エトワール・フィランテ〜星降りの夜の導かれし出逢い〜


















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第十二章 聖地サンクチュアリへの訪問〜思索と瞑想と修行と〜
第九十七話 護りの力と盾の形態〜脅威と襲撃と異形の存在〜
 太陽の支配する時刻に移ったサンクチュアリの周辺には、陽光によって照らされて乳白色にぼかされた薄い霧が立ち込め、冷気の膜が足に絡みつきそうである。敷地内の樹木も、思いがけない水分を得た事でより生き生きとしてそびえ立っている。拒まれるはずの侵入者があったにもかかわらず、聖域はまるで何事もなかったかのように、不気味なまでの静けさの渦に飲み込まれている。たった一回の攻防が繰り広げられただけで、未だ喧騒に包まれるまでには発展していない。
 修行の成果を見せてやりなさい――ユーリに自信満々に送り出されたアルムは、相性的にも互いに分が悪いゲンガーの前へと。アカツキに特訓されて戦う術を改めて教えられてきたヴァローは、一方的に相性の悪いソルロックの前へとそれぞれ立って対峙する。どちらも不意打ちから始めるつもりはないらしい。じりじりと間合いを詰めては遠ざかってを繰り返しながら、丹念に相手の出方を窺っている。目的がはっきりしない以上は油断は禁物である事は、アルムとヴァローも共に念頭に置いている。
「待つのは嫌いなもんでね。そっちの弱そうなイーブイは残して後で片付けるとするかねえ」
 業を煮やしたゲンガーのタスマから攻撃に入った。突き合わせた両手の間に黒い粒子が集っていき、球体を形成しながら肥大していく。ゲンガーが生来持つタイプである(ゴースト)の力を凝縮して放つ球――“シャドーボール”は、ノーマルタイプであるイーブイには効かない。それを知っているアルムは、特に身構えずに動きに注意を払っていた。
 タスマは発射寸前に突き出した両手の向きを変え、照準をヴァローへと合わせた。ヴァローはそれに自らの攻撃を当て、無駄な動きを減らして相殺する戦法にする。体内で赤々と燃え滾る炎を、口を発射台として速やかに撃ち出した。地を茜色に染める“かえんほうしゃ”は、轟々と音を立てて僅かにしなりながら突き進む。衝突の瞬間、互いの威力が拮抗した事で技は弾けて爆発を起こした。爆風とともに煙が一体を覆い尽くし、四人の中心を境に視界が分断される。自慢の嗅覚で敵の居所を察知したヴァローは、迷わず牽制の“ひのこ”を撒き散らす。だが、その攻撃に確かな手応えはなかった。
 外れた無数の火の粉が地面に着弾するのを認めるや否や、突如として波状の念の力がヴァローの背中を叩いた。姿を視認出来ない隙を縫って、敵はがら空きだった背後に回りこんでいた。攻撃に気づいても体が吹き飛ばされていては回避する術もなく、タスマの放つ追撃の黒紫の球も直撃せんとしている。
 このままじゃ当たる――ヴァローが攻撃の衝撃を覚悟した刹那、絶妙のタイミングでエネルギーの塊を遮る壁が張られた。見た目こそ薄い光の壁ながらも、威力のある“シャドーボール”を寄せ付けることなく弾いてみせる。アルムの持つ蒼の護りの力が働いたのである。臆することなく自信を持って力を使いこなしている辺りからも、以前までのアルムとは違うのは一目瞭然だった。
「ヴァロー、大丈夫?」
「あ、ああ、大丈夫だ。助かった」
 長い間行動を共にしてきたヴァローにとってさえ、アルムは目を見張るほどの成長ぶりだった。今までは庇護すべき存在だと思っていたが、隣にいるのが頼もしいとさえ思える。もう守らずとも自分の戦いに集中出来るとの確信と安心感を得た事で、ヴァローとしても俄然戦いに闘志を燃やし始める。
 アルムはアルムで心に強い思いを抱いていた。自分を弱いと自覚してはいるが、他人――それも倒すべき敵に言われると反発の念が浮かんでくるのを禁じえなかった。タスマの一撃を防いだ事はその意思の表れでもあり、また同時に反撃の狼煙でもあった。
 ヴァローが火炎を身に纏わせてソルロックに立ち向かっていく間に、アルムは改めて不気味なお化けと対峙する。相変わらず人を小馬鹿にするような不敵な笑みを浮かべているが、一戦を交えると考えても不思議と恐怖は湧いてこなかった。むしろ打ち負かしてやりたいと思うくらいである。だが、好戦的な意思はあえて引っ込めて、あくまでも防戦しか出来ないとの印象を抱かせるように控えめな態度を取る。
 アルムの力を軽んじているタスマは、目前にいる小柄のイーブイの事をこれっぽっちも脅威とは思っていない。故に大した動きを見せる事もなく、積極的に手を出そうとはしていなかった。雑魚はそこで突っ立っていろ――と目が語っている。だが、アルムとしては黙って見守っているつもりなどない。そのための“演技”なのだ。舐めた態度を取る相手に一泡吹かせてやろうとの気概から、足に力を込めて駆け出した。

 ノーマルタイプの技が通用しないならば、わざわざ意味のない攻撃を加える必要はない。攻撃の矛先を自分に向けさせるだけで良いのなら、とっておきの技があった。ある程度間合いを詰めたところで背中をタスマの方に向け、後ろ足で思い切り地面の砂を撒き上げた。命中率を下げる補助技でしかない“すなかけ”であるが、相手を苛立たせるにはこれで充分である。ダメージこそ無くとも浴び続ける内に鬱陶しさは募るもので、沸点が低い事も幸いしてか、タスマは案の定交戦の構えを見せる。
 アルムは敵が術中に嵌った事を確認すると同時に、すぐさま距離を取った。ゲンガーという種族が覚える技のほとんどがゴーストタイプである事をアルムは知っている。そうなればタスマが何を繰り出してくるかはいくつか目星が付く。そして、相手が次なる攻撃に向けて黒紫のエネルギーを蓄え始めたのを目聡(めざと)く見逃さなかった。タスマの気迫に臆せず好機を掴み、アルムは一気に反撃の一手を企てる。敵の一撃に備えて気を引き締め、それに呼応するようにオカリナも淡い光を放ち出した。
 油断しているとは言え、直立不動のまま攻撃を放とうとする程タスマも間抜けではない。左右に動きながら力を溜めていき、様子を窺っている。アルムはそんなタスマの動きをしっかりと目で追い、塊を解き放つ一瞬の隙を見計らって願いを篭めた。強固な思いが特殊なバリアへと具現化され、深海を連想させる群青色の光がゲンガーを中心として展開された。
 タスマが異変に気づいた時には既に遅く、一度撃ち出したエネルギー弾を引っ込める事は到底不可能であった。結果として、タスマを囲む光の壁はアルムの目論見通りに反射(リフレクト)の効果を持つ壁の役割を果たし、本来ならば目前のイーブイを襲うはずの波紋が全て攻撃主に跳ね返った。爆発と共に舞い上がった砂煙が晴れると同時に、あれだけ威勢の良かったタスマが無様にも地面に這いつくばって苦悶の表情を浮かべている様子が視界に飛び込んできた。

 アルムの狙いは、最初から相手の虚を衝いた“防御”であった。加えて“あくのはどう”はゴーストタイプにとっては弱点である事もあって、肉体的にも精神的にも相当な痛手を負った事は間違いない。折に触れてバリアの異なる使い方がないかと模索していたアルムが、ユーリとの修行中に何とか完成させた新技――それが自分の身を護るものではないバリアであった。ぶっつけ本番での発動で作戦が功を奏した事で、アルムも肩の荷が降りたように安堵の色を覗かせる。
「ケケケ……良くもやってくれましたねえ。“ミラーコート”ならいざ知らず、よもや自分の技を近距離でそのまま跳ね返されるとは思いもよらなかったねえ。これは貴様を甘く見て侮っていたおれっちも悪いが、その分のお返しはたっぷりしてやらないと気が済まないねえ」
 ゆらりと立ち上がったと同時に、幽霊ポケモンの放つ空気が一変した。大きく揺さぶられた事でタスマの戦闘スイッチが切り替わったのか、既にタスマの目は笑っていない。赤い眼光の中に隠れていた凶暴性がちらつき始め、新たな力で自信の衣を纏っていたはずのアルムに畏怖を抱かせる。ここで怯んではいつぞやの二の舞だと気合を入れ直し、アルムは戦意の途絶えぬ瞳でしっかりとタスマを見据える。
 視界の端ではヴァローがソルロックを睨みつけているのを確認でき、まだ戦闘は継続中だと分かった。ヴァローは炎タイプであって相性的に不利な相手でありながら、ソルロックの体がところどころ焦げているところからも、むしろ優勢に持ち込んでいる事は見て取れる。まだまだお互いに体力は温存している。ここからが戦いの本番だと意気込んで駆け出した――その時だった。
「待ってくだされ。わしはそなた達と争うためにここに参ったのではないのじゃ」
 沈黙を破ってきたのは、ヴァローが相手をしていたソルロックであった。今は攻撃を加える事も忘れて、誰もが呆然と立ち尽くしてしまう。特に味方であるはずのタスマが最も衝撃を受けているようである。
「おい、じじい。何を言い出すんだ。貴様、寝返る気か」
「――お前さんにはしばらく黙っていてもらおうかの」
 タスマが次なる言葉を紡ぎ出す前に、ソルロックは目を青く光らせて口を含めた全ての動きを封じた。仲間割れでもしたのかと訝るアルム達を余所(よそ)に、ソルロックは力の放出を継続させながらタスマに背を向けて接近してくる。怪しい行動を起こされてからでは遅いと判断して、アルムが先刻の反射壁を展開して閉じ込めた。未だ警戒されている事を知ったソルロックは、それに抵抗することなく移動を止め、ゆっくりとリーゲルを直視してきた。視線を返していたリーゲルは、ふと何かを悟ったように声を震わす。
「そうでしたか……そなたはどこかで見た事があると思っていましたが、あのキルリアの教育係だったのでありますね」
「いかにも。ラクル様がここを飛び出していく時に、わしも付き従ったのです。足を踏み外してしまったあのお方を、正しい道にお導きしようと思いましてな。じゃが、わしの言葉には耳を傾けてはくださらず、どうにも出来なんだ。だからこそ、お主達のように可能性のある者に成長してもらい、ラクル様を救って欲しくてここを教えたのですじゃ」
 キルリアのラクルとソルロックがサンクチュアリを離れるまでにどういった経緯があるのかは知る由も無い。繰り返し名前を口にする事から、二人の間に何かしらの繋がりがあると理解する程度である。敵として接した事しかない以上は、先の発言も信じがたい情報のはずであった。しかし、タスマの前で白状する危険を伴った上で、誠心誠意が込められた言動をまざまざと見せつけられては、一概に嘘だと決め付ける事は出来なかった。何よりもリーゲルが真実である証となっているのは大きい。そう簡単に理解しきれるものでもなく、一行は戸惑いを見せるばかりである。だが、いちいち彼らに説明を加えている猶予も無く、当事者達の間でやり取りは交わされていく。
「あの者がここを離れた事に対して、われにも責任の一端がありまするからな。それに関しては良いとしましょう。この者達がここに来た理由とそなたの真意は分かりましたから。しかし、わざわざこのゲンガーを連れ添ってきてこのような真似をするという事は、目的はそれだけではありませんでしょう? さしずめ未知なる“奴ら”に関する有益な情報を持っているとか」
「さすがは精霊様、鋭くていらっしゃる。お察しの通り、敵陣に足を踏み入れておいて、収穫もなしにここにのこのこと現れる――などと馬鹿な真似はせぬよ。無論ラクル様を助けて欲しいと懇願しに来たのもありますが、その為には加担している奴らの思惑をお教えして阻止していただくしかありませんからな」
 アルム達には縁の無い話で、一体何の事なのか概要が掴めずにいた。心得た者だけで交わされる密談から蚊帳の外へと追いやられた一行に、アカツキが耳打ちして詳しく教えてくれた。グラスレイノで出会ったメガヤンマとキルリア達が何らかの組織に所属しているらしく、陰で蠢いているらしい。最近になって対立する明確な敵が現れ始めた一行にとっても、捨て置くべき話ではない事は分かった。ソルロックの話の続きに耳を傾け始める。
「そう、奴らの陰謀は、自分を拒絶した世界を滅ぼして復讐を果たす事。その対象にこのアストルも含まれておるのじゃよ。それで――」

「――ほう、私もとんだへまをしたものだ。こんな裏切り者が紛れ込んでいるのをむざむざと見逃していたとは」

 瞬時に場の空気が凍りつく。この場の誰のものでもない話を遮る声が、空の方からはっきりと耳に届いた。それに次いで、静寂を切り裂くようにの大地が激しく揺れ、聖域には相応しくない爆音が轟いた。衝撃と共に押し寄せるつむじ風に煽られ、鼓膜を突き破らんばかりの音に一同は恐れおののく。事態を飲み込む猶予すら与えられず、綿のように白かった雲を暗黒に染める程に周囲の空気を狂わせつつ、天からすらりと長い人型の影が降臨してきた。
 薄紫の体色に長い尻尾。細長い手足に背筋も凍りつくような鋭い眼光。アルム達は蛇に睨まれた蛙の如く戦慄して体が竦んでいた。本能的に太刀打ちできないと思い知らされ、見る見る内に気力を削がれてしまう。風体のみから放たれる威圧感(プレッシャー)には凄まじいものがある。この派手な襲撃を起こした犯人が、目の前の異形の者である事は火を見るよりも明らかだった。
 口元に微笑を湛えながら、ミュウツーは一同に冷たい視線を投げ掛けた。
「初めまして。私の名はベーゼ。希望の芽を摘むために来た者だ――」


コメット ( 2014/05/12(月) 22:12 )