幕間二 フルスターリのヒミツ、星の運命〜月影の孤島での邂逅〜
空の境界と決して交わる事を許さない、果てしない地平線が広がる雄大な蒼海の中に、広大な大地からは孤立して一つの島が浮かんでいる。トリトンという義賊が所有している砦近くの沿岸からは、視界を遮る物がない時でも微かにしかその全貌を拝めない。周辺のポケモンにどんな島かと尋ねれば、十人が十人口を揃えて“巫女”の統治する場所だと答えが返ってくる。雰囲気も去ることながら滞在している存在に畏怖を抱く者さえおり、滅多な事では立ち寄る者もいない。そんな神秘的な土地と噂されている島の名は、月の力が宿っていると言い伝えられている事から月影の孤島と言う名を授かっている。
「さて、“巫女”はどこにいるんでしょうか」
白くて細やかな砂の敷き詰められた柔らかい浜辺に降り立ち、他の種族が持ち得ない細長い足で茂みへと大股で踏み込む一つの影があった。体色と言う観点から言う身なりだけで言えば、この島の環境とは絶妙に調和している。仇を為す鋭利な小枝を両腕に備える緑色のトンファー状の刃で退け、勇猛な雰囲気を漂わせている長身のポケモン――“エルレイド”は、“巫女”のいる場所へと着実に進んでいく。
難無く雑草を掻き分けて辿り着いた先には、その草に覆われた大地が淡い光に包まれている区域があった。中央にはこの島には存在しないような大きな石を積み重ねて築いた
社があり、その建物に背を向けるようにして草原に座り込む一人のポケモンの姿があった。エルレイドと体の部分別の色は極めて似通っており、鋭い刃を持たぬ腕はか細く、こちらはすらりと伸びる足がない代わりに足元がスカート状になっている。その可憐な容姿と艶めかしい雰囲気と全身から放つ正体はサーナイトと言う種族のポケモンで、まさにエルレイドが捜している巫女本人である。
「スパーダ、よく来てくれましたね」
「“姉上”、私に用とは何ですか? 随分と急を要するようですが」
高身長の訪問者から声をかけるよりも先に、気配を察知していたしとやかな居住者の方から呼びかけられる。エルレイド――スパーダは大股で眼前まで歩み寄っていき、膝を着いてサーナイトと視線を合わせる。巫女と言う名前が指すところは主として神聖なる身分であり、目の前にいる彼女はその名に違わぬ相応の澄んだオーラを発している。しかし、スパーダにとってはそれ以上に目立つ事があった。元から見せる彼女の穏やかな顔容の裏には、付き合いの長い者にしか分かりえない真剣な色が窺える。
「しかし、まさかフルスターリが繋がっていて、交信出来るとは思いませんでした。ヤードさんから呼び出しがあった時は、姉上からとは想像してませんでしたから」
「ええ、フルスターリはそれぞれが繋がってますからね。私も以前は気づきませんでしたが、最近になって、私達エスパータイプが使えるテレパシーの効果範囲を広げる事が可能だという事がわかったのです。フルスターリ同士が強く結び付くと、個々の発揮する力も上がるようですしね。全く以って特殊で不思議なものです」
フルスターリ――それはサーナイトのいるこの月影の孤島とスパーダのいるにラデューシティに共通して存在する、神聖な力を秘めた不思議な水晶である。他にもいくつかの地点で発見・発掘されているが、その力を上手く操れる者はこの世界中を捜しても少ないという。それを今回巫女たるサーナイトが新たな活用法を発見したついでに、力を利用して同じ物がある町に住むスパーダと交信を取ったというのが事の顛末らしい。無論実験の成功の有無を確かめるためだけに彼を呼び出したのではなく、それ以上に重要で明確な目的があっての事であった。
「それで、本題なのですが。先日の事になりますが、この星の特定の地点にて時空に乱れが生じました。恐らくは、精霊達が危機を察して“何者か”を召喚したのでしょうね。かつての乱世の時のように」
「記録には残されていませんが、言い伝えには残されている『星の調和が乱れし時、まだ見ぬ世界より現れる者あり』という下りでしょうか?」
「ええ、確かにそれです。でも実際のところ、この出来事が起きた事自体はさほど重要視しなくても良いのですけどね。問題なのは、それが必要な事態に陥ったという事です」
現状で何が起こったのかを知る術は未だないが、言葉ひとつひとつの重みからも深刻さは充分に伝わってきた。少ない会話でも気を揉んでいたらしく、サーナイトが言葉を切って立ち上がった時にはスパーダも深く息を吐き出す。当のサーナイトは隠れて微笑を湛えつつスパーダに背を向けると、
社に視線を移してゆっくりと歩み寄っていく。スパーダも黙って様子を見守る中で、サーナイトは細い腕を伸ばし、すぐに引っ込めるという動作を見せた。エスパータイプの為せる技だろうか。はたまたこの地に取り巻く神秘的な力が作用しているのだろうか。どちらにしろ結果として、意思を持つ鳥のように、奥から一冊の書物がサーナイトの腕に吸い込まれるようにして飛んできた。
「この本には、かつて同じような事が起きたと記されています。記録によると、時空の乱れから生じた影響の規模は、星全体に及んだとなっています。しかし、史書であるはずのこの本にも、一連の出来事に関する詳細は綴られていません。何者かの意図によって、残されないように闇に葬られた歴史とでも言うのでしょうか」
サーナイトは古ぼけた分厚い本のページを何枚か
捲り、スパーダの目の前に差し出した。細かい文字による該当する記述こそ存在するものの、あるページの途中から完全な白紙となっていて、終末がどうなったかについて詳細は語られていない。サーナイトも改めて一通り目を通し終えると、静かに本を閉じて社の中へと引っ込めた。天に浮かぶ朧月を仰ぎ見て、スパーダの方に視線を戻す。物憂げでも冴えない顔つきでもなく、サーナイトの瞳には光明が宿っているようであった。
「ただし、推測は出来ます。どうして別の時空が私達の住む世界に干渉しているのか、といった事くらいはですが。それは、時空を司る力が元の時空を乱したといったところでしょうか。“この星”以外にもポケモンが住む場所がある可能性が存在する以上、何が起こっても不思議ではありません。どうやらこの星には、まだまだ謎が多く残されているようですね。私達が知らない過去も、ね。少しずつ紐解いていけば、頻発している出来事の詳細を把握するのにきっと役に立つでしょう」
「なるほど。未来でない過去の事実を含めて、姉上の力でも全ての事柄を見通せるわけではないからこそ、こうして自由に動ける私を呼んだのですね。それで、私への指令と言うのは何でしょうか?」
時空に関する知識に長けているわけでもなく、あくまでも推測の域を出ない以上は、サーナイトの声にも自信は含蓄されていないようだった。ある程度の予想は付いていたが、スパーダは先走らないように敢えてサーナイトに尋ねる。膝を折って頭を垂れて指示を待つその風貌は、さながら種族柄の体格も相まって高貴な騎士のようである。
「ふふっ、懐かしいですね。騎士ごっこですか」
「そうです。昔も姉上が女王役になってやりましたよね」
血族ならではの思い出に浸って懐古しながら、思わず笑みを零したのもほんの一時の事で、二人はすぐに元の真剣な顔に戻った。血の繋がった関係から、巫女と騎士と言う関係に引き戻される。心地良かったはずの静けさが緊張という面で幅を利かせ始める。島全体を取り囲む得も言われぬ沈黙に徐々に支配されていく中で、サーナイトの言霊がそれを破った。
「スパーダ、あなたには極秘で方々に動いてもらいます。まずは手始めに、そこにいる二人をある場所へと導いてもらいたいのです」
サーナイトが手を伸ばした合図と共に、茂みに身を潜めていた者達が月影の元へと現れた。水色の体毛に覆われて体から微かに冷気を放っているグレイシアと、むず痒そうに首周りの浮き袋を掻いているイタチポケモンのブイゼルは、待ちくたびれたかのように揃って欠伸をする。エルレイドを一瞥して認識だけすると、サーナイトに促された場所に腰を下ろす。
「クリアにブレット。あなた達には一つ、トリトンの事も含めて真実と向かい合ってもらう必要があります。そこで、ここからは遠くに位置する、とある土地を訪れるのです。真実を知る者との巡り合わせがあるでしょう」
場所と曖昧な情報のみを与えられる意味深な指示に、クリアとブレットは一瞬戸惑いの様子を見せる。しかし、拒む理由もなければ、直感的に行かなければならないとも思っていた。何より今まで信頼してきた、不思議な力を持つ巫女の言葉なら尚更だった。今の自分達には失うものはない。取り戻すべきものはある。そのために前進することに恐怖や躊躇などなかった。互いに顔を見合わせて、共に英断へと進む心持ちを確認し合った。
「分かった。ただ一つ、気になる事があるんだ」
「何ですか?」
「巫女様、それはオレ達にとっては嬉しくない事実なんだろ? わざわざ赴いて知る必要があるのか?」
「ええ、あなた達にはその義務があります。事態はあなた達だけのものではなくなり始めているのですから」
求心力を持たせるための偽りの微笑がサーナイトの仮面から消失しており、柔和な装いのない、謹厳な形相が顕わになっていた。豹変と言っても過言ではない彼女の風体の変わりように、冷静さが取柄のクリアもいつになく怪訝そうな表情だった。聖なる枠にある巫女としてではなく、体裁を繕わない一人のサーナイトとしての本来の姿なのか。或いは全てひっくるめて迫真の演技なのか。いずれにせよ明瞭さに欠ける訴えには首を傾げてしまうが、鬼気迫るものがあって物申す気もすっかり失せていた。
「僕にはさっきの星がどうこうとかは一切分からない。だけど、巫女様にそんな真剣な顔で言われたら、断る物も断れないよ。僕も自分の目と耳で真実を確かめたいから」
確固たる意思の篭もった、淀みのない本心からの宣言だった。クリアの
眼からは一切の曇りが払われている。常に行動を共にしているからこそ分かる覚悟の強さもクリアの言葉の端々から滲み出ており、既に心構えが出来ていたブレットも破顔一笑してクリアを見据える。
「お前は信じて良いと思ってるんだな、巫女様のこと。もちろん妄信じゃなくてだぞ?」
「思ってる。だって、今までもそうしてきたから。それに、ブレットが行きたいと言うなら止めもしない。僕は最初からブレットに従うつもりだ」
「そこにお前の意志はあるのか?」
「ある。ブレットや巫女様を信じるってのが僕の意志。それに実直になるだけの話なんだから」
元よりブレットはクリアの意志の有無に疑問など抱いていなかった。あくまでも自分達の目的と互いの強い意志を示し合う為の形式的な確認に過ぎず、わざわざ問いただした事さえにもおこがましさを感じている程である。それだけクリアとブレットは強く協同して動いており、トリトンの仲間がいなくなってから以後は特に以心伝心と言っても間違いではない。そんな二人の関係の深さを考慮した上で、サーナイトも彼らを呼びつけて導いていたのである。半ば試すような態度でいた事も人が悪いからではなく、次のステップへと向かう土台をより強固なものにするのが狙いだったのである。思い通りに行っても満足げにはせず、サーナイトはまだ平静のままで二人に歩み寄る。
「どうやら決意は固まったようですね。その足で向かうのには時間が掛かるでしょうから、ここにいるスパーダの“テレポート”で飛んでもらいます。――最後にもう一度だけ確認しますが、本当によろしいのですね?」
「何度も言わせんなって。オレ達だって前に進むって決めたんだ。例え何が待ち受けていようとな」
意気揚々と言い放ったブレットを前にして、サーナイトにもようやく柔和な笑みが戻る。その暖かさは旅立つ我が子を見送る母親が見せるそれに近いものがあった。しかし、まさに出発しようとしている彼らに対しては、心配する母親はもはやお役ご免であった。
「では、これからのあなた達の旅に幸多からん事を」
超能力による空間移動に伴う副作用か、効果が及んで島からの離脱する前に、一同の間を一陣の風が吹きぬける。それは決して春風のように暖かく後押しする類のものではなく、むしろ後ろ髪を引かれるような湿気交じりの潮風であった。もうしばらくここには戻ってこないのか――一瞬だけその事が脳裏を過ぎるが、決心を固めた二人には未練を断ち切るなど容易であった。
「朗報を期待していてくれよな!」
「必ず巫女様にも笑顔になってもらうから」
歯がゆささえ覚える自らの使命――先の時間軸の事柄を予見するだけで、直接は干渉しない巫女という立場にサーナイトは長年立っている。そんな彼女が抱える不安さえも晴らそうと、胸を張って漸進しようとしているクリアとブレットを視界に収めると、忘れかけていた仮面の下の素顔が息を吹き返しかけていた。明暗問わず未来しか見ていなかった自分が、希望を見ようとしているのだろうか。そして、その望んだ先に待ち構える結果が正しいものなのかは分からない。ただ、現実と未来ばかりを見ていて、それよりもっと大事な種や光を見落としていたのだと、彼らを通して自分自身を鑑みる事となった。浅はかな行為だとは自覚しつつも、胸の内に宿った暖かさを押さえ切れなかった。同時に、未来を見る度に募っていく黒い闇も、拭い去ってくれるような気さえしている。単なる傍観者の立場から変わろうとしていた事に、サーナイト自身も複雑な感情が芽生えさせながら、雄志を抱く者達を静かに見送るのであった。