エトワール・フィランテ〜星降りの夜の導かれし出逢い〜


















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第十章 渓谷にある氷の国の現状〜王子と不審な影〜
第八十四話 及ばぬ力、目覚める力、使えぬ力〜キルリアの本気と思わぬ接点〜
 光の屈折などで目をごまかす幻影とは異なり、キルリアの力は脳にテレパシーで直接映像を送り込んで実際に見ていると錯覚させる、“さいみんじゅつ”による複合能力である。これは使用者にも負担が大きいらしく、ロゼリアの幻を見せているだけでも余計な力を使うのであろう。正体を現してからが彼女にとっても本番のようだった。ヴァローがニョロトノに目配せをして、ティルを連れて避難するように促す。
 ティル達が無事姿を隠せたのを確認してから若干間を置いて、アルム達が先制攻撃に向けて動くよりも先に、キルリアの軽い手の振りと共に景色が一変する。真っ白な大地に築かれた城にいたはずなのに、次の瞬間には新緑が一面に広がる草原の上に立っていた。若葉と湿った土の臭いが鼻腔をくすぐり、太陽の光が眩しく感じる。頭では幻覚なのだと分かっていても、視覚も嗅覚も狂わされて困惑していた。
「これが全て幻なのだと考えていても、あなた達の目と鼻は草原にいるのだと錯覚してしまう。気味が悪いでしょう? どこぞの悪タイプのポケモンが使うようなちゃちな“幻影”と違って、私の“幻覚”は強力でしてよ。まあ、逃げる者まで追う趣味はないから安心しても良いですわ」
 キルリアは嘲笑めいた氷のような微笑みを口元に浮かべている。戦闘を挑んでいると言うよりも、この状況を楽しんでいるとしか思えない。そんな敵の思う壺なのは癪だと感じ、幻覚からの脱却のためにヴァローが遠方から攻撃を加える。しかし、吐き出した高熱の火炎は、眼で位置を捉えているはずのキルリアを摺り抜けていく。キルリアが避けたのではなく、虚無の空間に“かえんほうしゃ”を撃った感覚と変わらなかった。
「だから言ったでしょう。あなた達は私の掌の上で踊らされているの。私の位置も分からなくしているのよ。さあ、どう料理して差し上げましょうか」
「み、みんなっ! 僕の周りに集まって!」
 呆気に取られて気圧されていたアルムも、圧し掛かる危機感を振り払って自らに喝を入れる。意識を集中して自らのオカリナに光を宿らせ、仲間を優しく包み込む大きな球状の蒼い障壁を展開する。防御に回れば迂闊には手を出せないだろうと踏んでいた。ヴァローやシオン達も反撃の構えを取って万全の体勢を整える。だが、キルリアは遠巻きに見ているだけで一切動じてはいなかった。
「甘いわね。私の幻覚は単なる“さいみんじゅつ”じゃないの。ただのバリア如きを通り抜けるのは造作もないわ。全てを遮断するようなものじゃない限り、私の力から逃れる事は出来なくてよ」
 小憎らしいまでの堂々とした態度は、後に伴う結果でまざまざと思い知らされる。アルムの作り出したバリアの内側に敷かれている緑の絨毯から細長い蔓が複数伸び、全員の体をきつく縛った。これも幻だと分かってはいても、ぎりぎりと締め付けられる痛みは紛れも無く本物だと感じてしまう。苦し紛れに“みずでっぽう”や“かえんほうしゃ”を放とうとも、闇雲に攻撃を仕掛けたところで居場所が特定できなければ成果は得られないのは明白であった。
「なんで……。護る力が働かないの?」
「だから言ったでしょう。私の力はあなたの作る壁を物ともしないの」
 今まで幾度となく攻撃を凌いできた守りの力をあっさりと突破され、アルムも意気消沈していた。力の主の心の揺らぎを投影するかの如く、青いバリアは明滅を繰り返して徐々に薄くなっていき、最後には消滅してしまう。攻撃の面では力不足である以上は、唯一役に立てると自信があっただけに、精神的なショックも計り知れない。せっかく戦いでも足手まといにならないと思っていたのに、表情を歪ませて心の中で無力な自分を責め立てる始末であった。
「アルム! こいつの声に耳を貸すなっ!」
 戦意の低下によってアルムが狙われる事を危惧したヴァローは、鼓舞しながら反撃の狼煙を上げる。体毛の隙間から赤々とした炎を噴き出して全身に纏い、幻であるはずの蔦を焼き切った。束縛から解放されると同時にさらに炎を膨れ上がらせ、地を走るように転がっていく。“かえんぐるま”の速度は徐々に増していき、それに比例して炎の鎧も赤々と燃え上がっていく。
「なるほど。炎で全てを遮断して、強い意志で幻の蔦をも振り切った、と。でも、それで私の位置を捉えられるのかしら?」
 不快で(つんざ)くような声が反響するのに加えて、残響となるエコーが掛かっており、視覚と聴覚で探知される事を想定して妨害策を施していた。着眼点は申し分ないと思って高を括っていたためか、不敵な笑みを浮かべているヴァローに幻のキルリアは怪訝そうな視線を遣る。幻影の中に潜んでいても、不安は拭いきれないようであった。
「何か忘れていないか?」
 目と耳を封じた事で安堵しきっていたキルリアは、一つ見落としをして自惚れていた事に気づかされる。だが、今さら勘付いたところで時既に遅し。対策を講じるよりも早く居場所を突き止められており、迫り来る炎の塊をもろに受けて吹き飛ばされた。直撃によって隠していた姿が顕わになり、アルム達の目にも認識が可能になった。ガーディという種族は一度嗅いだ匂いは絶対に忘れないと言われているほど嗅覚に優れている。その事を知らなかったキルリアは、ヴァローを見下して油断しきっていた不意を突かれたのである。ここぞとばかりに倒れた実体のキルリアを一斉に取り囲み、下手な動きを見せないように攻撃をする寸前で留めておく。
「お前に聞きたい事がある。お前があのロゼリアと同一の奴だという事は分かったが、何故リプカタウンを襲った? あの町のポケモン達をどうしたんだ?」
「私達には兵が必要だったものでしてね。どこぞの小規模の義賊だけでは数も実力も不足していたものですから」
 義賊という言葉を聞いて、真っ先にグレイシアのクリアとブイゼルのブレットのいたトリトンを思い出した。死んだように眠っていて――そう呟いて悲しそうに仲間の安否を気遣っていた二人の姿が脳裏を過ぎる。“さいみんじゅつ”を使える相手を目の前にした事で、疑う余地などこれっぽっちも無かった。リプカタウンとトリトンでの事件が仕業なのだと分かって、ふつふつと言いようのない憤りがアルム達の胸の中に湧き上がってくる。
「あら、口が過ぎましたでしょうか。では、ここを離れるついでにもう少し質問に答えてあげましょうか。何かあればどうぞ?」
「あなた、これだけの事を働いておいて逃がすと思う?」
 水を湛えた尻尾を掴む手が震えており、シオンも珍しくご立腹の様子であった。国全体を掻き乱しておきながら、悪びれた風もなく涼しい顔をしているのは、一国の王女たるシオンとしても我慢しきれないようである。ヴァロー達に見下ろされて凄まれていても、キルリアは焦燥感に駆り立てられてはいなかった。
「ふふふ、だってあなた方は忘れてらっしゃるんですもの。私にそういった物理的な脅しは通用しないって事を!」
 自信たっぷりに両手を広げたのを合図に、一面に緑が広がっている景色が瞬時に漂白された。(さざなみ)の音が耳に届くようになり、じめっとした熱風が吹き付けるのを感じる。目の前には日光を反射しながら波が揺らめく青い大洋が広がっていた。海岸の幻覚を創出したようで、包囲して見張っていたはずのキルリアの姿も忽然と消えている。またしてもキルリアの支配する空間に閉じ込められてしまった。
 真っ先に居場所を嗅ぎ付けたヴァローが火力抜群の火炎を吐き出すが、波打ち際の水が持ち上げられて炎を防ぐ壁となった。草だと意識していれば燃やせるものも、相手が水とあっては相性もあって話は別だった。しかし、ヴァローはそれでたじろぐ事もなく、炎の衣で身を包んで体当たりを仕掛ける。後を追うようにシオンも駆け出した。
「同じ手が通用すると思っているなら大間違いでしてよ!」
 美しさに思わず息を呑みそうな蒼海は、キルリアの意思の下にアルム達に牙を剥いた。砂浜の向こうでは怒涛となって暴れ始め、幾重にも折り重なった絶壁となって押し寄せてくる。踵を返す余裕もなく突貫を決め込むヴァローとシオン。微力ながらも助けに向かおうとするアルムとライズ。波濤(はとう)は大口を開けて全てを飲み込んだ。
 炎タイプのヴァローは愚か、水中戦を得意とするはずのシオンまでもが身動きが取れずにいた。実際には水の中にいるわけではない――幻覚の外にある現実が不利な戦況をもたらしている。それを打破すべくライズも全身に力を篭めるが、思うように電気を生成出来ずにいた。未だに謎の不調が続いているようで、ライズは歯を食いしばりながら呼吸できない状況に抗おうと必死だった。その間にも不気味な高笑いが、轟々と音を立てる水を伝って否が応でも響いてくる。
「アルム! みんなっ!」
 傍観しているのに堪えかねてティルが飛び出してきた。だが、攻撃する術を持たぬ者など、例え幻のポケモンだろうと戦いの場では意味を為さない。キルリアはティルには手を出そうとせず、黙ってそこで見ていろと言わんばかりだった。いつも楽しそうにしているティルも、さすがに苦しそうにもがいている仲間を目の前にして平生ではいられない。瞳を潤ませながらうろたえており、どうしたら良いか分からずにおろおろと浮遊しているばかりである。
(このままでは……アルム達を守ってやれると思ってたのに……)
 息苦しさと弱点である水に囲まれている事で、ヴァローにとっては二重苦となっていた。繋ぎとめようともがく意識が遠退く中で、ヴァローは初めて戦いにおいて自分の力不足と罪悪感に苛まれていた。故郷を旅立つ前はアルムを守ってやるなどと威勢良く宣言していたくせに、強敵に当たった途端に呆気なくやられて弄ばれている。このままで良いのかと自分自身に問いかけ、そして嘆く。そうして今まで向き合わなかった自らの限界を改めて省みる事で、秘めたる何かを次なるステップへと後押しする。
 かつてない程に堅固な、ヴァローの強さを求める思いに呼応するように、ティルの体が淡い光を放ち始める。リプカタウンで異変を見せた時と同じ輝きで、全身にまんべんなく広がっていた光は、お腹の模様のところに集中していく。光球が完成したところで、高密度となった光は一気に解き放たれた。あまりの眩しさに全員が直視できない中で、一筋の柔らかい光線がヴァローに向かって伸びていく。
 光が全て体に吸収された途端に、ヴァローの体には力が漲ってきた。体の芯から燃え滾っている熱さを、押し留める事無く外に発散する。思いに応えて発せられる漠然と感じる力は、橙色の炎と言う形に具現化されて周囲に放射状に広がっていく。例えるなら炎の爆発――それは、四人を包んでいた水の幻を蒸発させつつも、共に飲み込まれている仲間を一切傷付ける事は無かった。炎をいつも以上に絶妙に操作している――その感覚にヴァロー本人も驚きを隠せないようである。
「何があったか分からないが、ともかくこれでお前の幻覚は破った。いい加減に観念しろ」
「波状攻撃を防いだところで粋がらないでよ。まだあなた達には幻覚を完全に見破る方法などないんですもの」

「――それは違いますね。自我たるものがあなた達とは決定的に異なる私がいますから」
 聞き慣れた抑揚のない声が隣から聞こえてきた。気配を発する事無く主の元に帰ってきたレイルは、素知らぬ顔でキルリアの立ち位置とは真逆の方向に光線を放ち、命中して爆ぜる音が周囲に響く。証となる煙が立ち上るのとほぼ同時にフラッシュが発生し、浜辺が視界から消えて元の雪に埋もれた城へと引き戻される。幻覚に惑わされないレイルの生態がここで再度活かされたようである。
「ちっ、厄介な者が戻ってきたようだわね。だったら、そこのポケモンには、素直に“さいみんじゅつ”を受けてもらいましょうか」 
 テレパシーを遮蔽できるレイルから排除しようと、キルリアは赤く澄んだ瞳を怪しく光らせて念波を飛ばす。幻覚を見せるための特殊な念波と異なるそれは、レイルを強制的に休眠に移行させて活動不能に陥らせた。アルムが慌てて微動だにしなくなったレイルの体を揺するが、目を閉じたまま起き上がる様子はない。幻覚としては効かずとも、ねむり状態になるのを防ぐ手立ては無かった。幻覚で倒そうというこだわりを捨ててまで眠らせたという事は、キルリアもそれだけ追い詰められていた事を示している。
「私一人で片付けられると思ったけど、まあいいですわ。念のために仕込んでいた援軍に来てもらいましょう」
 直後の発言がはったりか幻覚かと考えを巡らせるよりも先に、階段からゆっくりと青い巨体が上ってきた。先刻まで行動を共にしていた仲間の登場に、アルム達も一気に士気が高まる。だが、キルリアの意味ありげな宣言が引っ掛かり、直後にそれが杞憂ではないと痛感させられる。
「さあ、奴らを蹴散らしなさい」
 ラプラスのフリップは、大口を開けて冷気の塊をエネルギーとして蓄積し始める。瞳は光を失っており、攻撃の矛先は明らかにアルム達に向けられている。逃げようとする間にも次の幻覚が襲い掛かり、奥行きのあった玉座の間が一瞬にして狭まり、四方を壁に囲まれて袋小路の状態へと追い込まれる。レイルも目を覚まさない今、打つ手も無く完全に八方塞りとなった。
「フリップさん! 目を覚ましてください! これも初対面の時のようなおふざけの一部なんでしょう?」
「いいえ、彼女も私の操り人形なのよ。ここにいた頃にほんのちょっと心を掌握しておいたの。無意識の内にあなた達のいた小屋に攻撃を仕掛けて破壊したのも彼女ですもの。でも、本人には一切そんな記憶も残ってませんけどね。何とも愉快なものでしょう? 誰かを操って心までも支配するのは楽しいものですわ」
 誰もが戦意を喪失しかけていたところで、キルリアの卑劣な行為を目の当たりにして怒りがさらに込み上げる。神経を逆撫でするような言葉一つ一つに対し、ぎりぎりと歯を食いしばって忌まわしそうな顔をする。そして、キルリアの非情さをまざまざと見せ付けられて突き動かされたのはアルム達だけではなかった。
「これ以上の横暴は許さんよ」
 今までは陰で黙ってティルを見張っていたニョロトノが、果敢にも前へ出て悠然とした態度を取る。温和な物腰からは連想できないような睨みを利かせながら、素振りも全く見せずに瞬きする間もなく両手で拍子を打った。ぱちんと小気味良い音が辺りに響くと、その音波が勢力を広げたところから徐々に目の前の光景に影響を及ぼしていく。間髪入れずに打たれた二度目の拍手によって、包囲していた壁が陽炎のように揺らいで消滅して元の舞台に戻り、呪縛から解き放たれた事を意味していた。
「また偶然幻を破っただけでしょ? あなたのお仲間は私の支配下にあるのよ。さあ、あいつらを倒しなさい」
 キルリアは自信満々に腕を伸ばして命令を下すが、フリップは全く動く気配もない。手駒が思い通りに動かない苛立ちから刺すような視線を放つと、同種の目を自分に向けられている事をようやく悟った。フリップも術の効果が切れて自我を取り戻しており、キルリアは完全に包囲されている。ニョロトノの秘策とも言える一手によって、土壇場で戦況はひっくり返された。
「何をしても無駄なんよ。生憎おいちゃんも“さいみんじゅつ”が得意での。その技さえ断ってしまえばどうしようもなかろう」
「そ、そんなはずは……!」
 敗北を認めたくないキルリアは、狼狽した表情で半ば死にもの狂いで腕を振るった。またもや空間を違う色が染めていくが、寸時に放たれた手拍子によって、霧の如く消滅して景色が戻る。幻術や精神操作の核となる“さいみんじゅつ”をいとも簡単に封じられてしまっては、もはや同じ手による抵抗など虚しいものだった。それを二度に渡って実感させられたキルリアは、三度目の正直を実行する気にはならなかった。
「よくも同士討ちさせてくれたわね。この借りはたっぷり返すわよ」
「オルカの事もお主が絡んでいるのは容易に想像がつくからの」
 うなだれがちになっているキルリアに、フリップもニョロトノもぎりぎりのところで怒りを抑えて威圧的に対面している。彼らからしてみれば国の全てを狂わせた元凶であり、到底許しがたい存在である事に変わりはない。それでも何とか理性を働かせて、じりじりと精神的にも追い詰めていく。
「くっ、何ですの! 特殊な力も持たない雑魚たちが、私に歯向かうなんて。こんなのあっていいはずがない!」
「そんな風に考えて他人を見下すような事しか出来ないから、あなたはこうして囲まれている理由が分からないんじゃないの?」
 現状の理解に苦しむキルリアに、シオンが張り付いたような笑顔で迫る。散々苦しめられた事もあって、俄然力が篭もっている。キルリアにとってはまさに四面楚歌の状況下にあり、力を無効化されては言葉で反撃するのが精一杯だった。せめてもの救いは、まだ処遇が決まっておらず、拘束もされてはいないという程度である。だが、憂慮すべき事態であるのに変わりなく、キルリアはかつてないほどに表情を曇らせている。
「それで、これからこいつをどうするかの。尋問でもするんかの? まあ、おいちゃんが口を挟める事でもないが」
「国を破滅へと導こうとしたなら、公開処刑でも良いのではないかと思いますが」
 “テレポート”と“さいみんじゅつ”による二度の奇襲で、レイルも怒りを感じないまでも、キルリアを排除すべき対象とは見なしていた。そんな感情のない冷酷な意見に、アルムは背中を氷柱で撫でられたように身震いする。だが、そこは城の強者達が冷静な態度を見せる。
「処刑だなんて物騒なことは致しませんわ。私だって二度も利用されて許しがたいですが、せめて牢獄に幽閉するくらいですわね」
「――そんな悠長で非情になりきれない事が、今のような事態を招くのですぞ」
 城の外側から鈍い羽ばたき音が一同の耳に入ってくる。それに続いて、空気を裂くような鋭い高音と共に、体が浮き上がって壁際まで吹き飛ばされた。明らかな敵意を持った攻撃を受けたアルム達は、立ち上がる前に各々が風の吹き来る方へと目を凝らす。襲撃を加えてきたのはオニトンボポケモンのメガヤンマで、今の“ソニックブーム”に怯んでいる間に颯爽とキルリアを回収していた。二人は距離を置いた空中で小声で言葉を交わし始める。
「彼らの足止めはしておいた。ここはもう引き上げるとしよう」
「そうね、ありがとう。用は済んだ事だし、長居は無用ね」
「おい、何をごちゃごちゃ言っている」
 痺れを切らしたヴァローが口内に炎を溜めて威嚇する。しかし、今のどすの利いた声はヴァローのものではなかった。声の主は背後の階段から現れ、その鈍く光る爪を掲げてメガヤンマの方に切っ先を向ける。その後ろからは両手を突き合わせて水の力を溜め込みながら歩み寄る者の姿もあった。その横には真っ白でこの場の誰よりも体格の大きな白熊の形をした者が、小脇に体に一部氷を残した海豹(あざらし)ポケモンを抱えて立っている。
「今回の役者が勢揃いでお見送りをどうも。我々は充分楽しませてもらった事だから、ここで一旦おさらばとしよう――そこのジラーチの目覚めも再確認出来たしな」
 攻撃に向けて迫り来るアカツキとオルカを尻目に意味深な台詞を吐き捨てると、メガヤンマは素早い飛翔で周りの雪をアカツキ達に目掛けて吹き飛ばす。思わず足を止めてオルカが白い幕を水圧で掻き消している間に、首謀者の二人はその姿を晦ましていた。全員で四方を見渡して探索するが、幻覚の名残もなければ影も形もなく、完全にこの場から去っているようだった。
「一時は加担していた僕が言えた事ではないが、深追いはよそう。今は諸悪の根源を追い出せただけでも――」
 逃亡を許した事には悔しさが込み上げてくるが、今は城に平穏が戻りつつある事に一行は胸を撫で下ろす。国全体を覆うように天に広がっていた濁った灰色の雲海は、その遥か上から降り注ぐ光の雨に追いやられるようにして退いていく。遮る幕が無くなった白い大地は、祝福するかのような銀色の光で照らされて輝きを放っていくのであった。

コメット ( 2013/07/18(木) 23:38 )