エトワール・フィランテ〜星降りの夜の導かれし出逢い〜


















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幕間〜月影の下に動き出す者達〜
幕間一 集う暗躍者、交わされる密談〜紫電一閃、地に落ちたる雷〜
 墨色に染まった雲が広大なはずの天にぎゅうぎゅうに押し込められ、結果として辺りは昼の訪れない地帯と化していた。黒雲の中を機嫌の悪い青白い稲妻が迸り、僅かに広がる隙間から鈍い光をちらつかせる。一見縫い目のなさそうな雲に(ほつ)れのような穴があれば、その入り口を通って地上に空間を引き裂くような雷光が叩き付けられて行く。閃光が走る度に絶え間なく降り続ける雨粒が色を宿すが、すぐに漆黒に同化して地面を濡らし続ける。
 普段は穏やかな表情を見せる大空も、きまぐれで大地に牙を向いて咆える事もある。その間生物達は逆らう事無く身を潜め、神の怒りによる脅威が過ぎ去るのを待つ。いずれは元の平穏が訪れ、暖かな光と鮮やかな色で溢れるものである。だが、この地域は常に激しい雷雨に晒されており、昼夜の区別が付かない程に闇に近いと言っても過言ではない。正式な地名ではないが、この辺が“漆黒の丘”と呼ばれるのも空が泣き続けているのが所以である。
 雷鳴が轟く度に影絵のようにシルエットとして浮かび上がる中に、切り立った崖の近くの一つの居城があった。辺鄙な地にあって誰かに攻められるようなわけでもないその城は、高い外堀で囲まれ、一種の要塞のような体を成している。その周辺を住処としているポケモン達も気味悪がって近づく事は無く、未知の建物がそびえていると噂されている。
「相変わらずじめじめして居心地のわりぃところだな」
 内部は足元も見えづらく視界もすこぶる悪い。その暗がりの中を何とか二階部分まで足を運び、愚痴を零す者がいた。半ばいらいらしながら薄闇の中で手を伸ばし、その先から赤々とした炎を吹き出す。広げた掌の中に圧縮して留めたところで、壁に掛けられた松明に向けて放って明かりを灯す。燈火を得た周囲がぼんやりと照らされ、闇に溶け込んでいた姿も顕わになった。背中まで伸びるベージュ色の毛を振り払うと、外から伴って来たのであろう水滴が飛び散る。体内に高熱を宿していようと、飾りに近い毛にはその熱は通っていないらしい。再度炎を吹き出して億劫そうに乾かし終えると、額のV字のとさかを軽く整える。
「水を払う場所を考えぬか」
 バシャーモが盛大に雨粒を振り撒いたところで、部屋の隅に留まっていた者が光の届く範囲へとやって来た。記号的な太陽の形をした体を回転させて、身に降り懸かった水滴を弾き飛ばす。回った事で特殊な力を秘めた岩の体が一瞬発光し、部屋全体が閃光に包まれる。その際にはバシャーモの点けた照明では映し出されなかった複数の影も浮かび上がった。ソルロックの他にも壁に寄り掛かったり座り込んだりしている者がいたが、来訪者による点灯式によって一斉に活動を再開する。
「で、何でこんな暗いところで黙って硬直してんだ。気が滅入っちまいそうだ」
「生憎おれっちは暗闇が好きなもんでねえ。声さえ聞こえれば問題はないだろうと思っていただけだ」
 真っ白な歯と見つめると吸い込まれそうな赤い光を宿す目が、平面であるバシャーモの影の中から立体的に生え出て来た。不気味な笑い声を上げながら影から抜け出すと、紫色の体をした幽霊――ゲンガーは明かりから遠ざかって壁にもたれ掛かる。その脇には目が宝石になっているゲンガーと同じ体色をした者が控えていた。窓際にいたコロトックもゴーストタイプの二人組には不快そうな表情を覗かせる。
「なあ、こんなしけたところにわざわざ召集をかけられた意味は何なんだ?」
「さあて。おれっち達に見えないところからこそこそと指示を出してたやつの姿が拝めるってものだねぇ。この顔触れを束ねる誰か、が」
 一堂に会した者達にも面識はあれど、勢揃いする機会はなかったらしい。だが、その事実はさして重要ではない。彼らとしても最も気に掛かっているのは、集うように指示された理由と指示した者の正体である。該当する怪しい者がいないか十個の目で舐め回すように周囲を調べるが、この場にいる者の他に誰も気配がなかった。暗さも相まって重い沈黙に支配されて音が固着され、ただ雨粒が終始窓を叩く音が響くだけとなる。

 大した退屈凌ぎもなく、手持ち無沙汰のまま方々に視線を飛ばしている隙を突くかの如く、青い雷火が一閃、地に突き刺さった。部屋中を包み込む稲光の余波に一同の視界も否応なく飲み込まれる。一瞬の後に光の束縛から解放された時、それまでなかったはずの影が一筋伸びていた。松明も既に燃え尽きて明かりの役割を終えており、空間は彼らが訪れる前と同じく黒く塗り潰されていく。
「必要な面々は揃っているようだな」
 闇さえも吹き飛ばすような、威圧感のある低い声が部屋の中央から広がった。予期せぬ侵入者に手練(てだれ)の者達が怯えたように反応を示す。銘々に一歩後退して迎撃に向けた体勢を整える。その刹那に、機を見計らったかのように霹靂が空気を震わせた。瞬間的な光で姿を捉えた一同は、攻撃に備えた構えを解いてその場に立ち竦む。
「お前達、私に敵意を向ける気か?」
 満を持して現れた不気味な“影”は、感情の篭もっていない極めて平坦な声を放つ。室内は水を打ったようになり、殺気を放っていた集合者達も萎縮して固唾を呑む。たじろいで身振りを止めたゲンガー達をよそに、唐突に姿を見せたポケモンは悠々と宙を舞ってみせた。音も立てず着地を決めた“そいつ”は、くるりと振り返ってやや高い位置から他の者を見下ろす。誤って抱いた敵対心をかなぐり捨てた彼らの取った行動は、従順な意思を示す事だった。
「我らが主たる者に対して攻撃的に構えた事は謝らせていただきたい。ところで、この度は一体どういう了見か聞かせてもらいたいものだ」
「機は熟してきた、と言っておこう。例のジラーチの目覚めもそろそろ良い頃に来た。いずれは我々の役に立てるくらいになるだろう」
「その為に今までストーカー紛いの事をして監視してきたってわけか。何とも趣味の悪いこった」
「口を慎め。誰の前だと思っているのだ」
 バシャーモが首領たる相手の意にそぐわない旨を口にした事で、一気に場の緊張度が高まる。ゲンガーが躍り出てすかさずその口を噤ませる。だが、相手の方は不快感を顕わにせず、むしろその反応を楽しんでいるかのようだった。定位置に留まる事無く闇に蠢いていた影が、黒闇にあってもはっきり判別できるほどに大きく揺らめいた。
「構わん。元より資金調達や仲間の“勧誘”などと並行していたに過ぎないのだからな。行く先々で何かしら接触を持ってもらったのは、一部は偶然ではないのだ」
「寛大さに感謝ですな。余所者のバシャーモはやはり礼儀を知らぬようで。そして、計画も順調のようで何より」
 さもお見通しだったかのような口ぶりを交えながら、謎の影は乾いた笑い声を漏らす。暗然たる雰囲気に似つかわしくない高らかなそれではなく、闇に自然と溶け込んでいくような重みのあるものだった。媚びるようなゲンガーの振る舞いなど特にお構い無しのようであり、横柄な態度を取るバシャーモにも深く干渉することはない。
「お前に言われる筋合いはねえよ。……だったらよ、どうしてさっさと捕らえねえんだ? キルリアの奴が失敗したのは邪魔が入ったからだとして、最初から俺達のところに引きずり込んでおけば、手間も省けるだろうよ」
「我らの手の内に入れるのは、やろうと思えばいつでも出来る。だが、恐らく私達の下ではジラーチは“成長”はしないのだよ。選ばれた者との交流によって、ゼロだったジラーチもさまざまな事を吸収していくのだから、な」
 事情を知らないバシャーモは、ただ頷いて納得したふりをするしかなかった。無闇に深入りするのは、この場では賢い選択ではないと直感して口を噤む。口を挟んだところで口答えするなと引き止められるのは目に見えていた。しかし、それ以上に全てを見透かされているような気がして空恐ろしくなったのである。
「どうしてそんなに余裕なのですか? もしかして秘策があるとか、ですかねえ」
「お前には関係ない。首を出さずに引っ込んでいろ」
 計画が着々と進行中とは言え、詳細を明かされないのでは不安も膨らむものである。この場では最も好奇心のあるゲンガーのタスマが、全員の代表として漠然とした疑問を、言葉として体現する役を買って出る。だが、それもあえなく一蹴されてしまっては、ゲンガーのタスマとて立ち位置を失ってしまう。不気味な笑みが消え、一同の間に再び緊張の糸が張り巡らされる。もしや完璧な計画か、それか先見の明でもあるのだろうか――いくら腑に落ちなくとも、そんな想像に近い思索を巡らす事しか出来なかった。
「ともあれ、果たして奴らがどう足掻いてくるのか。ジラーチの開眼に期待しながら、それを楽しむのも一興やもしれん」
 淡々と言葉を発している口元こそ窺えないが、悦に入って怪しい含み笑いをしている事は、微かに聞こえてくる息遣いからしても明白だった。何よりも最も語気が強くなった、“楽しむ”という言葉そのものには言外に込められた狂気さえ抱いてしまうほどである。物申すことさえ許されないような気がして、滞りつつあった空気が一層ぴんと張り詰める。
「ところで、我々はこれからどうすればよろしいのでしょうか?」
「キルリアの報告次第だ。結果を聞いてから追って指示しよう。それまでは自由にしても構わない。ただし、単独行動はなるべく避けてもらおうか。要らぬ襲撃を企てるといった余計な事は特に、な」
 自由を与える旨にも関わらず、否応なく圧力めいたものがバシャーモ達にのしかかって来る。その声が伝えようとしている事を単刀直入に表すならば、独断で動くなと言ったところである。言わば自由の中にある不自由。籠の中の鳥に、籠の中で自由に羽ばたけと言っているのに等しい。あくまでもここで示す自由は、次の指示まで待機していろというものである。そんな形骸に近い命令を受けた全員が返答にあぐねる中で、命令主は彼らの反応を待たずして、さらなる宣告を間髪入れずに繰り出す。
「それで、今回の召集の目的は一体……」
「覚悟がいかほどのものか確かめに来たのと、“ある者”を連れて来るのが一応の目的だ。ゆめゆめ忘れるな。我らは故郷に帰るために動いているのだ。故郷を追い出された復讐も兼ねて、な――」
 激しい律動で続いていた雨の演奏が、俄かにして滞った。謎の影の到来と共に鳴り響いた迅雷が、三度おぞましい咆哮を上げて闇を切り裂く。どすの利いた声に凄んでいたバシャーモ達も、畳み掛けるような脅威の連続には身を固めてしまう。目も開けていられない程の眩い閃光が止んだ後には、既に怪しき者の影も形もなくなっていた。言いようのない不気味さと、僅かな雷鳴の余韻と、粘着するような圧迫感が残る、居心地の悪い空間と化していた。
「登場の仕方と言い、何を考えているのか分からない言動と言い、何とも薄気味悪いが、あの威圧はたまらないな」
「お前もあの方に消されたくなかったらせいぜい必死になって動くことだねえ。のうのうと帰ってきた腰抜けと思われないためにもな。キルリアが上手く事を進めていれば、用済みの者も増えてくるかもしれないからねえ」
「それは俺が用済みだって事を言いたいのか? 何ならここでそうじゃない事を証明してやっても良いんだぞ」
 嫌味な煽り文句に対して我慢の限界に達したようで、ここに来て大きな軋轢が生じた。バシャーモが過剰に怒りを燃え滾らせた事で、両者は口火を切ったように臨戦体勢に入る。部屋の半分はバシャーモの両腕で燃え立っている炎で赤く照らされ、もう半分はゲンガーの掌で形成された紫がかった黒球によって禍々しい色に染まる。口論が発展して一触即発の事態に際しても、他の面々は微塵も動じる事無く佇んでいた。ただ一人の例外を除いては。
「くだらない真似は止めろ」
 今まで身動きもせず沈黙を貫いていた存在が、高密度のエネルギーが渦巻く二人の間に強引に飛び込んだ。だが、ゲンガーもバシャーモも邪魔立てが入っただけでは気が収まらず、力を押し留める事無く中央の仲間ごと吹き飛ばしてやろうという算段だった。エネルギーが惜しみなく篭められた、“かえんほうしゃ”と“シャドーボール”にまで昇華されたわざを解き放つ。挟み撃ちとなった中心のポケモンは、迫り来る攻撃の方に冷静に手を向ける。直撃するか否かのところで、両手から光球が放たれる。それを起点として肉薄してくるのと同一の技が生まれた。真っ赤な火炎は同じ規模の火炎と、漆黒の霊球はそっくり同じ形の黒球によって相殺される。場を取り巻いていたエネルギー体が一掃された事で、いがみ合っていた二人も頭を冷やして怒りを収めた。
「こんなところで争ってる場合じゃないだろう。そんな元気があるなら、ちょっと付き合ってくれないか」
「悪かったよ。お詫びってのも変だが、別に付いていくのはいいぜ。だけど、その前に目的地と名前を教えてくれ」
「おれの名前は“レイズ”って言うんだ。行き先はグロームタウンってわけだから、今後ともよろしく」
 小柄な体であっさりと騒動を鎮圧したその者は、無傷のままバシャーモにゆっくりとした足取りで歩み寄り、見上げるようにして笑顔を振り撒く。暗がりと重苦しい空気の中にあって、一段と映えるそれは、バシャーモとしても一種の畏怖のような感情を抱かざるを得なかった。この場における光明と言えるほど底抜けに明るいものではないが、愛らしい種族柄の顔立ちを以ってしても隠せない“裏側”が表情には浮き彫りになっている。異彩を放って“レイズ”と名乗るその正体は、赤く長い耳と十字型の尻尾を持つ小柄なポケモン――プラスルであった。

コメット ( 2013/09/01(日) 00:51 )