第八十五話 騒動の幕切れとお咎め〜さよならグラスレイノ、目指せサンクチュアリ〜
アルム達が訪れている間中立ち込めていた暗雲は、今や綺麗さっぱり形を潜めており、代わりに国中に仄かな暖かさが齎されていた。天が開けて光に満ちていくと共に、身を隠していた国民たるポケモン達も姿を現し始め、閑散としていた町の中に少しずつ活気が戻ってくる。
黒幕らしきキルリアとメガヤンマを取り逃がしてしまったとは言え、混乱の大元が去った事で城も少しずつ落ち着きを取り戻していた。城内の兵士達も幻覚によって錯乱させられていたようだが、キルリアが城から離れた事で洗脳が解け、後遺症も特に残らず普段通りに動いていた。残っていないのは記憶も同じくであったが、真実を伝えたところで士気を下げるだけのは目に見えていたため、オルカや三闘士達の心の中にしまっておくことにする。
大きな戦闘を無事に終えて一息吐いていたアルム達は、功績を称えられて勲章を授与する――などと大それた事は無いにしろ、その後国王であるリョートから直々に謝辞を伝えられた。かつてはセトに謁見した事のあるアルム達とて、未だに国王に対面する事は慣れないらしく、シオンも久しぶりと言う事もあって緊張気味であった。何故か並行してオルカへのお咎めも行われ、離れて聴いているアルム達としても居たたまれなかった。しかし、オルカもリョートもどこか清々しい表情をしているのは違和感を抱かざるを得なかった。
「それでオルカ、お前はこれからどうするつもりだ? 今回の事件の責任は重いぞ」
多額の税の徴収が元は自分のためとは言え、やってきた事は決して褒められたものではない。暴挙と罵られようと、行ってきた事実に変わりはない以上は、その責任を全て受け入れざるを得ない。迷惑を掛けたのは自国民だけならず、外からの訪問者にまでも巻き込んだとあっては、王子として恥であるとのお叱りも受けた。ただし、リョートの叱責はただの怒り任せに拠るものではなく、オルカの方も黙って聞き入れているだけではなかった。
「今まで間違った方向に導いてきた償いは、これからの誠心誠意の行動で何とかしてみせます。そして、失った国民の信用を取り戻せるように努力します。もっとこの国について学んで、必ずや今以上に良くしていけるように尽力していくつもりです」
オルカはそれまでの数々の非礼を詫びた上で、体格の大きい王の面前で正面から目を合わせる。そこにあるのは決まりの悪そうな顔でも冴えない顔でもない。口先だけでない固い決意を胸に抱いて、空と同じ晴れやかな色を浮かべた雄々しい姿だった。その凛然とした子の眼に国の未来が垣間見えたリョートは、待ち受けているのは並大抵の苦労ではないと諭しつつも、最後にはいつかはこの国を纏めて背負って立つ存在だと賞賛の言葉を送るに至った。
国王からの諌めが終わったところで、アルム達は促されるがままに大広間へと通された。城の中央部にあって雪に晒される事は無く、壁にはいくつもの美しい絵画が並べられている。ステノポロスのような豪華さはないが、白灰色を基調とした壁面に複雑な模様が刻まれており、独特の荘厳さを兼ね備えている。終始見惚れるばかりの一行であったが、ほぼ貸しきり状態だと聞くと余計に舞い上がった。今回のお礼も兼ねて食事をご馳走してくれるとの事であった。国王は事態の収拾に忙しくて参加できないものの、それ以外の今回の功労者達は一同に集っている。オルカや三闘士はもちろん、アカツキやニョロトノの姿もあり、少人数ながらも気の合う者のみの会食が開かれた。時間を気にせずに楽しめた食事があらかた済んだところで、オルカが席からすっくと立ち上がった。
「シオンはもちろんだが、何の縁もなかった君達にも大変な思いをさせてしまった。本当に申し訳ない。罪滅ぼしといっては何だが、これから何か困った事があれば手助けさせてくれないか」
「そ、そんな。もちろんそれは嬉しいですが、シオンの大切な人だって分かったから、シオンに暗い顔をして欲しくなかったから、僕達も協力したかったんですよ。ね?」
「俺達はアルムとシオンが連れ去られたのをきっかけに力添えしようとしただけだ。そう思っているのはアルムだけだぞ? それはどういう事かな?」
賛同を得ようとしてヴァローの方を向いたはずだが、アルムは自ら思わぬ墓穴を掘って顔を真っ赤にしていく。吐露した思いに偽りは無いにしろ、大勢の前で矢面に立たされた気恥ずかしさから頭を垂れていってしまう。アルムを囲んでいた一同の間に、静かな水面に立ったさざなみのように笑顔と和やかな雰囲気が広がっていく。
しかし、これ以上茶化してはアルムが蒸発しかねないと、オルカが咳払いをして手をアルムの頭に置いた。両耳の間を優しく撫でられて緊張が解けていく。ほてりが冷めて顔を上げると、穏やかな笑みを見せるオルカの顔がいの一番に視界に入った。
「動機はどうであれ、僕を含めて世話になったのは事実だ。改めてありがとう」
王子としての身分や風格などはかなぐり捨て、恩を受けた一人の国民として、オルカは深々と頭を下げた。予想外の行為にアルムも飛び上がりそうになる。だが、その真摯なな思いはアルムの心にも届いていた。顔を上げたところでオルカと目を合わせ、優しく微笑みかける。アルムなりの身の丈に合ったオルカへの隔てない信頼の証であった。堅苦しい儀式めいた挨拶を終えると、オルカも柔和な笑みを覗かせて今度はシオンの元へと歩み寄る。
「すぐにとは行かないだろうが、必ずこの国を立ち直らせてみせる。そして、さっきも宣言した、今まで以上に良い国にするというのを実現させよう。“頼れる仲間”がたくさんいる事だしな。もし、それが叶った暁には――」
(僕と共にこの国を支え、発展を導く礎になって欲しい――なんて事言わないかな? いや、でもシオンは一国の王女だし――でもでもシオンには弟がいるから無理な事じゃないし――)
オルカが約束を誓っている傍で、アルムが一人あれこれと想像を膨らませ始めた。口を真一文字に閉じて声にこそ出さずとも、心臓の鼓動が速まって内心不安で一杯だった。だが、間に割って入って妨害する勇気はこれっぽっちもない。晴れ晴れとした二人の顔を見ていると心に暗雲が広がるが、目を逸らすわけにもいかずぐっと堪える。緊張の一瞬。アルムも思わず身を固めてしまう。
「――またグラスレイノとステノポロスを繋ぐ友好の架け橋になって欲しい。いつか君とは国の将来を見据えた会談なんかも開きたいものだ。今の君は昔の君とは違う。僕の近くにおいて置こうとも、束縛しようとも思わない。今は寄り添うべき別の相手がいるみたいだから、な」
「ええ、もちろんよ。今度はもっと立派になったあなたと会えるのを楽しみにしているからね」
あまりにも拍子抜けで、一気に力が抜けてしまった。決してオルカの事が気に食わないわけでもなければ、ついさっきまで心の中に渦巻いていたもやもやが晴れなかったわけでもない。それなのにどことなく釈然とせず、強いて言うならば自分の立ち位置が分からない事による漠然とした居心地の悪さであった。あれほどオルカの話をされると嫉妬に近い感情に支配されたのに、突然あちらから身を引かれるとぽっかり穴が空いたような気がして気持ち悪い。まだそういった類の感情が未経験だったアルムは、首を傾げながら複雑な気持ちの狭間に取り残されて言葉を呑むしかなかった。
「ところで君達はこの後どこかに向かう予定でもあるのかな? もし無ければ国民にも働きかけて大規模な催し物を開こうと思っているんだが、それに参加していかないかと思って」
「それが、サンクチュアリに向かっている途中で立ち寄ったの。急ぐことはないけど、早く行ってみたいっては思ってるわね」
「そうか。それなら仕方ないな。では」
シオンの元を離れてオルカが向かったのは、パイルの実の剣状の葉を全て爪で切り捨て、中身を器用にくり貫いて頬張っているザングース――アカツキの元だった。それに気づいて爪に付いた果汁を一舐めすると、体も顔も動かさずに視線だけをオルカへと向ける。
「アカツキ、君に命じる。サンクチュアリまでの案内をしてあげなさい。恐らく近道となる村がこの先にあるだろうから、そこから行くと良い」
「何でだよ――と言いたいところだが、どうせおれも特にするべき事はなくなったわけだし。何よりも王子様の命令とあっちゃ逆らえないからな」
オルカ自身が手助けするのかと思えば、まさかの放任と押しつけと来た。そんな突っ込みが一瞬脳裏を過ぎったが、オルカの立場を考えれば至極当然で妥当なものだった。そして悪戯っぽい笑みを浮かべるアカツキを見れば、最後のはふざけて言った事だというのはアルム達にも分かった。難色を示す様子も無く、素直にオルカの指令を受諾した。この辺りの地理に明るくないアルム達にとっては、願ってもない道案内である。
「一応言っておくが、案内はしてやるけど足だけは引っ張るなよ。面倒事はごめんだからな」
「何かこれって……」
「ガートに似た感じの振る舞いだな」
アルムもヴァローも同じ事を感じていたらしく、アカツキには聞こえないようにひそひそとやり取りをする。地獄耳なのかアカツキがすぐさま振り返るが、二人揃って作り笑顔でその場をやり過ごす。お世話になる相手を怒らせるなど持っての外であり、何よりガートのようにいがみ合うような構図だけは避けたかった。アカツキが目を逸らしたのを見計らって顔を見合わせて笑顔が零れる。
次の場所へ向かうと決まれば善は急げ。会食の後片付けは城にいる者に任せる事にして、アルム達は早々に準備を整えて城を後にする。城下町の外まで見送りと言うわけにも行かないため、門の入り口でオルカや三闘士の面々とアルム達が向かい合わせに立つ。
「では、ちょっと子供達の引率に行ってくる。おれが留守の間に何もない事を祈る」
「任せておいて。もう余所者の好き勝手をさせるような真似はしませんわ」
「同じ轍を踏まないように気をつけよう。私もまだまだ未熟だという事を思い知らされたからな」
「そっちこそ気をつけるんだの!」
頭から子供扱いされて不機嫌そうに頬を膨らますアルム。噛み付きはしないがぎろりと鋭い視線を向けるヴァロー。突っかかるのは止めて笑顔でオルカを別れの挨拶を交わすシオン。聞かなかったふりをしてアルムを宥めようとするライズと他一名。そんな面々を脇に従え、アカツキは城に背を向けて歩き出した。
「最後に僕から一つだけ。奴らの目的は僕達であって僕達でなかった。恐らく何か良からぬ事を企んでいるのであろう。これからの旅にはくれぐれも気をつけてな」
オルカが別れ際に最後に告げたのは、旅立ちを後押しするどころか、不安の種を撒くようなものだった。神妙な面持ちからも“奴ら”を懸念してアルム達の行く末を心配している事は想像に難くない。だが、今回の一件でいろんな事を学んだアルム達は、その重圧に押し潰される程弱くもなく、撥ね退けるだけの心構えは既に出来ていた。グラスレイノで出会った者達に精一杯の笑顔を向けたのを最後に、アカツキの先導に従うように雪原を進んでいく。
◇
城から意気揚々と繰り出したまでは良かったが、その進行速度的に順風満帆とは行かなかった。悪意も無く妨害をする犯人は、早く次の目的地に向かおうなどと小難しいことは一切考えてなどいなかった。無論その犯人とは、戦いの勝利の立役者の一人でもあるティルであった。一波乱を乗り越えた城下町を出てから早々に、アルムに飛びついて雪の上に押し倒したのである。
「この悪戯っ子め! 何してんのさっ」
「だってさー、そういえばせっかく見たことない雪があるのにさ、遊ばないなんてもったいないもん!」
危機的な状況を乗り越えた直後であっても、自分の欲求には至って正直だった。雪原からの陽射しの照り返し以上にきらきら眩しい笑顔が解き放たれる。両手で雪を固めて球を作り、アルムに向けてぶつける。ティルのように手のないアルムは、精一杯の反撃で後ろ足で“すなかけ”ならぬ“ゆきかけ”をお見舞いする。屈託のない二人を見守るヴァロー達も、思わず表情を綻ばせていた。
「あそこに加わりたいのか? 行くなら行ってくれば良いじゃないか。シオンもライズもさ」
「いいえ、遠慮しておくわ。何かあの間には割って入れそうにないもの」
「そうだよねえ。何だか羨ましいとは思うけど」
ヴァロー達見守り組は、アルムとティルが無邪気にじゃれ合っているのを見て心に平穏が訪れていた。その三人の中でも特に、混ざりたい気持ちと邪魔したくない遠慮が同居してもどかしさが募っていくライズと、見ているだけでも満足と言った様子のシオンが対照的であった。二人を交互に見て喜とも哀ともつかぬ表情の歪め方をするヴァローに、不意に大きな白球が飛んできた。直撃と同時に固まった雪はばらばらになってヴァローの体を転がり落ちていき、実行犯は愉快そうに笑い転げている。横で不安そうにしていた茶毛の子も、真っ白に化粧を施されたのを見て吹き出すのを禁じ得なかった。
「やったなお前ら! よし決めた。ライズ、遠慮することはないからな。こっちからも行くぞ!」
仕返しをしてやろうと画策したガーディは、持ち前の力で周りの雪を退けながら駆け出す。この国に来て距離が縮まったヴァローとライズ。遠慮することはない――それが何を意味するのかライズにはいまいちぴんとは来なかった。だが、その言葉で魔法をかけられたように不思議と心が軽くなり、暖かくなっていくのを感じた。吐き出しそうになった寂しさをぐっと胸の奥に押し込め、取り残されないようにとヴァローの後を追って走っていく。
「随分とのんびりした旅だな。こんな調子でサンクチュアリに着くのはいつになるやら」
「いつもこのような感じです。あなたは不満があるのですか?」
「いいや、おれはこんなのは嫌いじゃない。どんだけ大人びているのかと思えば、子供らしくて良いんじゃないか」
「寛容的なのですね。以前お会いした似た背格好の方とは違うようで」
アカツキとレイルは距離を置いて五人の様子を静かに観察していた。足を引っ張るなと冷たく接していたアカツキも、暖かい目で一行の事を見据えている。レイルはレイルで輪には入ろうとせずに俯瞰するのみだが、同じ立場にあるアカツキと会話を交わそうと試みているのは今までにない進歩であった。以前の旅仲間を知らぬアカツキは首を傾げるが、目の前に広がるやんちゃな子供達が戯れる光景が視界に飛び込んでくると、胸の中を渦巻き始めた疑問も吹き飛んでいた。
結局ティルから放たれた光が何なのか誰にも分からない。張本人であるティルでさえも何も覚えていないと言う。そしてヴァローから発現した炎の力との因果関係もはっきりしない。だが、今はその謎を追究するのは野暮だと誰もが思っていた。穏やかな蒼穹からの光と共に訪れた平和を噛み締め、次の町に進むための英気を養っている今は――