エトワール・フィランテ〜星降りの夜の導かれし出逢い〜


















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第十章 渓谷にある氷の国の現状〜王子と不審な影〜
第七十四話 王と王子と三闘士〜ライズの明かした赤き証〜
 藁葺きの家にところどころ見られる隙間からは、風が吹き抜けて周囲を瞬時に冷やしていった。ぱちぱちと爆ぜる音と、飄々と流れる風の音が、絶え間無い刺激を耳に伝えていた。僅かに焚火に混ぜた干し草の焼けた香ばしい匂いが辺りに立ち込め、隙間風で外に流される分が多少なりともあっても、空間は薄い白煙で覆われて霧の中に迷い込んだような錯覚さえ感じていた。寒さが一段と厳しくなり、暖房代わりの焚き火が追いつかないくらいだが、それよりも気がかりの事があって気にはならなかった。依然として怪しい者達であるという疑いは晴れないが、一応名乗ってきた上でご丁寧に説明を受けたからには、ある程度受け入れざるを得なかった。何よりもニョロトノを信じてここまで付いてきた以上、ありのままを信じるよりほか無かった。
「で、よりにもよってその三闘士とやらが何故王子に反抗しているんだ? 一通りの話を聞く限りでは、本来は城で王家の者に仕えてるはずじゃないのか? そこらへんの兵士よりも重要な立場らしいなら尚更だ」
 あらかたの説明を終えてからの開口一番は、ヴァローが掻っ攫っていった。相手方に騙すつもりがなければ、ラプラスのフリップと、タマザラシのループ――目の前に悠然と構えているこの二人が三闘士の一員である事になる。ヴァローの疑問はもっともであり、的を射るような事でもあるが、それを突きつけられても困惑している様子は二人には無かった。念のためマイナンのライズとポリゴンのレイルも怪しい素振りがないか監視役に回っていたが、疑わしきはむしろライズとレイルの方に見えるほどに変わった様子は無かった。
「それは当然気になる事柄ですわよね。そうです、私達が離反したのは先程も申し上げましたが、それにはここ最近の王子の不可解な行動が理由としてあるのです」
「と言うと?」
「それがですね、突如として国民の生活を圧迫するような方針を取り始めたのです。時期としては、お父上の国王が倒れられたのとちょうど同じ頃でしたわね」
 核心に迫った発言によって空気が一気に凍りついた。内部の者として関与しているループ達はもちろんの事、この国の事情を知らないヴァロー達でさえも親告された事実に度肝を抜かれていた。いかにも機会を狙ったかのような動向だったという言い回しに、ティルを除いた訪問者一行が息を呑んで真実を迎え入れる準備をした。
「もちろん、時期に関しては単なる偶然かもしれませんし、この二つが結びつく確たる証拠はありませんわ。そもそも王子も元々は国民にも慕われている人の良い方でした。私達もその人柄に惹かれて、次期国王になっていつかこの国を治めるであろう彼に期待を寄せていましたしね」
 不意にフリップが見せた柔和な微笑みは、この薄暗く寒い空間に置いても暖かさを内に秘めていた。誰もいない入り口に視線を向け、どこか遠くに思いを馳せているようだった。哀愁漂うその後ろ姿と穏やかな瞳には、かつて抱いていたであろう敬愛心が強く篭められていた。
「国自体も平穏そのもので、大した争いも起こることなく日々を過ごしていました。しかし、ある日お父上が倒れて以来、同じ王子なのかと疑うほどに変わってしまいました。最初の内は国王の代わりを果たそうと気を張っているのだと思っていましたが、どうやらそうではないのだと徐々に分かりました」
「何かおかしな兆候でもあったのか? その、王子が明らかに違う思惑を抱いている、みたいな」
「そうですね、それまで一定額のお金を集める一制度として“税”と言うのがあるにはあったのですが、その徴収料は微々たるものでした。それが近頃急に跳ね上がったのが一つですわね。この国はそんなに財政面が苦しいわけではありませんから。それで、ここからが本題になりますね。私達も疑問を抱いて何度か王子に進言しました。彼は誰の声にでも耳を傾けるような方でしたし、今回もそうして下さると信じていました。しかし、その時は全く聞き入れて貰えませんでしたわ。自分のやっている事は正しいのだと、全ては国民の為なのだと、頻りに言っていましたけどね。私達はその時点で彼に見切りを付けて、別の道を歩む事にしたのです」
 ヴァロー達一行はそれぞれ首を捻る者と唸り声を上げる者の二通りに分かれた。前者が概要すらも理解しきれていないティルであり、後者は問題の全容を把握した残る全員だった。国の深刻な事情よりも離れ離れになったアルムの方が気がかりであるティルにとっては退屈な話でしかなく、理解しようとするのを諦めて焚き火の近くに飛んでいった。羽衣に付着した雪を火に近づけた際に、溶けて水になったのをまじまじと見て形状の移り変わりを楽しんでいる様子だった。
「全く、相変わらず緊張感の無い奴だな」
「まあ、元気なのは良いと思うんだの。ああいうのを見てると少し和むから」
 ヴァローとループが後ろ姿を見遣りつつ思い思いに呟いた。その一方で、皆の方に背を向けて見えないところで、ティルの面持ちには影が浮き彫りになっていた。アルムが欠けているのは相当寂しいらしく、それでもなるべく表に出さないように努めていたのは、アルムから自分を抑え込む――“我慢”を学んだからであった。ティルはティルなりに、目に見えないところで成長を遂げていた。
「じゃあ話を戻すと、結局王子を何とかしない限り、この国の状況は良くならないと言う事だな。アルム達の事も含めて」
「そうなるかの。具体的にどうすれば良いか、見通しはいまいち立っておらんがの」
 ニョロトノにそう締め括られたところで、ヴァロー達は返答に詰まった。さすがにアルム達を放っておくわけにはいかないが、だからと言ってこの状態で下手に首を突っ込むのは賢明な判断ではないとも頭では分かっていた。特に目の前で連れ去られた事に自責の念を感じているヴァローは早く動きたいという思いが強かったが、ここはぐっと堪えておくびにも出さなかった。
「そうなると、このまま黙って見てるしかないのか」
「もしそう言いたいだけなら、おいちゃんも君達をわざわざこんなところまで連れてくる訳ないんよ。ここへ来たのは、対策を練るためなんやからね」
 それまでのどんよりした重苦しい空気から一変し、一層ぴりぴりした緊張感が漂い始めた。ヴァロー達も意識せずとも肌で感じ取っており、ニョロトノ達が真剣な表情で目配せしているのが余計に際立って目に映った。
「さっきフリップが言ってた“別の道”ってのが、ここに繋がってくるんよ。現体制を打ち崩す為に、今の王政に不満を持つ者を募って決起しようとしとるんよね」
「そうです。最初は有志もあまり集まりませんでしたが、徐々にその数を増やして、今ではユキカブリの兵達に引けを取らないまでになりました。数ではさすがに劣りますけれど」
「おいおい、余所から来た俺が言うのもおかしい話かもしれないけど、本当にそれでいいのか? 王政をひっくり返そうとするなんて」
「握っている権力も武力もあちらの方が遥かに大きい以上、私達には蜂起して力ずくになるしか方法が無いのですわ。本当は話し合いで解決させるのが望ましいんですけど、それが叶わない以上は致し方ありません」
 フリップやループとて、今まで世話になった国王や王子の意に背く事を好んでやりたい訳ではない。しかし、国民の事を第一に考えられない状況にまでなってしまった以上、何とか修正するのが自分達の責務である――三闘士である彼らだからこそ、決意を固めたのだった。その意志の強さを目の当たりにして、しゃしゃり出て意見しようとしたヴァローは気恥ずかしくなって口を噤んだ。
「ここまで話した上で出会い頭に言うのも何ですが、出来ればあなた達にも協力して頂きたいのです。本当はご迷惑をお掛けするのは気が引けるのですが、あなた達の仲間が捕まっているとなれば話は別ですから」
 フリップから直接お願いされたのは大きかった。つい先刻まで抱いていた引け目は消え去り、今は強引にでも仲間を救出する事を最優先にするべきだと念頭に置いていた。ヴァローとライズは言葉を交わす事なく、互いに頷くだけで意見を共有させた。まったりして会話に絡んでくる気配のないティルはさておき、レイルも反対の意志を示さず、自ずと選択肢は一つに絞られた。
「それで、俺達は何を手伝えば良いんだ?」
「協力していただけるのですね。助かりますわ。詳細についてはまた後程お話します。ここまでの旅路等々疲れたでしょうから、ゆっくり休んでいて下さいな」
 せっかくの気遣いを無下にする訳にも行かず、多少は溜まった疲労を癒すべく、ヴァロー達は焚火の周りに集まって身を寄せ合った。そこにレイルの姿はなく、代わりにループが我が物顔で三人の間に入っていた。しかし、それは不快感を生むでもなく、ループなりのスキンシップである事を承知しているため、嫌な顔をする事無く受け入れた。もっとも、ティルに関してはそんな気難しい事など考えておらず、ただ純粋に気の合う友達が出来たような感覚で打ち解けてじゃれあっていた。
「あのさ、今さらなんだけど、ライズは本当にこのままでも良いのか?」
 互いに体を触ったりくすぐり合っているティルとループの楽しげな光景を横目に見つつ、ヴァローは唐突に話を振った。普段会話を交わす事の少ない事が原因か、あまり緊張する場面のないヴァローの声に一種の揺らぎが窺えた。それはライズにおいても同様であり、まだ心を開いてはいない相手の真っ直ぐな眼差しに、戸惑いを覚えているようだった。急な呼びかけだったからこそ、その心の内が如実に顔色に表れていた。
「えっ、それはどういう意味でしょうか?」
「正直さ、俺達に付いて来て協力してくれるのは嬉しいよ。ただ、ライズがずっと俺達の行動に流されっぱなしのような気がしてな。もし嫌なら、自分の意志で降りてもらえばいいんだって事を伝えたくて」
「流されっぱなしってのは余計なお世話です。そりゃあ、あなたには敵わないでしょうけど、僕にだってアルムくんを助けたいという強い思いはありますから。この期に及んで止めるなんて言うはずないじゃないですか。おかしな事を聞かないで下さい」
 ライズがずっと自分達に従ってばかりだった事に、ヴァローは今の今まで釈然としていなかった。確固たる意志を持っておらず、ただ自分達が振り回しているだけではないのかと、些細な危惧を抱いていたからであった。意志が弱くて断れない性格なら、こちらからその筋道を立ててあげようと考えたが故の問いかけだった。だが、初めて聞いた本人の主張が直球だった事で、それが無用な心配だったという事を気づかされた。ライズの思いは本物であり、その輝きを宿す目を見つめれば、全てが伝わってきて迷いは吹っ切れた。
「そっか。やっぱりアルムの事を思ってくれてるんだな。試すような事を聞いて悪かった」
「いえいえ、僕を気遣って言ってくれたのは分かりましたから。今度は僕から伝えたい事があるのです。ここで言うのも何ですけど、僕はあなたの事を少し勘違いしていたかもしれませんね」
「それはどういう風にだ?」
「てっきり無理にでも音頭を取って、全員をまとめようといつも必死になっているんだとばかり思っていました。でも、そうではないんですね。あなたはいつだって周りの皆の事を分かっていて、それはいつも言葉を交わさない僕だって例外じゃなかった。あなたは皆をまとめる天性のリーダーの資質が備わっているのですね」
「おい、俺を褒めたって、炎以外は何も出ないぞ?」
 いつも褒められる事が滅多にない事があって、照れ隠しを内包した洒落を利かせたつもりだった。しかし、その場凌ぎで逃れようとした含羞はやがて堪えようとする器を溢れだし、取り繕うとする顔をほんのりと赤らめていった。慣れない立場に立たされると、いつもの冷静さなどとうに忘れていた。
「おだててご機嫌を取ろうとしている訳ではありませんよ。ただ、僕の見立ては間違っていたんだと思い知らされただけです。それともう一つ、僕はあなたに少し嫉妬していたのかもしれませんね」
「嫉妬って、一体俺のどこに嫉妬するところがあるんだ?」
「ほんの些細な事なんですけどね、アルムくんがあなたに見せる表情が、僕に対して見せるとは少し違うんですよ。それが何か羨ましいのもあって、意図的にあなたと距離を取ってしまっていました」
 こうも赤裸々に話しているのは、ライズにとっては大きな進歩であった。隠し切れない羞恥の思いは遠慮なく所作に現れ、時たま上目遣いでヴァローの視線を気にしながら先を続けた。互いに相手の顔色を窺って同じものを潜めようと尽力している様は、当事者達は言わずもがな、傍から見ているフリップとニョロトノの頬にもむずがゆいような微笑みをもたらしていた。
「でも、今の一件で全て自分の中で片付きました。それで、もしまだ間に合うのなら、僕を、仲間の一人として認めてもらえ――ないかな?」
 アルム以外には発する事の無かった、丁寧体を含まない友達口調が飛び出した。それはライズなりの心を許した証であり、こちらにも激しい動揺の色が見られた。認められるかが不安で、心が張り裂けそうなほどだった。ヴァローも突然の口調の変化には驚きを示したが、それが友好の印なのだと直感で分かると、照れを押し殺して表情を解して見せた。それが互いにとって大きな前進だということは、わざわざ口に出さずとも頭で分かっていた。
「じゃあ、改めてよろしくな、ライズ。これからはもっと積極的に話していこうな」
「うん、まだまだ知りたいことはあるから、遠慮なく話し掛けさせてもらうよ。それより今は、精一杯頑張ってアルムくんとシオンさんを助け出そう!」
 ライズの感情の昂ぶりの証として、青い頬袋からは微弱な青白い火花が飛び散っていた。歩み寄った際に一部がヴァローに向かって放電するが、今の二人にとっては瑣末な事であり、軽く受け流して交わした決意の言葉にも力が篭っていた。それは単にアルムとシオンを助けたいという思いが強いだけではない。同じ思いを胸に秘めて共に進める関係が築けた事によって、心の支えとなるものが増えた事が大きく起因している。離れていたものが強く結びつくとどれだけの力を生むか、二人は心の中で体験する事となった。二人を繋いだのは言うまでもなくアルムであり、本人のあずかり知らないところでもその存在感を発揮していた。かくして後に難が控えているはずの者達は、この場に不在の者によって緊張を解きほぐされていくのだった。



コメット ( 2013/01/21(月) 00:05 )