エトワール・フィランテ〜星降りの夜の導かれし出逢い〜


















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第十章 渓谷にある氷の国の現状〜王子と不審な影〜
第七十二話 ニョロトノの案内と怪しい建物〜大と小の氷の戦士〜
 気候を考慮して造られた急勾配の屋根から大量の雪が落ち、静まり返った土地に小気味よい控え目の音を響かせていた。空からは変わらず深々と綿雪が舞い散っており、視界の中で白の占める割合を格段に高くしていた。
 度重なる積雪により押し固められ、大通りよりも高い位置に道が作り出されている路地を歩く複数の影があった。所々固まっておらずに沈む足元に悪戦苦闘しながらも、難無く歩く一番前の蛙のようなポケモンに置いてきぼりを喰らわないように進んでいた。
「頭上にはくれぐれも気を付けるんよ。油断してると、あっという間に下敷きになってしまうから」
 あまりにも淡々とした口ぶりではあったが、脇から降り懸かる可能性のある屋根の上の雪を落とす心配りを見せつつ、ニョロトノは先頭を歩いていた。こんな場面を王子の部下に見つかりでもすれば怪しまれそうなものだが、幸い次々と降る雪によって足跡が消されるのもあって、誰にも気づかれてはいないようだった。後に従うヴァロー達も途中までは気を張っていたが、追っ手らしき者も後ろには見当たらず、黙々と雪路を前進していた。
「おい、本当にアルムとシオンの救出に手を貸してくれるんだろうな?」
 ずっと狭い道ばかりを歩かされっぱなしで、城のある方角に向かっている訳でもない上、まだ目的地も明かされないとあっては、ヴァローも不安が募っていよいよ焦燥感を抱き始めていた。早くアルム達を助け出さねば――そんな気持ちが先行をしてはいても、一向に行動に起こせないことがもどかしく感じ、見えないところで歯を食いしばっていた。
 ライズはライズで仲間の二人が連れて行かれたであろう場所に何度も顔を向けており、言外でニョロトノに訴えようとしていた。しかし、その当のニョロトノは我関せずといった様子で、立ち止まる事なくただ突き進むだけだった。だからと言って、案内の妨害をしてでも声を上げようとする程の意志の強さは生憎持ち合わせておらず、ヴァロー同様に付き従うに留まっていた。
 いつもなら深刻な状況下でも我を保って気ままにしているティルも、珍しく場の空気を読んでいるらしく、前の三人からは距離を置いて空を飛んでいた。アルムの不在が大きな動揺を与えているのは間違いなく、普段見せる快活さが影を潜めていた。表情にもらしくない暗さが窺える。
「主はまだ捕まっただけです。まだ憂慮する段階ではないでしょう。必ず救い出せるはずです」
 意気消沈していた一行の中でもとりわけ異彩を放っていたのは、ポリゴンのレイルだった。先刻からの冷静さを全く失っておらず、かつ希望を見出だせるような発言まで飛び出していた。それが何かの裏返しなのかと、ヴァローは内心勘繰ってしまう程だった。しかし、即座に払拭して杞憂だと自らに言い聞かせて前に向き直った。
 それぞれに考えの微妙な方向性の違いさえあれども、中心に一本通っている筋は全員が共通のものだった。それはアルムとシオンの奪回・もしくは彼らとの再会であり、既にそれを第一に考えて動き始めていた。しかし、心に強く燃やしていた希望の炎を揺らがせるのが、留まる事を知らない吹雪だった。何かを暗示するように確実に激しくなっており、もちろん体力も、そしてただでさえ気落ちしている心さえも、徐々に削っていた。
「大丈夫か? もうすぐ着くから、頑張って歩くんよ」
 疲労の色が見え始めたヴァロー達を気遣う時こそあれ、ニョロトノはその速度を緩める事は無かった。それが切羽詰まっている証拠だとすれば、ヴァロー達とて弱音を吐いてなどいられなかった。時折体力の消耗を加速させない程度の炎を放って寒さを凌ぎつつ、脇目も振らずに悪路の先にある光を目指して足を前に踏み出していった。
 ふとニョロトノが歩く速度を緩め始めたのを機に余裕が生まれ、ヴァローとライズはそれぞれ左右に視線を遣った。赤土による煉瓦を積み上げて建てられていた中心街の家とは異なり、特定の細い植物の茎を乾燥させた藁葺きの屋根のあるやや古びた家屋が立ち並んでいる。一見すると雪の重みによって容易く屋根が押し潰されてしまいそうに見えるが、急な傾斜がある事によって豪雪に見舞われても耐え得る設計となっている。
「ほらほら、目的地はここなんよ。ちょっと着いてきてーな」
 北風に飄々と吹かれて粉雪が舞い、牡丹雪が音も立てずに町に降り注ぐ景色の中で一息吐いたのも束の間。ニョロトノは眼前に見える雪の階段を軽快な足取りで降りていき、一番近くの家の前でヴァロー達の方を振り返った。軋んでいて今にも外れそうな扉を開いて手招きをしており、一人ずつそろそろと階段を降りて次々と中に入っていった。
「ふふふ、良く来ましたわね。ここがあなた達の墓場となるとも知らずに」
 目の慣れない薄暗い空間に入った刹那に、高いながらも掠れた声が耳に留まった。目視出来る程の白い冷気が、肌を撫でていくのを感じた。聴覚と触覚で異変を感じると同時に、背後で扉がばたんと強く閉められたのが聞こえた。気が緩んでいたところで、一気に緊張感が高まっていった。
「まさか、こんな遠いところまで誘い出して、暖かくもてなすとでも思ってたんかいの?」
 扉を力一杯閉ざした張本人のニョロトノは、声色を低くしてひたひたと足音を立てながら迫ってきた。前方にいる未知の相手に警戒しつつも、ヴァロー・ライズ・レイルはそれぞれに前後を向いて臨戦体勢に入った。緊張を高めて出方を窺いながら、息を呑んで各々が持つ最良の技を繰り出す準備をした。両極にいる相手に集中して片時も目を離さず、肉薄しだしたのを見計らって応戦の構えを取った。
「――なーんて。脅かしてごめんなさい」
 一寸の時を置いて、脅しの入った低音の声とは異なる、耳に心地好い透き通った声が響いてきた。極限まで高めた感覚は一瞬にして消え失せ、出鼻を挫かれる形となった。しかし、その穏やかな声調はヴァロー達の心に安息をもたらし、張り詰めた状況から一転、安堵から力が抜けてその場に座り込んだ。藁のむず痒さを感じつつ、大きな溜め息を吐き出して前に向き直ると、いつの間にか明かりが灯ってその声の正体が映し出されていた。
 青い皮膚に長い首、鰭のような形状の大きな四本の足と、背中には岩のようにごつごつとした灰色の甲羅を持っている巨体のポケモン――ラプラスだった。迎え入れた時の不気味さとは正反対に、今は客人に向かって優しく微笑みかけていた。
「自分が楽しむのは構わんが、今はふざけてる場合じゃないんよ。もうちょっとそれらしく振る舞ってくれんかの」
「そういうあなただって、ノリノリだった癖して、良く言いますわね」
 炎タイプのヴァローでさえ身震いするような中で、ニョロトノとラプラスは寒さをものともせず、向かい合ったまま微笑を湛えていた。ニョロトノが瞬時に相手の考えを察して役に入り込んだ事からも、親密な間柄である事は容易に窺い知れた。
「あのさ、僕ちゃんの演出はどうだっただの?」
 ぱちぱちと音を立てて淡い光を放つ焚火の傍らで、ラプラスと並ぶとより小ささが目立つ、丸い体型のアザラシのようなポケモンが頻りに手を叩いて自らの存在を顕示していた。ライズ達がそれに気づいて視線を移すと、叩く力を強くしながら嬉しそうに笑みを浮かべていた。
「はいはい、素敵な演出でしたわよ。全く、いちいち褒めないと気が済まないんだから、面倒な子だこと」
「別に乗っかったっていいじゃないのさっ。僕ちゃんだって一応仲間なんだし、楽しい方が良いんだの」
「まあ、多少は良いです。けど、この状況で度が過ぎた事だけはしないようにね」
「はーい。分かっただのー」
 タマザラシはその丸っこい体で地面をごろごろと転がっていき、ラプラスに体を擦り寄せていった。陽気な態度に対して険しい表情で戒めはするものの、ラプラスの方も煙たがるような様子は無く、直後には暖かい眼差しを向けていた。
「わーいわーい。タッチしよー!」
 ここでははしゃいで良いのだと判断したのか、ティルは溜まっていたものを一気に弾けさせてタマザラシに近づいていった。タマザラシも突然の飛来者に動揺する事なく、旧知の間柄であるように仲良く手遊びを始めた。火に焼べられている薪が爆ぜる音と、手を叩き合わせる音。似たような音が上手く混ざり合い、妙趣のある二重奏を奏でる様を見ていると、寒さこそ和らぐ兆しは見えないが、気が揉めていたのも自然と穏やかになっていった。
「ところで、この子達は誰なんですの?」
 小さなハプニングに一段落が着いたところで、ラプラスが素朴な疑問を投げ掛けた。遊びに興じていたタマザラシもはたと我に返り、まじまじとジラーチを観察していた。事態の飲み込めていないヴァロー達の事を慮って、ニョロトノが説明の役を買って出た。
「実はの、この子達は他所の町から来たようなんだ。それで、王子達とばったり遭遇して、仲間の内の二人が連れて行かれてしまったんよ」
「なるほど。事情は分かったけど、ちょっと厄介かもしれませんね。私達も協力はしたいけど、簡単には救出出来ないと思いますわ」
「僕ちゃんも同感だの。一度捕まっちゃったら、解放されるのを待つしか無いって言うくらいだもの」
 蒼穹に広がる暗雲から垣間見えた一閃の光も、再び暗がりに呑まれて霞み始めていた。立ち向かう意志はあるものの、それを成し遂げるだけの戦力を持ち合わせていない。改めて王子を相手にする事の難しさを突き付けられ、厳しい現実を思い知らされた。ヴァローとライズは揃って項垂れていた。
「でも、可能性が無い訳じゃないです。奇襲という強攻に出れば或いは」
 落胆している二人を見兼ねたラプラスは、何とか打開策を捻り出した。ヴァローとライズも垂れていた頭を上げ、期待の篭った眼差しを向けた。
「それはリスクが大き過ぎると思うんよ。可能性はあるが、最善とは言えんね」
 ニョロトノは真っ向から反論するように苦言を呈した。腕組みをして深刻そうに唸り声を上げている様は、それまでの飄々とした態度とは打って変わっており、事の重大さを際立たせていた。また振り出しに戻されてしまい、ヴァロー達はとうとう溜め息を吐いて自信を喪失する始末だった。

 またもや暗い空気が漂う真っ只中で、ただ一人部屋の隅で佇んでいたレイルは、明かりが届かない範囲の藁に埋もれている布に目を付けた。そこまで近づいていって足元を軽く掻き出すと、水色の布地の旗が顕わになった。白い糸で刺繍が施されており、綺麗な形をした正八面体と、それに刺さっている槍が描かれていた。藁を退ける音で気づいたヴァロー達も、不審がってレイルの元へ歩み寄った。
「見る限りでは国旗のようにも見えますね。ただ、槍の方は後で付けたような痕跡が見られますが」
「そう、その通りです。現在の堕落した王政に反旗を翻した際に、その反抗の印として氷に突き立てる槍を描きました。あの忌ま忌ましい王子のやり方を打ち破ろうという想いを篭めて、ね」
 旗の発見が起因となって気に障ったのか、ラプラスの言葉の端々に、恨みのような感情が見受けられた。返す言葉の見つからないヴァロー達は無性に薄ら寒く感じた。顔を直接見るのも気が引けて視線を逸らしていると、今度はライズが何かを発見したようで、小走りで駆け寄った。
「すいません、ちょっと疑問に思ったのですが、何故建物の中に植物が生えているんですか? これ、見る限りでは勝手に生えてきた雑草には到底見えませんし」
 森の中で実際に木の実などを育てていたライズだからこそ、些細な異変に気づいた。藁の下に埋もれていた、明らかに何者かの手が加えられた生物について。
「鋭いですね。そうです。ここにあるのは、極寒の地でもすくすくと育つ植物達です。全て王子が愛した、ね」
 ラプラスが含みと間を持たせていたのに対して、危険を冒して踏み込むつもりはヴァロー達とて毛頭なかった。未開の領域からそっと手を退こうとするが、既にただならぬ空気を漂わせており、その道が断たれていた。
「そうそう。この国はそういう生命力の強い植物が生息している事でも有名なんよ。頭の片隅に留めておいてな」
 険悪な雰囲気を察知して、ニョロトノがすかさずフォローに入った。我知らず目つきまで鋭くしていたラプラスが口を噤んで、ほっと胸を撫で下ろしたところで、ヴァローが話題の転換を図った。
「見ず知らずの俺達の為に協力してくれるようで、すごく助かる。そういえば、そっちの二人が何者だか聞いてなかったんだが、教えてくれないか?」
「ああ、忘れとったね。ラプラスの方の名前はフリップ、タマザラシの方の名前はループって言って、二人とも三闘士の一員なんよ」
 三闘士という単語にピンと来ないヴァロー達は、一様に首を傾げた。もちろんこの時、先刻遭遇したルッツが残りの一人だと言う事を、彼らはまだ知る由も無かった――。



コメット ( 2012/12/14(金) 21:57 )