エトワール・フィランテ〜星降りの夜の導かれし出逢い〜


















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第十章 渓谷にある氷の国の現状〜王子と不審な影〜
第七十八話 王子の胸中と思わぬ姿〜始まりを告げる騒乱〜
 氷の剃刀のような突風が吹き荒れて、外の世界は空も含めて雪に乗っ取られつつある。国民が幾度となく乗り越えてきた寒波も、この時期はそれまでよりも一段と厳しく見えた。雪は地面に降ると言うよりも、叩き付けられているという表現の方が相応しい程に、間髪入れずに空から落ちてきている。恐らく普段冷たい物に慣れ親しんでいる水・氷ポケモンを以ってしても、この環境に身を置けば寒さを身に染みて感じるであろう。
 山間に位置するこの国にあっては、強固に造られた城でさえもその吹雪に容赦なく晒されており、吹き曝しになっているところは目下降り積もっていた。もはや掻き分けて進まなければならなくなっている二階の通路には、ポケモンの姿は全く無くなっていた。唯一テラスとなっている箇所から身を乗り出すようにして、国を眼下に見下ろして佇んでいるポケモンを除いては。水色の肌色をして白く長い髭を両頬二本ずつから生やしており、腰には帆立貝のような武器を携えている水タイプのフタチマルという種族のものである。
「誰かそこにいるんだろう? こそこそ隠れてないで出て来たらどうだい」
 荒れ狂う突風の音で足音が掻き消されようとも、フタチマルのオルカは気配で接近を察知していた。真っ白になった荘厳な装飾の柱の影から一歩前に踏み出してきた正体は、長い頸部と小さい頭部が特徴的で、爪と肉球以外は全身が白い体毛で覆われているポケモン――ツンベアーである。こそこそしなくても良いとなったら、堂々とした足取りでオルカに接近する。
「さすが王子、良く気づかれましたね。気配は出来る限り絶ったつもりでしたのに」
「お世辞はよして。別にそんな事で褒められても嬉しくないから。それに、どうせ本当は鈍感なのさ」
 三闘士の一人――ルッツには気づいていても、オルカは一切振り向こうとはしない。手慰みに積もった雪の感触を確かめるだけで、白髭を風に靡かせながら物思いに耽っているようだった。自らが治める領土に目を遣りつつ、視界を埋め尽くす吹雪を呆然と見つめていた。決して厭うような面持ちではなく、絶えず生物達に牙を剥くこの天候に見惚れているようである。
「ほら、せっかくだからこの猛吹雪を見てみなよ。恩恵を預かっていると言うべきか、それとも猛威に見舞われていると言うべきかな。きらきらとして美しい一方では、過酷な一面を見せるのが雪だからね」
 白く暖かい息がオルカの口から大量に零れ、徐々に広がりながら立ち上っていき、遂には雪の嵐が支配する空間へと消え入った。オルカが篭めた思いも一緒に鉛色の空に溶けていき、それを投影するかのごとく、漂っている雲の色の深みも増していく。ぼんやりとした視線で天を仰ぎ、そのまま凍りついている手摺りに寄り掛かった。
「この国はさ、本当にすごいと思う。これだけ身動きが制限される極寒の地で発展したんだからさ。でも、そうやって今まで長年掛けて築き上げたものを、国の主が壊そうってんだから、変な話だけどね」
「一体どうなさったのでしょう。何か不安でもおありですか?」
「――僕はもう、手に負えないところまで来てしまったのかもしれないな。全てが手遅れ、後手に回ってるんだろうね。何とも滑稽に見えるというか。やはり僕はそこまでの器じゃ無かったって訳だ」
 ルッツの気遣う声が届いていての反応か、心の底から出た単なる独り言か。国の中枢である組織が内部から分裂し、全てが水泡に帰そうとしている事を鑑みての自嘲交じりの吐露が見られた。城下町にて堂々たる態度を誇っていたはずの一人称も、ものの見事に崩れている。仮に悲嘆に暮れた様子が本物ならば、これまでの所業は全て冷酷な仮面を被って違う自分を演じていた事になる。弱気な自分を偽る事に疲れた彼が見せる、ほんのひと時の素の表情であり、零すところもなく心の檻の中をさまよっていた本音だった。
「父上が急に倒れてしまって以来、ちょっと周りの言葉に翻弄され過ぎちゃったかな。昔から統治するための勉強は散々してきたつもりだし、それなりの実力も手に入れた気でいたよ。君はどう思う?」
「王子に関して、ですか? 私は、その――」
 即座に返答が浮かばず、ルッツは途中で言葉に詰まった。ここで下手に機嫌を損ねるような事を並べ立ててしまえば、置かれている状況も危ういものとなる。ルッツはその辺も計算ずくで回答を急こうとするが、失礼に当たらない内容で、かつ瞬時に上手く切り返す事は出来なかった。だが、それはルッツの取り越し苦労だったらしく、オルカは振り向きざまに口元に微笑を湛えていた。
「ルッツには分かるかい? この国の全ポケモンに対する責任を背負って、ちゃんと導いていくってどんな事か……。いや、君は充分知ってるかな」
 感慨深げに街を見下ろしているオルカから、今度は一続きの白い息が目一杯漏れた。魂胆があるのかどうかはルッツには分かりかねたが、近寄りがたい背中を向けている事に一抹の不安を覚えざるを得なかった。この高さから飛び降りてもおかしくないほどに、頼りなげであまりに弱い姿を見せ過ぎている、と。
「王子、お言葉ですが、あなたは何をおっしゃりたいのですか? はっきりと伝えてくださればいいんですよ。長年の付き合いではないですか。私の事が信用できませんか?」
「ごめん。変な事を言うつもりじゃなかったし、信用していないわけでもない。ただ、自分のやってる事を正当化したかったのかもしれない」
 ルッツには態度の豹変がどうも腑に落ちなかった。恐らく城の中では一番近い地位にいながら親しくもあるルッツにさえ意図が読めず、挙句の果てには弱音まで吐き始めた。しかし、何を伝えたいのかまでは明確にしていない辺りは、疑ってかかるしかなかった。様子見のつもりで、そして寄り添って支えになる事を暗に示すためにも、脇に並んで立つ事にする。
「王子、もし何かやり直したいのなら、今ならまだ間に合いますよ。私も誠心誠意お手伝い致しますから」
「いや、それはいいよ。これは僕の一存で決めて勝手にやってる事だ。君にこれ以上片棒を担ぐような事をさせはしないよ。君は誰よりも僕の事を心配して尽くしてくれる。だからこそ、大事な君に汚名を着せないためにも、もうこれ以上失態を重ねるわけにはいかないんだ」
「オルカ王子……」
「まあ、これだけ協力させておいて、担がせないも何もないけどさ。すまないね、僕に力がないばっかりに、君達には迷惑をかけてばっかりで。何だか延々と続く回廊を彷徨っているような気分だよ」
 フェンスから手を離したオルカは、無理に笑っていた。非情な一面を見せるのに疲れた彼が作った笑顔は、感情を必死に押し殺しているようで見ていて痛々しいほどである。だが、それも長くは続かなかった。手摺りにかけていたマントを掴んで雪を払うと、一気に羽織って背筋を伸ばした。
「さあ、“私”はこれから仕事の方に戻る。ルッツは引き続き国の巡回の方を頼むよ」
 次の瞬間には不安に満ちた表情がすっかり影を潜めていた。王子の象徴を身に纏う事で、気持ちの切り換えを図っていた。見慣れていた王子が目の前から雲隠れした気がして、ルッツは複雑な心境のまま、大きいようで小さいその背中を見守る。
「さあ、王子。時間が押しているので、次の職務を急いでお願いしますよ」
 ほんの僅かな余暇を終える絶好のタイミングで、別のポケモンが待ち構えていた。両手に携えた花はそれぞれ赤と青という対照的な色に染まっており、頭から伸びる三本の棘も含めて薔薇を彷彿とさせる体躯を備えたロゼリアという種族であった。ポケモンでありながら植物に近い生体をしている身でありながらも、この生存さえも危ぶまれるような気象条件をものともせずに立ち振る舞っていた。
「ああ、そうだったね。今から至急向かおう」
「よろしくお願いしますね。そうそう、ルッツ殿も早く自分の持ち場に戻られてはいかがかしら。こんなところで油を売っている暇があるのでしたら」
「あなたに言われなくとも分かっている。では王子、くれぐれもお気をつけて」
 返事をした後はゆっくりとした歩調で、かつ後ろ髪を引かれるようにルッツの元を立ち去っていった。オルカの後ろ姿を見送り終えるや否や、互いに主君には見えないところで火花を散らしていた。ルッツは口を固く一文字に結びながら後ろ手で握りこぶしを作り、ロゼリアにも隠れて不満を爆発させていた。
「おやおや、私に口応えでもするつもり? 付き合いが長かろうと短かろうと、貴方も用が無くなったら捨てられる運命になるのを分かっておいでで? 無能なものは要らないんですのよ。それを承知の上なら好きなようにしてよろしくてよ」
「こちらこそ言わせてもらうが、この国ではまだ新参者に部類されるあなたがいちいち口を出さないでもらおうか。口ばっかりのあなたの方がよほど無能に見えますがね」
 二人は元より真っ向から意見が対立していた。侮辱を交えた応酬が続き、一触即発の事態に際したところで、表面上の繕った笑顔は形を潜めた。双方が所有する武器ともなる両腕を軽く前に突き出し、威嚇の姿勢を取って対峙する。きっかけさえあれば、共に戦闘を始める気は満々である。
「そうだ。国王が倒れられてすぐ、対応にあくせくしていた王子にあなたが手を差し伸べて親密に接するようになってから、あの方はおかしくなった。単刀直入に言わせて頂くと、私には王子があなたに何か吹き込まれたのではないかと疑っているんですけどね」
「あら、随分とずけずけと物を言いますのね。良いですわ。よしんば私に策略があったとして、今の状況が私にとって何の利益があるとお思いで? この国の主の元にお金が入って来たところで、私自身には大した問題ではありませんし。もし私の問いに答えられないのなら、私を糾弾するなんて出来ませんわね」
 確実な批判材料に乏しい現時点では、ルッツとしてはぐうの音も出なかった。勇み足で仕掛けた事が災いして、言葉攻めは結局ロゼリアに軍配が上がり、ルッツは泣き寝入りする羽目になりかねないところまで来てしまった。だが、会話の中に僅かな光明を見出したルッツは、ここで一か八かの賭けに出る。
「だが、そのお金を隠れて横流しでもしていれば、話は別ではないのかな?」
 捨て鉢とも取れる手段――それは揺さ振りを掛ける事だった。頼んでもいないのに、自ら金銭面について触れてきた。そこが怪しいと睨んだルッツの目論見は功を奏し、ロゼリアの顔がほんの一瞬引き攣ったのを見逃さなかった。ここは正念場と決め込んで、表情を一層引き締めて咳ばらいをした。
「確かに普通にお金を徴収しているだけでは、臣下の誰の下にも入らない。それをこっそり懐に入れていれば、その分は利益というのではないだろうか。君は出納も担当していたのではないのかな? しかも、我々が存在すらも知らなかった君が国王の推薦で選ばれるなど、虫が良すぎるしな」
「あ、当てずっぽうで言うのはお止めになってくださいな? 貴方の独断による推察で話されても困りますわね」
 偶然にも的を射た事を言ったらしく、思いの外大きな反応が返ってきた。明らかな動揺が窺え、一気に形勢が逆転したのを機に、ルッツはここぞとばかりに畳み掛け始めた。平然としていたロゼリアも心にゆとりが無くなったのか、頻りに口元を動かしていた。
「最初は勢い任せだったのは認めよう。ただ、たった今述べたように、王子に仕えるようになったのが最近で、しかもその時期と税の徴収額を上げた時が重なるんだ。一枚噛んでるような気がしてならないんだよ」
「なるほどね。ありえなくも無いけど、証拠もなく言ったところで、告発にも何にもならなくてよ。それは貴方も良く分かってるんじゃなくて?」
 尻尾を掴み掛けたところで、ロゼリアに敢え無く言い包められ、真相には辿り着けなかった。この国には城の者を裁く機関もなければ、告発といった制度も存在しない。全ての権利は国王に一任されているからである。ずっと今の地位に務めてきたからこそ酷く痛感されられて立ち尽くしているルッツの脇を、ロゼリアは速足で通り過ぎていった。
「貴方も“あのお方”と同じように甘いですわね。貴方達がそんなだから、国も廃れていくのですよ。王子のように柔軟になるべきね」
 振り向いた時には既に姿を消しており、婉曲的な言い回しの捨て台詞を残していった。僅かに宙に漂っている光の粒子を訝りつつ、ルッツは歯を食いしばって無念と憤りを密かに募らせるしかなかった。
「この国にはおろか、周辺の地域にもロゼリアなどという種族はいなかったはず。では、あいつは一体何者なんだ――」
 悔悟も早々に切り上げて原点に立ち返ってみると、さらに大きな難題にぶつかった。しかし、壁として高々と立ちはだかる事実は、ともすれば糸口にもなろうとしていた。このままでは引き下がれないと、久しく眠っていた意地と自尊心が沸々と湧き上がってきた。だが、そんな意志も直後に沈静させられる事となった。
「はぁ、はぁ……る、ルッツ様! 大変です!」
 その原因は、突発的に城中に溢れ返ったけたたましい炸裂音と悲鳴の数々だった。ルッツの元に辿り着いた一介の兵士の息遣いの荒さからして、事態は相当深刻なようだった。その兵士は、楕円形に近い体に被せている雪傘を両手で押さえ、その場にしゃがみこんで体裁を整えた。体の色が黒くて顔色は判別しづらいが、白い歯が剥き出しになっている口元の歪みによって辛さは容易に想像できた。
「何が起こっているんだ? 呼吸を整えてゆっくり説明しろ」
「は、はい。この城が何者かに襲撃されています!」
「まあ、この衝撃音を聞く限りはそうだろうとは思っていた。それで、その犯人の正体や行方は未だに掴めていないのか?」
「現在尽力はしていますが、足取りが追えません。ただ、無差別に次々と攻撃を仕掛けているのは確実です」
 ユキワラシの報告を聞き終えるや否や、ルッツは腕組みをしたまま苦虫を噛み潰したような面持ちを見せる。焦りよりも狼狽の方が色濃く表れており、問題が頻発する事を嘆いているようだった。泣き言を言ってもいられない立場ではあるが、全ての状況把握もままならぬまま収拾に奔走する事を余儀なくされる事はルッツとしても腹立たしい。舌打ちと共に握り締めた拳を城壁に叩きつけて苛立ちを解消すると、望まぬ職務を熟しにひた走るのであった。





コメット ( 2013/04/30(火) 23:08 )