エトワール・フィランテ〜星降りの夜の導かれし出逢い〜 - 第十章 渓谷にある氷の国の現状〜王子と不審な影〜
第八十三話 アカツキとオルカの清算〜思いの奔流と新たな事実〜
 視界を埋め尽くす光に反射的に目を閉じたかと思えば、気がついたら足元は真っ白な分厚い敷物となっていた。城外に広がる木々の枝には硝子細工のように輝く氷が覆っており、咲き誇る氷花は光のような眩しい白さを放っている。体の芯まで染み透る寒さは依然として残っているが、僅かに降り注ぐ希薄で柔らかな陽射しによってその鋭さも和らいでいる。
 突き刺さる言葉を数々浴びて放心状態になっていたオルカも、外に放り出された事で彷徨っていた心も現実に引き戻された。積もった雪の上に座り込んでぼんやりと景色を眺めていた虚ろな目は光を取り戻す。城の中にいたはずだという事実を思い出すと共に、自分の身に起きた事を察して周囲を見渡す。真後ろを顧みて捜している者は見つかった。純白な雪と同化しそうな程の体毛を持つアカツキは、オルカの本性を垣間見た今でも闘志を滾らせて対峙している。戦う意志の強さを感じ取ると、オルカは涙の跡を拭ってすっくと立ち上がる。
「王子、おれには分からなくなってきた。今まで一体何があったのか。何故あいつをこの国の外に追放したのか。何故突然国民に高い税を強いるようになったのか。巻き上げたお金は何に使われたのか。この際はっきりしてもらおう」
 しかし、その昂然とした構えとは対照的に、アカツキの心は揺れ動いていた。敬意を表して王子と呼んでいる辺りにもそれは窺える。かつての記憶にあった同志の言葉が胸を打ち、オルカが隠していた脆弱さと仲間を思いやる気持ちが本当なのか、真実を知りたい欲求に駆られていた。今でも国の事も城の事も大切に思っているのがひしひしと伝わってくる。
「知りたいのだな。ダスクに関する事実と、今回の騒動について。もし知りたければ、この僕を倒してみるんだ。君が今まで溜め込んできた鬱憤を全てぶつけて。倒せた暁には教えると誓おう」
 アカツキの真摯な思いを真正面から受け取ったオルカには、もはや争う理由などないはず。彼からの申し出が結果的には望ましいものとは言え、本来の姿に戻ったはずの王子と一戦交えるのはアカツキとしても腑に落ちない。だが、オルカの方から突風のごとく飛び掛かってくるのを受けて、アカツキももやもやを抱えたまま雄々しく立って待ち構える。まだ自慢の武器であるホタチは抜かず、透明な水を纏った黒い尻尾を勢い任せに振り回す。足場が不安定な事もあって避けるのは得策ではないと踏んだアカツキは、足を曲げて迎え撃つ姿勢を取る。空中で体を捻って繰り出される“アクアテール”は、遠心力も相まって切れのある重い一撃となるが、アカツキは両の腕で受け止めて振動が体に走った刹那に、別方向へと力を加えて打撃を逸らした。逃げるのには邪魔な積雪が逆に緩衝材の役割を果たして、アカツキが受けた衝撃を上手く逃がしてくれたらしい。思いがけず功を奏した結果ではあるが、全てはアカツキの受け流す技術があってのものだった。
 大きく空振って背中から着地するオルカを見届けつつも、ここは様子見のために一旦距離を取る。その間に両手を突き合わせていたオルカは、自らの意志で自由に練り込める特殊な水の塊を生成していた。反転して起き上がって掌を突き出す。球体となっていた水は、前後に間を置いて連なる円環へと形を変え、アカツキに一直線に飛んでいく。アカツキはこれを横に飛び込んでかわすが、すぐさま二撃目が放たれていた。ここは真っ向から迎え撃つ事を決意するが、水を切り裂く事は難しいのは直感している。だからこそアカツキは、爪の先に渾身の力を篭めた一撃で、次々と迫り来る水の塊を打ち砕き、一振りの下に全てを撥ね退けた。“ブレイククロー”の名を冠する技の通りに水を砕いて見せるが、アカツキにも被害が及ばなかったわけではない。威力のある技を、しかも素手で退けるのには、それなりのリスクが伴う。右腕には技の力のみでは抑えきれなかった衝撃が走って半ば痺れた状態となる。
 状態異常として“まひ”したわけではないが、ダメージを負ったのに変わりはない。その隙を狙ってオルカの方から再度積極的に仕掛ける。選んだ技は先刻と同じだった。宙を舞ったまま体を翻しつつ、先に凝集している水量をさらに増す事により、今度は手前の地面に向かって振り下ろされた。固まっていた雪が衝撃で粉状になって舞い上げられる。地形を巧みに利用した目晦ましの白いベールにアカツキが梃子摺っている間に、オルカは次なる追撃を加える。ここに来て今まで手を掛けなかったホタチを引き抜いた。着地の反動をばねのようにして活かしてアカツキの体を強引に押し倒し、馬乗りになって貝の剣を喉元に突きつけて完全に動きを封じる。
「君の実力なら、彼なしでも充分にやっていけるはずだ。そう思っていたのも僕だけではない。だと言うのに、何故そんなにまで彼に執着するんだ?」
「おれは、おれはッ……! あいつを心の底から慕っていたんだ! 良き先輩で、仲間で、友人だった! 一緒に任務をこなさなくてもいい。ただ同じ時間を共有出来るのが嬉しかったんだ。お前が、お前が追放して引き離しさえしなければ……!」
 本来余計な感情――特に怒りに心を支配されると、どんな戦い慣れしている達人でも攻撃の腕が鈍る事がある。しかし、アカツキにはその法則は当て嵌まらなかった。彼を突き動かす原動力になり、冷静に次の一手を下すためにも役立ってきた。それだけアカツキにとってダスクの存在は偉大だったのである。いかつく疎まれがちな細く黒い瞳には、一滴の輝きが湛えられている。アカツキらしからぬ悲哀に満ちた表情は、思いの深さを訴えるのに充分であった。同時に自身の吐露で再び鞭が打たれて気合が入る。
 オルカの反応が追いつかない速度で両の腕を振り抜き、喉元を捉えていた二枚のホタチを力任せに弾いて、仰け反るオルカの腹部を思い切り蹴り飛ばした。蹴り自体は特別な技ではないが、見事にがら空きの急所を直撃している。背中から落ちて立ち上がるオルカは、急襲による苦痛で顔が歪んでいる。その横目で飛ばされた武器の位置をそれぞれ確認すると、相手に悟られる前に拾おうと素早く動く。しかし、直後にアカツキも妨害に向けて“でんこうせっか”の速度で間合いを詰めていく。
 辛くもアカツキより先に距離を詰めたオルカは、飛び込み前転の後に四肢を踏ん張って向かい来る突進に備える。衝撃で大量の雪が宙を舞った刹那、金属同士がぶつかり合ったような高音が広範囲に渡って鳴り響く。“シェルブレード”と“ブレイククロー”の衝突――軍配が上がったのは、思いの篭った爪による一撃だった。今度はオルカの手に衝撃と痺れが走り、耐え切れなくなってその場に崩れる。
「なあ、やっぱりもうこれで終わりにしねえか。これ以上身内同士で争うのは、ダスクの抱いていた信念に反する。あいつはこんな事望んでいないだろうし、そもそも王子の攻撃が本気には見えなかったからな」
 さっきとは逆の立場になってオルカの四肢を押さえ付けているアカツキの私憤は鎮まっていた。元より互いに相手を打ちのめす気は無かったのである。そして、オルカにはオルカなりの動機があった。買っていた恨みを身を以って受ける事で、自らの愚かさを思い知りたかった。誰かと戦って自分自身にけじめをつけたかった。念願が叶って全てが吹っ切れた事で、オルカの険しかった面持ちが綻んで穏やかさが取り戻される。戦意を喪失したと判断したアカツキは、立ち上がってオルカから離れる。
「本当にすまない……。謝って許してもらえるとは思ってないし、これから償っていかなければならないのも分かっている。僕はあのキルリアの言葉を真に受けて、口車に乗せられていたようだ。父上に戻ってもらいたい一心で、その病を治す高価な薬とやらに全てを賭けた。例え国民からお金を搾取する結果になってしまっても、それが父上――王のためで、国のためでもあるなら仕方ないと思った。しかし、蓋を開けてみればどうだ。気づいた頃には奴に利用されていたってわけだ。何ともみっともない話だろう」
 オルカは自らの正義が崩れた事で、自白するのにも躊躇いを見せていない。むしろしがらみから解放されて晴れ晴れしているようにさえ映る。両手を着いて足を伸ばし、楽な体勢を取っている。傍から見れば気の抜けたものだが、この国では相手の前で最も落ち着いた様子を見せる事が、相手に敬意を払って信頼を寄せている証拠だとされており、それに則ればオルカがそんな姿を曝け出せる相手だという事を暗示している。
「いいや、みっともなくなどない。事情を知らなかったとは言えここまで追い詰めたおれが言えた事ではないが、それでこそ王子だ。おれはそういう王子が好きで仕えていたいと思っていた。他人のためにも自分が嫌われ役を進んで買って出る、そんなところがな」
 今のオルカこそがアカツキの待ち望んでいた姿であり、忠誠を誓えるほどの存在であった。片膝を付いたような姿勢でオルカの前に控えているアカツキは、以前見せていた主従関係を髣髴とさせる。結局のところ、アカツキは心の奥底ではオルカの事を信頼していた。しかし、一時の感情に身を任せている内に怒りに徐々に支配され、いつの間にか攻撃的な行動を取るようになっていた。それもここでようやく落ち着きを見せて元の繋がりを取り戻せそうな地点まで来ているのである。
「だが、国民に黙っていたのは失敗だったな。結果としては騙されていたとしても、国民は喜んで協力してくれただろうに。お陰でおれも勘違いして反抗する側になってしまった。しかし、それも全てはあのキルリアが悪いわけだな」
「あのイーブイの子やシオンに言われてようやく分かったよ。そう、そして、ダスクの国外任務も、ラクルという名のキルリアによって仕組まれていたんだ。彼女にとって僕に最も近い邪魔者を消し去るという目的でね。彼は薄々感づいていながら、それでも僕のために迷わず行ってくれた。ただ、その先で恐らくラクルのシナリオ通りの事が起きて……」
「出来れば詳しく教えてくれ」
 当初の目的がようやく達成されるのを前に、アカツキは一層険しく真面目な顔つきになる。オルカも柔らかい雪に身を沈め、眉を顰めて滔々と語り始めた。
 それはダスクとラクルの間で諍いがあって日が浅いころの事。グラスレイノが管轄する山間のとある村で争いが起こっているとの情報をオルカ達は掴んだ。調査と収束も兼ねて城の者を派遣する事になったのだが、王であるリョートが指名したのはダスクだった。全てが策略の下にある欺瞞ではないとの確証がない以上は、疑わしくはあっても赴かざるを得ない。再三オルカが注意を喚起した上で、ダスクは城の兵士数人を伴って村へと向かった。彼が辿り着いた時には争いこそ終結していたが、機を見計らったかのように崖崩れが起きた。結局原因や詳細は分からなかったが、迫り来る落石から集落や住民達を守る事が出来なかった。その村の唯一の生き残りにエネコがいたらしいが、それも現場の処理に追われている内に見失ってその時は保護出来なかったと報告があった。
「それで、その後はどうなったんだ?」
「彼には一切ないはずの責任を取る形でここを出て行くと僕に告げてきたよ。ここにいたら僕に迷惑をかけるかもしれない、なんて言ってね。僕は必死に止めようとしたけど、沽券に関わるからって事で強引に止められた。その上、僕から直接国外追放の命を出すようにってお願いされたんだ。最後の願いと言う事で、もう一つも加えてね」
 それまでの神妙な面持ちから打って変わって、オルカはこの上なく柔和な色を覗かせる。先までの威風堂々たる姿や弱腰の態度とも違う、オルカ本来の心がそのままに表れた慈愛に満ちた顔である。変貌ぶりにアカツキも安堵と不安の同居した複雑な感情が胸に湧いてくるが、そこは相手の事を信頼して口を噤む事にする。
「『もしかしたら、アカツキが復讐心を募らせて王子に反抗するかもしれない。その結果はどうあれ、非情にもなれて実力を磨きもするだろう。だから、王子には申し訳ないとは思うが、最後の我儘だ。どうか大きな心で受け止めてくれないか。あいつが俺から離れて独り立ちして、この国を支える立派な柱になって欲しいと望んでいる』ってね。最後まで君の事を心配していたよ」
「何だよ、あいつ。おれの事を子供扱いしていたのか。自分が身を退くついでにわざと引き離すような事までして、ほんとつくづく馬鹿な先輩だった……。まったく、世話焼きで、実はお人よしで、誰よりもこの国に忠誠を誓っていたんだな……」
 怒りも憎しみも悲しみもアカツキの心の中から浄化されていった。残ったのは霧が晴れたような清々しさと開放感だった。ダスクの厚情やオルカの心中に触れられたアカツキは、厚い壁となっていた負の感情が氷解した事により、心の底から笑う事が出来た。ぎこちなさが残って苦笑に近いものとなっているが、憑き物が落ちたように穏やかに見える。笑顔が見られた事で、オルカも満面に喜色を湛えて次なる言葉を紡ぎだす。
「もっと早く話していれば良かったのかも知れないが、僕もダスクの意志を汲みたかったんだ。そこは許して欲しい」
「許すも何も、そうじゃなければダスクが浮かばれないからな。おかげでおれはもう王子を恨むことはなくなった」
「そうか、そう言ってもらえると僕も気が楽になる。ところで、もう一つ伝え忘れていたんだが、ダスクの本当の名前を知りたいか?」
「ああ、ダスクが仮の呼称だと言うなら、是非とも知りたいな」
「彼の名前は――ガートと言ったな。今はその名前を使って動いているのだろうが、そういえば――」
 今は去りし同胞の事に遠く思いを馳せて立ち尽くす二人の下に、突然衝撃波が襲ってきた。幸いにも近くの雪が巻き上げられるだけで済んだが、一度は安息状態にあった二人の神経を研ぎ澄ますには充分過ぎる贈り物だった。揃って上空に向けて射抜くような鋭い眼光を投げかける。怖気づく素振りも見せないその招かれざる妨害者の正体は、緑色の長い体には武器にもなる鋭い顎と強靭な六本の足、背には黒い突起と先が赤い四枚の薄翅を備え持つメガヤンマである。
「全く以ってつまらぬものだ。せっかく仲間割れが見られると思って見ていたというのに」
 ずっと上空で待機して戦いの一部始終を観察していたらしい。この騒動の中で高みの見物と言うわけだった。余所者の登場は二人にとっても計算外ではあったが、二人だけの真剣な会話を盗み聞きされていた事に対する怒りの矛先は、すぐにメガヤンマへと向けられる。オルカとアカツキは顔を見合わせて互いに頷くと、双方ともに臨戦体勢に入った。共闘の意志は固く、ホタチと爪を突き出して威嚇する。
「お前、一体何者だ」
「“迅速の蜻蛉”とだけ申しておこうか。さあ、“我等”とて遊びに来ているわけではないのだ。やるべき事を片付けるとしよう」
 攻撃の対象とされていても余裕綽々な態度は変わらない。望んだ回答が返って来ないのが分かると、牽制も兼ねてオルカが窄めた口から細い水流を吹き出す。“みずでっぽう”と呼ばれる圧縮された素早い放水を、メガヤンマは軽い身じろぎだけで避けていた。その傾けている僅かな時間にアカツキが真下まで迫っていた。メガヤンマが赤く不気味に光る目でその動きを捉えるよりも速く、自慢の脚力で飛び上がって爪を振り上げた。しかしそこは自らを“迅速の蜻蛉”と称する素早さの持ち主だけあって、間一髪のところで目の近くを掠めるに留まる。空中では身動きの取れない眼前の敵に反撃の一手を講じようとするも、地上からの水砲に邪魔されて反撃には及ばなかった。
「我等って事は、あのキルリアの仲間か。揃って何の用だ」
 降り立って睨みを利かせるアカツキ。二刀のホタチを手にして並び立つオルカ。その両者に対して、メガヤンマは翅を震わせて風を切って応じる。捻りを加える事で回転が加わり、湾曲した空色の空気の刃は、上空から空気を切り裂きながら降って来る。その場から散って回避行動に出るが、オルカは深みに足を取られて思うように動けず、衝撃波の破裂と同時に体が吹き飛ばされた。好機と見たメガヤンマは次々と“エアスラッシュ”を放っていく。
「早く起きろ! さっさとあいつを始末するぞ」
 アカツキはたじろぐ事もなくオルカを守るようにして仁王立ちになる。不規則な軌道を描く刃をしっかりと観察し、威力の少ない箇所を見切って爪で往なしていく。破裂する前に瞬時に空を切っていき、前方に弾いて損傷を受けることなく猛攻を押さえ切った。“エアスラッシュ”の余波で地面の雪が打ち上げられる間に、身を起こしていたオルカはアカツキの陰で水の力を溜め込んで、横から飛び出ると共に撃ち出した。死角から放たれた素早い弾丸は、様子見で滞空していたメガヤンマに見事直撃した。上手く一矢報いたが、その一撃で撃ち落とすまでには至らず、途中まで落下しかけて上手く持ち直す。
「ちっ、余興もここまでで終わりだな」
「余興、だと? この状況でふざけてるのか?」
「ふざけているつもりは毛頭ない。我の目的は単なる時間稼ぎに過ぎなかったものでな。ではこの辺で失礼する」
 水の攻撃を受けて全身ずぶ濡れであったが、動きが鈍った様子は微塵も見せなかった。軽快な弁舌で別れの挨拶を告げると、メガヤンマは翅を一振りして突風を巻き起こす。表面の雪を撫でる風によって小規模の吹雪が発生し、一瞬ではあるがオルカ達の視界が奪われる。風が止んで落ち着いた頃には、メガヤンマの姿は既に天高くにあった。向かう先が玉座の間なのは一目瞭然だった。
「あいつが向かったのは――」
「――さっきまでおれ達がいた場所だな」
「それなら僕達も急ごう」
 幸いにも二人がいるのは城の裏手にある雪原だった。襲撃の目的は何なのか、正体は何なのか――真意を知るためにも迷うことなく追いかける。わだかまりの消えた以前までのような関係に心を充足させつつ、アカツキとオルカは歩調を合わせて城の最上階を目指すのであった。


コメット ( 2013/07/04(木) 23:32 )