エトワール・フィランテ〜星降りの夜の導かれし出逢い〜


















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第十三章 ライズの故郷、グロームタウン〜開花、回帰、邂逅、〜
第九十九話 雷鳴の町への推参〜霞がかった視界の先にあるもの〜
 リーゲルの放つ光に包まれると同時に、アルムは安堵から来る眠気に襲われた。徐々に光の渦に飲み込まれる内に、夢の中に完全に意識を沈めていった。決して心地よい眠りとは行かないが、体が欲していた休養ならば抗いようがない。それが充分に満たされた頃になって、ぼんやりと意識が戻ってきた。何者かにのしかかられているような体の重さと気だるさに苛まれてはいるが、幸いにも目立った外傷等を受けたような痛みは感じなかった。命の危機を感じるような攻撃を浴びても生き延びられた事は、正直言って奇跡だったとさえ思える。だが、絶望感に襲われるわけでもなく、心の中に希望の芽が(つい)える事はなかった。
 光の中にいる時点では平衡感覚を失っていたため、ここに来てようやく地面に体を横たえている事に気付いた。重い瞼を開けて横に視線を動かしていくと、すやすやと寝息を立てて眠っているジラーチ――ティルの姿が目に入った。つい先程あの強大な力を解放したとは信じがたい程に安らかな表情である。未だに繭の状態のままであるが、生命に支障を来たしているわけでもないようで、アルムも心の底から胸を撫で下ろす。

 ティルの無事を確認したところで、続け様に他の仲間の安否も気になってくる。薄い靄がかかっていて遠くまでは見渡せないが、近くで伏しているヴァローやシオン、レイルの姿を認めるには問題はなかった。呼吸も安定していて意識がないだけなのだと分かり、不幸中の幸いだと思って表情を綻ばせる。しかし、何度見渡してもマイナンのライズが見当たらなかった事だけが懸念すべき事であった。
 右も左も分からない土地で、アルムは気が付けば駆け出していた。もしやここに飛ばされる途中で何かあったのではないか――そんな胸騒ぎがしたのが大きな要因であった。いくらリーゲルの力の保護下にあったとは言っても、それが無事であるとの確証にはならない。大事な仲間が欠けるのだけは何があっても避けたかった。
「アルムくん、目を覚ましたんだ。ちょっと離れててごめん」
 激しく狼狽していたところに、覚醒して初めての聞き覚えのある優しい声が、ぴんと立てていた両の耳にしっかりと届いた。あれこれ巡らしていた悪い予想が杞憂で済んだと分かった瞬間に、アルムは力が抜けてその場に座り込んだ。しかし、アルムの心と表情に安堵が定着する前に、たちまち顔色を窺うような視線にすり替わる。ライズの体に残っている、強く打ち付けたような痕がどうしても目に付いてしまったからであった。完膚なきまでに叩きのめされた光景が呼び起こされて、思わず身震いしてしまう。
「あ、あの、ごめんね。せっかく修行したのに、皆を守る事が出来なかった。力が足りない事が今まで以上に悔しいって感じるんだ」
「そんな事ない。アルムくんは頑張ったじゃない。ゲンガーを打ち負かしたのもアルムくんなんだよ? そりゃああのミュウツーは止められなかったけど、あれは規格外なんだから無理も無いって。だから、気を落とさないで」
 恐れとは別個に心許なさが渦巻いて霞がかかっていたアルムの心を、ライズが暖かい励ましの言葉で見事に晴らした。“きりばらい”を覚えておらずとも出来る思い遣りのある言葉の一つ一つが、芯に響いてきたのである。()しくも周囲に広がっている細かい水滴が徐々に消え始め、今まで覆い隠していた景色を顕わにした。
「まだ視界がぼやけて見えないと思うけど、ここはグロームタウンだよ。僕の土地勘が間違っていなければだけど、ね」
「えっ、それじゃあここって――」
「そうさ。僕の故郷だよ。ようこそ、雷の町グロームタウンへ」

 足元は心地良い草原でもなければ、ごつごつとした岩場でもない。作物を育てるには適していそうな程好く柔らかい土が大地に広がっている。肌に水滴が纏わりつくような感触からも、空気がやけに湿っているような印象を受けた。呼吸する度に肺に流れ込んでくるのは湿り気ばかりでなく、しとしとと大地を濡らす雨の匂いが混じっている。突如として望まずして飛ばされてきた事もあって、最初こそ感慨も特に起こらなかったが、ライズに縁のある町だと分かると俄然探検欲が湧いてくる。
「着いたんだ、ライズの故郷に。何だか……実感が湧かないね」
「そりゃあね。僕としては願ったり叶ったりなんだけど、アルムくんはそうでもなかった?」
「ううん、そんな事ないよ。ライズだけ友達とか家族に会った事がないから、僕の知らないライズを知れるかなって思うと楽しみだよ!」
 戦闘の疲れが癒えず残っていながらも、アルムはあくまでも気丈に振舞おうと努める。ライズへの配慮から笑顔を向けて明るく見せたというのに、その相手の瞳に一片の陰りが映った事には疑問を抱かざるを得なかった。だが、それを言の葉として表出するのは(はばか)られ、今度は偽りの笑みで気まずい間を取り繕う。
「ところで、ヴァロー達はまだ目を覚まさないのかなあ」
「あの強力なエスパーの攻撃を受ければ、しばらく意識が戻らないのも無理はないと思うよ」
「あれ、でもライズも同じ攻撃を受けたんだよね? その割には起きるのが早くない?」
「ああ、僕の中には“もう一つの人格”が眠っているからね。意識が二つあるって考えてもらえると分かりやすいのかな。気絶とかしてもすぐに起きられるんだよ」
「へえ、そうなんだ――って、えっ!? ライズのもう一つの人格って、森で消え去ったはずじゃあ……」
 事の顛末を知るのはシオンのみであったため、アルムが驚くのも無理はなかった。ヴァローが起きるまではこの場を動くわけにはいかないと判断し、アルムがユーリと修行している間に何があったのかを話した。湖の畔で自分を曝け出す内に消えたはずの別人格が復活したこと、拒絶するばかりでなくもう一人の自分と向き合っていこうと決意したこと、そしてアルムに対する思いの丈をシオンに吐露したことまで全て。それらを聞き終えた後でも、アルムは穏やかな表情を崩さなかった。
「そっか。別人格に悩む自分にけりをつけるために、ここに来たって事なんだ。この故郷に、ライズの人格に関わる何かがあるって事で良いんだよね?」
「そうだよ。全てはここから始まった。だから、ここで終わらせようと思う。過去に囚われるのはもううんざりだからね」
 暗い影を落としていたライズの顔に、一点の仄かな光が戻った。アルムには嘘を見破る能力はないが、ライズが示して見せた覚悟は紛い物ではないという自信があった。出来ることなら微力でも良いからライズの後押しをしたい――その一心から自ずと自分のするべき事も浮かんでくる。
「じゃあ、ライズの思い出の場所で僕が隣にいても良いかな? 僕、ライズの力になりたいから」
「ありがとう、アルムくん。その言葉、すごく嬉しいよ。君は僕にとって初めての――ううん、やっぱりなんでもない」
「えー、気になるなー。ねっ、何て言おうとしたの?」
「ふふっ、それはアルムくんの想像に任せるとしようかな。さてと、アルムくん。まだ他に誰かいない事に気付かなかった?」
 ライズは微笑交じりに唐突な話題の転換を図った。あまりにも流れが円滑だったため、アルムも上手く乗せられた形で考え込む。しかし、ヴァロー達の無事を確認した時にいないと気付いたのはライズだけだったと思い返す。分からないといった様子で首を傾げているところへ、さくさくと静かに砂を踏み締める音が聞こえてくる。
「まさかおれの事を忘れていたわけじゃあるまいな」
 最前線でミュウツーと渡り合った彼の存在を失念していた。失礼だとは思いつつも、長い間連れ添った仲間の事で頭がいっぱいになってしまい、アカツキという頼もしい仲間がいた事実が記憶の内から飛んでいたのである。アルムは明るい表情を苦笑混じりのものへと変貌させ、両手一杯に木の実を抱えているザングースと向き合った。
「あ、あの、その……ごめんなさい」
「正直で結構。別にそのまま忘れてもらっても構わねえよ。その代わりにこの木の実にはありつけなくなるけどな」
「ちゃんと覚えてますから許してくださいよう……」
 アカツキは意地悪っぽく笑って、アルムに木の実を寄越そうとしなかった。アカツキの方が一枚上手である。弁明の余地を失った事で半泣き状態で謝ってくるとあらば、これ以上からかうのは止そうと思い至り、アカツキは瓢箪(ひょうたん)のような木の実を手際よく斬って差し出した。体力を回復する効果のあるオボンの実だけあって、食すとたちどころに活力が湧いてきた。あいにく眠りに就いている他の者に食べさせる事は出来ないが、少しでも回復が見込めればとオボンの果汁を体に塗っておいた。
「処置はこんなところかな。早く目を覚ましてくれれば良いんだけど。ヴァローやシオンはもちろんなんだけど――」
 心配そうに見つめる先には、出会った頃と同じ繭の状態となったティルがいた。大きな力を使った反動ではないかと考えているが、推測の域を出ない以上は何とも言えない。もしやこのまま目を覚まさないのではないかと思うと、一気に恐怖が押し寄せてくる。
「大丈夫だって。またいつもみたいに『遊ぼう』って言って元気に起き上がるよ、きっと。」
 この町に来て(うれ)い事で押し潰されそうなのはむしろ、自分の欠点と向き合おうとしているライズの方であるだと分かっていた。そうだというのに、励ますつもりが逆に励まされてしまい、アルムはもどかしさと恥ずかしさの二重苦に苛まれる。だが、当のライズは一切気にしていないようであった。
「皆大事な仲間でしょ。心配するのは当然だよ。不安を和らげるなんて誰にでも出来るし、こういうのは貸し借りなんて要らないからさ」
「うん、ありがとう、ライズ」
 感謝の言葉は自然と出て来るのだが、アルムは何故かきょとんとしたままであった。ライズに訝しげな視線を投げかけられると、はっと我に返って柔らかい面持ちと笑い声で間を埋めた。
「ごめん。ただ、ライズが前に比べて僕達に馴染んできてくれてるんだなあって思ったら、何だか嬉しくなっちゃって」
 アルムがぼうっとしていたのは、決してライズの思い遣りその他諸々が拍子抜けであったからではない。言葉の一つ一つに優しさの伴う変化を感じ、邂逅した当初のライズと照らし合わせ、その良い変貌振りに喜びを噛み締めていたからであった。先刻告げられたライズ自身のアルムへの強い思いもそれに大きく起因している。
 ついさっきあんなにも怖くて辛い目に遭ったばかりであるのに、こうしてすぐに解きほぐして心の穏やかさを取り戻せる。それがアルムの持つ力なのか、この一行そのものが持つ独特の雰囲気なのかは本人達にも分からない。しかし、この緊迫感の薄れた居心地の良い輪の中では、堅苦しい事も重い事も存在意義を持たなかった。いつしかアカツキもその輪に引き込まれ、爽やかな笑顔を浮かべるほどであった。
 だが、誰に狙われているやもしれない以上、悠長に構えている余裕はない。本来ならば一刻も早くヴァロー達を覚醒させるのが得策なのだが、手荒な真似をしたいとも思わない。生憎だがアルム達には目を覚まさせるようなわざがあるわけでもない。困り果てたところで案を出したのは、ザングースのアカツキだった。
「なあ、お前らにはお前らで何か大事な用があってここに来たんだろ? だったら探索も兼ねて行ってこいよ」
「でも、ティルやシオンを置いていくわけにはいかないし……」
「おれがここで見張っててやるよ。なあに、ミュウツーには遅れを取ったが、そんじょそこらのポケモンに腕っ節で負けるつもりはねえからな。こっちの事は気にすんなよ」
 アカツキの言葉の一つ一つが、不思議と安心感を抱かせる。ここはアカツキを信じて言葉に甘え、アルムとライズは視界の悪い靄の中を突っ切る事にする。未知の土地ならば不安が募るばかりであるが、ライズが勝手知ったる場所とあらば話は変わってくる。視界や状況が不明瞭な状態でも行く末をライズに身を委ね、行動を共にしようと思えるくらいに全幅の信頼を置いている。言の葉に乗せるのはくすぐったいが、所作で示すのは簡単であった。はぐれないようにとの意図もあるが、アルムとライズは寄り添って歩みを進めていく。

 道中は余計な言葉を交わす必要がなく、既に二人の関係は円熟期に達している。故にそれ以上踏み込めないのがライズとしてはもどかしかった。仲間とは認識されていても、ヴァローやシオンには及ばない事は心のどこかで引っ掛かっている。あの時シオンに背中を押されたというのに、いざその場面に出くわすと一歩身を退いてしまう。だが、二人きりである今が絶好のチャンスである事も確か。ライズがなけなしの勇気を振り絞って声を掛ける。
「あ、あのさ、アルムくんは僕の事をどう思ってる?」
「急にどうしたの?」
「えっと、その、最近こういうお話が出来ないなあって思ったらさ、なんか言いたい事を言っておけたら良いなと思ったんだけど……」
 すぐにでも届けたい思いが、自身の羞恥心にことごとく拒まれる。邪魔な思いを振り払いたいのは山々なのだが、決心していざ何かを伝えようと思うと、声として発する手前でつっかえてしまうのである。勇気と躊躇いの間にある言葉の引き出しを必死にまさぐり、自分が最も告げたいと願う事を探し当てた。
「うん、言いたい事決めた。アルムくん、いつも僕の隣に、一緒にいてくれてありがとう」
「えっ、うん、そんなの当然じゃない。だって、もうライズは大事な友達だもん! そんな事わざわざ言わなくても良いと思うんだけどなあ」
「ううん、当然の事だって考えていると、つい感謝の心を忘れそうになる。だから、言える時にこの思いを伝えておこうと思って。君と一緒に旅をしてきたお陰で、この町にいるだけでは見えなかったり、経験出来なかった事をいっぱい共有させて貰ってるんだよ。改めて、君と出会えたことに感謝しているよ」
「えへへっ、どういたしまして。僕もライズといると、ヴァローやシオンといる時は違う特別な気持ちになれるんだ。何かこう、背伸びしたりしなくて良くて、何でも話しやすいって言うのかな?」
 ライズが一人悶々と悩んで求めていた答えが、アルムの口から自然と引き出された。自分にも特別な感情を持って接してくれている――その事実はライズにとってかけがえのないものだった。ほんのりと赤く染まる頬に触れた風が一陣。冷たい水の粒と共にライズの熱を掻っ攫って空高く抜けていく。互いにひた向きで純粋な思いの結晶は、上手い具合に溶け合って二人の間に漂う空気に鮮やかな彩りを添えていった。わざわざ示し合わせるような真似をせずとも、どんな顔をして向き合えば良いのか本能的に分かっていた。そうして何気ない散歩の中に二人の笑顔が映え始めた刹那の事であった――。

 びりびりと空気を震わせる現象が起きて、会話の中断を余儀なくされた。振動に続いてもたらされる耳を劈く雷鳴の轟きによって、ほのぼのとしていた空気も一瞬にして引き裂かれる。ここが雷の町だと知らされていたは言え、アルムは不意を突かれて怯えて硬直してしまう。予想外の出来事に驚嘆の色に暮れているのは、アルムだけに留まらなかった。もし雷が頻繁に落ちる町ならば、慣れているはずのライズが顔つきを一変させるのはおかしい。
 (まばた)きを忘れた二人の視界に飛び込んできたのは、ライズと似たような体格の耳の大きな小柄のポケモンで、異なる点を挙げるとすれば頬の色と印、そして尻尾の形くらいのものであった。その相違点さえ除けば、異種族でありながら瓜二つの、まるで双子のような容姿をしている。対峙するライズの体はわなわなと震えており、喉からか細く掠れた声が恐る恐る発せられる。
「どうしてここにいるんだ、レイズ……」
「やあ、久しぶりじゃないか、ライズ――」

コメット ( 2014/06/29(日) 21:14 )