐ。背後から響く太鼓を打ち鳴らすような音に、薄氷が裂けるような不吉な音が混じり始めたが、当のアルムは単なる喧騒の一部だとしか捉えていない。今はそんな小さな事よりもずっと重要な事を、目の前にいる大事な相手に伝えておきたかったから。
「僕もね、ずっと進化が出来ないって悩んでたんだ。進化が出来なくて弱いばっかりに、兄さんやヴァロー達に迷惑をかけているんじゃないかって。皆から、厄介者みたいに見られてるんじゃないかって。でも――でもね、そうじゃなかったんだ。それは単に僕の思い過ごしで、僕が他人に認められる事ばかりを考えていたからだって、大事な人が気付かせてくれた。今なら、ルーン兄さんが言いたかった事も分かる気がする」
 宝石のようにきらきらと煌く美しい星空。周囲は暗闇ながらもどこか暖かさを感じさせる雰囲気。故郷でブラッキーのルーンに諭された事や、月影の孤島でヴァローに励まされた事が、つい昨日の記憶のように蘇ってくる。わざわざ作らずとも、心に残る優しい思い出に耽る内に、自然とアルムの顔は綻んでいった。アルムに徐々に感化され始めたライズも、神妙な面持ちで落ち着いて聞き入っていた。
「あのね、僕はライズのお父さんみたいに、こういう姿でいろってなんてこれっぽっちも思ってないよ。ライズ自身が自分がこうありたいって姿でいて欲しいんだ。それで、僕と正面から接して欲しいなって思ってるんだよ」
 ああ、なんてきらきらして暖かい眼差しなんだろう。そんな君にいつしか憧れ、ずっと自分の事を見続けて欲しいと思うようになっていった。その瞳そのものが羨ましいのではなく、それを向けられる相手が羨ましくて仕方なかった。シオンやヴァローに嫉妬してしまった要因はそこにある。でも、今になって気付いた。君の瞳はいつだって、皆に等しく向けられていた。皆の中に自分もしっかり入っていて、ずっと見てくれていた。羨む必要なんて、どこにもなかった。だったら、僕もその恩返しをしたいし、分け与えたいと思う。そのためには、どうしたら――
「それとね、他人に自分を認めてもらうんじゃなくて、自分で自分を認めるのが大事なんだよ。その上で、自分を偽らず、“自分らしく”いるようにって言うのかな。これもルーン兄さんやヴァローの受け売りなんだけどね」
 ヴァローが月影の孤島で訴えた事は、アルムにもしっかりと届いてその精神が根付いていた。そうしてアルム自身が自分なりに咀嚼して学び、享受したその恩恵を、今度はライズにお裾分け。アルムとヴァローを結んでいた絆の(たすき)が、ライズの方にも環の一部となって渡される。心の器に大きな変化が現れ、まるで憑き物が落ちたかのように、ライズの顔に生気が戻って満ち溢れていく。
「そっか。自分らしく、ね。どっかで自分を演じていた気がする……。だけど、アルムくんの言葉で我に返ったよ。そうだ、僕は誰かに認められるために必死になり過ぎていて、本当の自分を見失っていた。それがそもそもの間違いで、僕は僕らしくいれば良いって事なんだよね。そんな自分を、アルムくんたちは暖かく迎え入れてくれたんだもの」
 アルムの目の前で瞳に強い光を灯しているのは、他人が与えてくれる存在価値に(すが)るしか知らなかったライズでも、父親への反抗心と自身への抑圧から生まれた破壊を求めるだけのレイズでもない。長らく苦しめられていた人格分離の問題に、たった今終止符が打たれた。自我が統一した事で、本当の意味での自分に戻ったライズに、不思議と力が湧いてきた。抑え込んで偽る事で手にした力ではなく、解放してあるがままの自分を受け入れた力である。蒼の防壁を破ってきた父の攻撃を、ライズの雷撃がいとも容易く押し返した。何者にも縛られぬ自由の力は、底が知れない。ライチュウも度肝を抜かれたように立ち尽くす。
「お父様、僕は僕の思う道を行きます。もうあなたには屈しない。それだけ、言っておきます。次に会う時には、今度こそ――いえ、やっぱりなんでもないです」
 ライズが去り際に父親に向けたのは、怒りでも哀れみでもなく、感謝の思いを込めた純粋な笑顔であった。ライチュウには息子の示した言動に理解が及ばないようだったが、そんな事は前を向いて歩き始めたライズが意に介するところではない。胸を張って生きていく術と、その道を歩む手助けをしてくれるかけがえのない存在が、すぐ傍に近くにある事を深く心に刻み込んだから。また一つ殻を破り、一つの呪縛と因縁を振り払った。残すは、自分と同じく過去と力に執着している、哀れな旧友とのけじめを着ける事である。願わくば自分が施されたように救い出したいが、相対する今は土台無理な話である。だから、今はせめて彼の得意とする力で鼻っ柱をへし折らねば。
 茫然自失のライチュウにはもはや目もくれず、意気込みを新たに屋敷から外に出たところで、今しがた頭の中で考えていた相手と鉢合わせする事となった。思いがけない遭遇ではあるが、探す手間が省けたとあってライズにはむしろ好都合であった。
「待っていたぞ、ライズ。本気のお前と、一戦を交える時をな」
 相手もそれを望んでいた。ならば、全力を以って迎え撃たねばなるまい。アルムもこの戦いを引き止めるつもりは毛頭ない。互いの同意の上で果たされる二度目の決闘は、さながら荒野のような大地で、一閃の雷光が落ちたのを合図に開始されたのであった。


コメット ( 2014/10/09(木) 20:51 )