エトワール・フィランテ〜星降りの夜の導かれし出逢い〜


















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第十二章 聖地サンクチュアリへの訪問〜思索と瞑想と修行と〜
第九十六話 聖域からの出発と柔らかな日差し〜影の降臨と侵入〜
 世界は凛とした夜のしじまから解放され始め、時は既に暁を迎えていた。冷気を伴う闇は徐々に後退していき、その代替として暖かい光の束が山の向こう側から無数の矢となって飛んでくる。特殊な防壁に覆われている神聖な地――サンクチュアリの内部は、和やかな光に包まれると共に、普段以上に聖なる空気が漂っていた。それは(ひとえ)に目的を持って祭殿に集いし一団の存在に拠るところが大きい。彼らはここの主にばらばらに飛ばされ、時を経て再び同じ祭壇付近に集結した。各々にとっても大した時間が過ぎていたわけではないが、それぞれに何かしら別れる前と違った雰囲気を放っていた。
 体格の全く異なる小犬と猫イタチの組み合わせ――ガーディのヴァローとザングースのアカツキはやけに親密に接していた。やや嫉妬心を抱くような交流の様子であるが、アカツキが打ち解けてくれたのだと思うとアルムも心の底から嬉しく感じる。何を体験してきたのか聞いてみようとも考えたが、一歩を踏み出す前にジラーチが飛んできて抱き着いてきた。持ち前の放埓(ほうらつ)さが伴った久しぶりの抱擁の気がして、懐かしさと嬉しさからアルムの顔も緩んでいく。
 離れ離れになるまで会話を交わす事のなかった静かなマリルとマイナンの二人は、ティルと同じく真っ先にアルムに駆け寄ってきた。シオンとライズはヴァローやアカツキとは違った仲の良さが垣間見え、特にライズに関してはいつにもまして頼もしく映る。軽く触れて静電気が発生した辺りからも、電気の力が戻っている事が汲み取れた。
 ティルに先に行かれ、唯一取り残された形になったポリゴンのレイルは、アルムに駆け寄る代わりに仲間達の観察に勤しんでいた。終始アルムの周りに集まる賑やかな面々に羨望の眼差しを向ける辺りにも変化が窺えるが、それに気づく者は誰もいなかった。
「うむむ、皆の者良い顔をしているのでありますな。特にアルム殿が一番変化が大きいように見えますね」
「リーゲルにも分かった? 何せわたしが指導したんだからね」
 宙に浮かんで微笑んでいるラティアスはどこか誇らしげだった。仲間の輪に加わっているアルムを傍から見る限りでは、いつもと変わらぬ明るい笑顔を振り撒いているだけで、ヴァロー達も何か感づいた様子もない。だが、修業の後に同伴して戻ったユーリは確信に満ちていた。口に出さずともリーゲルにもそれとなく理解できた。見た目こそ幼く見えがちの二人には、サンクチュアリの守護者らしい貫禄が窺える。
「まあ、あの子がどうなるか楽しみではあるわね。ばねとして溜めていた期間が長い程に跳ね返りも大きいから」
「ふうん。嬉しそうでありますな。育て甲斐のある子だと余計に力が入ったのでありますかな」
 さあね、などと言ってユーリはおどけて笑って見せる。本音の出し惜しみをするのは気まぐれだろうか、はたまた長く共に過ごしたリーゲル譲りのものであろうか。少なくともリーゲルが言い当てた感情に間違いはなかった。今はアルム達の意識の及ばないところで交わされるやり取りの内に、精霊も巫女も自然と表情が綻んでいく。修行に専念して凝り固まっていた明るい表情も解き放たれ、アルムを中心として次第に周囲の空気も温かくなっていくにつれて、この神殿では稀な賑やかな声が方々に響いていく。その雰囲気に水を差すように、リーゲルが険しい表情でアルムの前に躍り出た。
「皆が再び顔を合わせて和むのもよろしいが、ここを出たら気を引き締めて行くべきだって事をお忘れなく。そなた達は既に狙われる身でありまするからな。ここで匿って欲しいと言うならば、その願いを聞き入れない事もなくはないものではありまする」
「ううん、大丈夫です。ここに残ってもっと教えてもらいたい事もあるけど、でも問題からは逃げちゃいけないって思うんです。ですから、僕は外に出て何が起こっているのか自分の目で確かめたいなって」
 逃げ腰になりがちな今までのアルムであったなら、耳を垂らして途端に弱気になってしまっている。いつしか頼りない面影は潜めており、リーゲルの脅しめいた予言を正面から弾き返した。相手を両の眼で見据えて視線の揺らがぬ姿から窺えるのは、決して虚勢などではなく、それでいて健気さを失わず自信に満ち溢れているという事実である。間近でアルムの真っ直ぐな感情に触れたリーゲルは、堅い表情を崩して背後にいたユーリと体位を入れ替えた。
「度胸を試すようなふっかけは止めにしましょ! これでアルちゃんも自分に自信を持ったって事がちゃんと証明されたでしょうし。さて、君たちはこれからどこへ向かうのかな? 各々が抱えていた問題はこの瞑想と思索に耽るサンクチュアリにて解消されたはずだよ。どこへ行こうと自由だからね」
「うーん、どうしよっか。キルリアの事も少し分かったし、他にもたくさん勉強になる事もあったから、僕はどこへ行っても良いかなって思ってるよ」
「――じゃあさ、もし良かったら一度僕の故郷に来てくれないかな」
 積極的に名乗りを上げたのはライズだった。未だかつて一番乗りに行き先を告げる事もなかったため、新鮮な感じがしてライズに一斉に視線が注がれる。受け慣れない視線の一極集中に挙動を乱しても、ライズは即座に冷静さを取り繕って見せた。
「ライズの故郷? やっぱりあの森が実の家じゃなかったんだ」
「あれは仮の住まいさ。本当の家はこのサンクチュアリの近くに位置するグロームタウンにあるんだ」
「ライズの両親とかにも会えるって事だな。顔を見せにでも行くのか?」
「まあ……そうだね。ちょっとけじめをつけたいんだ。付き合ってもらう形になっちゃうけど、皆が良いなら寄って行きたいかなと思ってる。どうだろう?」
 ライズの誘いを無下に断る理由もなければ、アルムも兼ねてから不思議に思っていた謎が解けるとあって、賛同する以外の答えはなかった。ヴァロー達も足労を厭わず快く乗っかる形で、全員がグロームタウンを次の目的地とすることに同意する。気丈に振舞いつつも冴えない顔をしていたライズも、目の前にある笑顔を見た途端に胸を撫で下ろす。
「グロームタウンというと何か聞き覚えがあるようなないような――あっ、そうだ思い出した! わたしの兄も遺跡巡りでその辺にいるかもしれないから、ユーリの知り合いだって言えば何か協力してくれるかもよ!」
 仮にも兄と慕う者の居場所を忘れていたのは苦笑も禁じえない。落ち着き払っているリーゲルを大袈裟なまでにずっこけさせるほどである。だが、有益な情報である事に変わりはない。出発に際して幸先の良い流れになって、リーゲルがこほんと小さく咳払いをして注目を集める。先程とは打って変わって、表情は至って穏やかそのものである。
「新たな門出に幸多からん事を。そなた達には様々な可能性と力が秘められているのでありまする。もし自信を無くして立ち止まっったりした際には、いつでもここに寄って行ってくださいませ。そなた達にはいかなる時であろうと門を開いておきまする」
 程よい緊張感を漂わせた上で、心の拠り所としても構わないとの旨を述べる。それは精霊としての最大限の心遣いであり、温かい送り出しのつもりであった。全員がこの先の旅路に胸を馳せて、思い思いの目的を思い描いていた時であった。
 帆に風を受けたような旅立ちを叶わなくする要因が重なる。温もりを帯びていたはずの風がやにわに寒気に包まれ、神聖さを乱して体に纏わりつくような空気に染められ、歩みを遮るまでの異様な状況に成り果てる。

「久しい顔が多いようだねえ。揃いも揃って間抜け面を晒しているようで――」

 そして、旅立ちの雰囲気を台無しにする怪しい影が、不意に一行の下に舞い降りた。濃紫と黒の中間の体色をした丸に近いフォルムに、赤く怪しげな目と裂けそうな程に剥き出しになった白い歯を特徴とする幽霊ポケモン――ゲンガーがその内の一人である。
 にたにたと薄気味悪く笑っている眼前の相手は、出来れば忘却の彼方に葬りたい存在であったが、アルム達も間違いなく見覚えがあった。聴きづらい粘っこい声も相変わらず健在であり、不快感を撒き散らすタスマに一同は嫌悪の篭もった視線を投げ掛ける。当の本人は意に介さる様子は微塵もなく、一人一人の顔を舐め回すように凝視していた。
「おやおや、ちゃんとここに辿り着いたようじゃの。感心感心」
 この神殿の存在を示唆して導いたと言っても過言ではない相手――太陽を模した岩の体を持つソルロックも現れた。対面した事で記憶の中からその事実が引き出され、一戦を交えた中で会話を交わしたヴァローは(こと)(ほか)驚きを隠せない。攻撃に移るまで意識が至らない一行に対して、自分の領域に土足で踏み入られたリーゲルは怒り心頭の様子であった。
「何の用でございますか。そなた達を招き入れた覚えはありませんよ」
「随分と冷たいあしらい方だねえ。こちとら来客だというのに。もっとも、用があるのはあんたじゃないけど」
「申し上げたはずです。この聖域に足を踏み入れさせるつもりなど毛頭なかったという事を。何故門を潜り抜けたのでしょうか……」
「ネフィカ様はここのご出身で、元は結界を張る役目も担われていた方であるからの。侵入するのは造作もない事なんじゃ。じゃが、こちらとしてもいきなり追い払われるわけにはいかんのでの」
 特殊な空間を作り出してそこに面々を飛ばす事に神経を注いでいたせいか、注意力がいつも以上に散漫になっていた事が災いした。この場を守る精霊の称号と力を保持していながら、こうも易々と侵入を許す羽目になってしまった。その失態から歯がゆそうにしていたリーゲルであったが、すぐさま心を入れ替えて刃のように鋭い目つきで敵方を睨みつける。
「われが不甲斐ないばかりにこのような事態を招くとは。精霊の名に置いてこの失敗はわれ自身の手で挽回せねばなりませんね。速やかに排除させていただきます」
「あんたには興味がない。さっきも言ったが、おれっちはその後ろの奴らに用があるんだけどねえ」
「われを差し置いて何をおっしゃるか。容易く自由にさせるとは思わない事でありまする」
「どうしてこう精霊ってのは出しゃばりたがるんだろうねえ。とっとと退場願いたいものだが」
 互いに睨みを利かせて一歩も譲らない。リーゲルは心を研ぎ澄ませて超能力を集中させ、タスマも迎え撃つべく常闇を髣髴とさせる霊の力を手元に集めていく。臨戦態勢は双方とも整いつつある。ばちばちと火花が散る中で、一つの小さな影が機を計ったように動いた。
「――待って。ご指名とあらば、僕達が撃退するよ。こんな聖域にいるってのがへんてこなあの幽霊さんをね」
 タスマとリーゲルの間だけに張り巡らされた緊張の糸を、アルムが二人の視線の交差点に立って断ち切った。怯えておどおどしてしまうならば、あえて大口を叩いて強気に出る事で自らを奮い立たせなさい。それがユーリから授けられた自分の戦いに対する姿勢と気構えを変えるための助言の一つであった。忠実に実行されて紡ぎ出された啖呵は、最初こそ弦を震わすような声であったが、恐怖を勇気で塗り替えて負の思いを空虚にした。ユーリがあらかじめ吹き込んだ言霊作戦はひとまずは成功であった。
「威勢だけは良いようだが、果たしてちっこい子供に何が出来るものかね」
 タスマはあくまでもアルム達を見くびっていた。故に大した隙も作らず、小手調べとばかりに手を前に突き出した。短い手先の空間には燃え盛る炎の如き黒い珠が揺らめく。それが紫の衣に覆われたと同時に直進を始め、ゲンガーの手元から完全に離れたところで風船のように弾けた。圧縮されていた闇の塊は分裂して、波状にアルム達に襲い掛かる。
 広範囲で全員を標的にして放たれていた静かなる波紋――“あくのはどう”。それが眼前まで迫っていても、心中は不思議と逼迫(ひっぱく)までは至らなかった。呼吸を整えて心を落ち着かせ、護りたいとの思いを胸に強く秘めて蒼い光を解き放った。純粋なる想いと共に形成される防御壁(シールド)は、仲間全員を包み込むまでに肥大し、危害を加えんとするエネルギー弾を全て斜め上の虚空へと弾いた。
 今までになく鮮やかで迅速なる守りに、タスマはおろかヴァローやシオン達までも雷に打たれたように呆然とする。アルム自身は小さく息を吐いて胸を撫で下ろしている。自慢げな顔をしているユーリは、無事守りを果たしたアルムの近くまで飛んでいき、その頭を思い切りくしゃくしゃと撫でた。
「修行の成果はばっちりね! アルちゃんやるじゃない!」
 師匠からの心強い後押しを受けてアルムの笑顔が花開く。リーゲルもここは若い芽に期待し、おとなしく身を退く事にする。ここで負けてられないとヴァローも勇んで前に出る。シオンやライズも同じく戦闘に参加しようとするが、指導役のユーリとアカツキがそれぞれ制止した。まずは戦わせてみてどの程度成長したのかを見極めようとしていた。いざとなったら自分達が助けに入る事も視野に入れている。()け者にされたようで複雑な心持ちであったが、二人も渋々攻撃態勢を解いた。
「おれっち達で試すつもりか。舐められたもんだねえ。まとめて片付けてやりたいところだ」
「落ち着くんじゃ。こちらにとっても一対一(タイマン)の方が都合が良いじゃろう。油断せぬようにな」
 アルムとヴァローは強い意志の篭った目で見つめ合って頷いた。仲間達が不安な心境で見守る中で、二人は招かれざる来客との交戦に移った――。


コメット ( 2014/04/22(火) 22:16 )