エトワール・フィランテ〜星降りの夜の導かれし出逢い〜


















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第十二章 聖地サンクチュアリへの訪問〜思索と瞑想と修行と〜
第九十二話 復活と以心への序曲〜表と裏の錯綜〜
 謎の転移は場所の変わらなかったヴァローとアカツキが特例だったらしく、他の面々は神殿とは異なる場所に降り立っていた。その内の“一組”は、木々に囲まれた広大な湖のほとりに来ていた。空間の歪みの渦に飲まれて飛ばされた時点では、青い水面は鏡のようにほの白く光って神々しさをも感じられるほどに美しかった。湖を中心として探索する内に時間も過ぎていたはずであるが、本来なら錆びた銅鏡のようになる湖面が澄んだ青を失う事無く佇んでいる。夕暮れになるのが(ことわり)だとして天を仰いでみれば、なるほどこの飛ばされた先は普段の世界と概念が異なるのだと思い知らされた。
 さらに風が騒ぐ事も他の生物の気配もない事からも、いつしかこの空間が特殊なものである事は勘付いていた。湖を取り囲むようにして草原と林が広がっているが、突き進むように歩けども必ず湖まで戻ってくるようになっていた。明らかにこの空間自体仕組まれたもので、むしろ何者かの掌の上にある舞台と言える。
「どうしてわざわざ僕達を隔離したのでしょう。全く以ってユーリさん達の意図が読めません」
「ライズと一組にされた事には間違いなく意味があるのでしょうけど、少なくとも私には分からないわね」
 マイナンとマリル――ライズとシオンのコンビも、目まぐるしい展開の連続に戸惑いは隠せないようであった。だが、これしきの状況の変化でいつまでも狼狽している程の器ではない。現状把握に努めるのが精一杯で熟せる事は少ないものの、それでも実の成る木から食糧を確保しておくなど徐々に適応し始めていた。今は揃って湖の傍に佇んでおり、自分達の置かれた状況を整理しているのである。それにもあらかた区切りが着いたところで、ライズが一息吐いて声を掛けてきた。
「あの……シオンさん。実は、あなたの事も常々羨ましいと思っていたんです」
 今まで交流の機会を設けられることがなかったため、こうして面と向かって話をするのは初めてであった。双方に抵抗と緊張があったのも否めないが、そんな中で会話の突破口を開いたのはライズの方だった。積極的な歩み寄りを見せてはいるものの、その目はシオンを視界に捉えてはいない。心を通わすべき相手を真っ直ぐに見ないのは、決して良い兆候ではなかった。
「あら、初耳ね。それはどうしてかしら?」
「アルムくんがあなたに向ける瞳は、一際輝いて見えるんです。一度似たような事をヴァローにも言った事があるんですが、彼への眼差しとはまた異質の輝きを宿しています」
「そうなの……。私は特に気に留めた事もないんだけどね。それに、私はあなたの方が羨ましいと思うけど。私がいない間に堅い友情で結ばれているみたいで、何だか男の子同士って良いなあって思わされるの。それもアルムとヴァローとの関係とは微妙に違うみたいだからかしらね」
 シオンはくすりと笑ってみせる。王女として備えている気品さえ漂う笑顔には、偽りの類いは微塵もない。ライズも最初こそ距離を置いて僅かに声を上擦らせていたが、次第に緊張も解れてシオンとも打ち解け始めていた。互いにアルムを介してでしか関係を持っていなかった事もあってか、アルムに関する事を中心として話に花が咲く。

 時折周辺の樹木からもぎ取った木の実を頬張っていたが、水分が少ないため喉を潤すには水が必要であった。水を体内に蓄えるシオンはともかく、ライズにとっては目の前の湖が唯一の補給源であり、湖面に口を付けて水晶のように綺麗な水を含んでいく。波紋が消えて自分の姿が映された水面にしばらく見惚れたかと思えば、急にシオンとの距離を詰めて会話を再開する。最初の内は明るい雰囲気のまま談話が盛り上がっていたが、時間が経つにつれてその雲行きが少しずつ怪しくなっていった。
「アルムくんのお仲間という事で、あなた達は最初からアルムくんにとって特別な存在なんだろうと思ってました。だからこそ加入が遅かった僕は、嫉妬に近い感情を抱いたのかもしれませんね。誤解を招きたくはないのであらかじめ言っておきたいのですが、決してあなたやヴァローが憎いわけではありません。ただ、アルムくんの視線がお二人に対してだと明らかに違うんです。僕では到底近づけないような、そんな感じで」
 シオンの笑顔も満開になっていくのに対して、ライズの様子がいつにも増しておかしかった。まだ理性を保って苦し紛れの微笑を顔に貼り付けているだけましなのだろうが、顔で笑って目が笑っていないというのが今のライズを表すのに適切であった。慎ましさも奥に引っ込んでいき、伏し目がちになって声のトーンも下がっていく。
「でも、どうして皆して僕と距離を置こうとするんだろう。どうして逃げるんだろう。僕の力が怖いから? 性格が怖いから? ねえ、答えて下さいよ」
 胸の内を晒け出す内に抑えていた感情に飲まれ、ライズはそれまで保ってきた自我を見失っていく。心境の変化と共に顔つきにも異変が表れ、傍らにいる旅の仲間を獲物でも見るような鋭い目つきになっていた。その変貌ぶりにシオンも身の危険を感じ、一旦立ち上がって水辺まで退く。

 戦闘中でも思うように発動しなかった電撃が、ライズの青い両頬から激しく迸って踊り狂っていた。ライズが身に纏う雷は青白い閃光を放っており、徐々にその輝きと鋭さを増している。空気が震えて穏やかだった水面にいくつもの波紋が生まれているのがその迫力を物語っている。ぎらぎらとした光を宿して敵意の篭もった視線を向けられて、シオンもいつしか身構えていた。
「一体どうしたの? 誰もあなたを避けるつもりもないし、敵対視するつもりもないわ。だから、その危険な電撃を収めて欲しいな」
「嫌だ。分かってる。どうせ心の底では嫌っているんだ。仲間だとか友人だとか言って近づいてきた奴等も、家族だろうと、この“オレ”の事をさ」
 目の前にいるはずのライズの気配がまるで感じられない。常に穏やかな物腰で接してきた彼も完全に鳴りを潜めており、一人称が変わっているのが明白な証拠であった。静寂を縫い続けていた緊張の糸は、この時点で二人の間に綿密に張り巡らされていた。下手な動きに出るのは得策でないと踏んだシオンは、尻尾を掴んで警戒を怠らないようにしながらも、穏便に済ませたいとの考えから説得を試みる事にする。
「鎮まりなさい。今までアルムがあなたを避けたような事はあった? 違うでしょう。アルムはいつだってあなたと真正面から向き合っていたはずよ」
「はっ。そんな事知らないね。オレはオレだ。好きなように暴れさせてもらう」
 シオンの言葉には完全に聴く耳持たずであった。“自らの感情に素直になる”――空間転移の前にリーゲルが口にした事が不意に脳裏に浮かんでくる。だが、ライズの別人格はミゴン・フォレスト――ライズと邂逅を果たした森――にて抑え込んだはずである。ここに来て好戦的なレイズの人格が再発しているのは大きな疑問であった。しかし、今は悠長に考えている暇がないのも事実。敵に戦意があるならば、いかにしてそれを削ぐかが目下の課題であった。
 レイズが戦う場面に出くわしたとは言え、その実力は未知数なところが多い。下手に仕掛ければあえなく返り討ちに遭うのは明白であった。上手く行ったところでせいぜい一矢報いるのが関の山だとも覚悟しており、シオンも注意深く相手を観察して出方を窺う事にする。
「どうしても収めようという気はないのね。それとも、それが“本来の”あなたなのかしら」
「そうだとも。あんなへなちょこな奴はオレなんかじゃない。オレじゃないとこの雷を操れないのも、あいつの方が作られた存在だからって証明になるだろう」
 レイズの手先からギザギザの刃のような稲妻が生まれてうねっている。ライズでは生み出せもしなかったものを自在に操っている辺りからも、レイズが誇らしげに語っている事はあながち嘘ではないと言える。ライズのように力が不安定なら好都合であったが、思いのままに扱えるとあっては相性的にも分が悪い。しかし、こうなっては宥めるのは不可能だと判断し、シオンも決心の下に応戦の構えを見せる。

 先攻を取ったのはレイズの方だった。不規則な形をする電撃を圧縮した球体――“エレキボール”を即座に形成して、見せ付けるように間を置いた後でシオンに目掛けて撃ちだした。弾丸のように鋭い加速が籠められた水流――“みずでっぽう”を口から噴射した。相殺するには至らなかったが、直線的に飛んでくる球の軌道を逸らす事は出来た。仮にも攻撃を防がれたと言うのに、レイズはそれを予測していたかのごとく平然と振る舞っている。
 今のでレイズの準備運動は済んだらしい。小手調べもそこそこにして、次なる一手として両手を突き合わせてシオンに向けて解き放った。その手からは無数の眩い星が生まれ、光線の奔流となって一直線に襲い掛かる。シオンはかつて用いた対策――“バブルこうせん”を防壁として使い、迫り来る“スピードスター”を全て相殺した。だが、それもレイズの計算の内だった。技の衝突で視界を塞いで気を取られている間に、いつしかシオンに肉薄していた。
 全身に電気を纏わせた状態での体当たりは、一撃でも喰らえばシオンにとっては決定打になりかねない。故に是が非でも直撃だけは避けなければならない。そこで緊急回避に用いたのは、父であるエンペルトから受け継ぎし“アクアジェット”だった。清き水の衣で体を包んで普段以上の推進力を得て、今度は目を離さないように後ろ向きにその場から離脱した。間一髪のところで“スパーク”の影響下からは免れたが、油断は禁物である。
「私も立ち入った話をした事もないから、事情は知らないわ。でも、おとなしい面も今みたいに荒っぽい面も、両方あなたの一部だと思うの。あなたはそれを受け入れられないだけじゃないの?」
「か、勝手に憶測で語るな。あいつとオレは別だ。そもそもあいつの存在から認めないし、オレは元からあらゆる関係を断つ事でこの力を得て強くいれたんだ。それはこれからも変わらない――はずだ」
 あくまで戦いから気を逸らすためのつもりであったが、見事に弱所を射抜いて思わぬ実を結んだ。戦いの最中に自らの存在に関わる核心を突かれた事で、レイズの心も大きく揺れ動いていた。傍から見ているシオンにも、表情と心拍数の微細な変化で“彼ら”が苛まれている複雑な感情の渦を汲み取れた。迷いと焦燥――そこには同じくライズとしての意思も感じられ、自らの作り出した檻に囚われているも等しかった。
 しかし、レイズは深みにはまる前に気を取り直すのが早かった。雑念を払うように頭を振り、一度は抑え込んだ電気エネルギーを再度放出する。平和的解決も望んでいたシオンも、やむなく距離を取って攻撃に備える。だが、待とうとも一向に攻撃が飛んでくる気配はない。
「そうだ。オレは認められる為に存在するんだ。それ以外に存在価値はない。だから、オレのあるべき場所を確保するためにも……ッ!」
 声と共に感情を昂ぶらせたレイズの顔を見れば、歯を食いしばった状態で涙が滲んでいた。レイズとしての自我も不安定なのか、凄みを利かせていた頃の面影が消え失せている。(いか)めしい雰囲気の一切が取り払われていて、迎え撃とうと水の力を溜めていたシオンも毒気を抜かれてしまった。まだ警戒心を解くべきではないと判断しつつも、少なくとも不意打ちを喰らわせるような事はしないでおく。
 ライズは仲間との戦いを望まず、レイズはひたすら気の向くままに暴れたい。先ほどまでは明確に違って見えた人格が入り乱れていて、今はどちらともつかず彼らの真意が掴めない。最悪の場合レイズの人格のみが残って相まみえなければならなくなる。シオンとしても鎮めきれなくなる事態は避けたいため、杞憂でない事を祈るばかりである。
「シオン……さん、お願いです。僕を湖に突き落としてください」
 結果はシオンにとって好都合な方に傾いた。訴えかけるだけでも苦しそうではあるが、確かに意識があるのはライズの方で間違いない。攻撃を往なさずとも良くなってひとまずほっと胸を撫で下ろしつつも、物騒な事を懇願するライズにはその真意を尋ねなければ納得が行かなかった。
「元のあなたに戻ったのでしょう? ではそんな事をしなくても――」
「いえ、まだ完全には抑えきれないのです。だから手荒な手段でも良いので、またレイズにならない内に!」
 悲痛な叫びを発し終えたところで、抵抗も虚しくレイズと入れ替わって電気を放ち始める。ライズたっての願いとあっては聞き入れないわけにもいかず、シオンは蓄電に時間を要しているレイズに容赦なく“みずでっぽう”を撃ち込む。無防備なところに直撃した水砲により、小柄なマイナンの体は軽々と宙に浮いて湖の中央まで吹き飛ばされた。けたたましい音と共にレイズは水面に叩きつけられ、そのまま水の中へと沈んでいく。

 長らく浮かび上がってこない事に不安になっていると、盛大な水しぶきを上げながらマイナンが水中から姿を現した。シオンも急襲に備えて彼を見据えるが、その瞳からどぎつい光が消え失せているのを認めると、岸まで歩み寄って手を差し伸べる。
「ライズ――で良いのよね? 随分と無茶な事を頼み事をするものね。なるべく力は抑えたつもりだったんだけど、大丈夫だった?」
「え? ええ。お陰で頭が冷えました。水面に映る自分に魅入られたのか、神聖な水を飲んだ事で変な効能が現れたのか、その原因は分かりませんが、僕はその……自分を見失いかけていました」
「それは、もう一つの人格が否定すべきものだって事かしら」
「――いいえ、違います。むしろ彼を受け入れるべきなのではないかと、シオンさんに諭されて思いました。以前はアルムくん達のお陰で別人格を抑え込んだだけで、消滅には至らなかったみたいですし。彼は僕が生み出したのですから、いつかは僕自身が終止符を打って一つにならなければならないと感じていました。ただ、恥ずかしい話ですが、その勇気がなかったのです」
 水が滴る中に別の輝きを放つ雫が混じっていたのであろう。ライズの声には寒さから来るものとは異なる理由を持つ震えが伴っている。シオンも敏感に感じ取ってはいたが、それを気遣うよりも先に問い質したい事があった。
「無理してでも一体になる必要があるの? 今のままだと問題があるから、ここでまたもう一つの人格が戻ったというのは何となく分かるけど」
「現状では雷の力を使えずに戦いに貢献できないというのもありますが、それ以上に過去の自分を乗り越えたいという思いがあるのです。今は詳しくは話せないので、またいずれお話できる時が来たら、になりますけど……」
 ライズはほんの少しだけシオンの前で殻を破ってみせた。些細な一歩ではあるが、アルム以外に大きく心を開いていなかったライズにとっては大きな進歩である。鎖で縛られていた本音を誰かに打ち明けられた事で、心が軽くなって顔には今までにない綻びさえ窺えるようになる。時間も経ってライズの体が乾いてきた頃に、機を計ったようにシオンが切り出す。
「じゃあその話とは別件で、あと一つだけ言いたい事があるの。私も大層な事は言えないわ。でも、あなたは自分から壁を作ってアルムを遠ざけようとしている。歩み寄るどころか受け入れようともしていないなんて、それではアルムとの関係が今まで以上になるのは無理だと思うの。だから、もっと遠慮しなくても良いと思うわ。これは、一応一国の王女として学んだ事なの」
「なるほど。今の程よい距離から遠ざかりたくないと思うあまり、自分で立ち止まってしまっていたんですね。それと、付き合い方は相手によってそれぞれ違うんだって事も忘れていました。僕は僕なりに信頼関係を育んでいきたいと思います。大切な事を気づかせてくださって、本当にありがとうございます」
 自己開示に対する精一杯の感謝の証であろうか。先刻の煮え切らないライズの態度に業を煮やしたシオンは、あえて諭すように力強く告げる。そんな辛辣ながらも的を射た指摘は、気分も晴れやかになったライズの胸にもしっかりと届いていた。シオンも柔和な笑みを浮かべてライズに向き直る。二輪の笑顔が鮮やかに咲き誇り、心なしか二人の表情がここに飛ばされた時よりも穏やかなものになる。
 リーゲルがペアを作って仕組んだ事は、ここでも功を奏していた。シオンとライズの関係の好転やライズ自身の内面の進展に関して、大きな転機を迎えたと言っても過言ではない。また一つ新たな種が芽を出し、その門出を祝福するかのごとく穏やかな湖は美しく神聖な輝きを纏い始めるのであった。





コメット ( 2014/02/23(日) 00:29 )