エトワール・フィランテ〜星降りの夜の導かれし出逢い〜


















小説トップ
第十章 渓谷にある氷の国の現状〜王子と不審な影〜
第八十一話 侵入を阻む者、突き通る者〜三闘士の戦い、密談〜
 冷気を伴った風や青白い光線が飛び交う乱戦の最中。ルッツの幻覚を突破してからと言うもの、一行は破竹の勢いで進んでいた。喧騒な戦場と化した城には、泰然としたポケモンの存在など皆無だった。敵影を認める度に各々が対処に当たっていく。フリップは持ち前の多彩な攻撃で、ループは小さい体に似合わず強力な攻撃を用い、アカツキは得意の肉弾戦で兵士達を退けていた。アルム達は完全に従者と化していたが、元より戦闘をするために来たわけでもない。専ら戦いは彼らに任せ、今後オルカに対面した際にどうすべきか相談していた。
 アカツキの真の意図が掴めない状態では、穏やかに接する事が可能かどうかも分からない。ましてやオルカに抵抗の意志があれば、一筋縄では行かないのも明白である。直接手を下しているのが自分達でないとは言え、戦う必要のない者達が争っているのを見ているのは気分が良いものではない。今は前に進むしかないと思っていても、どこかで引っかかってしまう。(わだかま)りも自然と蓄積されていた。次から次へと雪崩れ込む不安を何とか抑えては前進する事を考える。
 フリップ達によると、王子はここより二階層上の王の間に鎮座しているのではないかとの事。目くるめく現状では移動している可能性も無きにしも非ずだが、もしそうならどこに行って留まっているかなど皆目検討は付かない。日常いるところにまずは向かおうという事で見解は一致した。依然として城内の混乱は収まっておらず、三闘士である二人を以ってしても収拾はつかないようだった。だからこそ強引に正面突破を試みてはいるのだが、どうも兵士達の様子がおかしいらしい。直接触れる事から彼らが幻でないのは歴然なのだが、統率が見られる集団もあれば、気が狂ってしまっているくらいに暴れ回っている者もいる。一応は直属の上司であるフリップ達に牙を剥く時点で既に由々しき事態ではあるのだが、それを除外しても混乱の度合いが凄まじかった。
 中には敬意を払って道を空ける誠実な者もいたが、それはごく少数だった。多くは見境無く進路を邪魔してくる。説き伏せるというレベルの問題でもなく、やむなく攻撃を加えて気絶させたり遠くに飛ばしたりしているのが現在の戦況である。大規模な祭でも催されているのかと疑いたくなるような活気に、さしものループ達もたじたじだった。上手く摺り抜けて一つ上の階に来たところで、一旦腰を落ち着けて休憩を取る。幸いにも二階で兵士の暴走は起こっておらず、それがまた不自然で不気味でもある。
「これは一体どういう事なんかの。いくら騒ぎがあったとて、これほどまでに乱れるものかね」
「いえ、これは少々おかしいですわね。もしかしたら、(くだん)の“さいみんじゅつ”が原因かもしれませんわ」
「あっ、それはありえるかもしれません。僕達も似たようなのを見たことがありましたから」
 フリップに同意する形で言いかけて、リプカタウンでの出来事――町のポケモン達やビクティニのフリートが操られていて交戦した事――を思い出す。旅を続けて町を巡って遭遇した事件の中でも印象的で、アルム達にとっても直近の事で良く覚えている。後にも先にもあれほどおぞましい事は無かったとさえ思えるくらいである。
「じゃあ、アルム達が接触した奴が今回も絡んでいる可能性があるって事だの。何か他に情報はある?」
「そうだな……たぶん直接黒幕っぽい奴と対面したのは俺だけだろうけど、ロゼリアだったかな。でも、ロゼリアが“さいみんじゅつ”を使えるはずもないし、あれも幻影だったんだろうな」
「ロゼリア……と言えば怪しい奴に心当たりが無くもないが――」
 思い当たる節があるニョロトノが熟考に入ろうとして間もなくの事だった。既に冷え切っている空気を一層凍てつかせる白銀の光線が、広間を縦断して奥の方から飛んでくる。それはアルム達の手前の床に直撃して、透明の氷を張り付かせるに至った。幸いにも攻撃の余波を食らった者はいないが、完全に不意を突かれていた。地面に当たったのはわざと狙いを外して威嚇射撃を意図したものだと推測できる。全員の視線は自ずと光線を発射したと思われる方へと向けられる。
「フリップ殿にループ殿。困りますなあ、貴方達ともあろう者が、そのザングースを擁護されては」
 遠くの柱に背を預けていた攻撃主は、大袈裟に一回転させてその球に近い体をアルム達の前に現す。二本の尖った角に見える岩の体は堅い氷の鎧で覆われており、鋭い目つきも相まって近寄りがたい威圧感を放っている。氷塊の下に覗かせる黒い体や剥き出しにした白い歯は進化前を髣髴とさせるものではあるが、その可愛さを全く留めてはいない。その姿を認めるや否や、ループが威勢よく前に出る。
「ちょっと待った! 彼がこの騒動の原因じゃないはずだの! 落ち着いて話を聞くだの!」
「自分は落ち着いていますとも。落ち着くのはむしろ貴方達の方ではありませんか? ザングースが暴れているから取り押さえろ、王子がそう言ったのですからね」
「じゃあ、フリップと二人で王子を説得に行く。それでいいはずだの」
「いいえ、三闘士のお二人とは言え、しばらく城を離れていた身。それもなりませぬ。ルッツ殿が現在どこにいるか判明していない状況では尚更です」
 オルカが命令したとあっては、従っているのも無理はない。しかし、得体の知れない敵が紛れ込んでいる事を知った以上は、予断を許さぬ状況にある。一刻も早くそれを伝えて王子の独断を止める――重要な目的を抱いている彼らにとって、相手が意地でも立ち塞がろうとするならば、押し通るのを余儀なくされる。目の前にいるオニゴーリが操られていようとも、単なる忠義心からであろうとも、アルム達にとっては関係ないのも事実。各々に臨戦態勢を取って身構える。
「お二人がいると言えども、王子の命令は絶対です。通すわけには行きませぬな」
 オニゴーリも敵対の意志を示すと、柱の影に隠れていたもう一体がようやく姿を見せる。体の下部は綺麗な逆三角形をした空色の氷柱で、その上には山のように盛られた白いクリーム状の本体が乗っかっている。名はバニリッチと言い、宙に浮いた状態でオニゴーリの横まで移動する。こういう事態を想定して予め待機させていたらしい。
「しゃらくせえな。早い話が、あいつを黙らせて先に進めば良いんだろ?」
「あのオニゴーリはこの城に勤める兵士を纏める兵長なのですわ。そんな彼が足止め役に回ると言う以上は、易々と通してはくれないはずです」
「じゃあ、ここは僕ちゃんが相手するだの」
「では私も残ります。下の階と違って簡単に通り抜けることが叶わない以上、素早い移動が出来ない私は足手まといです。皆さんが上の階に行くサポートと、ループの戦いの援護くらいなら」
 ループもフリップも普段の柔和な表情を解き、周囲に冷気を纏い始める。だが、この応対には納得していない。静観し難い状況に、交戦に出ようとする二人の行く手を遮るようにアルムが慌てて飛び出す。
「待ってください! 三闘士のお二人がいた方が、王子の説得も上手く行くんじゃないですか?」
「さあ、それはどうか分かりかねますわね。むしろ一度離れた身ですから、私達の言葉は届かないでしょう。それよりもあなた達の言葉の方がよっぽど彼には響くでしょう。王女様もいらっしゃる事ですし、ね」
 フリップはさりげなくシオンへと目配せをする。避けられない戦いが迫ってきて出した二人の答えが正しいのかは分からない。ただ、生半可な覚悟で敵を迎え撃つ役目を買って出たわけではない事はアルム達としても百も承知だった。ここは二人の意思を汲んで、実力を信じて、先へと進む決心を固める。
「さあ、行くだの!」
 ループの掛け声を合図にして階段に向けて一斉に駆け出す。正面で待ち構えるオニゴーリとバニリッチも通すまいとして妨害の遠距離攻撃を放ってくるが、ループとフリップがそれぞれ対応して打ち落とす。相殺の際に拡散した真っ白な霧に紛れて姿を晦まし、アルム達は足早に駆け上がって上の階へと突き進んでいった。
「まんまと先に行かれてしまったようですね。では、貴方達を早く取り押さえて上へと向かった者達を追うとしますか」
「随分と舐められた感じの言い草だの。それはこっちの台詞。手っ取り早く片付けさせてもらうだの。ふあーあ、ちょっと眠くなってきたしね」
 突破されたと言うのに余裕綽々な態度には気に入らないが、ループの心には波紋一つ立っていない。その証拠とばかりにわざとらしく欠伸をして見せるが、愛嬌を放つのはそこまで。先手を打つ為に動き出したのはタマザラシのループだった。二人が固まっていては格好の的になるのは自明の事実なのを承知して、丸っこい体を転がすようにして斜め前方へと進む。最も近くに配置された柱の陰に隠れるようにして素早く移動し、一度顔が地面に着いて敵からは死角になっている位置で口を閉ざす。一回転して再度目が合った瞬間に溜めていた光線を解き放った。多種の色彩を交えて不規則な波長を描きながら飛び、鮮やかな筋とカーテンを広げて突き進む。両者を同時に捉える一直線上のラインにあった。
 だが、敵に回しているのはあくまでも身内。対処の方法は心得ていた。クリーム状の上半身が膨らんだかと思うと、雪を伴った風が一気に吹き出される。全てを飲み込む白の嵐――“ふぶき”とは異なり、威力は弱めの“こごえるかぜ”。あえてこれを用いたのは、迎撃は最小限の力の放出で終えるためであった。
「こんな子供騙しの技で、お遊びのつもりですかね」
「まさか。気づいていない時点で駄目だの」
 意味深な発言がオニゴーリ達の猜疑心を誘う。次の瞬間、バニリッチの目と鼻の先に赤と銀の光を交互に放つ小さな球体が飛び出す。明滅を繰り返しながら体を軸にして円を描いて動き、中心にいる者の方向・色彩感覚を狂わせる。奇怪な球体が役目を終えて消滅したのを合図に、バニリッチは糸が切れた人形の如くばったりと床に倒れた。ループには何の攻撃の素振りも無かっただけに、予期せぬ急襲は油断していたオニゴーリを寸時に凍りつかせる。
 ループ達とて部下でありつつ今は敵であるオニゴーリを調子付かせるつもりもないし、むざむざと時間を喰って相手のペースに飲まれるつもりもない。ループの初撃――“オーロラビーム”はあくまでも陽動と目晦ましに過ぎなかった。本来の目的は、その七色のベールに被せるようにして見えなくし、二撃目に本命となるフリップの攻撃を浴びせる事だった。フリップが相手の視界に入らない地点から軌道を調整しつつ“あやしいひかり”を放ったのである。さしものオニゴーリも面喰らっている。
「その者は混乱状態にあって戦闘には役に立たないだの。そして留意せよ。君ももう戦闘可能な状態ではない」
 何を馬鹿な事を――と言いたげなオニゴーリの体に突如として異変が訪れる。はっきりと映っていたはずの景色が二重三重にぼやけて意識が朦朧とし、その場に浮いている事さえ出来ずに先刻のバニリッチと同じ結果を辿った。ぎりぎりのところで消えかけの自我を繋ぎとめてはいるが、数秒も経たないうちに途絶える事は本人も分かっていた。
 最初の“あくび”に始まり、一連の流れは全てループ達の思うがままに運ばれていた。どの行動にも無駄が無く、あまりにも手際が良く連携が取れており、一切傷つける事無く制圧してしまう鮮やかさはどこか非情で恐ろしくもある。最後の最後で三闘士の強さを身を以って知ったところで、オニゴーリは襲い来る眠気に耐え切れずに地に突っ伏した。
「さてと、思ったよりも早く済んで良かっただの。早速アルム達に合流しよう」
「そうですわね。でも、それは私だけで充分ですわ」
 感情の篭っていない平坦な声が背後から響く。氷のように冷たく、氷柱の先端のように鋭い。戦闘を無事終えた安心感が危機感に変わる瞬間。ループは抵抗する暇を一寸も与えられず、為す術も無く背中を狙い撃たれるのであった。





 最上階の玉座の間からは階層は同じにあって、対極の位置にある部屋。普段は誰も近寄る事を許されず、上位の階級にある三闘士さえも例外ではない。ただその例外を外れる者は、王子のオルカのみである。広間脇の水色の絨毯が敷かれた細い廊下を進んだ先には、他とは違って氷雪に侵されない箇所がある。そこは入り口の扉こそ城に似つかわしくないほどに質素に出来ているが、扉を潜ればそこには幾多もの装飾品によってあしらわれた豪華な個室が広がっている。
 そしてそこに足を踏み入れている者は、元々立ち入りを許可されている者ではない。この混乱に乗じて、王子に気づかれぬように忍び込んだと言っても過言ではない。入念に周囲を警戒しつつ、最奥の窓際に白いベールで区切られている空間を見つけて向かう。中央に向かって閉じられた二枚のベールを引っ掴み、左右に勢い良く開いた。白く長い髭と頭部に被った貝で出来た兜、四足の前二つには仕込み刀を隠していると言った特徴を兼ね備えているポケモンが、羽毛で覆われた絢爛なベッドの上で大きなみすぼらしい姿で横たわっていた。
「リョート様……」
 あまりにも衰弱した王を目の当たりにして、白熊のような体躯のツンベアー――ルッツは呆気に取られて二の句が継げずにいる。脇に目を遣れば、黒檀の低い机に一盛りの木の実と、透明な水を湛えたガラスの器が置かれているが、いずれも手を付けられる事無く放置されている。必要な栄養を摂取していないのだろうか、もしくは生死さえ危ういのでは――と最悪の事態が脳裏を過ぎる。しかし、直後に耳に届いた呻き声によって図らずも雑念は払拭される。うっすらと目を開けてルッツを視界に捉えている。
「おお、ルッツか。久しいな。元気そうで良かった」
「それはこちらの台詞です。重い病の療養中と言う事もあり、誰も謁見する事すら叶わなかったのですから」
「そうか……。いやはや、国の代表たる王がこの様とは情けない。わしも歳を取ったか」
 起き上がるほどの気力は取り戻しており、寝込んでいた頃と比べると急激に快方に向かっているようである。無事を自らの目で確認できてルッツもほっと胸を撫で下ろす。しかし、そう悠長にもしていられないと思い直していると、表情から察したダイケンキのリョートが声を掛けてきた。
「あの者の作り出す強力な“精神の迷宮”に閉じ込められておったのだ。体が動かず昏睡状態にあったのは、ずっと夢の世界に近いところで、目覚める事を許されずに眠らされていたからだ。病に倒れたと言うのはあくまで表向きの事だな」
「今まで姿をお見せにならなかったのもそのせいだったのですね。では、何故今このタイミングで目覚められたのでしょう。無論喜ばしい事ではあるのですが、あまりにも唐突過ぎて」
「どうやら今になって急に力が弱まったようで、お前の来訪もあって自力で起きる事が出来た。それで、わざわざここを訪ねて来るという事は、何か急を要するわけだな」
 リョートの表情も一際険しくなる。病に伏していた者とは到底思えない洞察力にはルッツも頭が下がるばかりである。報告すべき内容の整理が一通りついたところで緊張の面持ちで本題に入る。
「そうです。今は一刻を争う事態ですゆえ、こうして失礼を承知で参りました。あのロゼリアは、一体いつからこの城仕えになったのでしょうか。彼女が今回の黒幕だと思うのですが」
「恐らく既にわしが意識を乗っ取られた後の事だな。しかし、そう昔の事ではない。以前ラクルと言う名のキルリアが城に仕えていたのは覚えておろう。あの者も一度城を去ってから消息は知らなかったのだが、最近になって突然わしの前に現れたのだ。最初はもう一度ここに留まりたいのかと思った。冷めた目を見た瞬間に違うと気づいたが、その時には遅かった。以前起こした騒動のほとぼりが冷めた頃を狙った辺り、機会を窺っていたのだろうな」
「つまりロゼリアとキルリアは同一の存在だと。やはりそうでしたか……。実はオルカ様もそやつの手に落ちつつあるのです。……あっ、申し訳ありません。現状をお伝えしていないと言うのに」
「それは心配せずとも良い。これまでの事はある程度把握しているからな」
 話が飲み込めないルッツを余所に、リョートははきはきとした口調で語り始めた。今回の首謀者でありリョートをこの容態にまで追い込んだ者は、テレパシーと“さいみんじゅつ”を上手く駆使していた。そしてこの二つを組み合わせて使う事で、独自の力の使い方を編み出していたようだが、未熟な部分も多いらしい。眠っている間にもそのテレパシーでリョートの意識に今まで起こった出来事のイメージを伝えて来る事があったとの事である。顛末を知った上での事なら、リョートの理解の深さはルッツとしても納得だった。
「オルカの独りよがりな行動にも困ったものだが、この際仕方ないか。どうやらわしが眠りから覚めなくなったところに漬け込まれてしまったようだからな」
「左様ですか……。恥ずかしながら私の力も説得も及びませんでした。しかし、まだ希望は残っています。危うく幽閉しかけたステノポロスの王女もいまして、どうやら彼女達も協力してくれているようです。なるべくキルリアには気づかれないように事を運びたいものですが、私もそちらに手助けに行って参ります」
「うむ、もし首謀者を捕らえるならなるべく迅速に頼むぞ。この騒動を起こしたのも最後の仕上げ程度で、ここですべき事は全て終えているらしいからな。後は逃げるだけだろう。頼んだぞ、くれぐれも気をつけてな」
 密かに別行動をして辛くも真相にも辿り着いて目的を果たしたルッツは、次なる障害を克服するために王の部屋を後にする。王からの恭順ではなく、あくまで独断で事を収めようとしている。責任の所在や以降の身の振り方を指図するつもりはリョートにはない。颯爽と駆け抜けていく心強いその背中に、王たる彼も期待の眼差しを向けるのであった。

コメット ( 2013/06/09(日) 23:29 )