エトワール・フィランテ〜星降りの夜の導かれし出逢い〜 - 第十二章 聖地サンクチュアリへの訪問〜思索と瞑想と修行と〜
第九十四話 星の歴史と“ニンゲン”の繋がり〜地球とアストルとポケモンと〜
 昔から人間とポケモンとが共存している世界があった。その名は「地球」や「アース」や「テラ」と呼称が複数ある惑星である。表面のほとんどを青い海に覆われ、残る大地には大自然の証である緑と人工物を示す灰、後は砂の茶と言った多種多様な色が入り乱れている。文明の進んでいるところにもそうでないところにも、どこにも等しくポケモンは存在しており、彼らは野生のものなり人に飼われているものなりそれ相応に人間の生活に溶け込んでいた。 だが、そんな平穏だったはずのポケモン達の暮らしも長くは続かなかった。ある日人間達はポケモンの祖先にあたるとされる幻のポケモンと遭遇し、捕獲の後に遺伝子を採取して研究を進めていった。その研究の成果として人間の手によって生み出されたのが、アストルにまで及ぶ全ての元凶だった。強大な力を得たそのポケモンは、怒りに身を任せて人間世界を破壊し始めた。最初こそ抵抗を試みたものの、彼ら自身の持つポケモンとの力の差は歴然で、惨劇を抑え込むには至らなかった。
 そこで自らの手に負えないと諦めた人間達は、神頼みに走ってジラーチというポケモンが降臨すると言われる丘を突き止め、天に向かって祈りを捧げた。本来ならば姿を見る事さえ不可能に近い幻の存在と言われているジラーチが、自分達を危機から救うために必ず現れると信じて疑わなかった。そして、三日三晩ひたすら待ち続けた末に、その思い通りに願いは聞き入れられた。願いを叶える事が大きな存在目的となっている事もあり、ポケモン達の悲痛な叫び声に堪えかねたジラーチは、その傍若無人の限りを尽くしたポケモン――ミュウツーを地球から遠く離れた星へと飛ばした。せめてもの慈悲か、人間の願いはミュウツーの生存が可能なところにしてくれとの事であった。そこで白羽の矢を立てられた星こそが、アストルと言われる星であった。

 アストルは地球と環境も非常に似通っており、空気も豊富で自然に恵まれているのもポケモン達が伸び伸びと過ごすには適している星であった。互いの領域を侵す事無くそれぞれが住処を作り、ポケモンだけの世界で皆が楽しく暮らしていて平和そのものであった。――人間達の身勝手な計略によってもたらされた災厄によって、星全体を巻き込む戦渦に晒されるその日までは。
 未知の星に降り立つと同時に、ミュウツーは早速鬱憤を晴らすかのように暴れ回った。体中から溢れる超能力によって、森の木々を薙ぎ払い、肥沃な大地を切り裂き、戦う事とは無縁に過ごしてきたポケモン達を次々と襲っていった。ミュウツーが攻め入った場所は荒地か焼け野原となり、天には暗雲が立ち込めていたと言う。アストルの住民も抵抗する術を持たないわけではなかったが、慣れない圧倒的な力の前には屈するほかなかった。手練(てだ)れの者も少なからずいたが、ミュウツーに敗れて手下へと成り下がる者が相次いだ。
 アストルの破滅を危惧したジラーチは、観察者としての立場を一旦放棄して早急に対策を打った。その対策とは、この星で精霊と呼ばれる存在と連携をとって選抜された者に力を分け与え、ミュウツー軍団に対抗するというものだった。自然の回復にも効果をもたらし、ポケモン達にも力を与える不思議な水晶――アルム達にも馴染みがあるフルスターリがその力の源泉となった。その水晶自体は、ジラーチのみがその力を受け取れる千年彗星から生み出され、流星となって大地にいくつか降り注いだ。いわば千年彗星の欠片であった。強大な力を秘めているのもそのせいである。
 選ばれし者を含めて勇士を募った事で、ミュウツー側と対等に戦えるだけの戦力は整った。ミュウツー達も星の守護者の陣営がフルスターリの力を拠り所としている事を突き止めて、やがてはその強奪を目的とした戦いが展開されるようになった。活路を見出されて戦いは熾烈(しれつ)を極めた中で、ジラーチが直接力を付与した十二の戦士によってミュウツーはとうとう追い詰められていった。とある遺跡での決戦により、星の破壊とフルスターリを巡る戦乱に終止符が打たれたと言われている。
 では、何故本来ならば代々受け継がれるべき重要な歴史が、ごく一部の記録や記憶にしか残っていないのか。それは住民達の記憶からは薄れていくように操作されていたからであった。この星の守護者でありながら、忌み嫌われる存在に相成ってしまい、やむなく記憶に残らぬようにエムリットの仲間であるユクシーに助力してもらったのが事の顛末(てんまつ)である。唯一真実を知るジラーチによって、神殿には戦いを先導したミュウツーや十二の戦士のみならず、戦いそのものを誘引した“ニンゲン”を石像という形として残す事で、完全には忘れ去られないようにしたのであった。







 決して鮮やかに彩られた美談などではない。惨憺(さんたん)たる戦場が広がったという重みのある歴史であった。その証拠とばかりに本を閉じて映像が消えていく最中も、視界が黒く澱んだ渦で覆い尽くされて現実へと引き戻された。月明かりのように朧げな光で照らされている石像の間に舞い戻ったところで、ポリゴンのレイルはメッセンジャーたるリーゲルを感情の篭もっていない視線で見据える。闇に葬られていた過去を目の前に叩きつけてもなお、リーゲルは微笑を絶やす事なく顔いっぱいに湛えている。
「さて、これがこのサンクチュアリに残されている唯一の詳細な記録でございます。所感はいかがなものでしょうか?」
 真実を以前から知っているが故であろうか。目の前にいる桃色の精霊――エムリットのリーゲルは不気味なまでに冷静であった。それが繕ったものかはたまた真の顔なのかはこの際レイルにはどうでも良い。ただ、質問を受けたら答え、情報を引き出したらとことん蓄積していく事に徹底している。感情の欠片さえ覗かせない鉄のような仮面も据え置きであった。
「詳細と言えども、戦いの行方ぐらいしか分からないのは不完全な情報のようです。特に後半部分などはそれが顕著でしたね。歴史に関する第一印象を語るならば、そもそもはジラーチが願いを叶えた事が全ての問題なのではないでしょうか」
「仕方がなかったのでありますよ。ジラーチとは星の守護者たる存在であり、かつニンゲン達の願いを叶えるのが生きがいのようなものでございます。それが原因で千年に一度と大袈裟に例えられるほどにその星とは距離を置くようになりましたが、ともあれジラーチを責めるのはお門違いなのでする。だからこそ、その罪を少しでも償えれば良いとの考えから、この神殿の建造に携わったのでございます」
「神殿を造ったところで何かの贖罪になりうるのでしょうか。私には到底そうは思えませんが」
「そなたは随分と厳しいところがあるようであります。もちろん神殿を造るだけでなく、フルスターリを配置するというのが真の目的でありました。災厄をもたらしたのもジラーチですが、荒廃して生命力を失いかけていた自然を復元したのも同じくジラーチなのであります。こういった経緯であの不思議な水晶が生まれたというのはご存じなかったでしょう。その力を求めて狙われたのは誤算ではあったのでしょうが」
 リーゲルが超能力を集結させて解き放つと、不思議な紋様が描かれている床が淡く蒼い光を放ち始めた。その光を浴びているだけで力が漲ってくる辺りからも、煌めきを放っている元が(くだん)の水晶である事は明白であった。リーゲルはフルスターリの存在を示したところで、宙にぼんやりと漂わせていた視線の焦点をレイルに合わせる。
「ところで、われが司る力が何かご存知でありますか?」
「確かエムリットという種族は感情の神と言われているとか」
「その通りです。そなたに欠けている感情に関するものですね」
 リーゲルは唐突に星の歴史から話題の転換を図った。“ニンゲン”に造られたとされるポリゴンのレイルと、感情に深く関わるエムリットである自らの事を持ち出す。わざわざ誇示する以上は関連があるのは間違いなく、着実にレイルが求める真相には近づいている。しかし、核となる部分を隠して一度に全てを明かすような事はしない。問いかけによる誘導を繰り返す内に、レイルにもリーゲルの意図が少しずつ読めてきた。
「もしかしてあなたは、私に感情がない事が星の歴史と大いに関わっている、とでも言いたいのですか」
「当たらずとも遠からずです。われはそもそも進化の光を司るものでもありますので。そなたは自身の感情と進化が密接に結びついていると考えた事はございませんか?」
 浮いていた体をレイルの目の前まで降下させ、リーゲルは正面から向き合う。相手を射抜くような眼で最後にして最大の門を叩いた。何事にも動じる事のなかったレイルが、初めて目を見張ると言う露骨な表情の変化を見せる。リーゲルは罠に掛かった獲物を見るような目でレイルを見据える。頑なに無表情を貫いていたレイルの思い通りの反応に満足しているのか、精霊は意地悪そうにくすくすと笑っていた。
「“鍵”を一部解放された感覚はいかがでしょうか? さて、回りくどい真似はそろそろ止めにして、早速本題に移る事にいたしましょう。そなたは機械仕掛けの小箱を目にした事がありますね? あれは“アップグレード”という名の代物で、“ニンゲン”の手によって作られたそなたの種族の進化を促す道具なのでありまするよ」
 趣向を凝らされた複雑な設計の小箱は、レイルにも身に覚えがあった。直接触れる機会こそなかったものの、ステノポロスにてシオン達が試練に挑んでいる最中にクリアとブレットに奪われ、その後トリトンまで追った際に返却された品である。だが、取り戻して以来は特に目にしたり活用したりする機会もなかったため、ずっとリュックにしまわれたままになっており、アルム達も含め全員が忘却の彼方にあった。ステノポロスの洞窟に保管されるに至った過程は想像しかねるが、到底ポケモンの手では作りえないような物が自身に最も縁深い物だと知らされて、レイルも答えあぐねて言葉に詰まっている。
「では、ここで問いましょう。そなたはこの先に進む覚悟はございますか? 待ち受けるであろう真実と変化に、流される事なく自分らしくいられる自信はございますか?」
「それが主達にとって有益になるのならば、進む事に迷いはありません」
「――嘘はいけないのであります。本当にアルム殿達のためだけなのでしょうか?」
「いいえ、嘘を吐きました。私も主達のように感情を持ちたいのです。そして主達のように笑い、苦しみを共有したいです。そうすれば私自身、何か大きく変われると思いますから」
「正直でよろしい。われの前で自分の感情に嘘を吐いたところで、一発で見抜けるのでありまするよ。それはそうと、既に封印された感情の解放は始まっておりますから安心なさい。どう答えようとこうするつもりでしたが、早急にそなたの意思を確かめたかったもので」
 レイルの中で凍り付いていた何かが、(うら)らかな春の陽気に当てられた雪の如く静かに少しずつ融け始めていた。いつその解放とやらが仕掛けられたのかは定かではないが、確かな自分自身の感覚として触れられる何かが芽生えていた。だが、今はそれを噛み締めるよりも先に明らかにしておきたい事があった。
「この処置には感謝していますが、気に掛かる事があります。今お話いただいた星の歴史と私の感情や進化、どう結びついているのか教えてはいただけないでしょうか。度々“ニンゲン”というキーワードを口に出され、それをわざわざ私や歴史の話と絡めて話す。それはつまりそれらが全て密接に繋がっているという事で間違いありませんよね」
「はい、お察しのとおりでございます。ここまで申し上げたのですから、隠す必要はありませんね。そなたの中には感情と共に封印されたものがあります。それが“ニンゲン”によって埋め込まれた使命によって集めた“記録”でありまする。かつて大戦の最中に派遣されて、今一度この星に送られる事になった理由は全てそのため。そなたはこの感情の篭もりし書物(きろく)のような記録媒体であったのでありますよ。ニンゲンと共に遣われて、ね」
 リーゲルは初めて笑みという名の覆面を剥がし、神経を凝結させた顔つきへと豹変させた。不安を抱かせる類の移り変わりではなく、さらなる真剣さと真実味を強調する効果が伴っている。ここぞという時にのみ効果を発揮する緊張の証に、レイルも戸惑う事なく毅然とした態度で臨む。
「後は自分で呼び起こしていくと良いでしょう。ところでそなたはこの真実をどういたしますか? 主と慕うアルム殿にお伝えするか、それとも自分だけの秘密にしておくのか」
「答えは出しかねます。そして、私にはあなたの行動の真意が推測しかねます。あなた方のような精霊や巫女と呼ばれる存在は、本来ならば姿を隠してしかるべきであるにもかかわらず、執拗に私達に干渉しようとしてきました。しかも、重要な情報を小出しにして伝えるような形で。一体何を企んでいるでしょうか」
「そなたこそが真実を抱えるのに相応しいと感じたからでございます。他の子達はそれぞれ自分達の特訓で忙しいでしょうから、重大な情報を受け入れるだけの心の余裕もない事でしょう。落ち着いた頃に知るべきだと、そう判断いたしましてね。しかし、企んでいるとは人聞きが悪いですねえ。単刀直入に申し上げますと、我々はジラーチがこの星に降り立った事を察知した時から、そなた達をずっと監視してきました。またいつぞやの悲劇の前触れではないかと懸念しておりましたゆえ。脅威はないだろうとの判断の下で、そなた達の道標となるべく尽力して参りました。ここはある種の最終到達点ではあるのですが、同時に出発点でもありまする。これからそなた達に待ち受けるであろう苦難はこれまでの比ではありませぬ。澱みに引きずり込まれないようにお気をつけを」
 感情を司る精霊が最後に見せたのは、酸いも甘いも噛み分けたような顔つきだった。不思議な顔の歪め方はレイルには理解する事が不可能であったが、まるで行く末を知って憐れんでいるかのようである。会話に滞りが表れた折にふと視線を逸らしていくと、ティルは壁にもたれ掛かってすやすやと静かな寝息を立てていた。レイルのように一部始終を見聞きした上で疲れて眠ったのか、石像で遊ぶのにも歴史の講義にも飽きて不貞寝してしまったのかはレイル達には知る由もない。ただ一つ確かなのは、しきりにアルムの名前を寝言で呟きながら、楽しい夢でも見ているかのように笑みを零している事であった。
「こんな中で昼寝をしているとは、何とも呑気なものです。重要な情報を知る機会だと言うのに」
「さすがは“楽”の感情の象徴に相応しい精霊といったところでございますね。あの子はあれで良いのでありますよ。もうあの種族に悲しい顔などして欲しくはないものですからね。それに、あの子の撒いた種は、着実にそなた達の中に植え付けられているのでありまするから」
 明らかに謎めいた何かを仄めかすような言い回しだった。だが、その疑問を払拭させる隙を与えなかった。今度は過去の軌跡を辿るための光の放射ではなく、一行をばらばらに散らせた移動に伴う閃光がリーゲルを中心にして迸った。謎もしこりも残ったままで急な退場を強いられたが、不思議とレイルの思考はすっきりと冴え渡っていた。最初にして最大の門を精霊によって強引ながらも()じ開けられた事で、大きな前進を果たしたのが大きな要因であった。かくしてティルとレイルの凸凹コンビは、この場への来訪が実のある者とそうでない者とにはっきりと分かれた上で、共に慕う者との再会を(こいねが)いつつ地上に戻っていった。



コメット ( 2014/03/23(日) 23:40 )