エトワール・フィランテ〜星降りの夜の導かれし出逢い〜


















小説トップ
第十三章 ライズの故郷、グロームタウン〜開花、回帰、邂逅、〜
第百二話 炎の精霊の旧友〜特異な力と師匠と弟子〜
 大粒の雨の幕がじわじわとその領土を広げていき、やがては町一体が雨に煙って幻のような世界へと成り果てていた。アカツキは敏感に雷雨の到来を察知しており、特に炎タイプであるヴァローの身を案じ、滝のような雨に見舞われる前に近くの小さな洞穴に一時的に避難させていた。足元は腰を落ち着けづらい凸凹の岩で、おまけに至るところに苔が蔓延(はびこ)っているなど、決して居心地が良いとは言えない洞穴の中から、アカツキは物憂げに暗く澱んだ空を見つめる。目が覚めるまで守る事を頼まれたものの、いつ起きるか分からない事もあって、気長に時を過ごすしかなかった。
「やあやあ、こんなところにいたんだ」
 雨はしばらく止みそうにないだろうと眠気に身を委ねようとしていた瞬間に、全神経を張り巡らせて警戒態勢を取る。入り口付近にいたのは、全身は薄黄色の毛に覆われ、耳からツインテールのように赤い毛が生えており、箒のような形をした尻尾に木の枝が刺さっている、二足歩行の狐のようなポケモンであった。明朗で谷のように澄み透った甘く高いソプラノ声はしかし、その聞き惚れるような声質とは裏腹に、アカツキの毛をおもむろに逆立たせる。
「お前、何者だ。何もないこんなところを覗きに来るなど、おれ達がいるのを知ってでもいない限りしないはずだろ」
「いきなり物騒で嫌になっちゃうなあ。でも、そのノリ悪くないかも。せっかくだし、ちょっと小手調べをさせてもらうよ」

 キツネポケモンのテールナーが尻尾の小枝を引き抜くと、その先端に小さな炎が灯った。その原理は分からないが、アカツキにはそんな瑣末な事などどうでも良かった。相手が敵意を向けて攻撃の意思を示してきた以上は、悠長になど構えていられないと覚悟していたからである。けらけらと楽しそうに笑ってはいるが、瞳の奥は笑っていない。そんな気味の悪い狐を退けるべく、ネコイタチは全力を以って駆け出す。
 刹那、鋭い目つきのザングースが突進を噛ますのと、顔に笑みを貼り付けたテールナーが軽い身のこなしでかわすのは、ほぼ同時だった。着地後に体勢を整えたアカツキは、両足にぐっと力を込めて間髪入れずに飛び掛ろうとする。テールナーは急襲にも全く怯むことなく、むしろ堂々たる構えで手持ちの杖先から炎の塊を飛ばして応戦する。反撃に遭うのはアカツキとしても想定内らしく、握り拳大の炎を鋭利な爪で軽く薙ぎ払い、速度を緩める事無く肉薄する。眼前まで接近したところで素早く腕を振り下ろすが、一瞬にしてテールナーの周囲に赤い火の玉が複数現れ、アカツキはすんでのところで攻撃を中断して弾かれるように後退した。水飴のように軟らかく粘っこい“おにび”は、意志を持ってテールナーを護衛するかの如くぐるぐると円を描いて宙を飛び回っている。これでは接近戦を得意とするアカツキも迂闊には近づけない。
「へえ、あそこで身を退くとは中々やるじゃないの。単なる肉体バカってわけでもなさそうだし、腕試しにしては面白くなってきたものね」
 テールナーが杖を持った腕を前に伸ばすと、それに連動するように“おにび”が次々とアカツキへと襲い掛かっていく。わざわざ向こうから防御の術を拡散させたとあらば好機であった。個々に複雑な軌道を描きながら迫る火の玉をじっくりと見切った上で避け、次の攻撃に向けて足に力を篭めようとした時だった。何もないはずの足元から大きな火柱が立ち上がり、ごうごうと激しい音を立てながらアカツキの体を包み込む渦となった。隙を突いて“ほのおのうず”を展開したテールナーは、術中に嵌められて満悦というよりは、今の状況に期待の眼差しを向けていた。
 さて、ここからどう抜け出すか――テールナーにはアカツキを倒す目的以前に、その技量を測ろうとしている意志の方が大きかった。辺り一体を茜色に染め上げる炎の柱は勢いが治まる気配もなく、中のザングースを容赦なく焼き尽くさんとしている。この程度かとテールナーが溜め息を吐きかけた時、黒光りする爪が分厚い炎の壁を切り裂き、その風圧で渦そのものを振り払った。絹糸の如く白く美しい体毛をいくらか焦がしながら、その中心にいた者は何食わぬ顔で再度対峙するに至った。
「うん、やっぱりやるね。合格だ」
「合格だと? 何をふざけた事を抜かしている。お前もミュウツーの取り巻きのいかがわしい集団の一味か?」
 今まで殺す気満々だった相手が突如として融和を図ってきた事で、アカツキとしても素っ頓狂な声を上げて唖然としてしまう。だが、当の本人は至って真剣そのもので、それでいて硬くしていた表情を解すほどの余裕すら見せている。
「まさか。だったら最初から挨拶なしに攻撃してるさ。だが、誤解されるのも無理はない。試すような真似をして済まないね。私はライラ。炎の精霊――フリートに託されたんだよ。あんた達に手を貸してやって欲しいってね」
「炎の精霊だと? 噂には聞いた事があるが、そいつが一体何の用だってんだ」
「そうか。君の方は特に関係していたわけじゃないから分からないのかもね。本当に用があるのは、そこで寝転がっているガーディの方かしらね」
 アカツキが未だに鋭い目つきで視線を投げかけている事など、テールナーのライラは意に介している素振りは見せない。それどころか立ちはだかろうとするアカツキを強引に押し退け、つかつかとヴァローの近くに歩み寄ると、手にしている杖を仰々しく掲げた。丈夫な木の枝にはライラの体から発せられる炎のエネルギーが蓄積されていき、その先端では実体化した炎が圧縮されて渦巻いていく。その光景だけ見れば、只事ではない。
「いつまでも寝てるんじゃないのさ! 早く起きなさい!」

 怒号はさながら寝起きの悪い子供に向けられる母親のそれのようであった。閉ざされた空間内にライラの特徴的な声が反響していく中で、ライラは杖先から生み出した炎を、あろう事か気を失っているヴァローへと乱暴にぶつけた。揺り動かすなどするならまだしも、攻撃を当てるとあっては荒っぽいにも程がある。肝を潰したアカツキが急いで臨戦態勢に戻るが、ライラは振り返らずに手を後ろに伸ばして制止した。
「待ちなさいって。この子の特性は“もらいび”のはず。だったら、むしろ良い目覚ましになるはずだってば」
「“はず”って、外れていたらどうするつもりだったんだ」
「まあ、その時は素直に謝るしかないわね。見舞いの品に花でも何でも摘んできてあげるわよ」
 真面目な顔を見せたかと思えば、今度は悪戯っぽく笑って杖でヴァローの顔をつつく始末である。アカツキとしてもライラと絡んでいるとどうも調子が狂う。だが、初対面でなおかつ怪しさ全開でも、どこか憎めない部分があるのも否定出来なかった。不思議な雰囲気を纏うライラに言動共に振り回されている内に、炎の直撃を受けたヴァローがゆっくりと重い瞼を開いていった。
「ん……ここは?」
「おはようさん。細かい説明は省くけど、ここはグロームタウンで、私はライラ。まずは大前提として、私はあんたに用があって会いに来たって事を寝ぼけた頭に叩き込んでおきなさい」
 横柄な態度で矢継ぎ早に、しかも見慣れぬ顔の相手に不親切極まりない言葉を掛けられたのでは、例え寝起きでなかろうと理解に苦しむところはある。徐々に頭が覚醒して状況の把握に努めていたヴァローであるが、やはり目の前にいるテールナーの存在が解せないのか、終始冴えない顔を保っている。しかし、現状目を覚ましているのが自分の他に二人しかおらず、一人の暴走をもう一人が傍観を決め込んでいるとあれば、否が応でも聞き入れるしかないのも事実である。
 だが、ダメージを受けて寝込んでいた割には、頭がちゃんと働いて事態が飲み込めつつあった。サンクチュアリから瞬間移動でここまで飛ばされた事、アルムとライズが一足先に町の中心部へ向かった事、そしてアカツキがライラの急襲に遭って今に至る事、全てを理解するまでにそう時間は掛からなかった。いつも冷静に物事を判断する癖があるヴァロー自身の性格と、ライラに与えられた炎によって失っていた体力を取り戻した事によって為せる業であろう。
「じゃあ、大体飲み込んだらしいから、本題に行くわよ。まずね、大事な忠告。あんた達は自分が置かれた立場についてなーんにも理解しちゃいないのよ。それでのうのうと旅を続けるって言うなら、これほど危ない事はないんだから」
「は、はあ」
「随分と曖昧な返事ね? 本当に分かってるの?」
「いや、なんつーか、いまいちピンと来ないところがあるんだよ」
「まあ、今まで平和に過ごして、ちょっと冒険めいた旅を続けてきただけなら無理もないっか。でもね、事態はあんた達が思うよりずっと深刻なのよ。何せこの星の運命がかかっているんですもの」
 半分惚けたようになっていたヴァローの顔も、一瞬にして引き締まった。自分が関わってきた事象が全て自分達のみの問題に留まらず、延いてはこの星全体に影響を及ぼすのだとしたら、黙って傍観しているわけにも行かないと危機感を抱き始めたからであった。緊張の糸が張り詰められる中、腕組みをして壁にもたれかかっているアカツキが、再び端を発するように久方ぶりに口を開いた。
「それで、非情なる現実を突きつけたところで、どうしようって魂胆だ?」
「そりゃあ決まってるじゃない。この子が自分では分かっていない炎の力の制御の方法を、私が指南してあげるのよ。ずばり、炎の特訓にこそ強くなる秘訣ありってね」
「ちょっ、何を勝手に決めてんだよ。アルム達を探さなきゃならないし、そもそも俺はまだ何も――」
「――あんた、強くなりたいんでしょ? 自分一人で大事な仲間を守れるくらいに。だったら、目の前にその方法があるならなおの事、がむしゃらにでも頑張るしかないでしょう」
 異を唱えようとしていたヴァローも、ライラに心の奥底を見透かされているようで思わず口を噤んだ。本能で正論だと分かっている。アカツキに稽古を付けてもらったが、正直それだけで劇的に強くなれたとまでは思っていない。自分にまだ伸び代が残されていると言うなら、それに賭けてみたいという気持ちも少なからずあった。それ故かライラには逆らう気にはなれず、たじたじで形無しといった様子であった。
「よし、これで決まりね。私の事は師匠と呼びなさい。くれぐれも途中で投げ出すような真似はしない事。あんたのためにもこれだけはどうしても守って欲しいの。約束してくんないかな?」
 相変わらず高圧的ながらも、最後に見せた微笑みだけは飛び抜けて柔和なものであった。ヴァローも不意を突かれて反応が鈍るものの、軸のぶれない眼でライラを見据えて頷いた。瞳の奥に宿る強い光を認めたライラも、合格と言わんばかりに今度は破顔一笑を浮かべる。
「うん、良い顔をしている。“バロウ”もこんな風に勇気とやる気に溢れていたっけね」
「その名前、どこかで聞いた気が――もしかして、フリートが言っていたように、俺とそいつは関係があるのか!?」
 ぼうっとしていたら流してしまいそうなところであった。聞き捨てならない名前がライラの口を衝いて出た事もあって、妙に心がざわついて記憶の扉を激しく叩く。リプカタウンでビクティニのフリートが不意に発した事をヴァローも覚えており、和やかな雰囲気に緩んでいた表情もたちまち険しいものになる。対してライラの態度は相変わらず飄々としていた。
「さあね。それは私の口からは何とも。いつかは話す時がくるかもしれないけど、今はまだその時じゃない。今はそれより特訓が最優先で――と言っても、別に私は修行なんてまどろっこしい事をするつもりはないわよ。ああいう一箇所に留まってひたすら練習なんて、私の性に合わないの。手早く体に叩き込んでもらうためにも、ある程度実戦の中で学んでもらうから」
 特訓の一言で四肢に力を入れ、厳しい鍛錬でも何でも来いと待ち構えていたところで、あっさりと出鼻を挫かれた。きりりと表情を引き締めていたヴァローはおろか、目を細めていたアカツキさえも呆れ顔へと変貌してしまう。アカツキは拳を握り締めて何か言いたげにするが、押し殺して喉の奥に仕舞い込む。だが、ヴァローはさすがにそれでは納得がいかない。この肩透かしのやり取りにも順応しつつあったが、ここばかりは突っ込むなと止められても譲れない。
「なあ、ライラ――」
「師匠」
「ライラさん――」
「し・しょ・う!」
「――師匠。特訓って言ってなかったか? てっきりここで何か鍛えていくもんだと……」
「こんなじめじめして狭くて暗い洞窟の中で特訓なんて、私は嫌だもの。それに、特訓に打ってつけの天候なわけだし、これを活用しない手はないでしょ」
 洞窟の外は依然として矢のように雨が降り続けている。炎タイプにとっては最悪とも言える天候なのだが、ライラが何を以って自信満々に打ってつけと言うのか、ヴァローには全く理解出来なかった。この悪天候の中でやったところで必要以上に体力を消耗するだけなのは、火を見るよりも明らかである。怪訝そうなガーディの顔を覗き込んだテールナーは、師匠と無理矢理呼ばせた事も相まって喜色満面といった風である。
「何でこんな雨が良いのか分からないって顔をしてるわね。あんたに会得して欲しいのは、炎のコントロールよ。この雨はその炎を打ち破ろうとしてくる、いわば攻撃の一種なの。それといかに渡り合っていくかが鍵になっていくのよ。言ってる事は分かるかしら?」
「まあ、何となく感覚で」
「感覚でってのがちょっと怪しいけど、その辺は良いかしらね。それで、具体的に何をしてもらうかと言うと、この雨の中を濡れずに走り抜けてもらうわ」
「濡れずにって、この雨をかわすなんて芸当、どんなに足が速い奴でも無理だろ?」
「まだ寝ぼけてるのかしら。私は炎のコントロールをしてもらうって言ったのよ。それはつまり、全身を包む炎で雨を防ぎながら移動しろって意味。“かえんぐるま”を使えるあんたなら、感覚的に分からないことではないでしょ?」
 冴えない顔をしていたヴァローも、これにてようやく解するに至った。まずは外へ出れば良いのかと顔色を窺うと、ライラはそれに黙って首肯する。弱点だけあって水には抵抗があるが、ここで躊躇していても始まらないと意を決して飛び出した。一瞬して全身が大量の水滴に晒され、堪らず炎を燃え上がらせる。しかし、思ったよりも雨脚が強いせいで、すぐに鎮火されてしまう。

 その後も幾度となく繰り返すが、さすがに特訓というだけあって、決して楽なものではない。“かえんぐるま”の感覚でいると大量の炎が必要になり、すぐにスタミナが尽きて炎を出せなくなってしまう。かと言って生半可な炎では、次々と降り懸かる雨を凌ぐ事が出来ない。大量かつ小さな雨粒を蒸発させるだけのエネルギーを発しつつも、その火力を必要最小限に留める。理屈を頭では分かっていても、想像以上に炎の調節に手を焼いていた。
「仕方ないわね。私が少しお手本を見せてあげる」
 雨に当たらないぎりぎりの位置から見守っていたライラが、度重なる失敗を見るに見兼ねて雨の下に躍り出る。炎を身に纏うわざを持たないはずのテールナーであるが、そこは特訓を買って出るだけある。一拍の精神統一の深呼吸の後に、涼しい顔で全身から静かなる炎を放ち、落ちてくる雨の槍から身を守ってみせる。“おにび”の時もそうであったが、ライラの炎は生命あるものの如く激しさと穏やかさを内包しているようである。煌々と燃え上がりつつもその勢いが衰える事はなく、ヴァローも雨に打たれている事など忘れて釘付けになる。
「炎って自由自在に操れるようになれば楽しいもんよ。あんまり実用性はないんだけど、こんな事も出来るんだから」

 やけに張り切っているライラが見せたのは、蝶の羽のように背中から大きく伸びた炎であった。先端では稲妻のように迸って一段と輝きを放っており、ひらひらと舞い落ちる火の粉はさながら羽から零れ落ちた銀粉のようである。背景が白と灰で構成されている事もあってか、朱色の炎を纏ったライラの姿は一層映える。
「綺麗だな……こんな事も出来るのか」
「ふふっ、ありがと。さあ、あんたもこれくらいは出来るようにならないと話にならないよ!」
 美しい炎の舞に見惚れているところへすかさず喝を入れる。またしても上手く手玉に取られるが、ヴァローも不敵な笑みで返すほどの余裕を見せる。今ので意欲が回復したらしい。調子の上がってきたヴァローを傍目で見て、アカツキもふと口元に小さな笑みを湛える。
「まるで全てお見通しのようだな。あいつに秘められた力とやらも、これから待ち受けているであろう事態についても」
「あら、さすがに力の方は見抜いていたのかしら」
「そりゃあ、まあな。短時間とは言え、特訓した事もあるし。それで、あいつがこの課題をこなすのはそもそも可能なのか?」
「私も炎とエスパーの力を同時に引き出して可能なくらいの事よ。あの子には不可能ね――普通なら。だけど、あの子には恐らく――いいえ、必ず“天秤(ライブラ)”の力が眠っている。それさえ扱えるようになれば、彼の炎の力は格段に上がるわ。それを呼び覚ますのが私の役割、というか宿命かしらね。これだけは誰にも譲れないみたい」
 ヴァローから虚空へと視線を移したライラの瞳には、哀愁の色が漂っていた。余計な詮索はするまいと、アカツキもそれっきり黙って壁にもたれて座り込む。一時の、しかし決して重苦しくも気まずくもない、不思議な沈黙が雨音の隙間を縫うように流れていく。一度師として同じ相手を指導した者も、現在教えている者も、今はただひたすらに、若いガーディが己の力を極められる事を信じて静観を決め込む。
 雨に打たれる事でいくらか体力と神経を磨り減らしていく内に、肉体的にも精神的にも追い込まれる事で、ヴァローは自然と集中力が高まりつつあった。残った炎の力を搾り出して作り上げた炎の鎧は、揺らぎこそ大きいが無駄なエネルギーの消費を極力抑え込んでおり、それでいてしっかりと雨を防御している。特訓を始めた中でも最高の炎を生み出した事で、ヴァローも直感的に成功したのだと分かって口角を上げる。
「これで良いんだな? じゃあ、早速アルムと合流しなきゃな。」
「ちょい待ち。勝手に自分だけで完結しないの。まだこれはほんの基礎よ。言ったでしょう、滞在して修行っぽくするのは私の性分じゃないって」
 すなわち今までのは準備段階に過ぎないと、ライラははっきり明言する。基本を押さえずに飛び出したところで特訓が上手く行くわけがない。故に先に下地を固めた上で本題に移ろうというのがライラの考えであった。さすがのヴァローも目に見えて疲弊しており、驚きを隠せないようである。しかし、しょげている暇はないと改めて自らを奮い立たせ、気概も充分に次なるステップに臨もうとする。
「でも、自分の限界を見誤っては駄目よ。まずは体力の回復が先決だからね」
 ライラとてヴァローの身を案じていないわけではない。特訓を続行させるためにも失った体力を取り戻させようと、あらかじめ用意していたオボンの実を差し出す。辛味を除く全ての味が混ざった木の実は、表皮こそ硬いが中身は口の中で簡単に噛み砕く事ができ、舌の上を転がる程好い甘さに体の芯から安らぎと幸福感とで満たされていく。木の実を食べ終えて一頻り疲れを癒していく不可思議な充足感に浸ったところで、ライラはヴァローを見据える。
「じゃあ、第二段階に行く前に、これからどうするか、よ。私達だけで町に行くのも良いんだけど、この子達を置いていくわけにもいかないしね」
 ライラが腰の部分に手を当てながら見遣る先には、瞼を閉じて眠りに就いているマリル、ジラーチ、ポリゴンの姿がある。他の仲間の存在や種族にも、さして驚いた素振りは見せない。だが、問題なのはそこではない。彼らの事も含め、これからの行く末に関わる決断をヴァロー一人に委ねられた事である。ヴァローが口を真一文字に閉じて唸り声を上げていると、アカツキは首だけ動かして一瞥の後に、わざとらしく天井を仰ぎ見る。
「おい、そこのマリル――シオンって言ったっけか。お前、さっきから目は覚ましてただろ。どんなに隠そうとしても、気配で分かるぞ」
「あら、やっぱりばれていたのね」
 嘲笑交じりの――あくまでも悪意の篭められていない低めの声で――アカツキに声を掛けられると、お茶目に舌を出しながら、シオンはむくりと起き上がった。中々目を覚まさないと心配していたのだが、取り越し苦労だと分かってヴァローもほっと安堵の息を吐く。しかし、自分とは違って外部から力を分け与えられたわけでもない。ヴァローはどこかに怪我が残ってないか、不安げにシオンの体を上から下まで見ていく。
「シオン、体はもう大丈夫なのか?」
「ええ、お陰さまで。早く体力が回復するように、こっそり“アクアリング”を使ってじっとしていたの」
 ぼてっとしたまんまるの体は、天気のせいもあってか幾分かつやつやしている。いつもの優しく気品に満ちた笑みは、既に全快である事を如実に表してヴァローに安心感を与えた。シオンとヴァローが視線を交わして顔を綻ばせる脇では、物音一つ立てずに別の影が起き上がった。挙動があまりにも静かで気味が悪いもので、一同は幽霊でも見ているように凍りつく。
「私も起きています。主の危機とあらば、すぐにでも駆けつけましょう」
「相変わらず無機的な奴だな。だけど、まだそうと決まったわけじゃないんだ。確かにアルムとライズの安否が心配じゃないって事でもないけど……」
 ポリゴンのレイルの意見も(もっと)もである。アカツキによればアルムとライズは単独で動いているわけではないとの事であるが、先のミュウツーの襲撃の事を思い返せば、決して悠長になどしてはいられない。一方で、お世辞にも万全とは言えない状態で後を追うのが正しいのか躊躇われた。決めあぐねているヴァローは、既に決意を固めているレイルから一旦視線を逸らし、アカツキやシオンへと浮かない顔で向き直る。
「目が覚めたとは言え、回復して間もないなら、焦りは禁物だとおれは思う。一刻を争うなら、このジラーチを抱えて移動するのは不可能でもないけどな」
「ここにいたって何も始まらないと思うわ。アルムとライズの事も心配だし……」
 仲間が欠けているというだけで、表情が一様に曇りがちになる。シオンとレイルが目を覚ましたのは朗報ではあるが、何も分からない事態が好転したのでもない。ただ、外では不安を煽る雨風が酷く吹き付けるばかりである。
「だから、アルム達を追いかけるって事で良いのよね?」
 故にシオンの凛とした眼差しは、ヴァローにとっては非常に心強かった。そうだ、何を迷う事があろうか。今も怖くてどこかで泣いているかもしれないあいつを、何もせずに放ってなどおけない。シオンの純然たる想いはさながらヴァローの心の内で着火材の役割を果たし、やる気の炎を増幅させていく。
「ああ、もちろんだ。俺はそれで異論はない」
「さっきは戸惑ってたくせに、言い切ったわね。じゃあ、移動しながらしっかりと特訓をこなしていかないと。覚悟は良いわね?」
「ああ、もちろんだ。もう後に退くつもりはないからな」
 気分を沈みがちにさせる雨の下に身を置いても、それを振り払うだけの炎を内から燃やしていく事が出来る。明るく強い炎を灯された事で、一行の中で燻っていた気合も高ぶっていく。シオンやレイルにとってはライラの存在は未知のものであるが、既にこの場の雰囲気に馴染んでいる事もあって深く言及する事はなかった。ただ、やたらとヴァローに対して厳しい態度を取っている事だけは念頭に置きつつ。幾分か小降りになってきた曇天の下、六つの影が一斉に洞穴の中から飛び出していくのだった。

■筆者メッセージ
第六章の終わり辺りにちらっと出したのを今更拾い上げるかって感じですが、それがこの作品の特徴という事で。もちろん六章執筆時点ではXYも発売されておらず、無論テールナーという種族も公には存在はしていませんでした。しかし、こういう(ヴァロー関連の炎タイプの)キャラを出そうという構想はあって、なおかつビクティニがほのお・エスパーという事でそれに近いのは――と考えた結果、種族を決めなおすに当たってこうなりました。ここで新キャラとなるとさらにごちゃごちゃしそうなのですが、このキャラは割と重要なポジションにいます。単に登場が遅れただけですね。なので、新たにライラというキャラが登場した事で物語がどう展開していくか、温かく見守っていただけると幸いです。
コメット ( 2014/09/01(月) 20:56 )