第九十三話 謎の石像と感情の変化〜リーゲルの策略ととある過去〜
石像の間に飛ばされていた最後の一組は、良くも悪くも大したトラブルに見舞われる事もなかった。それだけに楽しい事を第一に考える星の君にとっては、手持ち無沙汰で退屈な状態が何よりも苦しくて仕方がないようであった。着いた当初こそ探検だと意気込んでいたが、行き止まりの多い空間に閉じ込められたのだと分かってからは、広間を飛び回って気を紛らすのが精一杯である。
元気を失いつつあったジラーチ――ティルにとって目下大きな問題は、アルムが不在な事と唯一近くにいる仲間がポリゴンのレイルだという事である。ティルにとって苦手意識があるわけでもないが、何を聞いても無機的な返答しか戻ってこないのもあって、遊び相手にはなりえないのが難題であった。
「ねーねー、じっとしてるなんてつまんなーい。せっかくだから遊ぼうよ!」
「申し訳ありませんが、私はもう少し解析してみます。ご自由にどうぞ」
お気楽な誘いを申し出てはあっさり一蹴されるの繰り返しであった。陽気さが取り柄のティルも、レイルが
梃子でも動かない事にはさすがに表情を暗くしてしまう。感情がなく意見が揺らぐ事がないとあっては、楽しい会話をするのはおろか一緒に遊ぶのは至難の業であった。頬を膨らませたところでアルムのように構ってくれるわけではない。何度も試して思い知らされた事で、ティルもいい加減学習して近寄る事自体を止めていた。
二人が佇んでいる円形の空間には、その名のとおり大小さまざまな石造りの像が無造作に転がっている。サンクチュアリの精霊であるエムリットや巫女のラティアスなど、どれもがポケモンを象ったものかと思いきや、中にはポケモンとは一線を画した姿をした石像が一つだけあった。ティルやレイルが出会った中で言えばエルレイドが最も近い体格をしているが、体には突起や局所的に伸びた部分等の目立った特色が何もない。強いて挙げるならばルージュラが持つ髪らしきものが頭部から伸びているくらいで、細身の体は皮膚を何かで覆っているようである。ポケモンにしては特徴と言った特徴がないのがむしろ異常である。
ティルは謎に満ちたその石像には目もくれず、気に入ったのが無いかをひたすら見ていた。その中に一つ、鏡にでも映したかの如く自分と同じ姿形をした像を見つけた。あまりにも細部まで似通っていて、ティルも「分身分身!」などと嬉々として口ずさみながら飛び回っている。さらに面白い物がないかと探し続けていると、続いて見覚えのある長い耳と首周りの毛を持つ像に巡り会った。重くて一度には持ち上がらず、一個ずつ大事そうに抱えて部屋の隅へと持って行く。その間にレイルはポケモンにあらざる石像とティルを交互に見遣っていた。
「あなたはいつでも元気に動き回って“笑顔”というものを作っています。それを続けられるのは果たして何故なのですか?」
初めてレイルの方からティルに積極的な接触を試みた。よほど声を掛けられたのが嬉しかったらしく、先刻までの鉄壁の如き拒絶の事など既に忘却の彼方にあった。石像を放ってすぐさま近くまで駆けつけ、レイルが疑問の種とする笑みを零して見せる。無邪気さは場所と共にいる者が変わろうとも据え置きのままである。
「ねー、どうしてそんな事聞くの?」
「さて、何故でしょう。旅にお供する内に大変興味が湧いてきたのです。主達の持つ“感情”とやらに。私には備わっていないその未知の感覚を、主達は旅の要所要所で表情や行動の内に表していました。それが一体何を意味するのか分析して、今は知識として蓄えておきたいのです。それが後に役立つのではないかと推測しているので」
「ふーん。難しい事は良く分からないけど、楽しくお話出来るならそれでいいや!」
ティルには何を言い聞かせようとも小難しい事は分からないが、その分行動全てが素直で一片の不純さもなく、観察対象には持って来いの相手であった。無論感情を学ぶきっかけを作るだけが談話の目的ではない。今までレイルの視点でしか見てこなかったアルムやその周辺の関係を、ティルというフィルターを通して改めて整理し直す事にもあった。主観が大いに入って何を言っているのか理解に苦しむところはあるが、それでもはきはきと楽しそうにアルムとの思い出を語るティルを見ている内に、ただ機械的に頷いていただけのレイルにも微細ながらも変化が生じ始める。平坦な声質で応答するのにこそ変わりはないが、言葉の端々からは刺々しさや冷淡さが薄れていく。
ふとレイルの目の奥に、深紫色の夜空で瞬く無数の星空の光景が浮かんだ。同時にこれまで積み重ねてきた諸々の記憶が、星の如くレイルの頭に断片的に蘇ってくる。主として慕うアルムのみならず、いつも傍にいる仲間たちを含めた全員の喜怒哀楽に満ちた表情のどれもが、感情の凍りついたレイルの中の何かを刺激する。その正体が何なのかは本人の知るところではない。だが、それは決して消し去りたいと思うような刺激ではないとレイルもどこかで自覚していた。ティルを介して流れ込んでくる情報が、確実にレイルの想起を激しく促していく。
「あなたの持つ記憶には主の笑顔である場面が多いのですね。それはあなたにとって、主が時間を共有して快楽を得ている事を意味しています。一般的に感情と言われる部類の中では、“楽しい”というところに属するのでしょうか。そのような感情、実感する事が出来ない私にとっては羨ましいものです」
「えー、すごーい! ボクの考えが分かるって、レイルって物知りなんだねー!」
「いえ、元々感情と言う概念との繋がりも乏しかった私には無かったはずの情報です。まるで何かと共鳴して流れ込んでくるような――」
「それはさしずめ“アップグレード”されつつあるってところでございましょうか」
壁にアーチ状の穴が突如として生まれ、その暗闇の奥から新たな客が姿を現した。この空間を作り出した張本人――エムリットのリーゲルであった。訪問者に大した驚きを見せる事もなく、ティルはとりあえずエムリットの方へと飛んでいく。しかし、堅苦しく律儀な振る舞いをするリーゲル相手では、気軽に話しかけて意気投合というわけにも行かなかった。遊ぼうと誘うのさえ憚られる神聖な雰囲気を身に纏っており、それを肌で感じてか否かティルもリーゲルが口を開くまでおとなしくしていた。
「実は全てフルスターリとこの神殿の力を活用して、いろいろと仕組ませていただきましてございます。そしてわれは、最も興味のあるそなた方と話をしたいと思い、こうして場を設けました。誠に美しき空間でございましょう。お気に召していただけましたでしょうか?」
リーゲルはレイルほど無反応ではないのが幸いだった。ティルは大きく首を縦に振って、見事に探し当てた自身そっくりの石像を自慢げに見せる。それも計算済みとばかりに口元だけ微笑ませるリーゲルに、ティルは若干不服そうに頬を膨らませる。アルムなら喜んでくれるのにと心の中では思っていたが、不平を言ったところで梨の礫だと直感していた事もあって、ここはおとなしく引き下がった。代わりに手慰みとして手足をばたつかせて空中遊泳をする始末である。当のリーゲルはティルの気紛れな行動は特に意に介していなかった。
「気に入ったのならば良かったのです。ところで、この石像の間が一体何を意味するのか分かりまするか?」
「ううん、ぜーんぜんわかんない。でもさ、ここって面白いねー。ボクにそっくりなのとか、アルムにそっくりなのもある! これ、アルムに見せたら驚くだろうなあ」
「私には少しではありますが分かって参りました。もちろん主達の姿を模した石像に心当たりはありませんが、少なくともあそこに置かれている、あのポケモンではない生物と思しき石像は、“ニンゲン”のものだというのは分かります」
“ニンゲン”という名前はそもそもポリゴンという種族に関する情報を図鑑で漁っていた時に見つけた単語である。それだけにアルム一行の中ではレイルと最も関係が深いはずの存在であり、作り物とは言え初めてその姿を目の当たりにしてもその正体を言い当てるくらい冷静であった。リーゲルも愛想笑いを顔に貼り付けて感心していた。
「ご名答でございます。あれは本来ならばこの星に存在するはずのない者です。では、何故それがこのようなところにあるのか。そしてどうしてわれがそなた達をここに導いたのか。自ずと見えてくるでありましょう」
首を傾げているティルは言わずもがな理解が追いついていないが、レイルはリーゲルの望む答えへと辿り着きつつあった。改めて“ニンゲン”の像を頭から爪先まで観察し、ぐるりと部屋全体を見渡した後でレイルとリーゲルは正面から向かい合う。終始笑みを見せていたリーゲルの瞳の奥は笑っていない。
「かつてこの星に存在する“ニンゲン”がいたという事でしょうか。そうでなければ、姿形をあれだけ詳細まで知った上で像を造ることは出来ませんから。そして、“ニンゲン”がこの神殿を作るのに深く関係しているのではありませんか」
「確かにそう考える事も可能であります。ですが、この星に“ニンゲン”という存在が降り立つ事はそもそも許されませんでした。故にそれは不可能なのでありますよ。この建物の建造に“ニンゲン”が関わっているという見解は正しいのでございますよ。ただ、それだけではここに導いた答えにはなっておりませぬ」
アルムやヴァローが聞いていたら目から鱗の事実ばかりであろう。しかし、このレイルはあくまでも冷静な態度を貫き通して、次々と掘り起こされる情報の記録に勤しんでいた。リーゲルも真実を伝えるべき相手を最初から見極めていたのである。徐々に二人の会話の輪から蚊帳の外にされつつある事を感じていたティルは、部屋の隅に行って一人で石像いじりを再開する。
いつもは即座に答えを割り出すレイルも、珍しく熟考していた。“ニンゲン”に造られたという事実こそあれ、その実態や交流をした記憶なども残っていない。クインの図書館では書物に目を通して情報を吸収してはいたが、それらの中にも詳しい記述は見られなかった。持ち得る知識の許容範囲外の事となれば思考するのを潔く諦める。
「私にはここに誘われた理由は分かりかねます。しかし、このような建物を造り上げるとなると、いくらなんでも困難を極めたはずです。その上でこのような精巧な石像を造るなど、途方もない労力が掛かるはずではありませんか。何故今ではその存在すら周知ではない“ニンゲン”とやらに固執して、これらを造り上げるに至ったのかが疑問です」
「それはごもっともです。では、どのようにしてこの神殿は建てられたのでしょうか。そもそもいつ建てられたのか、“ニンゲン”がこの星とどのような繋がりがあったのか、非常に気に掛かっていられるのございましょう」
リーゲルの含みのある言い方は、むしろ段階を踏んで謎を解くように仕向けるのを楽しんでいるようであった。裏に何かを秘めているようで底が見えない。しかし、内容そのものには頷けるところがあり、神殿とこの星に纏わる秘密があるとなれば更なる情報を引き出す必要性が生じてくる。ティルが抜けた以上は話の腰を折る存在もいないため、レイルも先を聞き出すために突っかからずに押し黙る事にする。その上で答えが分からない事を素直に白状すると、リーゲルは手を突き出してどこからともなく分厚い本を出現させた。
「では、一度この星の歴史のお勉強をしていただくと致しましょうか。それはこの星に“予期せぬ戦乱”が巻き起こる前のお話です。言葉で語るよりも実際に目にした方が記憶しやすいでしょう。大した力ではありませんが、過去にこの書物を手にした者が抱いていた感情を呼び起こして、そこから紐解いていきましょう。“ニンゲン”がこの星との繋がりを持っていた過去の世界にこれから誘わせていただきます。果たしてそなたに“違和”を感じた上で、さらにわれが望んでいる答えに辿り着く事が出来るか、見物でもございましょうが」
広げた本から淡く白い光が柱状になって天井まで伸びた。完全に達したところで水で出来た柱の如く形が崩れていき、光の雨となって石像の間全体に降っていく。視界が一点の濁りもない純白に覆われたところで、遠くの方から小さな球体が接近してくるのが目に入った。それは表面のほとんどが蒼と翠で覆われた美しい星で、話はまずはここを舞台として始まるのであった――。