エトワール・フィランテ〜星降りの夜の導かれし出逢い〜


















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第十一章 町に寄れば、酒に酔えば、地図に因れば〜酔いどれ一行のヴィノータウン珍道中〜
第八十九話 進化の光、光の真価〜光に向かって進め〜
 空と大地の境界線は全てを覆い尽くす闇で統一されていた。隣国とは異なって凛とした寒さもない夜空には、地平線の向こう側に消えて途絶えた光球の代わりに、まばらに光を放つ星が冴えている。閑寂になって酒の匂いが風に乗って流される事もなくなった今は、一時酔いしれた感覚から解き放たれて正常な思考を取り戻していた。水を打ったような静けさは、決して心地の悪い束縛などではなく、むしろ事の重要さを暗示するような雰囲気を醸し出している。
 この小さな町の主たるツボツボが酒の次に提供してきたのは、アルム達にとっても大いに関係のある事実だった。“進化の光”という名前自体には聞き覚えがないが、少なくとも進化の部分だけ言えばアルム達も知っている。特に進化に対して一時期執着していたアルムとしては、嫌でも耳に残る単語である。だが、一行の誰もが未進化であるが故に、その実態までは詳しく知らない。だからこそレイルまでもが興味深そうにツボツボを見つめている。
「嫌じゃの、そんなにじっと見つめられるとこっちも恥ずかしいわい」
 視線の集中砲火を浴びて、ツボツボは恥ずかしそうに甲羅の中に首を引っ込めてしまった。気になる事柄だけ残して言い逃げでは困ると、ヴァローが慌ててドアを叩くように甲羅を小突くと、早々と顔を出しておどけたように笑ってみせる。一人快楽的にしているのとは対照的に、一斉に注がれる視線には刺が混じるようになった。さすがのツボツボも観念して茶化すのを中止する。
「冗談じゃよ。せがまずとも話してやるぞい」
「焦らしたって何の得もないんだから、早く話してやれよ。おれも気になるところだからさ」
 今度はアカツキが急かすように背後から追い立てる。場を和ませようと思ったのだと言い訳をするツボツボだが、これ以上引き伸ばすのも良くないと判断して、からかうのを諦めて真剣な面持ちに戻す。おちゃらけた様子も消えて声色が変わった事で、またシリアスなムードへと逆戻りした。アルムには周囲の闇が一層濃くなったようにさえ感じる。
「こほん。では説明しようか。お前さん達、ここに来るまでにフルスターリと呼ばれる巨大な水晶を目にした事はあるか?」
 最近知り合ったライズやアカツキを除いて、他の全員は直近だとリプカタウンでその特殊な水晶――フルスターリを目撃している。唐突に話題に上がったのは驚いたものの、別段隠しておくべき事実でもなく、手早く話を先に進めるためにも皆が揃って首肯する。
「それならば話は早い。間近で見たお前さん達ならあの水晶には特別な力が秘められている事は薄々感じていたろう。見たことのないらしいそこのマイナンくんとアカツキにも分かるように端的に言えば、力を秘めた水晶が各地に存在するとだけ覚えておいてもらえれば結構じゃ」
 目の当たりにしてはいない二人にとっても、フルスターリがどんな物であるかは想像に難くなかった。話の進行を阻害する企みなどもなく、ただツボツボを一瞥するだけで話の流れを断ち切る事なく語りは再開される。
「実はあの水晶は、元はサンクチュアリに揃っていた物だったんだぞい。最初から点在していたわけではない」
「えっ、でもあれって結構大きな水晶ですよ? そんな物がある日突然散らばったとでも言うのですか?」
「まあまあ、そう早とちりするでないぞい。順を追って話していくのじゃから」
「あっ、すいません」
 アルムは知らず知らずの内に胸を躍らせて身を乗り出していた。話の腰を折った事を詫びて逸る気持ちを抑えつつ、なおも好奇心は微塵も失う事なく期待の篭った眼差しでツボツボを直視する。眩しいまでの純粋な目を向けられて、ツボツボも気を良くしたのか、再び流暢な語り口で事実を説き始める。
「よろしい。太古の昔から存在するそれらはどうやらこの星の産物らしく、かつてサンクチュアリに集いし水晶は、近距離で共鳴して互いの力をより高みに近づけていたと言う。今は散り散りになって全盛期に比べれば力も衰えているだろうが、ポケモンの進化を手助けする力をも宿しておったのだ。だが、それを狙って奪おうとする者が昔いたのだぞい」
 仄暗い星空の下で開講された歴史の講義は、子供を寝かしつけるために親が話して聴かせる昔話の様相とは全く異なっていた。ツボツボを取り巻くようにして半ば楽しく半ば熱心に聞き入っていたが、唐突に雲行きの怪しい話題が挙がった事で、一同は暗闇の中で顔を強ばらせる。だが、これから待ち受ける未知なる恐怖に恐れ慄く彼らの機微など気にも留めず、語り部はあくまでも淡々と事実だけを彼らの前に並べていく。
「その原理こそ分からぬが、それを無視して自由に進化出来るとなれば、誰もが己の力を誇示するために求める者もいる。はたまた壮大な目的を持っていた者もいるのやもしれない。ともかく進化への欲望を抱いた輩が、サンクチュアリに一斉に襲いかかってきたのだ。無論サンクチュアリにもフルスターリを守護する精鋭は揃っていたのだが、完膚なきまでにやられたそうな。そして水晶が良からぬ事を企んだ連中の手に堕ちそうになった時、精霊の力によって方々に飛ばされたのだよ」
「精霊ってもしかして――」
 アルム達には精霊と呼ばれる者に心当たりがあったが、その存在について気軽に言及して良いものか悩んだ挙句、思わず口を噤むという結果になった。出かけた言葉を押し殺す様はあまりに不自然で、アカツキ達の猜疑心を刺激して訝しげな目で見られてしまう。せめて際限なく押し寄せる焦燥感に負けぬよう、アルムは表だけでも精一杯の笑顔を作る事を心がけた。
「あ、あのっ、すごい存在なんですよね?」
 何とか取り繕ってはみるものの、アルムは視線を泳がしていてぎこちない事この上なかった。だが、そのあからさまな狼狽えようは逆に功を奏したようで、アカツキやツボツボの心象を悪化させる事はなかった。彼らとしても子供であるアルムを無闇に追及しようとは微塵も思っておらず、そこに無駄な時間を喰う事なく話を続ける。
「まあ、凄いと言うか、本当に特別な存在ではあるな。そんな滅多にワシらの前に姿を現さない精霊達の功労によって、一時は危機を免れたのだぞい。その後の事を語るとまた長くなるのだが、それは今は止めておこうか。ともかくこれは記録にはほとんど残されていない。記憶に残る者さえ少ない。そしてフルスターリの真の価値を知る者は、一つの集落を統べる長たる存在くらいなのだぞい。今となっては利用出来ぬから、無用な心配ではあるがの」
 ぱらぱらと感嘆の声を上げる者が一部、分からないような唸り声を上げる者がまた一部。銘々に感じるところはあったようだが、核心の一歩手前までしか話が及んでいないため、しこりや不安材料も残る箇所も無くはない。だが、それでも知る事のできなかった昔話に触れることが出来たのは大きな収穫であるのに間違いはない。眼に宿るのは道に対する不安の篭った影ではなく、明るい未来を切り開こうとする光であった。
「はてさて。昔話はこんなところか。少なくともサンクチュアリについて少しは分かってもらえたかな?」
「はい!」
 一つの大きな謎が解けた事で、酒の酔いからの解放感よりも遥かに胸がすく気分になれた。重い過去に真実を突きつけられた事で意志が揺らぐこともなく、むしろ実際に訪れて確かめてみたいという衝動に駆られる。心の中を忙しなく暴れ回る重い物憂いが晴れて、憑き物が落ちたような表情を見せるアルムも、危険を伴う事も承知の上だった。もう自分の力に劣等感を抱く事もなくなった。
「だけど、今そんなところに行っても大丈夫なのか? 俺らは完全に部外者だし、そもそもそんな神聖な場所なら、霧や結界みたいなので守られていたりしないのか?」
「それについては心配要らぬ。もう狙われるような厳重な守りは解かれておる。正確には解かれてしまった。と言う方が正しいかもしれぬが。しかし、あまり人目に触れないような処置が施されているのも事実だ。その為の近道を教えるのがワシの役目であり、そこのザングースの坊主が案内役となってくれるだろう」
「ついでに朗報もあるぞい。サンクチュアリはさっきも言ったように手練の者が揃っていた場所での。その名残からか、特訓するにはうってつけの集落なのだ。自分の実力を上げたい者は、そこで己を鍛えるのもありかもしれないぞい」
 アルムの悩みの種を解消できるかもしれない。例え重要な事実や出来事が待ち構えていなくても、それだけで大きな価値があった。元より目指すつもりではあったが、ツボツボの話を聞けて改めて決心がついた。どこか晴れ晴れした表情でアルム達は互いに視線を交わす。サンクチュアリを巡る話にひと段落着いたところで、アルム達と同じ行動を取っていた二人組がやおら立ち上がった。

「さてと、トリトンの仲間の事も分かった事だし、オレ達もそろそろここは用済みだな」
「だったら、今度は僕達と旅をしませんか? もしかしたら、お仲間の事もどこかで分かるかもしれませんし」
「そのジラーチといると危険なんでしょ? なら僕は遠慮しておくかな」
「あっ、ごめんなさい。そうですよね、危険が付き纏うって事を忘れてました」
 旅の仲間が増えてより賑やかになれば良いとの安易な考えで申し出たアルムの誘いを、クリアは視線を合わせることなく素っ気なく断った。取り戻しかけていた明るい顔は光を失い、耳を垂らして悲しそうにする。それを見兼ねたブレットがクリアを押し退け、アルムに歩み寄って頭を軽く撫でた。
「まあまあ。悪いな、アルム。こいつも悪気があって言ったんじゃないんだよ。素直じゃないだけだ。本当はちょっと気になってるんだけど、大勢で揃って行動する事に慣れてないんだよな」
「ブレット、余計な事は言わなくても良い。僕はこれ以上余計な寄り道をしたくないだけ。別に馴れ合いが嫌なわけじゃない」
「そうツンツンするなっての。それになアルム、オレ達にも宛てがないわけじゃないしな。トリトンがあんなになってしまった以上、あそこに戻ったところで悲しみしかない。だったら前に進もうって二人で決めたんだ。そこで、一度オレの故郷に戻る事にした」
「へえ……でもそれって、トリトンは故郷じゃないって事ですか?」
 ブレットも交流が数回しかなかったとは言え、クリアだけでなくアルムの(たしな)め方も心得ていた。冷たく接するクリアに代わり、ブレットが緩和の役割を果たして自らの作り出す世界観に上手く誘い込んだ。話題に食いついたところで、ブレットは微笑んで見せながら話を進める。
「あれ、言わなかったっけか? トリトンは義賊のアジトに過ぎなくて、団員はいろんなところから集まったやつだって。正確にはオレもクリアもボスゴドラの団長に拾ってもらったんだけどな」
「私はお父様から少しだけ聞いた事があるわ。入りたい者を拒むような事はせず、なおかつ困っている子供も助けたりするんだって。そう、あなたたちもそうだったのね」
「ブレットはまた要らない事をべらべらと喋るんだから」
「別に隠しておかなきゃいけないわけでもないんだから良いだろ。それに、いずれこいつらと協力する時が来るかもしれないからな。少しくらい身の上を知っておいてもらって損はないだろっ」
「まあ、ブレットが話したいって言うなら勝手にどうぞ。僕の口からは話そうとは思わないだけだからさ」
 あくまでも距離を置こうとするクリアの態度には、ブレットも面白くないようであった。だが、関係に亀裂が入るような齟齬ではなく、むしろこんなやり取りは既に慣れっこのようである。やれやれと言って腰に手を当てながら溜め息を吐くブレットは、さながらわがままな弟に振り回されて手を焼く兄のようであった。凍りかけていた空気をさりげなく溶かすブレットに、アルムもいつしか好意を寄せるようになっていた。
「ブレットさん、良かったらまた会ってお話しましょう! 僕、もっとブレットさんの事を知りたいです」
「ああ、また会えるのを楽しみにしてる。これからの旅は大変だろうけど、不安に負けないように頑張れよ。じゃあなっ!」
「ブレットのやつ、これじゃ僕が悪いやつみたいじゃんか。まあ、次に会った時に何かあったら、助けてあげなくもないけどさ。せいぜい厄介事に巻き込まれないように気をつけて」
 冷たく突き放す態度で振舞う時もありながら、クリアも最後にはアルム達の旅路を気遣う素振りを見せる。あまり見せないようにする穏やかな表情を一瞬だけ垣間見て、アルムもクリアに対する印象を改めるきっかけとなった。そそくさと背を向けるクリアに笑顔を送りつつ、朝ぼらけの光が指す方角に顔を向ける。眩しい光に目を覆いたくなるのを堪え、目に映った複数の影にアルムは思わず笑みを零す。そこですかさずツボツボがトリを務めるべく、喉をわざとらしく唸らせる。
「じゃあ最後にワシから。きっと苦労の先には素晴らしいものが見つかるはずだ。それが見つかるかはお前さんら次第だからこそ、これからの旅の健闘を祈っておるぞい」

 山の端から顔を覗かせる朝焼けは、真っ暗だった大地に少しずつ鮮やかな彩りを取り戻させ、一日の始まりを告げる滾るような美しさを一行に見せつける。全てが淀んだ闇に埋もれていた影も、眩い光の束に照らされて個々の存在を強調するように現れていく。程よい涼しさと太陽の暖かさの同居する旅立ちにはうってつけの天気で、気分も晴れた事で一層清々しく感じる朝だった。和やかな朝の光は身も心も始動の活力を与えてくれる。
 アルム達は町外れの滝の裏の道を通り抜け、クリアとブレットは別ルートから山を越えていく。そうして別れて行く道は違えど、いつかまた交わる時が来るはず。胸の内で淡い期待を抱きながら、新たに育まれた絆と強固になった絆の二つを確かに実感する。何が待ち受けていようと、今のアルムに怖いものなどなかった。心強い仲間の存在をしっかりと心に焼き付けて、軽やかな足取りでひたむきにサンクチュアリへの一歩を踏み出していくのであった――。



「それで、これで良かったのかね」
「ええ、いずれは彼らに伝えなければならない真実なもので。今みたいに落ち着いた時くらいしか語る事が出来ませんからね。かく言う私も、つい最近遭った襲撃やその際に伝聞した情報で危機感を覚えて、ここに急ぎやって来た次第ですから。迷惑をかけましたわね」
「突然やって来たかと思えば、ジラーチを連れた一行に昔話を語ってくれなどと言われて、さすがに驚いたぞい。まあ、それだけ事が深刻だという事なのだろうがね。詳しく聞かせてもらおうではないか、“草の精霊”様」
「もちろんですわ、ヴィノータウンの語りべさん」
 朝靄に反射して煌々と輝く赤い陽光に照らされる町。住人を失った空の建物の一角にある一際漆黒の色が濃い影の中。別れを告げた旅人達の姿が見えなくなったところで、ツボツボは新たな相手との語りを密かに始めるのであった。

コメット ( 2013/12/09(月) 00:20 )