エトワール・フィランテ〜星降りの夜の導かれし出逢い〜


















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第十一章 町に寄れば、酒に酔えば、地図に因れば〜酔いどれ一行のヴィノータウン珍道中〜
第八十七話 小さな宴と名産物〜垂涎の品の魔力〜
 念には念を入れて確認しようという事で、案内も兼ねてツボツボ以外のポケモンがいないか捜索をして回った。違和感の正体が既に分かっていると、初見の訪問とは異なって足取りも軽やかになっており、搜索という名ばかりとなった散策は交遊を深める貴重な時間へと変貌していた。鋭敏にしていた危機感への神経を落ち着ける事で、住民の姿が見えない緊張感で忘れていた別の感覚も復活し、町中には例の果物の熟れた匂いが充満しているのにも気づいた。どの建物の中にも共通してあった樽から主に漂っており、移動を繰り返す間にその匂いに呑まれて緊迫していた心も解れていく。
 腰を落ち着ける場所を探して一通り町を巡ったところで、既に肺いっぱいに独特の熟成臭を吸い込んでいた。経験のない香りに囲まれていると、足下の覚束ない不思議な感覚に苛まれて頭がくらくらし始め、妙な高揚感が胸の底から湧き上がっていた。雲の上でも歩いているような浮遊感も同時に覚えていたが、不安感よりもむしろ身を委ねたいという願望が先立っている。
「もしかしてここの“酒”の匂いに当てられたんじゃないのかね?」
「だ、だいじょーぶです。何だか少しふわふわした気分ってだけですから」
 いくら隠そうとしたところで体は正直なものである。平静を装おうとしているアルムの頬はほんのりと赤らんでおり、この場の誰よりも“酔い”に近い状態にあった。他の者はアルムほど強く影響を受けているわけではないが、何とか意識を持っていかれないように堪えるのがやっとといったレベルである。慣れていて感覚が鈍くなっているツボツボは、やけに口数が減って棒立ちになっている彼らを見てようやく察したらしく、比較的酒樽の少ない木造の建物へと全員を(いざな)った。その頃には日もとうに傾きだしており、夜になって町を抜けて先に進むのは安全ではないと考え、改めてヴィノータウンに宿泊することを決意する。ツボツボも厭う事無く滞在を歓迎してくれ、グラスレイノでの疲れを取るためにも羽を伸ばす事にする。
「そういえば、クリアとブレットは何をしにここに来たの?」
 こうして再び相まみえた当初は、場の空気に流されて彼らの目的という肝心な事を聞きそびれていた。放心状態から未だに醒めないアルムに代わって、シオンが二人に問いただす役割を担う事にする。かつては父親を含めた複雑な因縁にある相手であったが、今は何の因果か食事を共にする存在となったクリアとブレットに向けて、シオンは平生と変わらぬ優しい表情を向けている。
「まさか私達の後を追って、返してもらった“あの箱”を奪い返しに来たなんて事はないでしょうね?」
「それはないっての。そもそももう関係のない物だし、誰かに指示されたわけでもないからな。オレ達はここでトリトンの仲間についての情報を得られるって聞いてここまで飛ばされたんだ」
 幾多の困難を経て過去の事は水に流しているため、互いに嫌味を吐きかける事も悪びれる様子もない。元々気さくな質のブレット側にも特にしこりもなく、アカツキとツボツボへの自己紹介がてらこれまでの経緯(いきさつ)を一頻り伝える。トリトンの名前が飛び出た際にアルム達の脳裏を過ぎるのは、戦闘中にキルリアが高らかに言い放った自らの所業に関することであった。最初は話すべきか否か迷っていたが、水のように澄んだ虚飾のない眼差しを向けられては、言伝せずに黙っている事など到底叶わなかった。
「そっか。仲間がその如何にも怪しいキルリアに操られて利用されてるんだな。で、今はどこにいるか分からないが、無理矢理戦わされているかもしれない、と」

 もしかしたら真実を知ったところで酷く落ち込んでしまうのではないだろうか――そんな危惧を抱いていたシオンであったが、すぐにそれが杞憂だったと気づく事になる。二人の行動の指針となる事件の核心に迫っても、ブレットは現実を受け入れてクリアと顔を見合わせて、あまつさえ屈託のない笑みを浮かべていた。
「それじゃ、やっぱり僕達が助けないと」
「オレ達を拾って快く迎え入れてくれた皆への恩を返す時が来たってわけだな」
 酩酊が原因でもなければ正気を失ったのでもない。安否はともかくとして、重要な情報を得た事で決意を新たにし、二人は着実に前に向かって進んでいた。一度は敵として対峙して、短い時間ではあるが行動を共にした相手の目覚しい進歩に、シオン達も憧憬に似た心をくすぐられるような感じを覚えざるを得なかった。
「そんで、お前達の旅の目的は結局どうなったんだ? そのジラーチについて何か分かったのか?」
 二人が全て打ち明けたのと同時に、即座に立場を交代する。別れた後の旅の行程すら知らないクリアとブレットが、アルム達の近況を聞き出す番になった。元より明るくはなかった場の雰囲気が、いきなり根本的なところに触れられた事によって幾分か沈みがちになる。旅の仲間を一人一人見遣ったヴァローとシオンが打ち合わせたかのように視線を交わす。
「旅の目的、ね……。元は奪われた図鑑の一部を探していたはずだけど、今はサンクチュアリに向かうのが第一になっているわね。相変わらずティルに関しては分からない事も多いけど」
「そうだよな。リプカタウンで戦ったロゼリアが実はグラスレイノにいたキルリアと同一のやつで、そいつと一緒に現れたソルロックがサンクチュアリの事を仄めかして――って具合だったっけか。そいつらがティルを狙ってたって事もあって、調べてみようって事で進んできたんだ」
「おいおい、お前ら知らない内に危ない事に首を突っ込んでないか? 下手したらただじゃ済まなそうだぞ」
 ブレットに苦笑混じりに言われて考え直してみると、その通りであったと思い知らされる。今まで立ち止まる事無く町を転々としていて、自分達の置かれている立場について考えないようにしていたが、いつの間にかティルの正体を調べると言う本筋から逸れていた。言わずもがな狙ってこの道を辿ったわけではないにしろ、質問されて導き出された答えに対する困惑が、白とも黒とも付かぬ色となってぐるぐると心の中を渦巻き始めていた。
「でもさあ、何かどれもティルと関係ある気がするんだよねえ……ティルを狙ってたみたいだし……この星の神様だったりして……むにゃ」
 液体と化した鉛が背に降り注ぐかのように雁字搦(がんじがら)めに陥らせる静寂を、アルムが寝ぼけ眼で声を上げて打ち崩した。話題の中心に押し上げられているティルは、アルムの夢現な発言には見向きもせず、本来の放埓っぷりを発揮するかのようにアルムにべったりとくっついて添い寝している。仲睦まじく微笑ましい光景を見せられては、重苦しい話などする気も起こらなくなってしまった。
「このヴィノータウンには、とある伝説めいたもんがあってな。酒を造っているのもそれに由来するところがあるんだぞい」
 真剣な話題になって沈んだ空気を打ち破るように――もといアルムとティルの作り出した穏やかな雰囲気に乗っかるように、ツボツボが滔々と切り出した。元より好奇心旺盛な面々の揃っているアルム達にとっては良い契機となったのか、焦燥を感じて乱れかけていたヴァロー達の挙動も落ち着いたものとなる。さながら何も知らぬ稚児のように、初耳の話に興味津々の様子で耳を傾ける。
「実はその昔は、神に捧げる“ネクタル”と呼ばれる酒を作っていた歴史と由緒ある酒造の町での。そのお酒は瓶に入れて天を司る神に届けられ、それを飲むことで不老不死・身を癒す事に力を発揮していたそうだ」
「神ってだーれ? ボクも友達になれるかなー?」
「ほっほっほ。それは無理だぞい。この輝く星々を守護する神は、滅多に我々の前に姿を現す事はないのだからな」
 青黒い布を広げきった天を仰げば、鮮やかで氷のような輝きを放つ砂子がいっぱいに散りばめられていた。万遍なく目に焼き付けていると知らず知らずの内に吸い込まれそうな程に美しい星空で、果てしなく広大で神秘的な宇宙(そら)は見る者を否応なく圧倒する。それはアルム達においても例外ではなく、この星を統べる神が本当にいるのかと思いを馳せていると、自ずとその尊さをしみじみと感じていた。
(もっと)も本当に神と呼ばれる存在がいたのかどうかも分からんがね」
 所詮は伝説や言い伝えレベルのお話で、真相は明らかではない。だが、ツボツボの話が無駄と決め付けるわけではなく、町の歴史に僅かでも触れた事で知識を自らの中に吸収出来たのだと捉えていた。いつになく頭が冴えているのが不思議なくらいで、夜風に当たりながらの談話はいつしか語りべによる模範的な講義の様相を呈していた。すっかり聞き入っておとなしくなっていたアルム達を尻目に、ツボツボは一言断りを入れて一旦建物の中へと姿を晦ます。
「さあて、堅い話はここまでにして、そろそろこの町の名物を味わってもらおうかね」
 ツボツボがのろのろと戻ってくるや否や、あの甘酸っぱい匂いが一同を包み込んだ。この町に来て嗅ぎ慣れてはいても、手の届く範囲まで持ってこられると、一段と強く感じて心惹かれるものがある。ヴィノータウンの象徴たる紫の果実と同種の香りの根源は、ツボツボが紐を引っ張って運んできた樽にあった。ポケモンの背丈に合わせた樽とは言え、二つの樽を小柄な体で一度に引きずってきた辺りからも、ツボツボが見かけによらず力持ちである事が窺えた。
「その中身って、ここの名産の酒っていうのですか?」
「うんにゃ。さすがにお前さんらに酒はきついだろうと思ってな。こっちの方は果実を絞り出したものをちょっと持ってきたんだぞい」
 手前に置かれた樽の中の、波々と称えられている赤みがかった紫色の液体からは、もう一方の樽や町中に立ち込めている異臭が微塵も感じられない。純然たる果実の絞り汁はシンプルにして見事な出来栄えで、甘美な香りの方が圧倒的に勝っている。しばらく水分の類を口にしていなかったアルム達は、魅了されて知らず生唾を飲んでいた。
「さあさあ、道中疲れて喉も渇いているだろう。遠慮せずたんと飲みんしゃい。せっかくだからお酒の方と見比べてみると良いぞい」
 双方の濁り具合と香りの違いを確かめたところで、アルム達は早速ツボツボの言葉に甘える事にする。随分と来客に向けての用意が良いもので、あらかじめ木製の小皿と柄杓が樽の上に乗っていて、シオンが手に取って必要な分を掬いだしては銘々の皿に分けていった。目を爛々と輝かせて配給を心待ちにする様は、アルムとティルとがちょうど鏡のようにそっくりそのまま同じになっている。
「いっただきまーす!」
 子供らしさを全身でいっぱいに弾けさせながら、アルムとティルは嬉々とした様子でほぼ同時に皿へと顔を(うず)めた。余程飢えていたのか、二人して配られたぶどうのジュースを一気に飲み干した。顔を上げた際には顔のふさふさな毛や短冊から雫が滴っていたが、それを厭うどころか抑えることのない満面の笑顔が花を咲かせている。すぐさま次の一杯を求める二人を見て顔を綻ばせつつ、シオンは半ば余所見をしながら掬い取って皿に注いだ。その二杯目をゆっくりと味わうようにして飲み込んだ瞬間にアルムは目を大きく見開いたが、それは直後に魂を奪われたような虚ろな眼差しに変化する。
「えへへー、これすっごく美味しいねー。甘くて飲みやすくて、体がふわふわしてきそうだよ……ひくっ」
 さっきは赤らんでいる程度で済んだアルムの面持ちも、見る見る内に赤みを帯びて遂には紅潮の域まで達していた。見るからに視線があちこちに泳いで視点が定まらず、夢心地で心ここにあらずといった具合である。平生からこうも変調を来たしていた原因――それは、シオンが余所見をしていた隙に起こった事にあった。ツボツボの分の酒をアカツキが汲んでいた際に、ジュース側の柄杓と近接した位置に置いてしまい、シオンが誤って酒側の柄杓を使用して、底に残っていた酒が混じってしまった――というのが顛末である。体も小さく幼いせいか、酔いが回るのが早く、アルムとティルは上機嫌になってすっかり“出来上がっていた”。

 しかし、これはほんの序章となる変化の象徴に過ぎない。そしてここからが盛大な夜の、騒々しい宴の、そして誰一人として覚悟していなかった、楽しくも大変な波瀾の幕開けだった。さりとて酒の魔力に意識を奪われつつあるアルム達には到底知る由もなく、今はきらきらと瞬いて美しく輝く星空をぼんやりと眺めるだけであった――。


■筆者メッセージ
以下拍手メッセージへの返信です。

>ものさん
というわけで恐らく予感が的中しそうな終わり方ですね。はてさて、次回どんなどんちゃん騒ぎが展開されるのかお楽しみに!(
コメット ( 2013/10/27(日) 00:12 )