エトワール・フィランテ〜星降りの夜の導かれし出逢い〜 - 第十章 渓谷にある氷の国の現状〜王子と不審な影〜
第七十六話 合流と僅かな休息〜大きな決断のとき〜
 あれだけ暴れ回っていた風がぴたりと収まり、不気味なまでの静寂が町全体に広がっていた。轟いた衝撃が見事に荒れる天候を鎮圧したかのようで、町には風の無い真っ白な雪のベールが天から降りてくるのみになり、落ち着きを取り戻していた。だが、天候の変化など構っていられないアルムとシオンの鼓動は、ますます激しさを増していくばかりだった。二人をさらに焦燥させたのは、真相を追って動き出した直後の事。衝撃音に混じって絶叫が方々に飛ぶのを、シオンの耳が敏感に察知していたのがその理由だった。そして、その声の主が分かってからは最も想像したくなかった光景を目の当たりにして、二人は絶句するほかなかった。
「明らかにここで何かあったみたいだけど、これは本当に酷い有様ね。自然に崩れたようには見えないし」
「建物ごと壊されるなんて相当な事があったんだよね。ヴァロー達の声が聞こえた方角がこっちならやっぱり――」
 事態が飲み込めない二人は、瓦礫の前で呆然と立ち尽くしていた。シオンの聴力が正しければ――双方ともに信じているのではあるが――ヴァロー達がこの倒壊に巻き込まれたことになる。本来ならば気が動転していてもおかしくないが、アルムは不思議と冷静でいられた。ここに到着するまでは心配で心配で仕方なく、未だに安否を確認出来たわけでもないのにである。アルムの目の焦点は定まらなくなったが、その理由も別にあった。思考が停止していながらも慌てる事は無く、失望といった類のものではない、何か違う感情がアルムの心の中に渦巻いていた。それはもう一方のポケモンとは対称的であった。静かに辺りを見回しているシオンは、むしろアルム以上に平生を装っている割合が高かった。見知った国だからこそ、このような惨事の発生が信じ難かったのである。
 二人の視界に入る限りでは、建物として機能していたはずの土地は木材で隙間無く埋め尽くされ、ポケモンの姿は発見出来ない状況だった。シオンが呼びかけた事で我に返ったアルムは、足場としては悪い木っ端の上に乗って捜索しようとしていた。積み木の山を歩き始めてから程なくして、足の裏に瞬間的に刺すような冷たさが伝わった。急いで足を離すと和らいだが、再度挑戦してみると同じ感触を得た。芯まで冷えていないはずの木材とは明らかに異なり、雪の上でもないだったために余計に謎だった。試しに後方に足を踏み出してみるが、やはり立っている位置の周囲だけが特殊らしい。
「アルム、そんなてっぺんで立ち止まって、何か見つけたの?」
「違うの。ここから先がすごく冷たくて、氷みたいに固いの。中を覗こうとしても木が邪魔で、確かめられないんだ」
「そうなの……。私達の力でどかすのは大変そうだし、ちょっと離れてみましょうか」
「うん……。分かった」
 渋々地面に降り立ったアルムだったが、未練がましそうに後ろに首を捻る。何か他に手立てはないか――悲しげに思いを巡らしていると、突如としてさっきまで立っていた位置にあった木片が上方に勢い良く吹き飛んだ。覆い被さっていた小屋の残骸は一瞬にして取り払われ、ドーム状の氷の壁がその全貌を明らかにした。アルムが作り出せるバリアよりも一回りほど大きいものが展開されており、積荷となっていた木材を跳ね除けるだけあって、ただの円蓋でないことは間違いなかった。
 アルムは扉を叩く感覚で恐る恐る壁を小突いてみた。大した力を加えたわけでもないのに、ドームが上部からぼろぼろと砕けていった。剥き出しになった天井からびっくり箱の要領で複数の影が虚空に投げ出された。幸いにも雪が深く積もっているところまで飛んでいき、着地に関しては事なきを得る。むくりと体を起こす面々には見覚えのある者とそうでない者がおり、アルムは複雑な心中ながらも、安堵と喜びで胸がはち切れんばかりだった。
「あー、面白かった! こんな事が出来るなんて、ループってすごいねー!」
「でしょでしょ! あれを作るの得意なんだの! ドームからの脱出法が一番スリリングだよね!」
「ちっとも面白くないっての!」
 周りでざわつき始めるやじうまの声など耳に入らず、様々な物が散乱している路上に三つの元気な声がこだまする。あまりにも突拍子も無い展開にはアルムも開いた口が塞がらなかったが、しばらくして無事であるのを実感すると、緊張の糸が途切れて顔をくしゃくしゃにしていた。時間にして一日と経っていないのに、随分と長い間離れていたようで、久方ぶりの再会は喜びもひとしおだった。
「ヴァローも、ティルも、ライズも、レイルも、みんな無事だったんだ。ほんとに良かったぁ……。もう助けられないんじゃないかってすごく心配したんだよ」
「無事で安心したのはこっちの方だっての。城で捕まってるとばかり思ってたから、早とちりしなくて正解だったよ。体の方は大丈夫か?」
 相手の姿を捉えてから互いに交わす言葉は、どちらも相手を気遣う旨のものだった。同じことを考えていたのだと気づいた次の瞬間には、両者には笑みが零れる。アルムは胸のつかえがようやく下り、力が抜けてその場に座り込んだ。足元の冷たさよりも、心に溢れた温もりのほうが勝っていた。
「あーっ、アルムだ! おかえりー!」
 アルムの姿を視認して早々に全速力で飛んでいったティルは、隙だらけのところに思い切り体当たりを噛ました。もちろん本人は歓喜の思いを全身で表現したつもりであるが、その結果としてアルムを背中から地面に押し倒す事になった。非力なアルムでは支えきれず、二人の体はふわふわの雪の中に埋もれてしまう。少し間を置いてから同時に起き上がってきた時には、顔にはすっかり雪の化粧が施されていた。
「もう! ティル、いきなり飛びつくなんて痛いよ!」
「ごめーん。でも、アルムが帰ってきてくれて嬉しいの! もうどこにも行かないでね」
 雪を振り払って覗かせた二人の表情は、残った氷の結晶も相まってきらきらと輝きを放っていた。本当の兄弟のように微笑ましい様子で、今しがた自らの身に降りかかった事など、心に一片も残っていないようである。しかし、喜びの余韻に浸っているわけにも行かず、ニョロトノが咳払いと同時に水を差した。
「再会を楽しむのはいいが、抱き合うのはそこまでね。今はおいちゃん達の身に何が起こったのか整理しないといかんからの。ついでに良いタイミングで離脱していた者も来たようであるしの」
「――戻るのが遅れてごめんなさい。ここを襲撃したのはやはり奴らの仕業ですわよね」
 騒動の対処にかまけて忘れられていた者が遅れて舞台に登場し、これにてようやく役者は揃った。地面に密着した四足で雪の上を滑らせるようにしながら集団に近づいてくるのは、長い首と巨体を誇るラプラスのフリップだった。拠点が尽く破壊されていても大して動揺してはおらず、二つの出来事が混在する複雑な状況を瞬時に把握していた。
「間違いなくそうだろうの。ところで、フリップは偉い時間が掛かっていたようだけど、一体どこでちょっと道草を食ってたん? 詳しく教えてーな」
「そうだよ。ちょいと遅かったね」
「ええ、道すがらちょっとした頼まれ事をされましてね。私の用事は急ぎでもなかったので、片手間に熟してましたの」
 道草とは失礼な――その場にいる誰しもが抱いた反論を、フリップが口に出すことは無かった。やけに淡々とした返しをする辺りは、長い付き合いによる慣れた関係だからだろうとアルムは自分に言い聞かせた。アルムにとっては初見で正体は分からなかったが、気軽に彼らの輪に入っていることから見ても、ニョロトノの仲間であると判断していた。何よりもシオンが特に口を挟むこともなかっただけでも信用に値していた。
「さて、これからどうしたものかいの。また襲ってこないとも限らんし、そもそも何故この機会を狙ってか分からないから怖いの」
「でもでも、仮に明確な目的を持ってここを攻撃した奴がいるなら、そのまま野放しにしておくのもどうかと思うよ。今すぐ捕まえるのは難しいだろうけどね」
 ループがさりげなくフリップに目配せをすると、彼女はアルム達の前では見せる事のない寒気すら感じる氷の如き眼差しを周囲に向けた。それが暗に示すのは、敵がまだ近くに隠れている蓋然性であり、予断を許さない状況にいる事である。外野の中には気迫に当てられて(おのの)く者もおり、和やかだった空気もまた一段と引き締められていた。

 城の者同士の密談に入る傍らでは、アルム達一行はほとんど蚊帳の外へと追いやられていた。しかし、それでふて腐れているという事もなく、互いにこの場で再会するまでの経緯に関する話に花が咲いていた。アルム達からはルッツやアカツキの事を含めた脱出劇の一部始終を、ヴァロー達はニョロトノの素性を踏まえながら救出計画を練っていた事を語った。
「それにしても、よくもあの牢獄から逃げ出せたもんだな。普通は一国の牢獄から抜け出すなんて容易いことじゃないはずだ。そのルッツって三闘士の一人には感謝だよな」
「それはもちろんそうなんだけど、あそこにいる二人はその――残りの三闘士なんでしょ? 何だかわけが分からなくなってきちゃった」
 先程は氷の壁で倒壊からヴァロー達を守り、協力するとまで申し出ていたラプラスとタマザラシも、城で囚われの身となったアルム達を牢から出したツンベアーも、同じ三闘士の一員だというではないか。不可解な事ばかりが次々と現れては解消してはの繰り返しで、アルム達も関係の整理に追われて混乱し始めていた。
「ちょいちょい。その話には興味があるから混ぜてくれんかいの」
 こっそりと聞き耳を立てていたニョロトノが、血相を変えてアルム側の話に食いついてきた。予告もなしに顔を近づけられ、しかもそれが真横だったため、アルムは驚きのあまり大きく飛び退いた。咄嗟に出た反射行動とは言え、何の意味の無い回避には、アルムを除く全員が微笑んでいた。機嫌を損ねて一時はそっぽを向くアルムだったが、ニョロトノにたしなめられて会話の輪に戻る。
「それで、ルッツが本当にそんな強引な方法で脱出させたんかいの? しかも、何やら去り際に意味深な事まで言い放った、と」
「そうなんですよ。僕達を逃がしたいのかそうじゃないのか、よく分からない事を言ってました。それと、変な気配と言うか、薄気味悪さを感じたんですよね。あくまで僕の直感なんですけど」
「――そうか。はてさて、何を企んでいるのやら。いくら友好を結んだ国の王女がいるとは言え、の」
 素性を話さずとも王女という単語が出た以上は、出会った当初から見抜いていたと言う事になる。鋭い洞察力に感心こそするものの、アルムとシオンはすぐに違和感に取り憑かれる事となる。あの時点では逃げる事を念頭において深くは考えなかったが、逃亡の手助けをする事でルッツにとって得などないはずである。逆に目論見が失敗すれば、反逆の罪に問われる危険を(はら)んでいるのみである。二人にとってはますます謎が深まっていく中で、ニョロトノ達は二人よりもさらに不審がっていた。ほんの僅かに生まれた間が全てを物語っており、唸り声を上げて考え込んでいる中で、フリップのみが物思いに耽った虚ろな面構えを解いてアルム達一行を見下ろした。
「そうだ、あまりにもいろんな事が起き過ぎて忘れていましたわね。仲間も無事に戻ってきたことですから、あなた達は早くこの国を出た方が良いと思います。いつ何に巻き込まれてもおかしくありませんし」
 アルム達の身を案じたフリップの勧めには一理あり、状況的に考えても(もっと)もであったが、アルムは何かが心に引っかかっていた。具象出来るような確たるものではなく、ぼんやりとした輪郭しか持たぬものながらも、目の前に迫る危険を回避する道を蹴ってでも、そのもやもやの方に進みたい衝動に駆られていた。だが、自分の一存で決められないことは重々承知しているため、一旦自らの思いを封印して意見を仰ごうと全員の顔を見た。ここは大事な分岐点だと、第六感がそう告げているが故である。
「私は……オルカの事が気がかりじゃないと言ったら嘘になる。でも、ほんのさっきルッツさんの協力のお陰で何とか逃げ切れた矢先に、またアルムを危険に巻き込みたくはないの。だから、この国の事はもう……うん」
 シオンはあえてここを離れるとは明言しなかった。二人の事を思うがあまり葛藤して、答えを絞る事が出来ずにいるというのが正しい。傍からすれば曖昧な答えだが、シオンにとってはこれが精一杯であり、所作のところどころにも心境の揺れが表れていた。幸いにも配慮に欠ける者はこの場には誰一人としていない。
「俺はシオンと似たような理由で、ここに留まるのは反対かな。俺たちの目的は達したし、これ以上揉め事に関わるのは得策じゃないとは思う」
 片や炎の力を身に宿すガーディは、その燃え立つ意志を貫き通そうとしていた。彼には彼なりの正義があっての物言いであり、瞳には一点の曇りも映っていない。
「ボクはアルムにどこまでもついてくー! 置いて行ったら怒っちゃうもん!」
 的の外れた発言の時点で、到底議題を理解しているようには見えなかった。だが、言わんとしている事は単純明快だった。ティルは一部アルムに依存している節があり、どこであろうと離れるという選択肢を採らないことが明白である上は、反論や質問の余地はゼロに等しい。
「私は主の指示に従います。リーブフタウンでお会いして以来、あなたに付いて行かなければならないという使命感の下で忠誠を誓いました。今はあなただけが私を自由にして解き放ってくださるのです。私の進むべき道は主と共にあります」
 レイルはやたらと強く、簡単には捨て置けない自己主張が目立った。どんな意味を込めて放ったのか、はたまた意味など篭っていないのか、当人以外には測りかねた。一つアルムにも分かったのは、ティルと同様な答えだというくらいだった。アルムとしてもレイルに対する懐疑的な気持ちは拭えないが、今は目先のことに集中しようと努め、深く考えるのは止めにした。
「アルムくんはどうしたいの?」
「ふぇっ!? ぼ、僕に聞いてるの?」
 意見を纏めあぐねて誰もがだんまりを決め込む中で、先陣を切ったのはライズだった。自分に対するものだとは予想だにしておらず、アルムは場にそぐわない素っ頓狂な声を発した。うろたえて顔が紅潮しているアルムに、ライズは優しい声遣いで語りかける。
「そう。僕はアルムくんの考えを尊重したいし、それに付いて行きたい。これが僕の意志だよ。だから、僕はアルムくんにこれからの行程を委ねるよ」
 ライズは真っ直ぐに澄んだ瞳を向けて、あくまで従順な姿勢を崩さなかった。決して主体性に乏しいわけではない。協調性に富んでいるのと、アルムに対する信頼度の高さを示したに過ぎない。そんなライズらしい強い主張は、他の仲間にも少なからず影響を及ぼした。堅く考え込んでいたらしいヴァローは、強張っていた口元をふっと緩めた。
「そうだな。俺もアルムに従うとするかな」
「ちょっ、どうせライズの真似して言ってみただけでしょ? 変な冗談は止めてよ」
 ライズの言葉はまだ受け入れられても、ヴァローの言葉には真意が読めず、血迷っているのだとしか思えなかった。だが、本人は至って神妙な面持ちで控えていた。大きく揺らぎこそすれ、旅立ちを決意した時と同じ、一心に親友(アルム)の事を慮るという根幹は変わっていない。まだ半笑いで信じていないアルムに向けて、ヴァローは一貫して胸に持つ思いを言の葉に乗せる。
「確かにライズの後じゃふざけてるように聞こえるかもしれないが、俺は嘘を言ったつもりはない。時折見せるお前のすごい勘に賭けてみたくなった」
 ヴァローはヴァローなりにライズの良いところを見習って、柔軟に物事を考えることに決めていた。そしてそれはつまるところ、アルムの決定が最優先されるという事になる。判断次第では全員の運命をも左右しかねないという重い責任感がのしかかってきた。逼迫した場面から逃れようとの思いからか、緊張で掠れた声が漏れる。
「え、あ、あの、そんなすごい勘なんてあったっけ?」
「悪い悪い。それは嘘だ。むしろお前に鋭い勘なんてない」
 気負わずとも良いと言われようとも、今のアルムの耳には届かないであろう。だが、そんな言葉よりも、普段は滅多に嘘を吐かないヴァローが嘘を吐くことで、心地よい感覚と共に緊張が解けていった。ほんの少しの面映さを覚えたのは、ヴァローの知るところではなかったが、アルムにはこの上なく大きなものだった。
「でも、どうなっても恨みはしない。誰かが決断を下さなければならないのだとしたら、俺はアルムを信じて先に進みたいって思う。それだけだ」
 役者張りの決め台詞の後は、おどけたように舌を出して破顔する。直球で言った反動の照れ隠しと、緊張を解そうとする二重の意味を籠めた茶目っ気のある行動は、アルムにもしっかりと伝わっていた。その後に必要以上に言葉を交わす必要はなかった。ただ相手の目を見つめて、ゆっくりと頷くだけ。優しさは充分にその身に感じており、アルムはもう前だけを見据えていた。恐れや気後れなど、とっくに脇にかなぐり捨てている。
「僕の考えはね――オルカと面と向かって話をしてみてから判断したいんだ。ちょっと勝手かもしれないけど、それでもいいかな?」
 どんな性格や気質を持ったポケモンか、遠くから眺めただけでは到底分かり得ない。そして何よりシオンの言葉を信じたいと言うのが率直な想いだった。いきなり打倒するのではなく、彼の行動を自分の目で確かめ、その上で慎重に動きたい――そんなシオンの思いを中心に据えた、全員の思いを纏めた結論に至った。
「いいに決まってるじゃないか。アルムが本当にそう思ってるなら、俺は反対するつもりはない」
「僕達はそのアルムくんに付いて行って協力するつもりだから」
「私も常に主の傍に控えて支援するつもりです」
「細かい事はよくわからないけど、ボクも何かお手伝いする!」
 目前に大きな問題が迫った時は恒例となった相談だが、今回は特に違った印象をアルムは抱いていた。単に他者の意見に乗っかるのではなく、それぞれが確固たる意志を持って思いをぶつけ合っていた。いつも以上に緊張してアルムの意志表示を待っていた者達は、返事が分かった途端に明るい面差しで首肯する。唯一返事をしていない俯き加減の王女は、しばらくどう声を掛けて良いものか戸惑って、決心が着いたところでアルムに正面から向き合った。
「ありがとう、アルム」
 凛とした目を見れば答えは一目瞭然だった。悩みも吹っ切れた清々しいシオンを久々に見れた気がして、アルムも心が落ち着いていた。一行の意見が纏まった今、ニョロトノ達側の回答を待つのみである。本来は城の者だけで収集すべき問題に、一般の、しかも他所からの訪問者を巻き込むことは、ニョロトノ達にとっても苦渋の決断である。アルムとシオンが囚われていた頃からは状況は急変しており、彼らを伴わせるのは決してプラスの要素だけではない。だが、シオンの存在が大きいのも事実であり、当人達も自ら留まる事を望んでいる。その気持ちを無下には出来ないというのが正直なところだった。
「お前さん達の思いは分かった。だけど、この先は本当に何が起こるか予想もつかない。危ない橋を渡る事は覚悟の上になるけど、本当にいいんね?」
「もちろんいい――んだよね?」
 口を衝いて出たのが確認の言葉では、何とも頼りないものである。当の本人はそんな事を気にするはずもなく、躊躇いがちにニョロトノに背を向けた。その拍子に頭に溜まっていた雪が振り落とされ、目を閉じざるを得なくなる。次に視界が開けた時には、目の前まで何か黄色い物体が迫っていた。
「いちいち確認しなくても大丈夫だって!」
 はきはきとした言葉の調子で真っ先に駆け寄って背中を叩いた――その者がライズだと認識するのにアルムは時間が要した。行動を起こした側も受けた側も、きょとんとして紡ぐべき言葉を見失ってしまう。
「え、どうかしたの? もしかして痛かった?」
「ううん、そうじゃないよ。ただ、ライズがこんな事するの珍しいなって思っただけ」
「変だった? ねえ、そんなに変?」
 ライズがあたふたと取り乱す様子が面白くて、罪悪感を覚えつつもつい頬を緩めた。あまり放置するのも可哀想だと思い、今度は嘲笑の欠片のない、暖かな笑みを向けた。 
「ごめんごめん、別に変でもないってば。そういうライズもいいなあって思ったの。ほら、絡むって言い方するとおかしいかもしれないけど、ライズの方からそうやって積極的に来てくれる事って無かったから。それは僕も同じだから、君の事をとやかく言えないんだけどね」
「それなら安心したよ。もし嫌われたらどうしようかと思ってね。僕さ、上手く言えないけど、何だか――」
 不意に言葉が宙に浮いて止まった。妙に浮かない顔をしているのも不思議ではあるが、そのまま顔を俯けてしまうのが合点が行かない。顔色を窺おうとアルムが身を屈めようとすると、背筋を伸ばして途切れた言葉を再び掻き集めようとする。
「――って、そうだ、話が脱線するところだったね。ともかく僕は、危険が伴おうとも構わないからさ。行こうよ。行ってとっとと片付けちゃおう」
 彼の纏う雰囲気から穏やかさが形を潜め、鋭利さが前面に押し出されていた。語尾の辺りの声色を低く尖らせるなど、強気な態度が見受けられた。単に鼓舞するために言っているだけではない、異様なまでの気迫も感じられる。アルムの事を気を留めずにじっと城の方を見据え、意識を集中しているようだった。目の前に立っているのが先程まで困惑していたライズだとは到底信じられず、傍にいるアルムはたじろいでしまうほどだった。
「ね、ねえ。ライズ、どうかしたの?」
「別になんでもないよ。ちょっと気合いが入り過ぎただけかな?」
 立場が逆転して同じ事を聞き返す事になったが、当のライズはけろっとしていた。頬からの青白い放電も今は静まっており、怪しい気配も掻き消えていた。結局疑問は晴れないままではあるが、アルムも胸騒ぎが収まったところで、さらに気を引き締めて周りを見渡した。自分を中心にして囲んでいる面々は、毅然たる様子で出発の時を待ち構えていた。
「もう全員一致で良いと言うことだな。では改めて、城に向かう事にしようかの」
『はいっ!』
 いつの間にか遠巻きに成り行きを見守っていた群集も完全に姿を消していた。雑音のない寒空の下に、いくつもの威勢の良い声が響き渡る。これから赴く地が危険に満ちた場所であるというのに、そんなプレッシャーなど跳ね除けてしまいそうな頼もしい活気を帯び、一路城へと歩みを進めていく。それぞれの想いが交錯する道のりは、果てしなく続く茨の道か、はたまた曲がりくねった道か。未だ知らぬ終点へと突き進むその背中は、どんな険しい行路であろうと乗り越えてられそうなほどに勇ましいものであった。
 

コメット ( 2013/02/26(火) 23:03 )