エトワール・フィランテ〜星降りの夜の導かれし出逢い〜


















小説トップ
第十章 渓谷にある氷の国の現状〜王子と不審な影〜
第七十話 姿を現した者達〜ザングースとアルム達の行動〜
 ニョロトノに促されて表に出るや否や、刺すような冷気が一行に牙を向き、建物内との温度差を身を以って思い知らされた。いつしか通りを進路として風が激しく通行しており、気温もそれに比例してぐっと下がっているようだった。
「何か急に天気が悪くなってきたね。やっぱり山だからかな?」
「ええ、たぶんそうね」
 アルムは身震いしながらシオンの方を見遣るが、やけに素っ気ない声が聴こえてきただけだった。寒さに耐えられないとか言うのではなく、アルムの声がちゃんと届かないような別の要素が働いているようだった。こうして突っ立ってる間にも、白い結晶を伴った突風は際限なく吹き付けてくる。それは気流を生み出し、ごうごうと耳の辺りで音を立てていた。その音が、妙に不安を掻き立ててきた。同時に、容赦のない自然の猛威を前にして、アルムの心配も瞬時にして吹き飛ばされた。
「いや、これは気候の変動に伴う物とは違うんよ。これは、王位を受け継ぐ者が――」
 天候はすっかり吹雪へと姿を変え、横殴りに吹く風にニョロトノの声は途中で阻まれた。そんな中で何とか薄目を開くと、ニョロトノは立ち尽くしてある一点を凝視していた。アルム達も合わせて視線を移していくと、王宮方面の離れた位置に、銀雪に溶け込んだ白い体毛の猫に近いポケモン――ザングースの姿があった。さらにその先には、何やら別のポケモンが悠然と立って睨み合っている。
「また性懲りもなく盾突く気か。私を誰だと思ってる?」
「誰かって、決まってるだろ。国の支配者として最低な野郎だ」
 ザングースが相変わらず喧嘩越しの口調を飛ばす相手は、頬から二本ずつ長い髭を生やしており、肌は空色でラッコのような体躯をしているポケモン――フタチマルだった。腰に携えた二枚の貝殻がトレードマークでもあり、羽織っている紺色のマントの中に見え隠れしていた。
「へぇ、王子を前にして、どういう態度を取るべきか弁えていないようだな。愚民め」
 本人とザングースの双方の言い分と内容から、フタチマルが国家を統制する者である事は火を見るより明らかだった。激しい雪の乱舞が幾分か和らぎ始めたのを見計らい、アルム達はニョロトノ先導の下で、聴き耳を立てながら接近を試みる。
「ああ、愚民で結構。その民を纏める奴が愚かだからな。おれもいい加減、愚かな統率者の下にいるのは我慢ならなくなってきた」
「またしてもこの国の代表である私を直接愚弄する、か。それがどういう事に繋がるか、わかっているだろうな?」
 互いの顔色を窺いながら火花を散らす最中、シオンは夢見心地で新たに見たポケモン、フタチマルをじっと見続けていた。声を掛けるのも憚られ、アルムは別の注目すべき対象に視線を戻す。
「おれを引っ捕らえて牢獄にでも入れるか? 罪の無い民衆を片っ端から捕まえては、なけなしの金を吸って良い思いしてる屑どもが。“あいつ”を追放したのも、お前の仕業らしいし。どのみち、おれはお前らを許さねぇけどな」
「私には、君に許してもらう必要などない。君の行為を国家への反逆と見なして、捕らえるだけだからな」
 フタチマルが軽く腕を上げると、路地裏から数人のユキカブリ――王宮前でザングースと言い争っていた――が、ぞろぞろと現れてザングースを囲んだ。フタチマルに予め指示されて脇に控えていたらしい。
「相変わらず用意周到な奴だな。これくらいの部下を従えてないと歩けない程の臆病者なのか?」
「何とでも言えば良いさ。君みたいな野蛮な奴を手際よくあしらうには、これくらいいた方が良いと思ったまでだ。さあ、掛かれ」
 フタチマルが腕を振るってマントが大きくはためいたのを皮切りに、控えていたユキカブリ達は一斉にザングースに向かって飛び掛かった。だが、ザングースは素早い身の熟しでその隙間を軽やかに掻い潜り、難無く包囲網を突破した。勢い余って隙だらけになっているユキカブリ達を尻目に、ザングースは即座に踵を返して大きく振り被った。先の二本の爪を合わせて力を一点に集中し、肩の力を最大限に解放して、鍛えられた腕を叩き付けるように振り下ろした。空気を震わせて重音を発しながら襲い掛かる凶刃のごとき爪は、回避行動の間に合わないユキカブリを確実に捉えた。持ち前の腕力から繰り出された“ブレイククロー”により、自分よりも重いユキカブリを脇道まで吹き飛ばした。
「くっ。一人だからって油断するな。数で押さえ込め!」
 先程までの余裕が消え失せたフタチマルが、戦況を見るに見かねて檄を飛ばした。仲間がやられて動揺が走っていたユキカブリ達の表情も、王子からの叱咤によってさらに険しくなって身構えた。両腕を激しく前方に振ると、その腕から木の葉が飛び出してきた。ユキカブリが揃って放った鋭利な葉っぱの集団――“はっぱカッター”は、縦横無尽に飛びながらザングースに向かっていく。
「小手先の技が、通用するかぁっ!」
 ザングースは両腕を突き出して爪を広げて立てつつ、大量の木の葉の軌道を認識して待ち構えていた。寸前まで迫ったところで、磨かれた黒光りする爪で瞬時に薙ぎ払った。空気を裂く一閃によって、軽々と葉っぱの群れが一掃された。
「図に乗るな」
 大振りになった隙を狙い、フタチマルが接近していた。懐に忍ばせている二枚貝――“シェルブレード”を両手で掴み、ザングースに向けて一気に引き抜いた。その刹那に、斬り伏せようとする悪意を感じ取ったザングースは、振り向き際に爪を振って凶刃を捌いた。金属同士が摩擦したような鋭い高音が響くと同時に、それぞれが生み出した衝撃で互いに対極の方向に弾き飛ばされた。
「これだけの数を相手にここまで立ち回るとは。厄介極まりない存在であると同時に、珍しい強者だな」
「そいつぁどうも。いくらでも相手になってやるよ」
 フタチマルは歯を食いしばって悔しそうな面持ちを見せつつも、捕獲にてこずっている相手を認めるような事を仄めかした。その真意はともかく、上手く事が運ばない事に苛立ちは募っているらしく、フタチマルは貝殻を握る力が強くなっていた。ザングースは敵達の歯応えの無さに対して嘲笑を浮かべたかと思えば、次の瞬間には両腕を天に向けて翳していた。それを素早く突き立てた先は、いつの間にか凍りついていた自らの足だった。爪に力を篭めて砕こうと試みるも、がりがりと表面が削れる程度だった。堅牢な氷の拘束具は、頑なに爪の貫通を阻んでおり、とてもではないがこの場から逃げ出す事は不可能だった。
「無駄だよ。この氷による拘束がユキカブリ達の真骨頂なのだから」
「お前に気を取られている間に、後ろの奴らが氷技でせこい真似をしたって訳か」
 上手く往なしていたつもりが、逆にザングースの方が追い詰められていた。油断が生んだ失態を自らも認めており、おとなしく両手を上げて降参の意志を示した。
「連れていくなら勝手にしろ。どうせお前自身の悪評を広げる事になるだけだ。それでもやる気か?」
「反逆罪だと言う事を忘れるな。それに、どうせ間抜けな民にはわかるまい。こそこそと勘繰る奴を捕まえてしまえばな。これまでは私にわからないように見逃してた裏切り者が城内にいて助かってたようだが、これで悪運も尽きる」
 不敵な笑みを見せつつ、フタチマルが再び合図を送ると、ユキカブリ達はザングースを取り押さえに掛かった。ザングースの方はと言うと、これ以上抵抗する意志は無いようで、ユキカブリ達が持参していた縄によってされるがままに捕まった。

 その様子を黙って見守っていたアルムも、心境が乱れ始めていた。ザングースが一体何者なのか、国の状況はどうなっているのか、未だ知る由も無い。だが、国の主が横暴に振る舞い、一人の民を捕らえようとしている。そんな状況を前にして、同じく王が治める活気づいた国に訪れた事があるアルムは、遣り切れない気持ちで心が満たされていた。それに、心のどこかでは、ザングースが悪いポケモンではないと感じていた。
「そこの王子、ちょっと待って。いくら何でも横暴過ぎるわよ」
 アルムの心が大きく揺らいでいたところで、突然ザングース達の間に割って入ったのは、凛とした表情で白い雪の上を悠々と歩いてくるマリル――シオンだった。完全に我に返ったアルムは、思いがけない行動に狼狽え始めた。
「な、何だそなたは。いきなり無礼な事を言いおって」
「……あなたはすっかり変わってしまったのね。以前はもっと優しい王子だったのに」
 シオンはアルム達の居場所がばれないように振り返る事なく歩み寄り、フタチマルの方に物悲しげな光を篭めた眼差しを送った。初見のポケモンが目の前に現れて立ちはだかってきた事に、フタチマルも目を丸くしていた。
「何か勘違いしているか、誰かと間違えているかしているようだが、まあ構わないだろう。歯向かうと言うなら、こやつも連れていけ」
「――ちょっと待ってよ!」
 様々な思いが交錯している中で気がつくと、体が前に飛び出していた。ちっぽけな存在だとわかっていても、自分の気持ちに嘘は吐けなかった。予想していなかった大胆な行動に度肝を抜かれているヴァロー達を尻目に、アルムは臆する事なくフタチマルの方に歩み寄っていく。
「ん、何だ? お前も世迷言を言いに来たのか?」
「あなたにとってはそうかもしれない。言わせてもらうけど、あなたを見てると、何だかすごくムカムカしてくるんだ。そこのザングースさんがあなたの事を愚かだって言ってたのも、何となくわかる気がする」
 決して気が動転している訳ではない。ただ、純粋に目の前のフタチマルに対する憤りを隠し切れなかったのである。王子という身分は抜きにして、一人のポケモンとして、傲慢な態度をこれ以上黙って見ていられなかった。その上で、これまで出会ってきた、集団を統率する者達のそれに相応しい人柄に触れてきたアルムとしては、フタチマルが異質な者として無視出来なかったのである。そして何より、シオンの身を案じていたのがあってこそ、ここまで勇気を出せたのであった。
「なっ、この国の者でも無い奴にとやかく言われたくない! えぇい、こやつも引っ捕らえろ!」
 名前も知らぬ者から出会い頭に毒をぶちまけられ、さすがのフタチマルも怒りが頂点に達していた。ユキカブリも動揺しながら忠実に命令を遂行し、アルムを同じく縄で捕まえた。振り解こうとするが、周りを囲まれていては無駄骨だった。徐々に興奮も冷めていき、観念して動かなくなった。
「ユキカブリ達、こいつら全員城まで連れていけ」
「はっ、仰せのままに」
 アルム・シオン・ザングースの三人の両脇に、それぞれ二人ずつユキカブリが寄り添う形で逃げられないようにして、フタチマルの指揮の下に連行し始める。その一部始終を歯痒そうに見ていたヴァローは、遂に我慢出来ずに飛び出そうとした。
「それは駄目です」
 しかし、ここで予期せぬ事が起きた。今まで自分の意志で行動した事の無かったレイルが、この場面でヴァローの前に立ち塞がって阻止しようとした。もちろんそれで躊躇いを見せるはずもなく、障害を押し退けようと足を突き出す。レイルもそれに負けじと踏ん張り、何とかその場に堪えた。
「レイル、何で邪魔するんだ! アルム達が連れていかれようとしてるんだぞ?」
「落ち着いて下さい。今ここで我々まで捕まってしまえば、主達を救うチャンスは無くなります。ですから、ここは辛抱です。まだ何もされないでしょうし」
「そう。まだ城に連れていかれる程度だろうから、現時点で心配は要らないんよ。まあ、いずれは助け出さないといけないんやろうけどな」
 主であるアルムを救う事を第一に考えているため、あくまでレイルは冷静だった。ニョロトノにも重ねて諭され、沸き立っていた怒りが治まっていくと、ヴァローは納得したように頷いた。見す見す目前から連れ去られるのを、ただ黙って見ているしかなかった。そんな状況下にあって、やり場のない悔しさが込み上げてくるが、何とか溜め息一つで溢れ出すのを凌いだ。
「そうだな。確かにここで先走った事をしちゃいけない。止めてくれて助かった。しかし、二人してのこのこと歩いていって、無鉄砲な事をして、一体どうしたんだろうな」
 レイルの咄嗟の機転で助かったものの、所詮は我が身が無事なだけだった。二人の突拍子もない行動には理解を示せるはずもなく、ますます疑念は深まるばかり。ヴァローは肩を落とし、今は見えなくなった二人の残像をただ頭に浮かべていた。
「困った事になったみたいよね。これはさすがに予想してなかった事ではあるのだけど。まあ、ひとまずはお茶でも飲んで落ち着くに限るんよ」
 アルム達を伴ったフタチマルの姿が見えなくなると同時に、しばらく吹き付けていた冷たい風が過ぎ去った。時機を見計らって大通りに繰り出したニョロトノは、先の騒動など目にしていなかったのように振る舞っていた。ヴァローは慌てて駆け寄っていく。
「ちょっ、そんな悠長な事を言っている場合じゃ――」
「――今から真っ白で目の前が何も見えなくなる程の激しいブリザードがやって来る。それでも行くと言うんかいの?」
 下手に動けば体力を消耗するだけになりかねない。そんな事実を突き付けられ、ヴァローは思わず口を噤んだ。今すぐ城に乗り込んでアルム達を救出したい気持ちは強かったが、焦りが禁物である事を自らに言い聞かせ、出しかけた足をおとなしく引っ込めた。
「心配せんでもええんよ。城に連れていかれた子達の事はちゃんと考えてるから。今はちょっとおいちゃんに付いて来てくれんかいの」
 ニョロトノが歩みを進めようとしていたのは、先程後にした暖かな家とは真逆の方角だった。アルムとシオンが不在の中、残るヴァロー・ティル・レイル・ライズの四人は、先行きに不安を募らせながら、誘われるがままにその後を追うのだった。



コメット ( 2012/10/29(月) 22:48 )